カトリック教会に幻滅しました


がっかりでした・・・


みなさんのおすすめのカトリックの教会に行って来ました。
ごめんなさい。幻滅でした・・・

なんか、神父さん?の聖書のお話がなんだか、〜しなければならないとか
こうするべきであるっていうような、モルモンとあまり変わらない雰囲気で
ちょっとがっかりでした。

なんか、プロテスタントも同じような感じがして行く気がなくなってしまいました。
教会なんかどこも同じなのかなあ?と思ってしまいました。ふう〜

Name : としや Time : (99年4月12日<月>05時37分)


がっかりでしたか?それはお気の毒です。

としやさん>>

としやさんて、もしかしてうさじ〜?(^-^;)?

もし違っていたらごめんなさい。

さて、カトリックの教会にいって幻滅したとの事、その理由は神父?のお話が
〜しなければならない。
って感じで、モルモンと『変わらない雰囲気』であったとの事。

それは残念ですね。御同情申し上げます。

ところで、あたしもカトリックの方がモルモンよりお勧めだと、かねがね言っていたものですが、
実際にはカトリック教会にはまだいった事がありません。

従って、神父うんぬんとか教会の雰囲気がモルモンと同じだといわれても、
「そうかなぁ?」という印象しか感じません。(少なくとも教会堂のつくりは大きく違うように見えるので)

ただ、あたしがカトリックの方がモルモンよりお勧めだな。と感じたのは、ここにもちょくちょく顔を出されるサトシさんのサイトにある、「カトリックとモルモンの比較」によります。

サトシさんによると、「カトリックとモルモンは雰囲気が違う」ように感じられます。

このあたり、「第三者にわかるよう」客観的に詰めていただけないかなぁ。と思います。
幻滅した。だけで去られても、お勧めしているあたしとしては、何か納得がいきませんので。

でもって、他のプロテスタント教会のケースですが、雰囲気だけなら、カトリックより遥かにモルモンに似ているのではないかと、あたしは思います。
知人のプロテスタント教会にいった事がありますので。

ただし、こういってはなんですが、化粧や外見が同じなら、中身まで同じだとはあたしは思いません。

人間、たとえば外見が同じなら、皆同じ中身の人なのか?といったら違うでしょう。

ですので、表面的なものばかり目をやっていたら、その本質の違いを理解することはないのではないか?と感じますね。

たとえば「〜しなければならない」っていうのは明らかに表面的な定義でお話を「決めつけている」ように思えます。では実際の運用として、事実モルモンは数日から数カ月で人を改宗させようとするのに対して、カトリックは、当人がまぎれもなく間違いなくキリストに従いたい?キリストにつきたいと思うその時まで、無理して改宗させようとか色々な、押し付けはさせないらしいですよ。(サトシさんの言葉によれば)
あたしはこの違いだけで(事実なら)、充分カトリックの方がモルモンよりお勧めです。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年4月12日<月>08時13分)


としやさんへ。プロテスタント教会について。

カソリック教会に訪問されたのですか。
キリスト教会は、カソリックだけではないので、
他の教派の教会に行ってみても良いと思います。

「何々(良い行いを)しなければいけない。」と言う言い方は、
どこの教会でも同じだと思います。
ただそれが教会の組織の為に奉仕するべきか、
または神様と隣人の為に奉仕するべきなのか、
そのへん良く聞いた方が良いと思います。
(神様との関係を改善し隣人に奉仕するように
教える教会が良いと思います。)

カソリックは、どちらかと言うと画一的かもしれませんが、
(カソリック教会に行った事無いのでなんとも言えませんが。)

プロテスタントは、いろんな個性があると思います。
プロテスタントの場合は、教会や教派によって雰囲気が違います。

一昨年(97年)のクリスマスに、近所のプロテスタント教会に
訪問したのですが、自分から見てモルモンでは感じられない、
のびのびした自由な雰囲気、それに気軽な感じに感動しましたし、
その時に、クリスチャンはうらやましいなと思いました。

確かにモルモンと違って、戒めは厳しくないし
訪問に来た人に対しては歓迎すると思いますし、教会員生活も、
人間関係は、希薄なところがありますが
その反面ストレスを受ける事は少ないです。

お互いに気を使っているのが良く分かります。
自分から見ると、とても通い易いです。

現在、近所のキリスト教会に通っていますが、
モルモン教会のように責任を与えられる事は、とてもすくないです。
責任に悩まされる事はありません。

ほとんどのプロテスタント教会は、専門の聖職者がいます。
地方の教会の場合は、教会役員が聖職者の変わりをしますけど。
(教会役員とは、普段は会社勤めをしていて日曜日に教会を
管理する人です。)

それらの聖職者は、神学校で訓練されているので、
親身になって相談に乗ってくれると思います。

時間があれば、また、他もキリスト教会に訪問してみて行っても
良いかと思います。
(押し付けがましい意見でしたら、お詫びします。)

Name : ぽめ Time : (99年4月12日<月>21時13分)


RE;がっかりでした・・・

としやさん

カトリックに行ってみて幻滅されたとのこと。
私の場合を少し、お話したいと思います。

私は、モルモンから離れてまもなくプロテスタントの教会に行きました
がはじめて教会に行った日は落胆に近い気分に襲われました。

まず友達ができにくかったこと。
当時私は十四歳であり、同じような年代の子はあまり教会に来ませんでした。来ていたとしてもその人は信者の子供とかで、小さいころからのグループができてしまっていて、その中になかなか入れませんでした。

そして、モルモンについて知っている人がいなかったこと。
はじめて聞くキリスト教の話というのは私にとって異様に感じられるものでした。
なぜ、そう感じるのか、モルモンとキリスト教の具体的な違いはいったい何なのか説明できる人はいませんでした。
モルモン、というだけでエホバの証人やら統一教会やらの仲間ね、お茶やコーヒーやんないんでしょ?くらいにしか思われませんでした。

いまでは、この聖徒の未知などで情報が得られますが当時はみたまによる証についてなど、真剣に悩んでました。

ある程度キリスト教が受け入れられるようになってからも、モルモンがどういう組織か、客観視できるまでは、心のもやもやが晴れない感じでした。

だから、キリスト教についてなかなか理解できなかったとしてもがっかりしないでほしいと思うんです。
一日や二日で理解できるものでもないのだから。

そして、カトリックについて。
恐らくとしやさんはミサに行かれたのですよね?
ミサは、誰でも参加できるけれどやはり、信者が中心となるものです。
信者はキリストに従って歩む決心をしたものなのですから信者の生活についての話になるのは当然だと言えます。
信者としてこうすべき、という神父さんの説教が、語意が強かったりして律法のように聞こえてしまったかもしれません。

ミサをでるより先にキリスト教とは、カトリックとはどのようなものかという話を読むなり聞くなりすることをお勧めします。

私個人としてなぜカトリックにしたかというといろんな理由がありますが、惹かれた原因の一つはは「度量の大きさ」だと思います。

心に残っている神父さんの話があります。
「イエズスを裏切ったユダの罪は何ですか?ユダの罪はイエズスを裏切ったことにあるのではなく裏切っても神が許してくださることを信じず、自殺してしまったことにあるのです」
この話を聞いたとき、はっとしました。そして、涙が出てきました。
そして、数日後、カトリック教徒になりたいと決心しました。

信仰ってある瞬間にいきなり分かったりすることがあるもんです。
だから、諦めず、気長にやってみてはどうでしょうか・・・


Name : まりあ てれさ(堅信名も同じ予定) Mail : koa@tke.att.ne.jp Time : (99年4月12日<月>23時10分)


幻滅のカトリック

 としやさんへ、こんにちわ。カトリック信徒の@サトシです。

 カトリック教会に行ってみて幻滅されたとのこと。おそらくこれは、初めて教会に行った人の「平均的」な感想のように思います。伝統的な宗教はだいたいこんなものです。多分、伝統的な寺や神社の場合も大変かも・・・。

 神父の説教については、神父といえども人間なので「当たり・外れ」は仕方がありません。私は神父が大勢いる大きな教会に通っていますが、話を聞くのが楽しい神父と、話し始めたら「居眠りモード」に入ってしまう神父と居ます。神父を絶対化してはなりません。

 教会に行かれる前に、「教会に何を求めるか」をハッキリさせた方が良いかもしれません(少し深く関われば、そこには様々な動きがあり、色々な人々がいます)。取り合えず、知識を得たいなら講習会に参加すればよいし、何か活動をしたいのなら、それを探せば良いのです。探すのにインターネットを活用することも有意義です(モルモンと違い、カトリックではインターネットの活用が盛んです)。

 それと「キリスト教を信じる」ことについて考えねばなりません。キリスト教を信じることの本質は「どの様に生きるか」にあると思います。であれば、一人ひとりの人生が多種多様であるが故に、そこに集まる人々の信仰の在り方も多種多様なのです。
 どの様な集まりでも、集まりの方向性が具体的であればあるほど結束は強くなり、拡散していれば結束は弱まります。「キリストを信じる」と言うことは、それが独立して存在するのではなく、その人々の人生と絡み合いながら存在するのです。従って、多種多様な人生の集まりである教会は、自ずとその結束力が弱まります。その為、初めての人には関わり難さ、排他的な雰囲気を感じるのだと思います。

 教会全体を見ると、その方向性は多種多様でつかみ所がありません。ですから、何かの活動グループに参加することが良いと思います。信仰は本や知識から得られるものでなく、人との関わりの中で見出すものだと思います。何事もそうですが、理屈よりも体を動かした方が分かりやすいものです。

 大きな教会ほど、活動の種類と幅があるので、自分にあったグループを探しやすいと思います。としやさんの居住地域は分かりませんが、折角インターネットという便利なものがあるので、下記のページを御覧になさって下さい。
http://www.tosho.co.jp/pauline/others/
http://www.ignatius.gr.jp/

 2000年の歴史の中で、教会は「キリスト教」という大きな流れを作ってゆき、数え切れないほどの人生がその流れの中を 時には楽しみながら 時には溺れながら流れてゆき、その流れの中の一端に自分も居ることを感じた時に、「共同体としての信仰」の意味が少し分かったような気がしました。

 参考になりましたでしょうか?
 それでは


追伸:
 ぽめさん、神殿についてお答えいただき有り難う御座いました(99年4月11日<日>04時29分)。ホームページの完成を楽しみにしています。
http://www.712.nu/

Name : @サトシ Mail : anahori@712.nu Time : (99年4月13日<火>02時07分)


人間関係から神との関係へ

 今日、カトリック教会で神父さんと話をしていました。
 カトリックへ求道者として教会に来る人も、当初は信仰が成熟していないのは当たり前で、神父の転勤などの、ちょっとした人間関係で教会に来なくなるということはあるのだそうです。しかし時間が経つにつれて、人のつながりで教会に来ていたのが、やがて神とのつながりで来るようになり、人間関係のトラブルで棄教するということはそう見られないと言っていました。
 本来、信仰者は人との関係より、神との関係に安らぎや安心を覚えるもので、信仰が深まればそうなっていくのは自然なことなのです。

 モルモンの場合、求道者のごく初期の段階で「この教会は真実か祈って、神に聞け」とかいう、啓示を求めるウルトラC級の信仰を求められます。しかしその一方で、いつまでたっても「人間関係」が棄教の最大の原因を作っており、モルモン教徒の信仰が時間に関係なく全く育っていないことを示しています。
 原因はいわずもがな。モルモン教徒の教会に集う本音は「人間関係」にあって「信仰」がその道具と化しているからでしょう。

 無論、友達を求めるあなたたちの気持ちは十分、同じ人間として理解できるけれど、神との関係がそれよりいかに心安らぐものであるか、それを知らないあなたたちが少し不幸のように思えます。

Name : 薮内 Mail : fgyawplm@anet.ne.jp Time : (99年4月15日<木>01時15分)


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