北九州のモルモン・土谷氏との対話


はじめまして

みなさん、はじめまして。北九州市に住む土谷重幸と申します。

先日、『どんクジラ』の名前で、突然乱入して、みなさんにご迷惑をおかけした
ものです。再登場にあたって、改めて、本名で参加させていただきます。
よろしくお願いします。私のその他情報は、以下のホームページをご覧ください。

私なりに、目標を設定してここに再度参加させていただこうと思い、こんな
準備をしてみました。(笑わないでね。(^^; )

今朝、こちらの地域の教会の指導者に電話をして、面会を申し入れました。
その際に、この掲示板に参加したこと、自分なりに感じているこの掲示板の雰囲気を
伝え、少しの間、この掲示板でみなさんと対話をし、その後に、私なりに思うところを
そのかたに聞いていただき、教会の指導者としてのご意見をいただきたい、という
申し出でした。7年以上も会っていない私ですが、すんなりと受けてくださり、来週の土曜日の夜に
北九州を訪問する予定があるのでということなので、その時にお会いすることにしました。多分1時間
以上になると思いますが、と言ったら、いいですよということなので、ゆっくりと
お話したいと思います。

その時に、話す内容がどのようなものになるかは、これから一週間の間の
ここでのみなさんとの対話次第になります。


http://www.tsuchiya.com/

Name : 土谷重幸 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月19日<金>21時57分)


まずやっくんへ

これから私が書くことについて、できればまず私が言おうとしていることを
受け止めていただけると嬉しいです。前に一度書いたことと同じ事です。

やっくんがいうところの「現実」というのがいまだにわかりません、すみません。
例えば、狂乱の80年代バプテスマ(こんな表現でよかったでしょうか?)
ということについて、実は私自身はやっくんが書いたものを読んだり、
他のかたの話を聞いて、頭では理解できたつもりですが、私の回りの教会で
そうした傾向を感じたことはなかったので、どうしてもその狂乱の中におられた
かたとは理解の度合いが違ってくると思います。

薄れかけている記憶をたどると、ある友人との間に、こんな会話があったような
気がします。
「2年間に何百人もの人をバプテスマに導いた日本人宣教師がおったらしいよ。」
「まさか。きちんと教えとるんかなぁ。受け入れる会員は大変なんじゃない。」
「教会員から苦情が出てるとも聞いたけど。」

そして、その後どれくらいの期間が過ぎてだったか、
「あの時の宣教師、不活発になったらしいよ。」と、その最初の話を私に聞かせて
くれた人が話してくれました。

なんだか遠い世界での出来事を聞いているようでした。当時の私にしてみれば、
あまりに現実からかけ離れた世界の話だと思えましたから。ワードでは、年間に
10数人とか20数人とかのバプテスマの数字で、大きな変化のないままでした。
少なくとも、私の回りの教会員は私のこうした感覚を共有できると思います。

それで、私なりにいろいろと考えて、以下のような図を作ってみました。
  http://www.tsuchiya.com/mormon/lds.gif

おそらく、この日本には二種類のモルモン教会が存在するに違いありません。
それで、例えば、やっくんが見ている「現実」は赤い色の部分での教会で、
私が見ている「現実」は青い色の部分の教会です。この図はあくまでも
イメージ図で、実際に地理的に分けられるものではないとも言えます。

もしこの掲示板を読まれているかたの中に、九州内の教会でその信仰生活を
過ごされてきたかたがおられるなら、多分そのかたとは、私のこのような感覚を
共有しあえるような気がします。

こういう私の状態を理解していただいて、このような私が何を知ることが、
モルモンの真実を掘り下げることにつながるかについて、みなさんの
考えをお聞かせください。

よろしくお願いします

http://www.tsuchiya.com/

Name : 土谷重幸 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月19日<金>22時24分)


Re:はじめまして

土谷さんはじめまして、
るうです。
早速ですが、何故地域のモルモンの指導者なのですか?
なぜ、指導者にこの啓示版の事をあらかじめ伝えないといけないのか?
全く解りません。不可思議な事です。
そしてここでの議論を伝える?それは良いでしょうが・・・どうゆう意図ですかね。その方にもこの啓示版にいらっしゃいって言えばいいんではないですか?なさる事が良くわかりませんね。

http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう(ぜみなーるモルモン世話人)リンク募集中 Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年3月20日<土>00時36分)


根拠のない図・赤裸々な体験談

ということで 土谷さん。

やっくんあてに提示された図ですが、なんの根拠でこの図が出来たのでしょうか?全く解りません。
やっくんの狂乱のバプテスマは本人の体験談です。これは被害者の告発です。
当然、人が思いを共有するのはこうした「事実」によってでしょうね。

http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう(ぜみなーるモルモン世話人)リンク募集中 Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年3月20日<土>07時16分)


モルモンの民主度、九州偏

土谷さんは自分の周辺では、十分民主的であったという、やはり経験を披露されています。それはそれとして事実だろうと思います。
ただ、根拠がない図はちょっと(^-^;)と思います。
今から紹介するのは、イリで出た話ですが、モルモンフォーラムにも掲載された事であるので、公開してもよいことだろうと思いあかしますが、
長崎の話しだと聞いていますが(よくしらない)ともかく九州の会員の言葉です。

そちらの地方部?ステーク部では、知恵の言葉として、「酒、煙草、コーヒー、緑茶、紅茶」はダメなんだそうですが「ウーロン茶」は個人の自由のものだから「OK」なんだそうです(^-^;)

御存じだと思いますが、ウーロン茶は茶の葉っぱからつくられたもので、製造過程が、茶と紅茶の中間なものです。茶がダメで、紅茶もダメなのに、ウーロン茶がOKというのは、どうひっくりかえっても理解出来ない話しですし、

事実、あたしが所属したユニット、ステークでは、「ウーロン茶」は茶であるから、知恵の言葉に反するという認識です。

そこで、そのイリ所属の九州の会員は、「それはおかしい」と何度もステーク会長等に訴えたのですが、まったく耳をかそうとせず、「ウーロン茶は知恵の言葉で禁じている茶ではない。」という見解を通し続けた(ている)のだそうです。

これに対して四国の会員さんが、「なんでもかんでも上が指導するのは自分で考える知恵の言葉の趣旨に反するのだから、これは正しい指導だ。」という内容の記事をMF誌に載せたってわけですが、
あたしあたりは、そういうレベルの話しぢゃないだろうって感じました(^-^;)。

民主的な話しあいっていうのが九州にあるのか、ないのかって話しに戻しますが、結局「筋が通る正しい理屈」が教会を貫くのではなくて、「筋など通らない指導者の感性」が教会を貫く一つの事例だとあたしは感じます。

日の丸、君が代問題にもどりますが、たまたま大阪あたりの指導者は日の丸、君が代に対して、ウーロン茶は茶ではないと同じ態度をとっただけで、基本的には、同じ流れだと感じますし、
日の丸、君が代を掲揚しようとか、ウーロン茶は茶ではないなどとは、あたしの周辺のモルモンではない指導ではありますが、それに似たような指導はありえるし、あると知っています。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月20日<土>11時15分)


モルモンの民主度、全国偏?

全国的なレベルでの話しになると、たとえば、「朝のお祈りに『神様おはようございます』といってはいけない。それは神を冒涜するから」という指導が出たという話を、やはりイリから聞いたことがあります。この指導も別にあたし自身のユニットでは聞いた事がありませんが、宇都宮と姫路の会員が聞いてそして従うべきだ。と主張していましたので、地域性に関係なく出た指導であり、やはり、民主的な話しあいではなくて、指導者の感性による一方的指導の事例だと上げたいです。

さらに、あるステークのユニットでは、そのユニットが礼拝堂を立てるために聖餐会の出席者が足りないので、東京のユニットなわけですが、地方から上京する人にそのユニットの聖餐会に出席してもらう事による、水増しによって、礼拝堂を建設の申請を出そうという指導がステーク会長から出され、会員にはそれは不正行為であるから反対であるという見解があっても、監督あたりは「ステークの方針ですから…」といって、その方針を押し通したという経緯があるという話しも聞いた事があります。

あたし自身の経験から述べるならば、たとえばオーデット問題にしろ、何故それをするのか?という民主的な話しあいなくただの「指導」ということで押し通された事など山ほどあります。たとえばパイロットプロジェクトにしろ九州であったというアンモンプロジェクトにしろ、十分民主的な話し合いのもと行われたとは聞いていません。

土谷さんの個人的な経験はあくまで個人的経験の範囲であり、また、経験があっても、どうも認めないか無視されているように思える。というのが、あたしの正直な感想です。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月20日<土>11時17分)


話しあいの思いでと希望

ところで、地域の指導者と話しする機会を持ったというのは、要するに、モルモンには話し合う場、民主的な場があるという証明のためでしょうか(^-^;)?
ただ、何を話すのか…?ただ飲み食いして、こんなところがありますみたいなものであるならば、それは懇親の場ぐらいどこにでもあるでしょう(^-^;)モルモンにも。
以前、あたしは、やはり、あたしの周辺の地区ではありませんが、地区代表であると同時に、教会広報の担当者である、I氏に、いろいろと疑問と質問を投げかけました。
当初、非常に親しく、また筋が通った態度で接してくれたのですが、あたしが、この問題は?ではこの問題は?と何度かやり取りしているうちに、何をどう怒りだしたのか「あなたはレーマンのような人だ!」とわけがわからない事をいいだして、非常に不愉快な思いをしたことがあります。

あたしがその方に質問したのは、広報担当であるということで、当時は、末日聖徒にも広報があり、ちゃんと世間的な疑問に対して答える機能を有しているのだという事を証明するつもりだったのですが、はからずもそれは、実はそういう機能を教会は有していない事を証明してしまった事になりました(^-^;)

結論としては、会員は、何があっても「教会を信じろ」というのがその方の言い分だったようです。
つまり、「このような疑惑があるが」とか「このような話しを聞いたが、事実はどうなのか?」というような質問に対して
「教会を信じなさい、信じない者はレーマンと同じだ!」ということなわけです(^-^;)

理屈が違うのですよ。信じるためには誠意を示してもらわねばならないわけで、その誠意があるから信じましょうという話しをしたくて、広報担当と話しているのに、誠意は後回し、何があっても信じろ!では話しになりません。

私は、教会の断食献金の流れについても質問をしたことがあります。まだ神戸の震災が起こる前のアフリカの飢饉の問題でした。
教会の断食献金をあちらにまわすというような事は出来ないのか?献金は具体的にどのような使われ方をしているのか?という質問に、神権ルートの質問では、監督とかステーク役員は「こういう風に使われていると、思いますよ」というような説明しかされず、「思いますではなく、実際を調べて下さい。」と何度申し出て「では上の方に言っておきます。」といったきり、答えられた事がないです。

おそらくこれが何かの行為に対する指示であれば、「では上の方にいっておきますので、それまで、それをやっていて下さい。」と結局その行為を疑問をもってもやらされるのがせいぜい一番まっとうな指導でしょう(^-^;)
そのうちそんな疑問は有耶無耶になるのだとでも思っているのでしょうか(^-^;)。呆れますが。

ま、ともかく、もしもそのように地域の指導者と話しをするというのであれば、実際がどうなのかまた教えてもらいたいものです。
もしできるならば、たとえば今報道されているモルモンのオリンピック招致委員会への数万ドル相当の家系図贈与疑惑とか。いったい何を基準にそれを招致委員会に贈与したのか?報道によれば歴代の大統領にも贈与しているらしいが、その意味するところは何か?そういう特別な人には特別な待遇を与えるのが教会のやり方か?もしも一般信徒が望めば、それを贈与してもらえるのか?(^-^;)。是非教えてもらいたいです。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月20日<土>11時38分)


沈黙を破って

土谷重幸さん、熱心な書き込み、ありがとうございます。

You wrote:
>こういう私の状態を理解していただいて、このような私が何を知ることが、
>モルモンの真実を掘り下げることにつながるかについて、みなさんの
>考えをお聞かせください。

まず、モルモン教会において、現実として何が行われ、何が行われていないのか、過去から現在へかけての事実関係を確認していただくことが大切だと思います。特に、モルモン教会において「正統」とされている教義を前提に議論を進めていただくことをお願いしたいと思います。

と言うのは、この掲示板でしばしば目にしてきたことなのですが、モルモン擁護の立場の方々が、モルモン教会の「正統」な教義を個人の解釈により捻じ曲げて書き込みをされては、「モルモン教会の真実」を覆い隠してしまうことになると懸念するからです。私としては、個人の解釈はさまざまあってよいとは思うのですが、「モルモン教会の真実」を論じるには、その「正統」な教義を逸脱した個人の解釈をベースに進めても意味がないと感じています。

例えば、モルモン教会が自らを「唯一真」と主張することは単なる宣伝文句に過ぎないとか、モルモン書が古代アメリカ大陸の民によって書かれたものかどうかはどうでもよいことだとかいうモルモン擁護派の発言は、不利な議論からの苦しい言い逃れであり、極めて不誠実な態度だと思います。

>今朝、こちらの地域の教会の指導者に電話をして、面会を申し入れました。
>その際に、この掲示板に参加したこと、自分なりに感じているこの掲示板の
>雰囲気を伝え、少しの間、この掲示板でみなさんと対話をし、その後に、
>私なりに思うところをそのかたに聞いていただき、教会の指導者としての
>ご意見をいただきたい、という申し出でした。

意図が今一つわかりかねますが、せっかくですので、「対話」ということについてその指導者の方に私の考えをお伝えいただければ幸いです。

私はモルモン教徒との個人レベルでの「対話」はある程度可能かとは思いますが、モルモン「教会」と私(たち)との間の「対話」は成立しないと思っています。
「対話」という言葉から私が連想するイメージは、当事者双方が互いの立場を理解し、譲歩や歩み寄り、あるいは妥協へと導かれるものだということです。この意味で「対話」を考えると、モルモン教会側が私(たち)に対して「譲歩」「歩み寄り」「妥協」をするということは教義的に不可能です。その指導者の方も、指導者という立場をとる限り、私(たち)との対話は不可能です。「話せばわかる」などという甘いことは通用しないのです。
私が主張しているのは、モルモン教会が「唯一真」の看板を降ろすことにより、少なくとも「話せばわかる」という可能性をつくり出して欲しい、ということなのです。私(たち)が「対話」を拒んでいるのではなく、モルモン教会側がその可能性を完全に閉ざしていることに対して抗議をしているのです。

>その時に、話す内容がどのようなものになるかは、これから一週間の間の
>ここでのみなさんとの対話次第になります。

何か脅迫されているようで、不愉快ですね。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~exmormon/

Name : 「聖徒の未知」オーナー HANK@森 Mail : mori-hdk@shonan.ne.jp Time : (99年3月20日<土>21時46分)


心のオアシス

少しだけ、この掲示板のことがわかってきました。
ここは、モルモンの指導者やその教義によって傷ついた方々にとって、心のオアシスのような場所としての働きも持っており、私の参加は、それ自体がこころ穏やかならないことであったに違いないと言うことです。大変に申し訳ないことをしてしまったと感じています。それで、私としても、来週の土曜日を一つの区切りとして、ここへの書き込みをやめさせていただくつもりです。

私なりに整理してみて、私はこの掲示板に参加することで何を求めているのかについて少し書いてみます。最初からはっきりしていたわけではなく、ここ数日の間に、言葉として伝えることができるようになったものです。うまく伝えられるかどうか少し不安もありますが。

やっくん、るうさん、そしてここの管理人の森さんについては、それぞれのホームページがありますので、読ませていただきました。というか、先月のやっくんとのメールのやり取りの時間の中で、私なりに必要を感じ、読み始めたものです。全部を読むことはできていませんけど。

やっくんのバプテスマの時の体験。非常に驚きました。
るうさんのページの、ぜみなーるモルモンの会議室はとても好感を持ちました。素晴らしい場所だと思います。そして、紹介されている高橋弘氏の書物についてのリンクも一部を拾い読みしました。彼の著書はぜひ読みたいと思いますし、彼がモルモンに対して、情報公開と過去の歴史の清算とそして将来に向けてどうあるべきかについての提言などは、私にとって非常に共感できるものです。
そして、森さんの経験を読んで、私はしばし唖然としました。破門と言う手続きが私の理解してしているものとは異なった思想背景の元で行われている、教会の指導者の責任放棄じゃないか、と思いました。「聖徒の未知」ホームページ公式宣言については、3と4については、主張をすることに同意できますが、1と2については、今の私にはそのまま同意することには抵抗があります。

そして、こうしたことをまとめていくなかで、私がここの掲示板での対話を通じて、お聞きしたいこと、私なりに知りたいと思うことなどを、次のコメントにまとめてみたいと思います。

http://www.tsuchiya.com/

Name : 土谷重幸 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月20日<土>22時32分)


今、思うこと

今の私の気持ちを述べた部分と、知りたいと思うこととが並列されています。

・聖典は六法全書ではなく、戒めや規則は人を罪に定めるためにあるものではなく、教会の指導者は検察官や裁判官ではない。
・組織において、構造上の欠点があったとしても、その運営において、管理的な立場の人間によりそれがカバーされるように運営されることは可能で、そうした努力の蓄積が長い年月のうちに構造そのものの変革へとつながっていくことはあることと思う。

・教会の指導者により、あるいは教会の教えそのものが原因で、心に大きな傷を負ったかたがおられることを知った。しかしネット上で読むことができたいくつかの事例は、私が知っている教会とは少し異質なものを感じ、ステイク会長にお会いして、私のステイクでも同じような事例があるのか、また彼はこうした事例について、どのように考えるかお聞きしたいと思い、面会を申し出た。
・心に傷を負った方々が、その原因となった指導者個人に対して謝罪を求める気持ちを持ったとしても、それは理解できる。
・客観的事実ではあるが、教会にとって不利な情報に接した時に、教会や教会の指導者に対して不満を持つ方々が、それらの事実を元に教会を糾弾するような行動にでることがあっても理解できる。
・その気持ち、その思いをある程度理解できたとしても、現在ネット上に展開されている手段が適切であるかどうかについて、どうしても違和感を覚えてしまう。もっと他に方法はないのだろうか。
・反モルモンを自称する方々にもいろいろな考えがあると思う。ある形態の運動が効果的かあるいは逆効果だとかについて、それぞれのかたはどのように考えておられるのだろうか。
・教会の構造的な欠陥について、具体的にはどのような点が指摘されているのだろうか。それらはどのように修正可能なのだろうか。あるいは不可能なのだろうか。
・反モルモンの立場からだけでなく、教会内部からのボトムアップによる改革あるいは改革要求というのは絶対に不可能なのだろうか。

私の気持ちとしては、このようなことについて、この一週間考え、自分なりにまとめて指導者のかたの意見を聞いてみようと思っています。

森さん、ありがとうございます。一部私の言葉に不快感を与える部分があったことお許しください。上の箇条書きの文章を読んでいただくと、私の心の動きが少しわかっていただけるかと思います。
http://www.tsuchiya.com/

Name : 土谷重幸 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月20日<土>23時34分)


構造的問題のこと1

土谷重幸さんwrote:
>そして、森さんの経験を読んで、私はしばし唖然としました。破門と言う手続
>きが私の理解してしているものとは異なった思想背景の元で行われている、教
>会の指導者の責任放棄じゃないか、と思いました。

私の破門に関わった指導者たちは、当時の「教会指導総合手引き」に忠実でした。つまり、彼らの行いはモルモンとして「正統」であり、土谷さんのご見解は個人の解釈だということです。

>「聖徒の未知」ホームページ公式宣言については、3と4については、主張を
>することに同意できますが、1と2については、今の私にはそのまま同意する
>ことには抵抗があります。

お気持ちは理解できなくもないですが、論理的に考えて、1と2を認めないで3と4を認めることはできないはずです。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~exmormon/

Name : 「聖徒の未知」オーナー HANK@森 Mail : mori-hdk@shonan.ne.jp Time : (99年3月21日<日>08時58分)


構造的問題のこと2

土谷重幸さんwrote:
>・聖典は六法全書ではなく、戒めや規則は人を罪に定めるためにあるものでは
>なく、教会の指導者は検察官や裁判官ではない。

モルモンの「正統」な教義では、監督は「イスラエルの判士」であり、まさに裁判官としての権限が与えられています。個人の解釈をモルモンの「正統」な教義であるかのような印象を与えないようにしていただきたいです。

>・組織において、構造上の欠点があったとしても、その運営において、管理的
>な立場の人間によりそれがカバーされるように運営されることは可能で、そう
>した努力の蓄積が長い年月のうちに構造そのものの変革へとつながっていくこ
>とはあることと思う。

前半については、戦略の失敗を戦術・戦闘でカバーすることは、根本的な解決にはならないと考えています。後半については、「長い年月」を経る間に、犠牲者が続出するということです。われわれのような反モルモン勢力による批判に素直に耳を傾けるだけの度量があれば、変革は促進されるでしょう。

>・その気持ち、その思いをある程度理解できたとしても、現在ネット上に展開
>されている手段が適切であるかどうかについて、どうしても違和感を覚えてし
>まう。もっと他に方法はないのだろうか。

他によい方法があるのなら、それをやるでしょう。しかし、その方法が見つかるまで何もやらない、というわけにはいきません。

>・反モルモンを自称する方々にもいろいろな考えがあると思う。ある形態の
>運動が効果的かあるいは逆効果だとかについて、それぞれのかたはどのよう
>に考えておられるのだろうか。

効果性については、目標との整合性で語られるべきでしょう。反モルモンは組織化された存在ではなく、それぞれの思惑もさまざまです。私にも私の考えがあり、長期的な戦略構想もあります。その構想における一つのステップとして、現在の運動のあり方も位置付けています。

>・教会の構造的な欠陥について、具体的にはどのような点が指摘されているの
>だろうか。それらはどのように修正可能なのだろうか。あるいは不可能なのだ
>ろうか。

「唯一真」教義が欠陥の根源であると指摘しています。その教義は、救いに至る他の選択肢が存在しないことを意味し、教会員を精神的に追い詰めます。また、自らの組織としての罪の存在を認めることができず、組織として悔い改めをすることができません。組織としての自浄機能を備えていないということです。修正不可能だということが「構造的欠陥」なのです。

>・反モルモンの立場からだけでなく、教会内部からのボトムアップによる改革
>あるいは改革要求というのは絶対に不可能なのだろうか。

多妻結婚や黒人差別が廃止されたことを考えれば、絶対に不可能だということはないと思います。要は、都合よく「啓示」が与えられればよいのです。その「啓示」の必要性を最高幹部に納得させることができるかということにかかっています。但し、教会内部でそれをしようとするためには、破門となる危険性を冒す覚悟が必要でしょう。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~exmormon/

Name : 「聖徒の未知」オーナー HANK@森 Mail : mori-hdk@shonan.ne.jp Time : (99年3月21日<日>08時59分)


個人的な見解より実際の運用から察すべきモルモン教会の現実

土谷さん>>

既に森さんも指摘されていますが、土谷さんにとってのモルモン教というのは、いわゆる土谷教に変貌しているように見えます。

先に酒を飲んだ事例もあげていますが、モルモンであったなら、それは「悔い改めるべき事柄」になるはずなのに、土谷さんの書き込みにはそうしたフシは見当たりません。
そして、別にそれでも教会生活では問題がないというような見解を感じます。

聖典は六法全書ではない、あるいは、指導者は裁判官ではないという個人的見解も、あくまで個人的見解であって、森さんが指摘されているように、彼等は教会では「イスラエルの判事」であり「裁き司」なわけです。

あたしは教会で、会員は最後の裁きの時、それぞれの指導者の前を通って承認されなければその先にはすすめないというような話しも聞いた事があります。

確かにモルモン教会は、指導者の個人見解が時として教義と勘違いされる世界ですから、それらの、指導者はイスラエルの判事だとかいう話しも、それをいった人の個人見解であって教義ではないという事はいえるかもしれません。

が、同じ事は土谷さんの個人見解にもあてはまる事で、聖典は六法全書ではないとか指導者は裁判官ではないというのは、あくまで土谷さん個人の考えです。
そして、あたしが現実に過ごした教会では教義かどうか知りませんが実際の運用で、聖典…よりは教会指導手引き(^-^;)は六法全書のようであり、指導者は裁判官のようでした。

思い出せば、あたしが教会にはいって、いきなり教師定員会会長にされた時から、既に「アロン神権総合手引き」なようなものを渡され、その手引き通りやれば事は済むというわけで、手引きは六法全書のような役割となり、解釈されました。手引きにないことや手引きがやるべきではないということはしなかったわけですね。(^-^;)

つまり、あたしにはこのような現実があったわけで、それがあたしの見聞きしたモルモン教会の現実なわけです。
人によって受け止め方は様々なのかもしれませんが、どうもお話を伺っていると、土谷さんはそのような現実を無視されているとしか思えません。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月21日<日>12時05分)


現実遊離の反論疑問に関する疑問

土谷さん>>

考えてみるに、ここの来られる多くの末日聖徒側の人は、森さんが指摘されているように、教会ではなく自分流の教会解釈をもって、教会批判をかわそうとする傾向が強いです。

しかし、ここで多くの方が証言されていることを見れば、これは地域性とかと関係ない共通した「変」な事が確かにモルモンにはあるのです。
それを土谷さんは一言「信じられないなぁ」で片付けたり、努力は認めたいですが(^-^;)、奇妙な日本地図による色分けで解決しようとされたりするのは、いささか論点をずらしているように感じてなりません。(だいたい根拠がないっていうものを何故出すのか?(^-^;)イメージって事でしょうか?)

教会は巨大ですので確かに色々な人がありその結果のおかしさはあるでしょうが、少なくともここで証言される人々は教会の「色々な人」やその運営に接し、総合的に「教会は変」という結論にいたっているわけです。

そのユニットがおかしいとかその地域がおかしいとか、そういうレベルの話しではないと思うのですがいかがでしょうか?

最後にやり方云々の件ですが、別に反モルモンには唯一なやり方はありません(^-^;)。
これしかないと思って、このサイトが立ち上がっているわけではないのです。
色々な考え方の人がいるでしょう。ただ、自分達にあったやり方や、したいやり方をしているだけだと思います。
結果、かえって反発して熱心に教会サイドにいく人もいるかもしれませんが、その逆にこのサイトで救われたという人もたくさんいるわけです。
土谷さんには、土谷さんなりの考えで教会を改善?したいと思うのであるならば、独自のやり方でやられたらよろしいのではないかと思います。それを紹介されることは参考になって有意義だと思います。
頑張って下さい!
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月21日<日>12時08分)


私の気持ちのもやもや

森さんとやっくんの文章を読ませていただいて、もやもやしていたものが、少し晴れてきそうな気がしています。ありがとうございます。やっぱり、この日本には二種類のモルモン教会があるに違いないとますます思うようになりました。

一つのモルモン教会は、イスラエルの判士と呼ばれる、冷徹な律法の門番たちがその教会を支配しており、彼らには厳密に守るべき規律や規則が与えられ、それらに照らし合わせて、一人一人の教会員の行動を日夜チェックしております。ただし、羊の衣を着た狼よろしく、少々のことは大目に見てくれて見逃してくれます。しかし、ある一線を越えたとたん、その正体を現して、彼らが言うところの正義の剣を振りかざして、バッサバッサと一線を越えた会員たちを切り捨てていくのです。この教会では、律法や規律を守ることが最優先され、完璧なまでに盲目的な指導者達によって支配され、会員個人の魂の救いは、それら彼らの正義のためには容赦なく犠牲にされます。この教会は、自ら定めた律法を忠実に守り行って行こうとする意味から、真正モルモン教会とで呼べるでしょう。

もう一方のモルモン教会は、組織や律法などは真正モルモン教会となんら異なるところはないのですが、こちらのイスラエルの判士たちは、ある意味でちゃらんぽらんでして、律法や規則が、けっこう穴だらけで、相互に矛盾している個所も散見され、それぞれの地域の実状などは無視した規則であることをわかっているために、自分たちの判断で時々規則を無視したり、自己流に解釈したりして運用いたします。時として、教会員が、そんなことをして、あなたがた指導者が罰せられることになりませんか、と心配しても、いえいえ、私が罰せられることであなたがたの魂の救いが得られるのなら、それは本望です、というような場面も見られます。ですから、誰がどう見てもお茶であることはわかっているのに、ウーロン茶についてもちゃらんぽらんな解釈を施すようなことを平気でします。これは真正モルモン教会の指導者から見れば、信じられない光景でしょう。彼らから見れば、もうこれはモルモン教会と呼ぶにはあまりにいいかげんなので、まあ、何と呼んでもいいのですが、一応、ここでは末日聖徒イエスキリスト教会とでも呼ぶことにしておきましょう。

森さんややっくんは、この二つ目の教会は、たまたまその本性をまだ現す機会がなかっただけで、そのような場面が必ずでてくる。私が、たまたまそういう場面に出くわすことがなかっただけで、私はまだ目が開かれていないのだ、と。そうかもしれません。でも、これが現在の私の現実なのです。

この文章表現が、もし気に触るような書き方だと思われるならば、申し訳ありません。私の気持ちをストレートに表現するには、こういう書き方が今の私には適していると思いましたので。

http://www.tsuchiya.com/

Name : 土谷重幸 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月21日<日>16時48分)


モルモンの二面性

土谷重幸さん wrote:
>やっぱり、この日本には二種類のモルモン教会があるに違いないとますます
>思うようになりました。

モルモン教会に二種類あるというのではなく、モルモン教会は一種類であるが、二つの面を持つのだと私は感じています。自称キリスト教会ですから、イエス・キリストの良い教え(道徳律のレベル)を教え実行する一方で、モルモン独自のいささか危険な教義も教え実行しています。どのユニットでも両方を教えているのですから教会は一種類です。運用上どちらを優先するかという意味で、ユニットによりさまざまなレベルがあります。そこには指導者の個性やユニットの文化が反映されており、その幅も広いため、グレーゾーンも存在します。デジタルに「二種類」と割り切ってしまうのは少し乱暴でしょう。

モルモン教会の持つ二つの面のうち、反モルモン側が上述の後者を糾弾しているのに対し、モルモン擁護側が前者を論拠に対抗しようとするため、議論が噛み合わなくなります。私としては、前者の存在やその価値を否定しているつもりはありません。このHPの「公式の宣言」では、モルモン教会が後者の部分を捨て、前者のみを追求すればよいではないか、ということを主張しているのです。

土谷さんのおっしゃっているのは、「きっちり」と「真正モルモン」の教えを実践すると人を傷付けるという問題が起こり、「ちゃらんぽらん」にやると上手い具合にいくという、ということですね。その通りなんです。「きっちり」やっておかしくなってしまう「真正モルモン」の教えなんて、意味がないし、価値もないわけです。だから私は、そんなの止めちゃえば?、ということを主張し続けているわけです。

>森さんややっくんは、この二つ目の教会は、たまたまその本性をまだ現す機会
>がなかっただけで、そのような場面が必ずでてくる。私が、たまたまそういう
>場面に出くわすことがなかっただけで、私はまだ目が開かれていないのだ、と
>。そうかもしれません。でも、これが現在の私の現実なのです。

土谷さんの現実の姿はともかくとして、「このような私が何を知ることが、モルモンの真実を掘り下げることにつながるか」という問題提起をご自身でされているのですから、この掲示板に今まで書き連ねられてきた「被害者」の証言を虚心担懐に受け止めていただければと願っています。

それと、誤解のないように申し上げておきますが、このサイト全体の構成を見てもわかるように、私がモルモン教会を批判する理由は、それが唯一真であると主張する根拠となっている歴史的事実が偽りであることと、会員を必ずしも幸福にしない構造的問題があること、の二つです。アナホリでの議論は後者に偏っています。二つで1セットだということをご理解下さい。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~exmormon/

Name : 「聖徒の未知」オーナー HANK@森 Mail : mori-hdk@shonan.ne.jp Time : (99年3月21日<日>20時58分)


モルモン教徒の律法主義

土谷重幸さん wrote:
>これまでのみなさんのコメントなどを読みながら、様々な状況を、私なりに考
>えてみて、東京神殿ができて、その運用が始まった時期と、ここで言われてい
>るような問題が多く起こるようになった時期とが重なるように思いますが、そ
>こらあたりはどうなんでしょうか?

 興味深いご見解だと思います。私もそこまでの洞察はできていませんでした。私が教会に入ったのは1979年のことでしたので、東京神殿以前・以後を実体験として比較することができませんが、東京神殿建設が教会員にどのような影響をもたらしたかを考察することは、重要かも知れません。(ただ、それだけが日本の教会を「悪く」した原因ではないと思います。神殿建設当時の特定幹部のやり方や伝道方法の問題も見過ごせませんし、アナホリで語られているような「被害」はアメリカの教会でも起きていることです。東京神殿建設以前の活発率が、建設以後の活発率と比較して高かったかどうかという事実も確認していません。)

 私は、神殿推薦状発行のシステムには極めて大きな問題があると感じています。監督が神殿参入希望者を面接し、ふさわしさが確認されてから、有効期間1年間の推薦状を発行するわけですが、標準化された質問項目では、外形的な戒めを守っているかどうかが重視されます。もっと大切な、隣人に対して愛を示しているかどうかというようなことについては、それらしき質問もあるのですが、基準があいまいですから、答える方はいかようにも答えることができます。それに比べて、外形的な戒めを守っているかどうかは、基準は極めて明確です。そのため、あいまいな基準でしか判断できない戒めよりも、基準が明確な戒めに会員の心が向いてしまうのです。
 モルモンの教義からすれば、教会員の生活においては、神殿に入って救いの儀式を受け、神殿に入れるだけのふさわしさ、すなわち有効な神殿推薦状を保持し続けることが最も大切なことだと解釈することができます。そうすることが、最高の祝福を受けるための必要条件だからです。実際、教会の中央幹部は、ユニットの登録会員数や聖餐会の出席人数などより、神殿推薦状保有者数をもっとも重要な指標として位置付けていると聞きます。これは、モルモンの教義からして当然なことです。
 となると、教会員にとって最も大切なこと=外形的な戒めを守ること(神殿推薦状を持つこと)という図式ができあがってしまいます。これではモルモン教徒が律法主義者となってしまうのも無理がありません。これも「構造的問題」と指摘することができます。さらに悪いことに、匿名希望さんが危惧するように、「神殿団体参入」という悪しき慣習が、モルモンの律法主義的傾向に拍車をかけます。

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Name : 「聖徒の未知」オーナー HANK@森 Mail : mori-hdk@shonan.ne.jp Time : (99年3月23日<火>23時07分)


2割8割

2割8割という数字についてですが、森さんはこの数字の根拠をどこにおいておられるのでしょうか?あなたのかつてのワードでの数字でしょうか?それから、例えば、私の家族5名のように、もう8年近く日曜日に教会に集っていないものは8割の中に含まれるのでしょうか?

私の職場の同じ部署には100余名の社員がいます。その中に、私が知っているだけで、私を除いて2名のクリスチャンがいます。一人はカトリックの幼児洗礼を受けたけど、子供のころは時々行ってたけど今は全く行っていないという人、もう一人は20年ほど前にプロテスタントのある教会で洗礼を受け、4〜5年ほど教会に通っていたが、その後は全く教会に行っていないという人です。これらのかたは森さんと同様の分類をするならば、それぞれの教会において、弱者に分類されるのでしょうか?

また、私が参加しているMLで北九州市内の人を主要な対象にしたMLがあり、参加者は180名ほどです。このMLで、昨年暮れにキリスト教関連の話題が出たことがあります。ここにある小倉城は江戸時代初期に細川家の居城でした。歴史上有名な細川ガラシャの夫である細川忠興の庇護の元で、この地にはキリスト教が栄え、殿様の許可を得て、2つの天主堂が建ち、4〜5百人の信者がいたそうです。しかしその天主堂が建ってわずか4年後にガラシャ夫人を教え導いた宣教師が亡くなるや、忠興が心変わりし、天主堂を焼き払わせ、宣教師を追い出し、信者に多宗への宗門改めを強要しました。それに従わなかった信者の何人かは処刑されました。

こうした話題がそのMLに登場したときに、実は私はクリスチャンですと名乗り出た人が3名いました。その3名が活発に教会に集っているかどうかはその場で誰も聞かなかったので、わかりません。

さて、この北九州市は人口が100万人です。私の職場の社員とこのMLの参加者とは私以外に重複している人はいませんので、全くことなる集団とみても差し支えないと思います。この二つの集団における割合を仮にそのまま当てはめたとして、約300人中に6名のクリスチャン(うち一人モルモン)がいるので、2%ということになり、市内には2万人のクリスチャンがいると推定されます。この6名はたまたま自主的に申し出た6名であることを勘案すれば、この数字はむしろ少ないかも知れません。一方NTTの電話帳にはキリスト教の欄に、96の教会が掲載されています。ということは、平均で一つの教会に200名の信者がいることになります。協会全体の強者の率を20%とすると、一つの教会につき平均40名の出席となり、これは、私が知っている一般の教会を考えると驚異的な数字です。

森さんの文章における2割8割は、モルモンがいかに問題ある教会であるかの根拠として用いられているように思いますが、私は逆に、他のキリスト教系の教会に比較して、これほどまでに高い残留率を示す教会は他にない、という文脈の中で用いたほうが妥当なような気がしております。

http://www.tsuchiya.com/

Name : 土谷重幸 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月24日<水>08時17分)


Mさんの場合

私の職場にいるMさんとは会社での付き合いが15年ほどになります。私より2歳年下です。彼が高校時代に洗礼を受けたという教会のことを彼に聞いてみました。これまでに詳しく聞いたことがなかったのですが、私が尋ねると彼は快く応じてくれました。

高校一年生の時に、無料の英会話を教えるからという張り紙を見て、市内にあるそのバプテスト教会に行ったそうです。そこの牧師さんはカナダ人で、他にも10名近くの高校生が英会話を受けていたそうです。最初は英会話を教えてもらっていたけど、そのうち聖書の勉強に誘われたり、牧師さんの家に食事に呼ばれたり、他の信者のかたにドライブに連れて行ってもらったりしたそうです。そして夏休みには無料でキャンプに連れて行ったりしてもらい、そうしているうちに、夏休みの終わりごろに勧められるままに洗礼を受けたそうです。友達もいたし抵抗感なく受けることができたそうです。聖書もタダでくれました。そして彼なりに聖書をよく勉強していたそうで、聖書が少し古くなってくると、1年ぐらいして革の聖書をまたタダでくれたのだそうです。牧師さんの娘さんがとてもかわいくて、Mさんが言うには、一つは彼女に会いたくて教会に通っていた面は否定できないと言うことでした。毎週日曜日の集会はけっこう多かったそうで、30名ほどが集っていたそうです。若い人もけっこう多くて、楽しい教会生活を過ごすことができていたそうです。でも、高校3年生になって、勉強が忙しくなったり、他の友達と遊んだりする時間が多くなるに連れ、教会に行かない日が多くなりました。すると家に電話がかかってきて、なぜ来ないのか、今度は来てください、という感じで、3〜4ヶ月くらいの間、電話や訪問が続いたそうです。そうした働きかけの中でびっくりしたのは、一人の信者で、ある私立大学の教授のかたがおられ、そのかたが、もうすぐ大学受験だろ、もし私の大学に来てくれるなら、私の講座の特待生として入学させてあげるから、ということを言ってくださったそうです。その話に少しは気持ちも動いたけど、やっぱり断ったそうです。で、高校を卒業するころにはすっかり教会とは縁が切れたそうです。

彼はこの教会に通った時代を、今は懐かしんでいます。とても楽しかったし、自分にとってそれなりによかったと思う、と。
ちなみに彼が高校一年生というのは、1968年のことになります。また、私がモルモンの宣教師に最初に出会ったのは1969年5月、最終的に改宗したのは1970年9月、福岡市でした。

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Name : 土谷重幸 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月24日<水>12時40分)


Re:2割8割

土谷重幸さん wrote:
>2割8割という数字についてですが、森さんはこの数字の根拠をどこにおいて>おられるのでしょうか?あなたのかつてのワードでの数字でしょうか?

複数のワードを経験した限りでの推測値です。活発率はもっと低いと指摘する方もいるのですが、甘目にみて活発率2割としています。

>それから、例えば、私の家族5名のように、もう8年近く日曜日に教会に集
>っていないものは8割の中に含まれるのでしょうか?

土谷さんご家族の事情はよく知りませんが、教会に集っていなければ、教会側は「不活発」というレッテルを貼っていることでしょう。

>森さんの文章における2割8割は、モルモンがいかに問題ある教会であるかの
>根拠として用いられているように思いますが、私は逆に、他のキリスト教系の
>教会に比較して、これほどまでに高い残留率を示す教会は他にない、という文
>脈の中で用いたほうが妥当なような気がしております。

 モルモンの話をしているので、他の教会との比較を持ち出しても意味がないと思います。他の教会と言っても十把一からげで論じることもできないでしょう。また、たとえ他の教会の残留率(出席率という意味で)がモルモンより低くとも、それはそれなりに理由があるでしょうし、そこまでの検証ができるほどの知識も経験も持ちあわせていません。モルモン教会と同じような問題が原因となっているのであれば、知り得る限りでモルモン教会に対するものと同様の批判をするでしょう。それに、2割8割論を持ち出していますが、それだけが「問題あり」とする根拠というわけでもありません。問題点の結果が現象としてどう現われているかについての例示です。
 2割8割論についての「反論」あるいは「対話」を深めていくことで言えば、なぜ8割が不活発なのかということについての他の説明をいただくことが妥当でしょう。伝道方法自体に問題がある、という指摘もあるはずです。

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Name : 「聖徒の未知」オーナー HANK@森 Mail : mori-hdk@shonan.ne.jp Time : (99年3月24日<水>12時41分)


残留率が高いのか?

土谷さんへ>>

そもそも普通のキリスト教会では、日曜日の教会参加は「戒め」とか「義務」ではないので(^-^;)なんか単純に比較出来ないとちゃうかなぁと感じます。

それは別として、確かに普通のキリスト教会でも教会に長いこと集わない会員の方はいらっしゃるみたいです。
ただ、あたしの会社の同僚はクリスチャンで、その方に聞いたところ、集会に出席されるのは70から80人だそうですが、お休みしているのが何人かというのは、そもそも母数が不明だといわれました(^-^;)
要するにモルモンみたいに、会員記録をちゃんととってないみたいです。
その人の話しを聞いていると、牧師がそういうことにうるさい人だとちゃんとやっているが、そうでなければ、記録をちゃんととっていないので、よくわからんということだそうです。

このあたり、牧師の個性によるというのが、また面白いところです。(モルモン側に言わせれば、なんとテキトーだとなるのかもしれませんが、別の発想から見れば、別に教会は会員を管理するためにあるのではなくて、キリストの愛を伝えるためにあるのだから、それこそ、そんな所に力をいれる方がおかしいとなるんぢゃないでしょうか(^-^;)?)

ということで、単純に残留率が高いのか低いのか?ということでいえば、
モルモンの場合は、教会に集うのをやめてもそれを教会員としてどこまでも会員記録をもって追い掛けるのに対して、他のキリスト教は必ずしもそうではないのですから、やはりこれはモルモンには不利ではないかと思いますよ。だって、場合によっては他のキリスト教会は、教会に集うひと以外は教会員ではないとすれば、あっさりと残留率というか定着率は100%です(^-^;)

また、先にものべたように、モルモンは毎週教会に集うか少なくとも一月に一回集わなければ、お休み会員という烙印になりますが、他のキリスト教会には毎週つどおうが一生に一度集おうが、お休みとか残ったとかいう概念がないわけですから、もっとややこしいです。モルモンの定義を他のキリスト教会に当てはめられないってことですね。
従ってモルモンの定義はモルモンの定義内で考えなければいけません。
だから他よりモルモンが残留率が高いっていう概念自体が存在しようがないというわけです。

重要なのは、モルモンは2割り以下の活発会員しかいないし、残りは「お休み」としてランクが低い会員と見る傾向があるという事実ではないでしょうか?他の教会にはそういう差があるように聞いていません。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月24日<水>12時55分)


Mさんの場合

そのMさんがいってらした教会は、モルモンではないけど、その話しだけではとても似ている感じの、やっぱりモルモンと同じ問題を含むだろうなぁって感じの教会ですね(^-^;)

あたしももしも高校卒業した時、そのまま教会を卒業していれば(^-^;)
きっとそのMさんと同じようにモルモンについても改宗はむちゃくちゃだったが、「よい思い出」に出来た事でしょう。
事実、ほとんどそうなりかけたのです。(^-^;)

その当時教会で知り合った彼女がいまして…ラブラブでした(^-^;)
ただ、ラブラブだったので、純潔の律法にはそぐわない関係をもってました。
あ、いや、Bまでですよ(^-^;)

おかげで、そのまま教会をそ〜っと抜けようか?っていう気持ちと、そうではなく、教会に熱心であろうとする自分の葛藤の中、放っておけばそのまま教会を去った事でしょうのに、
ここでまた、余計な事があったわけです(^-^;)
自分自身、なんと愚かな人間だろう<<あたし。と思います。

Mさんはその大学の人の申し出に心を動かしたが結局断っただけ自分をしっかり持っていたと思います。
あたしの場合は翻弄されちゃいました(^-^;)

次ぎに教会を離れる機会があったのは伝道後でしたが…。
結局、その時その時で、つい「ここまでやってきたのだから…」みたいな発想がもたげてくるわけですよね。あるいは「よい思い出」に恩義を感じてしまったというか(^-^;)

そのMさんみたいに「よい思い出」はよい「思い出」でクールに切れる性格だったら、もしかしたら反モルモンになんかなっていなかったかも知れないとあたしゃ思います。
前にものべたように「のらりくらり」ってやつでしょうか。

ただ、あたしが教会にのこりつづけ、こだわった一番の事は、そういうクールさ云々だけでなく、教会を出たら「救われない!」と信じ切ってしまった事ですね。そのMさんの教会は教会を出たら、あるいは他の教会だったら「救われない!」と教えている教会だったのでしょうか?
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月24日<水>13時13分)


唯一、聖(なる)教会

何人かのかたが指摘してくださっているとおり、私はカトリックの教えについては全く知らないという状況だと自分で思います。そこでご存じのかたにお尋ねしたいのですが、1962年から65年までに「第2バチカン公会議」というのが行なわれ、その会議の中で『教会憲章』というのが出されたのだそうです。私は手元にこの資料を持っていませんので、持っておられるかたに、お聞きしたいのですが、

『教会憲章』の第1章の第8条に教会について書いてあり、そこには、「唯一、聖、カトリック(普遍的)、使徒的」という教会の特徴が書かれているそうですが、具体的にはどのように書かれているのでしょうか?

http://www.tsuchiya.com/

Name : 土谷重幸 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月24日<水>16時57分)


RE:唯一、聖(なる)教会

ほとほとあきれる 土谷氏へ

>何人かのかたが指摘してくださっているとおり、私はカトリックの教えについては
>全く知らないという状況だと自分で思います。そこでご存じのかたにお尋ねしたい
>のですが、1962年から65年までに「第2バチカン公会議」というのが行なわ
>れ、その会議の中で『教会憲章』というのが出されたのだそうです。私は手元にこ
>の資料を持っていませんので、持っておられるかたに、お聞きしたいのですが、
>『教会憲章』の第1章の第8条に教会について書いてあり、そこには、「唯一、
>聖、カトリック(普遍的)、使徒的」という教会の特徴が書かれているそうですが、
>具体的にはどのように書かれているのでしょうか?
なぜご自分でお調べにならないのですか?
そんなに難しい事ではないでしょう?こうした開き直って無知を盾に矛盾をついてやろうという魂胆が「モルモンの対話と議論」ですか?
さきにカトリックである薮内さんの問いに答えてからカトリックへのしつもんでしょう?
違いますか?
http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう(ぜみなーるモルモン世話人)リンク募集中 Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年3月24日<水>21時39分)


8割の問題

ということで るうです!
8割と言うのはかなり甘いですね。
8割としても、それらは全滅ですよね。(文字通り『全』員が『滅』びの子)
これが根本的にまっとうなキリスト教と意味が違うわけです。で、残った2割
(新庄の打率よりワルイぞ!)も昇栄の条件には達するところにはいかないわ
けです。これは、救われる数が決まっていると教えていた某証人よりキツイか
もしれませんね。
そんなことよりその8割に入っていることに焦りはないのですか?土谷さん!
「焦らないならそれは信仰がないって事ですよ」(しげさんのステーク会長の
ようにきっぱり言わせてもらいまっさ!)

http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう(ぜみなーるモルモン世話人)リンク募集中 Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年3月24日<水>22時20分)


re: 唯一、聖(なる)教会

 こんばんは、2度目の登場のカトリック教会の @サトシ です。

 土谷重幸さん はじめまして。モルモン聖徒でありながら、このサイトに参加されている事を特別な思いで読ませて頂いています。
 教会憲章についてのご質問のようですが(99年3月24日<水>16時57分)、適当な資料がありましたので、お知らせいたします。下記のページをご覧下さい。全文は掲載されておりませんが、部分的な解説がなされています。

http://www.tosho.co.jp/pauline/welcome/lg5.html

 このページは、カトリック教会の「広報を通じての宣教活動」を目的とした修道会が書いたものなので、信頼できると思います(宣教活動とは、「信者集め」という意味ではないことを付け加えておきます)。土谷重幸さんのお書きになった文からすると、あるいはこのサイトを御覧になり、引用されたのかもしれませんね。

 上記のHPの文章を参照なさってお読み下さい。
(a)『第7条までは、「教会の 〜』では、「この教会を唯一、聖、カトリック、使徒的と宣言する」の「この教会」とは何かの説明です。
(b)『第2段落では、「唯一 〜』では、司教を「監督」と訳し変えると分かりやすいかと思います(ちなみに司祭は「長老」に近い意味)。


 土谷重幸さんのご質問の箇所の文の題名は「教会の神的、人的要素」となっています。
 「唯一」という言葉は、カトリック教会組織を指すのではなく、(a)に書かれた条件(条件はHPの中で抜粋しています『・聖職位階制度によ 〜』)に合う組織のみがキリストの「唯一の教会」と宣言しています。そして、その教会は「カトリック教会のうちに存在する」と書かれており、それらはカトリック教会の以外にも見出され、カトリック教会以外の教会との普遍的一致を促しています(ここで、ただ「カトリック」と表した場合は普遍的・全般的という一般的な意味で使われているようです)。

 私なりに要約すると、「キリスト教会としての条件は普遍的に1つだけど、人間の対立の為にバラバラになってしまったので、対立ではなく再び一致するように努力する様に」と言う事ではないでしょうか。


 充分な説明ではないかも知れませんが、参考になりましたでしょうか。
 皆さんから土谷重幸さんへのご質問のお答え、期待させていただきます。

 それでは
http://www.712.nu/astext/

Name : @サトシ Mail : anahori@712.nu Time : (99年3月25日<木>03時03分)


薮内からひとこと

@サトシさんのほうがよく知っておられるので助かります。今後も色々ご教授下さい。私から付け加えることはありません。

 2割8割について二つだけ付け加えたいです。
 カトリックも教会に来なくなる人はたしかにおります。でも私たちのように反モルモンになって活動する人はいません。
 エキュメニズムによって洗礼の相互承認が教会間で進んでいます。宗派を変えても再洗礼の必要はないわけで、したがって教会間を動くことは私たちには、それほど大きな問題ではありません。私もプロテスタントからカトリックに移った一人です。プロテスタントからみれば確かに私は、教会に来なくなった人です。

 土谷さんは教会憲章の「唯一」の言葉に、モルモンの教義を連想されているようですが、それではエキュメニズムが立ち行きません。
 
 余談ですが、カトリックでは現在、聖公会と「主の祈り」の共通訳を作っています。案の段階で公開して、一般信徒の意見を広く求めています。すごくいいことだと思いませんか? (^。^)

Name : 薮内 Time : (99年3月25日<木>04時20分)


re: 唯一、聖(なる)教会

サトシさん、質問への答え、ありがとうございます。

ご指摘の通り、 
http://www.tosho.co.jp/pauline/welcome/lg5.html
を読んで、サトシさんが説明されたように、
> 「唯一」という言葉は、カトリック教会組織を指すのではなく、(a)に書かれた条件(条件はHPの
> 中で抜粋しています『・聖職位階制度によ 〜』)に合う組織のみがキリストの「唯一の教会」と
> 宣言しています。そして、その教会は「カトリック教会のうちに存在する」と書かれており、
> それらはカトリック教会の以外にも見出され、カトリック教会以外の教会との普遍的一致を促し
> ています(ここで、ただ「カトリック」と表した場合は普遍的・全般的という一般的な意味で使われ
> ているようです)。
>
> 私なりに要約すると、「キリスト教会としての条件は普遍的に1つだけど、人間の対立の為に
> バラバラになってしまったので、対立ではなく再び一致するように努力する様に」と言う事では
> ないでしょうか。

というように読むことが可能だと思いましたが、元の文章ではどのような表現がされているかが知りたくなり、市内にあるキリスト教関係の書店に行ってきました。
   http://www.kyoto.xaxon-net.or.jp/~theresa/books.html
によると、「第2バチカン公会議公文書全集」 (南山大学監修 サンパウロ)という本があり、そこに「教会憲章、典礼憲章、現代世界憲章などが一冊にまとめられています。」と説明されていたからです。しかし残念ながら、その書店には置いておらず、取り寄せになるということでした。福岡市まで行くとカトリックの専門の書店があるので、そこにならあるかもしれないと電話番号を教えてくださったのですが、昨日の昼間に2度ほど電話したけど、呼び出し音はなっているけど、どなたも出られませんでしたので、あきらめました。

それで、このような言い方をすることがサトシさんの気分を害さなければ嬉しいのですが、今回のサトシさんのコメントは、サトシさん個人の見解として受け止めさせていただき、私としては、やはりその原文をどなたかに紹介していただければと思っています。

それから、薮内さんからも出ております、エキュメニカル運動について、最初に掲げてあるURLの部分に、その同じ公会議において、「『エキュメニズムに関する教令』を発布し、敵対ではなく一致に向かって協力するようにと招いています。」と紹介されておりますし、私自身、10年近く前に日本キリスト教協議会信仰と職制委員会、日本カトリック教会エキュメニズム委員会の編訳による、「洗礼・聖餐・職務(教会の見える一致をめざして)」という本を求め、読んだことがあります。なにぶんずいぶん前に読んだ本なので、この度のこの場での対話がきっかけとなり、先日の土曜日にこの本とそれから加藤常昭さんというかたの説教集である「使徒信条」という本を引っ張り出して、また読み始めているところです。

それから、余談ですが、市内のその書店に行ったときに、高橋弘氏の「素顔のモルモン教会」を見つけたので、購入してきました。これも読んでいます。

ということで、けっこう時間が足りないなぁ、と思いながらも、自分で決めたこの土曜日までに少しでも自分なりに学んでいこうと思っています。これからもどうぞよろしくお願いします。

http://www.tsuchiya.com/

Name : 土谷重幸 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月25日<木>08時20分)


モルモンの律法主義

森さんが書かれた、モルモン教徒の律法主義(99年3月23日<火>23時07分)についてですが、

> 私は、神殿推薦状発行のシステムには極めて大きな問題があると感じています。
> 監督が神殿参入希望者を面接し、ふさわしさが確認されてから、有効期間1年間の
> 推薦状を発行するわけですが、標準化された質問項目では、外形的な戒めを守っ
> ているかどうかが重視されます。もっと大切な、隣人に対して愛を示しているかどうかと
> いうようなことについては、それらしき質問もあるのですが、基準があいまいですから、
> 答える方はいかようにも答えることができます。それに比べて、外形的な戒めを守って
> いるかどうかは、基準は極めて明確です。そのため、あいまいな基準でしか判断できない
> 戒めよりも、基準が明確な戒めに会員の心が向いてしまうのです。

−− 途中略 −−

> となると、教会員にとって最も大切なこと=外形的な戒めを守ること(神殿推薦状を
> 持つこと)という図式ができあがってしまいます。これではモルモン教徒が律法主義者と
> なってしまうのも無理がありません。これも「構造的問題」と指摘することができます。
> さらに悪いことに、匿名希望さんが危惧するように、「神殿団体参入」という悪しき
> 慣習が、モルモンの律法主義的傾向に拍車をかけます。

とてもよくまとめてくださっていると感じます。途中略した部分も含めて、私の中にある気持ちとかなり近いものがあり、嬉しく思いました。

この森さんの言葉は、もしよろしければ、そのままこの土曜日にステイク会長にお会いするときに彼に紹介してもよろしいでしょうか?名前は伏せます。この森さんの言葉は、まさに私が気になっていた部分をきちんとまとめてくださっていると思います。私自身は面接の際、自分なりに律法主義的傾向に傾かないような雰囲気を心がけたつもりですが、実際、標準化された質問項目の前では、そうした個人の試みにも限界があることは確かです。

ありがとうございました。
http://www.tsuchiya.com/

Name : 土谷重幸 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月25日<木>16時14分)


神殿面接の思い出

土谷重幸さん wrote:
>この森さんの言葉は、もしよろしければ、そのままこの土曜日にステイク会長
>にお会いするときに彼に紹介してもよろしいでしょうか?

どうぞ。

>私自身は面接の際、自分なりに律法主義的傾向に傾かないような雰囲気を心が
>けたつもりですが、実際、標準化された質問項目の前では、そうした個人の試
>みにも限界があることは確かです。

私の場合、「あなたは神殿に入るのにふさわしいと思いますか」という最後の質問だけしかしなかったことがあります。キチンと面接をしてくれなかったとステーク会長に報告され、注意を受けました(^_^;)。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~exmormon/

Name : 「聖徒の未知」オーナー HANK@森 Mail : mori-hdk@shonan.ne.jp Time : (99年3月25日<木>23時46分)


Re:神殿面接の思い出

> >この森さんの言葉は、もしよろしければ、そのままこの土曜日にステイク会長
> >にお会いするときに彼に紹介してもよろしいでしょうか?
>
> どうぞ。

ありがとうございます。考えてみたら、ここは完全に公開されている場なので、断る必要もなかったのかなとも、あとから思いました。

> >私自身は面接の際、自分なりに律法主義的傾向に傾かないような雰囲気を心が
> >けたつもりですが、実際、標準化された質問項目の前では、そうした個人の試
> >みにも限界があることは確かです。
>
> 私の場合、「あなたは神殿に入るのにふさわしいと思いますか」という最後の質問だけしかしなかったことがあります。
> キチンと面接をしてくれなかったとステーク会長に報告され、注意を受けました(^_^;)。

これ、よくわかります。私もそういう面接の経験あります。日頃からよく接している人の場合、型どおりの面接ではわからない部分を感じとっていますし。
私のそうした面接の場合、ステーク会長に告げ口した人はいなかったようですけど。(^^;

森さんがお近くのかたなら、一度お会いして、ゆっくり話をお聞きしたいなと思います。
http://www.tsuchiya.com/

Name : 土谷重幸 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月26日<金>08時07分)


キリストの唯一の教会

教会憲章の該当箇所について、本のページをスキャンして個人メールに添付して送ってくださったかたがおられ、そのファイルから第1章第8条の始めの部分を入力したものが以下のものです。送ってくださったかたに感謝します。
--------------------------------------------
8(教会の神的、人的要素)
 唯一の仲介者キリストは、自分の聖なる教会、信仰・希望・愛の共同体を、目に見える組織と
してこの地上に設立し、これを絶え間なくささえ、この教会によって、すべての人に真理と恩恵
を分け与える。聖職位階制度によって組織された社会とキリストの神秘体、見える集団と霊的
共同体、地上の教会と天上の善に飾られた教会は、二つのものと考えられるべきではなく、
人的要素と神的要素によって形成される複雑な一つの実在である。したがって、教会は平凡では
ない類比によって、受肉したことばの秘義に比較される。神のことばに摂収された人間性が、
ことばに不解消のものとして、結合し、救いの生きた機関として、ことばに仕えるのと同様に、
教会の社会的機構は、からだの成長のために、教会を生かすキリストの霊に仕えるのである。
(エフェソ 4・16参照)。

 これがキリストの唯一の教会である。われわれは信経の中で、この教会を唯一、聖、カトリック、
使徒的と宣言する。われわれの救い主は復活の後、この教会を牧するようペトロに渡し(ヨハネ
21・17)、それを広め治めるようペトロと他の使徒たちにゆだね(マタイ 23・18以下参照)、
それを「真理の柱の基礎」として永久に立てた(1テモテ 3・15)。この教会は、この世に設立
され組織された社会としては、ペトロの後継者およびかれと交わりのある司教たちによって治め
られる、カトリック教会のうちに存在する。しかし、この組織の外にも聖化と真理の要素が数多く
見出されるが、それらは本来キリストの教会に属するたまものであり、カトリック的一致へと
促すものである。
--------------------------------------------

さて、私の国語力をもってすれば、第一段目で唯一の教会の特徴について述べ、第二段でこのような教会を唯一、聖、カトリック、使徒的、教会と宣言しており、さらに続けて、この世にあっては、カトリック教会のうちに存在すると述べていますので、キリストの唯一の教会がこの地上においてはカトリック教会だと言っていると受け止めます。そして、うちに対して、「外」にも、聖化と真理の要素が散らばっており、それらも本来はキリストの教会に属するものだから、散らばっていないで一致しましょうよ、と呼びかけている、と受け止めます。

ちなみに、Mさんにもこの文章を読んでいただきましたが、私と同じ受け止めかたでした。

私は、カトリックもモルモンも「キリストの唯一の教会」と主張していると考えています。また歴史的に見て、ギリシャ正教会、英国国教会(聖公会と呼ぶんでしたっけ?)、その他のプロテスタントとして呼ばれる教会は、歴史的に見て、本来カトリックに属する教会だと考えています。

唯一の教会は二つはないわけで、どちらかの主張が正しいか、どちらも間違っているか、ということだと思います。
http://www.tsuchiya.com/

Name : 土谷重幸 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月26日<金>08時11分)


だから、モルモンとキリスト教は違うって事ね。

> キリストの唯一の教会がこの地上においてはカトリック教会だと言
> っていると受け止めます。

そうかなぁ?そんな風には読めないんだけど(^-^;)??

キリストの唯一の教会はカトリックのうちに存在する。
とはありますが、カトリックのうちだけに存在するとはないでしょう。
キリストの唯一の教会という定義と、カトリックはその定義に合っているというだけのはなしで、それ以外は定義からはずれているとは書かれていませんよ。

『この教会は、この世に設立され組織された社会としては、ペトロの後継者およびかれと交わりのある司教たちによって治められる、カトリック教会のうちに存在する。しかし、この組織の外にも聖化と真理の要素が数多く見出されるが、それらは本来キリストの教会に属するたまものであり、カトリック的一致へと促すものである。』

つまり、キリストの唯一の教会(っていうかこれは別の言葉でいうならば、正統なキリスト教会とはという定義に置き換えられると感じる)はカトリックにある。とだけ述べるに留まっているのであって、それはカトリックがカトリックの責任において述べたのですから、当然です。
他にキリストの唯一の教会を含む教会がないとまで言及していないように受け取られます。
それについて言及出来るだけのものをカトリックはもっていないというだけの話しにすぎないでしょう。だって他人だもの(^-^;)
だが、確かにカトリックの中にあるのと同じキリストの唯一の教会が他にもあるからバラバラにしてないで、まとまりましょう。
と、こんな所ではないでしょうか?

> 私は、カトリックもモルモンも「キリストの唯一の教会」と主張していると考えています。また歴史的に見
> て、ギリシャ正教会、英国国教会(聖公会と呼ぶんでしたっけ?)、その他のプロテスタントとして呼ばれ
> る教会は、歴史的に見て、本来カトリックに属する教会だと考えています。

でしょうね。ここでいいたいのは正統派のキリスト教はキリストの教会だといっているのであって、それに対してモルモンは自分達こそ唯一の教会だといっているわけです。

認めなければならないのは、キリスト教会とモルモン教会は違う!ということ。モルモンはキリスト教ではないよ。って事ではないでしょうか?

> 唯一の教会は二つはないわけで、どちらかの主張が正しいか、どちらも間違っているか、ということだと思
> います。

どっちが正しいとか間違っているという話しは、「なし」ぢゃなかったんぢゃないですか?土谷さん?

いずれにせよ、モルモン教会はキリスト教には属さないって事はお認めになるのですね?
であるならば、それも、今度おあいする指導者にお伝え下さいね
「やっぱりモルモンはキリスト教ではないのですから、キリスト教だというのはやめましょう。」って(^^)
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月26日<金>09時54分)


月世界人

ジョセフ・スミスの予言の中に、こんなのがあると聞いたけど、
信じられる?

 月の住民は地球の住民より統一された寸法で、6フィート位である。
 そして服装や服装の流行はかなり雑多である。
 彼らは非常に長寿である。ほとんど千年近く生きる

これって、まさか近い将来、これが間違いだって証明されることに
なるなんて想像もしてなかったんだろうね。

ま、詐欺師でペテン師のジョセフにとっては、いつもの
ことだけどね。

Name : モルモラダムス Time : (99年3月26日<金>11時09分)


やれやれ・・・

土谷さん・・・
ひとには答えず、独り言の連発。なかなかおいしいですね。しかし、この憲章を

>け止めます。そして、うちに対して、「外」にも、聖化と真理の要
>素が散らばっており、それらも本来はキリストの教会に属するもの
>だから、散らばっていないで一致しましょうよ、と呼びかけている、
>と受け止めます。

とは得手勝手な解釈ですな。カトリックとは正統の事。つまり正統なキリスト教としてひとつであると言う意味でしょうね。普通の受け止め方は。
では正統の条件とはなにかそのひとつを挙げれば「三一の神」と言う事になるでしょう。
モルモンは三一なの?
モルモンは正統ではない異端です。もっと言うとカルトです。それは、あなたには残念ながら憲章を出すまでもない事です。三異端に不満があるのであれば、どうぞモルモンの指導者に訴えていただいて正統側と交渉していただいてください。有意義な議論が出来るでしょうな。
>唯一の教会は二つはないわけで、どちらかの主張が正しいか、どち
>らも間違っているか、ということだと思います。
いえ!こうした議論のすり替えはお断りします。
モルモンは異端・カルトという事が公式に表明されている以上、またモルモン教が正統派の教会を「悪魔の教会」とその聖典で断じている以上は「個人的な願い」をそのまま素でだされてもドーしようもないですね。
早く指導者に会われてボトムアップのご提案をなさるのが肝要でしょう!

http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう(ぜみなーるモルモン世話人)リンク募集中 Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年3月26日<金>22時14分)


土谷さんへ

 土谷さんの、教会憲章に対する解釈ですが、言葉の解釈のいうのは憲法第九条のように、どうでも解釈できるのではないでょうか。「戦力はこれを保持しない」をどう解釈しようが、自衛隊が現に存在する以上、日本政府は軍隊を持ってもいいと解釈していると判断する方が自然ですよね。

 それを踏まえた上で以下の話を聞いて下さい。 
 教会間の洗礼の相互承認の話を以前にしました。たとえばルーテル教会からカトリック(あるいはルーテルからカトリック)に移ったときに、再び洗礼を受ける必要なく、聖体拝領(聖餐)ができるのです。
 もし、土谷さんがいうようにカトリックが唯一のキリスト教と自認しているとすれば、キリスト教会の洗礼を受けていない人をカトリックの一員として受けていれているという矛盾が生じます。さらにルーテル教会がそういうおかしな「相互承認」を、なぜカトリック間と決めたのかという疑問が生じます。

 30年も前の教会憲章をどう解釈しようが、今のカトリックは「唯一真」などとは少しも思っていません。
 百瀬文晃著「諸教派のあかしするキリスト-中央出版社」の前半にエキュメニズムの歴史が詳しく出ていますので、是非書店で求められて下さい。そこにも、第2回バチカン公会議で何が決められたのか書かれてあります。

Name : 薮内 Time : (99年3月26日<金>23時15分)


土谷重幸さんへ

 3度目の登場の @サトシ です。『キリストの唯一の教会』土谷重幸さん(99年3月26日<金>08時11分)の記述の元となっている「教会憲章」のスキャンデータを送付した者の責任として書き込みます。

 土谷さんの受け止め方は、国語力の問題ではなく読む前に持っている思い(カトリックもモルモンと同じく自分たちを唯一のキリスト教と主張しているのではないか)が影響しているように思います。

 肝心な説明をしていなかったかも知れません。カトリック教会でいう「公会議」というものは、教会の今後の方針を決める会議です。教会は、教会以外の社会と無関係でよいわけではなく、常に社会の流れに適した教会活動をしていく必要があります。また、時代と共に生まれた教会の過ちをただす必要もあります。それらを含めて、今後の教会の流れの計画を立てる会議なのです。
 この公会議で発行された「公文書」は教会の掟、すなわち法律ではありません。「どう解釈できるか」は重要ではなく、その文章を材料に、(文章への批判も含めて)いかに教会を作っていくかが重要なのです。

 薮内さん(99年3月26日<金>23時15分)が書かれている洗礼の話が、とても良い参考になります。心に留めておいて下さい。

 土谷さんの「唯一の教会は二つはない」と言う主張は誤りです。というのも「唯一」という意味を取り違えています。キリストは1人であり、そのキリストの教会も1つと言う意味であり、人間的な組織としての教会とは別の問題です。この2つを分けて考えるという考え方は、バラバラになってしまった教会組織が再び集まることを望む精神土壌がないと、理解が難しいのかもしれません。

 土谷さんが、どの様な考えで公会議文書に興味を持たれたかは分かりません。ひょっとしたら、アラ探しが目的だったのかも知れません。ですが、宗教は文章によって知ることの出来るものでは無いことは理解して下さい。もし、土谷さんがカトリックに対して批判的に立場を取るならば、ある程度カトリック教会に関わり、その雰囲気を知る必要があると思います。

 参考になりますでしょうか。
 それでは
http://www.712.nu/astext/

Name : @サトシ Mail : anahori@712.nu Time : (99年3月27日<土>02時38分)


@サトシさんへ〜ありがとうござます

私のいいたいことを、SimleTextで編集して、えいやと入力してその下を見たら、私がいいたいことを@サトシさんがみんな書いてあって、失礼致しました。先輩格の@サトシさんの方が詳しいに決まっているので手直しされんかと少しヒヤヒヤしていましたが、いちおう合格はしていたようでほっと致しました。「教会憲章」はフェイントだったので、助かりました。今後も色々お願いします。

Name : 薮内 Time : (99年3月27日<土>03時51分)


唯一という自縄自縛

 土谷さん、もう一つつけ加えたいです。
 今まで続けてきた私たちの会話は、
1、モルモンを悪く言うが、カトリックだって同じではないか
2、カトリックでこういういいことをことをやっているというが、モルモンだって同じことをやっている。
 だいたいこういうパターンで推移していたと思います。
 モルモンは「唯一真」を主張されていますよね。それではモルモン教は、あらゆる点で、カトリックよりプロテスタントより遥かに高い次元に存在する教会であることを、あなたは主張する必要が出てくるのではないでしょうか。
 今の段階では、対等に立つのも苦戦を強いられているように感じます。
 無論、私たちは「真実」であっても「唯一」ではないので、もとより他教会と対等でも不満はありません。
 
 モルモン教の「唯一真」は、あなたたちにとっても不幸な教義だと感じます。私もモルモンの閉鎖的な環境にあって、何も知らなかった頃はそれをむしろ誇りにも感じていました。しかし外の世界を知ってからは、土谷さんには悪いのですが、むしろこの教義に宗教としての幼さを感じています。

Name : 薮内 Time : (99年3月27日<土>05時26分)


さらに外

10面差しをするプロ棋士ではない私としては、この啓示板において、どのかたに対しても、まるでその一人一人と一対一で対応しているかのように振る舞うことは不可能でして、全体的な流れを損なわない程度に、私の判断で話題を進めさせていただいていることについて、寛容な気持ちで接して下さっているみなさんに感謝しています。ありがとうございます。

さて、私は、キリストの唯一の教会は、ペトロとその後継者そしてかれと交わりのある司教たちによって治められるカトリック教会の「うち」に存在し、その「外」にも聖化と真理の要素が見出され、それらに対してカトリック的一致へと招いているのだ、というカトリック教会の主張を、「さらに外」にいる人間の一人として、受け入れます。

エキュメニズムにしても、それはかつて起源をともにしたものたちが、何百年と言う長い対立の歴史の後に、お互いが和解し歩み寄る道を目にみえる形で見出しつつあると言うことにおいて、「うち」と「外」とが一つになる方向に歩みだしたと言うことであると理解し、その「うち」と「外」のかたがたがそれを素晴らしいとすることに対してなんら異議を唱えるものではありません。

もし、このエキュメニズムが、例えば曹洞宗の僧侶がカトリック教会のミサを取り仕切ることになったとか、そうした相互承認の場面にまで広がっていったときには、「さらに外」の人間の一人として、それは大変に素晴らしい、と感嘆の声をあげさせていただきます。

「さらに外」にいるモルモン教会が、仮に「キリストの唯一の教会」と主張したところで、それは「うち」と「外」の方々にとっては関係のないことで、そのままほおっておかれたらどうだろうと私は思います。

ところで、モルモン教会が唯一真と主張しているのは、どの文章を根拠にしているのでしょうか?そして、その文章は、その前後の流れなどを読むならば、読み手によっては、いろいろに読めるようなものではないのでしょうか?憲法第9条のように、現実に自衛隊が存在している日本において、その意味が問われるのと同じように、モルモン教会において、唯一真という主張が、現実のこの世界でどうなっているのかを検討することも大切かもしれません。高橋氏の「素顔のモルモン教会」の中にも少しそうした部分に触れられていたところがあったようにも思いますが、違ったでしょうか?

http://www.tsuchiya.com/

Name : 土谷重幸 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月27日<土>11時53分)


Re:さらに外

<引用文>

「さらに外」にいるモルモン教会が、仮に「キリストの唯一の教会」と主張したところで、それは「うち」と「外」の方々にとっては関係のないことで、そのままほおっておかれたらどうだろうと私は思います。

<コメント>

私のように、何年もモルモン教会を支持してきた者にとってこの問題はほっておけない問題です。なぜなら、モルモン教会を信じて信頼して過ごしてきた年月の価値を自分自身で見極めたいからです。

Name : 個人 Time : (99年3月27日<土>13時22分)


エキュメニズム

エキュメニカル運動というのは、伊藤庄治郎さんというカトリックの司教のかたの言葉を引用させていただくならば、次のようなことに始まったと言えるだろうと思います。
「21世紀を前にして世界は人類史上、もっとも危機的な状況の中にあるということではないか。キリストにおける全人類的一致を目指す教会(エフェソス1・10参照)自らが分裂を早く終わらせ、目にみえる一致を世に示さなければならない時期がとっくにきている。」

例えば、世界平和、貧困問題、教育問題、などについては、キリスト教だけでなく他の多くの宗教も前向きに取り組んでいるテーマだと思いますし、こうしたテーマについて、宗教の壁さえも越えて、歩みを共にすることはできると思います。エキュメニズムが進んでいく中で、さらにこうした大きなうねりとなって、宗教界全体が人々の魂の救いに向かって、歩みをともにできる部分を見付け合うことができるといいなぁ、と思っています。

エキュメニズムのいいところはいくつもあるのですが、私が思うには、それぞれの教会が持つ違いの部分については寛容で、多様性をできる限り受け入れる方向で運動が進んでいると感じられるところです。こうした精神は更に進めて欲しいな、と思います。

もう25年くらい前のことになりますが、ある年の12月に、福岡の伝道部長が私を含めた数名の若い教会員に来るように言ったことがありました。彼は、いろいろな道具や食料品などを近くにある救世軍の教会に持っていくように頼んだのでした。話を聞くと、福岡ワードから歩いて10分ほどのところにある救世軍の教会に、その伝道部長が電話をし、これこれこういうものがあるけど、もしそちらに持っていって役に立つようなら持っていきます、と言ったところ、喜んで受け取りますという返事だったそうで、私たちが呼ばれたのでした。持って行くととても穏やかな感じの中年の男性が出てこられて、にこにこしながら受け取って下さいました。
伝道部長はその時、こういう社会奉仕については救世軍は長い歴史を持っているし、今のモルモンの福岡ワードよりも、もっと適切な人に配ることができると思った、というようなことを言われました。なるほどと思いました。

お互いが一人一人の人間として、もっと協力し合える部分を見出そうとする姿勢は、大切なことだと思います。
http://www.tsuchiya.com/

Name : 土谷重幸 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月27日<土>15時38分)


そろそろお別れ

この啓示版ですが、オーナーの森さんには書きこみのあったIPアドレスがわかるということですが、通常の参加者には、そうしたことがわからないわけで、匿名性を高めることで様々な書きこみを受け入れることができる反面、無責任な情報も素通りしてしまい、その書きこんだ人がどういう人だかわからなくて不安、というような面があります。また、表現が過激な方向になりやすい傾向があります。

オーナーにはおわかりのことと思いますし、私がこう白状することで、多分みなさんにもそれとわかる程度の書き方しかしなかったので、こう書けばどれだか検討がつくと思いますが、昨日、土谷でも『どんクジラ』でもない名前で、一つの書きこみをしてみました。もう少し演出して、何人かのかたの反応を呼びこむような書きかたもできたのですが、今回はそこまではしませんでした。ちょっとは反応があるかも、と思ってもみましたが。(^^;
一人の人間がいくつもの名前で登場したり、フリをしたりが容易にできるこのような場では、なかなか何が真実かが見えにくいな、と感じました。

私は、まもなくこの啓示版への書きこみを終わらせていただこうと思いますが、私にとってこの10日ほどの期間はとてもためになる日々だったと思います。ありがとうございました。

今日の夜までにもういくつかのコメントを書くかも知れませんが、その後は書くことはないと思います。どうもみなさん、お騒がせして申し訳ありませんでした。

http://www.tsuchiya.com/

Name : 土谷重幸 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月27日<土>15時53分)


楽しかった?

ということで るうです

>昨日、土谷でも『どんクジラ』でもない名前で、一つの書きこみ
>をしてみました。もう少し演出して、何人かのかたの反応を呼び
>こむような書きかたもできたのですが、今回はそこまではしませ
>んでした。
それは、紳士的な事ですね。ありがとうございます!

>ちょっとは反応があるかも、と思ってもみましたが。(^^;
>一人の人間がいくつもの名前で登場したり、フリをしたりが容易
>にできるこのような場では、なかなか何が真実かが見えにくいな、
>と感じました。
それがわかればモルモン書がインチキとかジョセフ・スミスが詐欺師
ってことも理解できますよ!よかったですね。あと一歩ですよ!!

お幸せに!!



http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう(ぜみなーるモルモン世話人)リンク募集中 Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年3月27日<土>20時02分)


土屋君はモルモン教会の象徴

土屋重幸君てさあぁ、
モルモン教に都合の悪い質問は答えないのね。
反モルモンの人達の質問で、
都合が悪くなると、
10面差しをするプロ棋士ではない私としては、
なんて言い訳したりさぁ、
話しをそらすために、カトリックの話題を持ち出したり、
完全に逃げているわね。
そのへん、モルモン教会のかわしかたとそっくりね。
土屋君って人は、モルモン教と同様、本当に困ったさんだわ。
土屋君には、モルモン教の真実を受け入れて、
悪魔の組織に立ち向かってほしいわ。
このまま逃げてばかりだと、
土屋君の子供達も、土屋君と同じような人になっちゃうわよ。
子は親の背中を見て育つって言うでしょ(笑)
それから、ハッカー行為はおやめになったほうがいいわよ。
IPアドレスがどうのこうのなんて発言、
ハッカー行為やっているから、こんな発言が出てくるんじゃないかしら。
言っとくけど、ハッカーは違法よ。
そのへん分かっているかしら。
下手したら、モルモンの会員は、
ハッカーだなんて思われちゃうわよ。
気をつけてね。
明日からもう来ないんでしょう。
オメデトウ、清清したわ。

Name : 菊地詐欺彦 Time : (99年3月27日<土>20時04分)


あのう・・・

僕は土屋ではなく土谷だよ!
まちがっちゃやーだよん!!
http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : とんくしら Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年3月27日<土>20時13分)


唯一まこと

> ところで、モルモン教会が唯一真と主張しているのは、どの文章を根拠にしているのでしょうか?そして、そ
> の文章は、その前後の流れなどを読むならば、読み手によっては、いろいろに読めるようなものではないので
> しょうか?

すごいこといいますね(^-^;)

DC1章30節

『 また、これらの戒めを与えられた人々もこの教会の基礎を据える力と、暗黒から、また暗闇から、全地の面に唯一まことの生ける教会をもたらす力を持てるようにするためであった。教会について言えば、主なるわたしはこれを心から喜んでいる。しかし、それは全体について言うのであって、一人一人を指すのではない。』

に唯一まことの生ける教会という言葉が出て来ます。が、むしろ慣用的な使い方を知りたいとなれば、教会機関誌「リアホナ」(旧『聖徒の道』)の大会特集号では繁盛に出ています。

カトリックで、唯一真という言葉を多様するような事はあるのでしょうか?

少なくともモルモンでは事あるごと、たとえば、証会ごとに「この教会は生ける神の唯一真の教会であることを証します。」というのを聞きます。

あと宣教師に問い合わせれば、もっと繁盛にペラペラ話してくれることでしょう。
これとカトリックが同じだとするのはちょっち無理があるように思いますが。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月27日<土>20時35分)


津カトリック教会報から

土谷さんwrote
>もし、このエキュメニズムが、例えば曹洞宗の僧侶が
>カトリック教会のミサを取り仕切ることになったとか、
>そうした相互承認の場面にまで広がっていったときには、
>「さらに外」の人間の一人として、それは大変に素晴ら
>しい、と感嘆の声をあげさせていただきます。
 ありがとうございます。エキュメニズムはまだ発展途上です。
 
これに関連して、今日出た津カトリック教会の会報から、プロテスタントと合同で行った祈祷会の様子を少し抜粋させてもらいます。

超教派で祈る世界祈祷日

 まず「世界祈祷目」とは何か、といういう定義を紹介したいと思います。今年用の「世界祈祷日」の冊子から引用させて頂くと、世界祈祷日とは「全世界のキリスト者が毎年足められた主題にそって共に祈り苦しみと喜びを分かち合い、信仰に立って交わりを深め、神を賛美し、喜びを共にし愛をもって行動するために」行われます。一八七七年にアメリカ長老派の女性たちによって始められ、世界的に広がっていきました。三月の第一金曜日に、世界各地で同じテーマで祈りが捧げられます。カトリック津教会も一七・八年前から仲間入りさせていただき、今年は当番教会ということでこのお聖堂で開催されました。津市内のプロテスタント諸教会から四〇名以上の方々が参加され、カトリック信徒と併せて総勢七〇名ほどで礼拝が執り行われました。「神のやさしいみ手」というテーマでした。ヴェネズェラの姉妹たちからのメッセージを聴き、その苦しみと信仰におけるよろこびとに思いを馳せて祈りました。この主題にそったネリグ神父様のお説教は、福音書の中から、イエスから「神のやさしいみ手」を差し伸べられた三人の女性の話を取り上げられ、黙想するように勧められまレた。ひとりは、イエスから「水を飲ませてください」と言われたサマリヤの女(ヨハネ四章〉、二人目は悪霊にとりつかれて苦しんでいる自分の娘をあわれんでくださいと必死で嘆願したカナンの女(マタイ一五章)、三人目はパリサイ人の家で食卓についておられるイエスの足もとに寄り、涙でイエスの足を洗い自分の髪の毛でぬぐいその足に接吻して香油を塗った、その町で「罪の女」とよばれていた女(ルカ七章)の話です。それぞれの女たちに対するイエスの「やきしいみ手」は、彼女たちが真に望んでいたもの「受容、癒し、ゆるし」を与えたのです。
 私たちも神のやさしいみ手とその力を感じながら、と同時に、三人の女に対したイエスを模範として、私たち自身もやさしいみ手となるよう努力しなさい、と諭されました。「この社会であなたたちが神のやさしいみ手にならなくてだれがなりますか?」というお言葉が深く心に残りました。

Name : 薮内 Time : (99年3月27日<土>21時16分)


信徒数の考察

土谷さんwrote
>ところで、モルモン教会が唯一真と主張しているのは、
>どの文章を根拠にしているのでしょうか?そして、その
>文章は、その前後の流れなどを読むならば、読み手によっ
>ては、いろいろに読めるようなものではないのでしょうか?
 土谷さんはカトリックをご存知でなかったから、バチカン公会議の「唯一」を誤読したのですよね。しかし私たちは元モルモン教徒として、排他的な教義を学ばされ、組織的に関わりを持たされて来たのです。私たちの誤読なんてな次元の問題でしょうか。
 少し土谷さんにしては少し、子供じみたご意見と拝察しました。

 カトリック京都司教区の活発率を、クリスマスミサの出席率で算定しましたが、実際この日は平日だったので、活発な人が全員出席したとは思いにくく、控えめな数値と見ていただきたいです。私も去年のクリスマスは仕事をしてました。
 三重地方部津支部は私のいた当時は2割8割どころか1割9割でした。
 カトリックは控えめに見て7割3割。
 モルモンは大目に見て・・2割8割。
 信徒数も京都地区だけで活発信徒はゆうに1万人を越えております。比べてあれだけ宣教師を派遣して子供を地に満たせて、モルモンの全国でやっと2万人というのはどういうことなんでしょう?
 これがカトリックだったら大問題になっているんだけれど、モルモンはこうしたデーターをはっきり公表しないし、指導者に原因を聞いても「サタンの計略である」でちょんです。なんかこう、これだけサタンに助けてもらっている教会はないなと思います。(^^)

Name : 薮内 Time : (99年3月28日<日>00時47分)


土谷さんとモバさんへ

こんばんは、カトリック信徒の @サトシです。

土谷重幸さんへ・・・・・・・
 ステイク会長の方と土曜日にお会いするというのは、どうなったのでしょうか? 楽しみにしていたのですが・・・。やっぱり、このままでは「都合の悪い事から逃げた」としか、皆思わないと思います。書き込みをお辞めになるのは自由だと思いますが、状況を考えるとステイク会長の方とお会いした時の報告をすることは義務と思われます。

 ご自身に取って明らかに立場が不利になる掲示板に書き込みをされた事は敬意を持ちます(後半、文章が乱れて来たのが残念ですが)。しかし、この件は確かご自身から提示されたことだったと記憶します。最後の責任として報告だけはされるべきだと思います。御一考を!

 P.S.<本編とは関係のない話>土谷さんの(99年3月27日<土>15時53分)の件について。ここの書き込みのIPアドレス(実際はサーバードメイン)は、管理人でなくとも簡単に見る事ができますよ。ただ、土谷さんがIPアドレスの仕組みをどの程度ご存じか分かりませんが、サーバーを特定できるだけで、個人を特定できるものではありません。土谷さんの場合は会員数のとても多いプロバイダーと契約されている様なので、土谷さんが匿名で投稿されたら、土谷さんと特定するのは無理でしょう。


(この部分、省略)

 それでは
http://www.712.nu/astext/

Name : @サトシ Mail : anahori@712.nu Time : (99年3月28日<日>01時25分)


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