モルモン教会と栗まんじゅう


永さんと「栗まんじゅう」

さて週一の昼あんどんです。

ごぶさたです。

何年か前、あの永六輔さんがシカゴで講演した時の話です。

永さんはある地方名物の「栗まんじゅう」が大好物で、知人が毎年それを送って来るのを、楽しみにしていました。
あの栗のかたちで中にあんこが入ってるやつです。
私もあま党なので大好きですが。。。

それが最近送ってこなくなったので問い合わせると、もう造らなくなったという事です。
何故? あんなにおいしい「栗まんじゅう」が造られなくなったのか、その経緯を聞いた永さんは、アゼンとしたそうです。

公正取引委員会からのお沙汰で、「栗まんじゅう」は商標違反にあたるので使用しない様に通達があったと言うのです。

何故? 商標違反かというと、その「栗まんじゅう」には、実際に「栗」が使用されていないので、カンバンに偽りありと言うわけです。

この公取委のお達しで日本中の「栗まんじゅう」が消えたという事ですが。。。
在米中の私には、この話がホントかどうかは、確かめるすべがありません。。。(^_^;)

かくして、かの名物「栗まんじゅう」は商標を変えて、売られる事になりましたが売上げが激減したので製造中止とあいなった訳です。

ここで永さんは愛する「栗まんじゅう」を取り上げられた怒りから、「栗まんじゅう」復活運動家に変身しました。

知人の代議士や公取委の役人を相手に、抗議の電話や手紙を送って目下闘争中との事です。

永さん、突然壇上から声高に、「皆さん、私のイカリを聞いて下さい!!!」。。。。

(TV番組の未成年の主張のかんじで。。。)

栗が入っていない「栗まんじゅう」がいかんのならァーーーー、
「もみじまんじゅう」は何故ゆるされとるのかァーーーー!

「笹かま」には笹がはいってるのかァーーーーー!

「雪見大福」でホントに雪が見れるのかァーーーーー!

ドラエモンの様な顔でも「金太郎アメ」とは可笑しかないかーーーー!

「うぐいすもち」には、うぐいすが入ってねぇゾーーーーー!

って。。。

もっと言ってたけど全部覚えてません。。。

もう、みんな大爆笑でした。

なぜ? この話がこの掲示板に?

と、お思いですか。。。

はい、これ次回につずきます。。。
前置き長くてスミマセン。。。



Name : 昼あんどん Time : (99年3月19日<金>15時38分)


看板にいつわりあり


さて、永さんと「栗まんじゅう」そのA の昼あんどんです。

さて、永さんにとっては、「栗まんじゅう」はあの味、あの形、あのネーミングがセットになって満足感と言うか安心感があった訳なので、「栗まんじゅう」という名前にこだわったわけです。
広島の方なら「もみじまんじゅう」がもみじの形ではなく、例えば丸かったりしたら、落着かなく感じるでしょう。。。

。。と思いますが。。。。。(^_^;)

もし味だけならば、「ひよこ」でも「日の出まんじゅう」でもたいして違わないわけですから「栗まんじゅう」の替わりになるかというと、そうでもない。。。
(日の出まんじゅうは、うちの田舎の産です。。。超ローカルでスミマセン。。。)

さて。。。わたしはなにを言いたいのか。。。

おお、そうそう先日来、反モル派さんの方々が、
「モルモン教会は、ホントのキリストの教えを教えていないので、キリスト教の看板を降ろせ」と言われるので、この話を思い出した訳ですが。。。

反モル派さんの論拠・論証に筋が通っているだけに、「栗まんじゅう」擁護はきついのですが。。。
あえて言わさせて頂ければ「栗まんじゅう」もそれなりの文化だという事です。
この味が好きで、満足&安心している方がたくさんおります。
それも、日本ばかりでなく世界中におります。
反モル派さん達も、かつてはこの「栗まんじゅう」はうまいなぁと思った、お仲間さんじゃないでしょうか。

そりゃ、ホントに栗が入ってると思っていた人は、栗がないと知ってガッカリしたり、だまされたと怒る気持ちは解ります。。。私もそんなプロセスを通って来た者ですから。。。

しかし、一度はうまいなぁと感じた「栗まんじゅう」を、今度は「こんなにまずいもん、食わせやがって。。。」と短絡的に言う事には、私自身多少ためらいがあります。

自己矛盾を感じるからです。

このHPのオーナーの森さんも、そういう事を言う為にこのHPをたちあげたのではないと、聖徒の未知「公式の宣言」の4つの項目から理解しています。

森さんのご主旨は、教会は事実をはありのままに正直に公開すべきであるという事につきると理解していますが、違いますか?

ですから、どんクジラさんですか。。。はじめまして。。。昼あんどんです。
どんクジラさんの様にこの「栗まんじゅう」は、そんなにまずくなかったよという率直なご意見はなにも非難するにあたらないと思います。

それから、ゆなさんですか、はじめまして。。。昼あんどんです。
ゆなさんの言われる、栗がないと解ってもアタシこの「栗まん」でガマンできると言われる、その気持ちを、私右手を挙げて支持します。
もっと言えば、ゆなさんが感じておられる、モルモン教会にも神様の恵みが注がれていると感じるその感性に共感します。

といっても誤解しないでくださいね、私、昼あんどんは教会に活発に参加してはいません。
もっか、プロテスタント系の教会の牧師さんに教えを受けています。
二足のわらじをはいてます。
戒めに対する考えがモルモンとはずいぶん違うので、ずいぶんらくに感じます。
私はこの「栗まんじゅう」創業者が善意で作ったとは、思っていません。
しかし時代がたつにつれて味が出て来たと思っています。
その味は指導者が変えたのではなく、一般信者の信仰がかかわって変わって来ているのだと思います。

(又つずきます。)



Name : 昼あんどん Time : (99年3月19日<金>19時39分)


看板にいつわりーまとめ


さて、永さんと「栗まんじゅう」そのB の昼あんどんです。

要するに言いたい事をまとめると。。。

1. 栗が入ってなくても「栗まんじゅう」には、それなりの味わいがある。

2. ネーミングも形も味のうちなので、あんまりかたい事言いっこなしにしてもいいんじゃないか。

3. ただし、そのネーミングで詐欺的な商売やっちゃダメよ。

という、「栗まんじゅう」のお話でした。


PS あつしさん、「栗」にはどういう意味がありますか?
西 + 十字架 + 人 = 西側で十字架にかかった人 という意味になりますか?
「饅頭」はどうですか?



Name : 昼あんどん Time : (99年3月19日<金>19時48分)


栗饅頭・タイヤキ・たこ焼き

昼あんどんさん。お元気ですか!
週一でも読めてうれしいです。「ぜみモル」にも来てくださいよ!
さて、栗饅頭の話、興味深く読ませていただきました。同様のネタでこれは昔週刊朝日のデキゴトロジーで読んだんですが・・・
関西出身の方が東京でたこ焼きの屋台でたこ焼きをかったそうです。懐かしい思いでほくほく食べるとなんと「たこ」が入ってない。店のちょっとヤンキー系(大阪弁でチンピラのそのまたチンピラみたいなもんカナ・・・米人を差別する表現ではありません)の兄ちゃんにそのことをいうと・・・
「タイヤキに鯛入ってるのかい?」
って言い返され、泣き寝入りしたそうです。
で・・・わたしも何が言いたいかってゆうと・・・
「関西の常識・通念ではたこ焼きには蛸が入っていて当然である」ということなのです。
つまり、やっぱモルモンの問題は昼あんどんさんの「まとめ」にありますように
>3. ただし、そのネーミングで詐欺的な商売やっちゃダメよ。
に抵触するのではないかと思ったコテコテ大阪人のるうなのです。

PS さて、蛸の解き明かしをわたしもしてみましょう!これは足が八本で十字架が四本あるということなのです。これがなにを意味するかは、つまり主とその両サイドで架けられたふたりの罪人、そして「自分の十字架を背負っていらっしゃい」と言われたようにわたしたち自身なのです。それを「焼く」即ち火のバプテスマを施すということは大変神聖な事です。
たこ焼きほど尊い食べ物はありません。
http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう(ぜみなーるモルモン世話人)リンク募集中 Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年3月19日<金>21時28分)


中身が本当によいなら、何故名前や分類にこだわるの?

> 何故? 商標違反かというと、その「栗まんじゅう」には、実際に「栗」が
> 使用されていないので、カンバンに偽りありと言うわけです。
>
> この公取委のお達しで日本中の「栗まんじゅう」が消えたという事ですが。。。
> 在米中の私には、この話がホントかどうかは、確かめるすべがありません。。。(^_^;)
>
> かくして、かの名物「栗まんじゅう」は商標を変えて、売られる事になりました
> が売上げが激減したので製造中止とあいなった訳です。

この話しには納得がいかないものがあります。

第一に栗まんじゅうが商法違反となる理由として考えられるのは、事実栗のはいった栗まんじゅうっていうのがあって、それが世間い広く認知されているからでしょう。したがって、そうでない栗まんじゅうをうった場合、それはやはりそうである栗まんじゅうの知名度を利用した商売なのですから、問題があって当然です。
従って、公取委のお達しは全うなものだし、業者側もその指示に従ったわけです。

ですので、商標をかえてうったのであるならば、これは全く問題がないわけです。
ところが「売り上げが激減した」
と、いうことは、やはり世間は味ではなくて、その名前に惑わされていたということになります。
もしも、それ自体が本当に美味しいものであるならば、名前がどうあれ売れたはずでしょう。
逆にいうなれば、栗まんじゅうという、広く認知されたものによりかかって自らの売り上げをのばしていたわけです。

タイヤキにもタイは入っていません。しかし、それが売れ認められるのは、他に「タイの入った」タイヤキがないからであり、広くその事が認知されているからです。
もしも栗まんじゅうも他に栗まんじゅうがなければ、それは商標違反にはならなかったでしょう。
タコヤキもまた、タコが入ったものが広く認知されているのである以上、たこが入っていないたこ焼きを売るのは商法違反であると考えます。
もしも、それが本当によい商品であるならば、タコ抜き焼きとでもして売ればいいわけで、本当によければそれでも売れるはずです。世間に広く認知されているタコ焼きのイメージを利用した商売をしているわけですから、これは詐欺的行為です。

モルモン教もキリスト教でないのにキリスト教であるとしているのですから、これは詐欺的行為です。中身がよければ、キリスト教であるなどとしなくても、信者は残るでしょう。キリスト教であるとしなければ信者がのこらないのだとしたら、そこにはやはりよいものがあるのではなく、キリスト教というイメージを自分達で利用しているにすぎません。(他にキリスト教っていうものが世界になければ、いくらでもキリスト教と名乗っても問題はないのですよ)
むしろ、何故中身はそれなりにいいのだと主張しながら、キリスト教にこだわるのか分かりませんし、困惑します。
自分自身、改宗談にも書きましたが、むしろキリスト教でないという事で、妙に納得した所もあります。
栗が嫌いな人も世の中にはいるわけですから、そのような人には栗の入っていない栗まんじゅうは嬉しいでしょう。むしろそのような需要には栗が入っていると誤解されるような栗まんじゅうという名は、かえって売れなかったのではないでしょうか?

永さんのいいぶんは『笑えます』が娯楽であって、実生活に当てはめられては、筋が通らないものです。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月20日<土>10時41分)


栗饅頭・タイヤキ・たこ焼き


ちょっとレスしたい昼あんどんです。

るうさん Wrote:

>週一でも読めてうれしいです。「ぜみモル」にも来てくださいよ!

お招きありがとうございます。
「ぜみモル」には、しばしば訪問し勉強させて頂いていますが、当方何の有益な知識・情報がないので、ROMのみで失礼させてもらっています。

最近、内村鑑三の「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」を読了しました。
めちゃめちゃ楽しく面白い本でした。彼がこんなにユーモアが有る人だとは知りませんでした。
この本の中でも、きらわれるモルモン教が出てくるのがまたおかしいです。


で。。。表題のタコヤキの件ですが。。。

やっぱ、大阪の方はタコが入ってないとダメですか。。。
それで、詐欺になると。。。
うーーーん やっぱねぇ。。。。

私もきわどいとは思うのですが、最近読んだマルコ9:38ー41にちょっと心動かされて、視点をキリスト寄りにしてみたのですが。。。 (^_^;)

ここの個所は勿論モルモン擁護の意見ではありませんが、イエスの弟子たちが、彼らに無断でイエスの名を使って悪霊を追い出している者をとがめるくだりです。

イエスは「ほっときなさいよ。」と弟子達をなだめて、「私たちに反対しない者は、私たちの味方である。」と太っ腹なところを見せます。

読んでる私は、おおーーさすが、わがオヤブン!!とまたまた好きになる訳でありますが。。。

まあ、弟子の意見をとるか、オヤブンの意見をとるか。。。
はたまた、被害者の意見をとるか。。。

こういうところを、こちらではコントロバシー(controvarsy)と言って多数決の領域にしちゃうのですが、これが民主的かどうかも、あやしいところです。

私としては、ホントのタコ入り「タコ焼き」を造る、正直モルモンになる様に期待したいです。

それとも、タコなし「タコ焼き」を、「モルモン焼き」と訂正してもらうか。。。

カカァと悩む、昼あんどんでございます。。。


PS さて、蛸の解き明かしですが。。。。

四本の十字架説。。。シビレます。。。。


Name : 昼あんどん Time : (99年3月20日<土>17時11分)


なぜか、名前にこだわる。。。


で、やっくんにレスの昼あんどんです。

どうもごぶさたです。

やっくんの「栗まんじゅう」商標違反説ごもっともです。

で、栗のかおりが入っている「栗まんじゅう」はどうですか。。。

やっぱ、ダメですか。。。

モルモン教会には、ちょっとはそんなかおりがあると思うのですが。。。


やっくん Wrote:

>タコヤキもまた、タコが入ったものが広く認知されているのである以上、
>たこが入っていないたこ焼きを売るのは商法違反であると考えます。
>もしも、それが本当によい商品であるならば、タコ抜き焼きとでもして
>売ればいいわけで、本当によければそれでも売れるはずです。
>世間に広く認知されているタコ焼きのイメージを利用した商売を
>しているわけですから、これは詐欺的行為です。

「タコヌキヤキ」。。ですか。。。。(^_^;)


私は関東生まれ関東育ちですが、小さい頃。。。終戦直後。。な訳ないでしょ。。。
たこ焼きにはタコ入ってませんでした。
幼い私は、タコのような丸い形してるから、そう呼ぶのだと思っていました。
やっぱ、これも詐欺だったんですねェ。。。
ここ10年15年ですか。。。だいたい、たこ焼きと言えばタコ入る様になったみたいに感じます。。。

やっぱ、時がたってくると、お客が納得しなくなったんだと思います。

どうですか、お客さん、そういう訳でもうちょっとモルモンに時間をあげてみては。。。

うーーーん。。。やっぱ、ダメ。。。でしょうかネェ。。。

なぜか、たこ焼き屋に同情する。。。昼あんどん です。


Name : 昼あんどん Time : (99年3月20日<土>17時51分)


商標というわけではなく・・・

昼あんどんさん!

「余は如何にしてキリスト教徒となりしか」読まれたんですね。面白かったとうかがって、他人事ながら嬉しいです。
ちょっと話しがずれますが、内村は矢内原忠雄の著作の序文に「彼は将来日本を背負って立つ学者になるだろう、しかし、彼にとっては信仰が第一であってそのためにはその立場を捨てることにもやぶさかではない」と言った趣旨のことを書いておるのです。果たして、戦争に反対の立場をとった矢内原は東大教授の身分を捨てることになるのです。内村はそう有意味で真の預言者だったと言えると思うのです。また、矢内原のキリスト教徒の友人達も
「あの戦争でよかったと言える事があったとすればそれは矢内原を大学から解き放って『伝道者』として働かせたことだ」
と言っていたそうです。
ここらは話し出すと止まらないので・・・すんません。

>やっぱ、大阪の方はタコが入ってないとダメですか。。。
>それで、詐欺になると。。。
>うーーーん やっぱねぇ。。。。
いえいえ!詐欺とかそうゆう意味ではないのです。
大阪ではそれが当たり前と言うか通念としてあるという意味です。大阪では蛸抜きたこ焼きの商売は通用しないって意味です。やっぱ原価とかせこい事はいわないで、しっかり蛸を入れてやって行かないと商売としては将来はないぞってことです。
>私としては、ホントのタコ入り「タコ焼き」を造る、正直モル
>モンになる様に期待したいです。
という意味と同じですね。

震災でつぶれちゃいましたが、大阪豊中庄内の屋台のたこ焼きやがちゃんと蛸が入っていて7個100円でした!ちなみにわたしの小学校時代は5個10円。

あと、マルコ伝のところですね・・・
あんどんさん鋭い解釈ですね。その通りだと思います。ただ、それに教団自体が便乗しちゃうと、神殿から追い出された商売人になってしまうとも思います。そしてその傾向があるのではないかと懸念するのです。
気にせずぜみモルにも書いてくださいね!

http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう(ぜみなーるモルモン世話人)リンク募集中 Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年3月20日<土>20時24分)


栗と言う字源の意味

PS あつしさん、「栗」にはどういう意味がありますか?
西 + 十字架 + 人 = 西側で十字架にかかった人 という意味になりますか?。「饅頭」はどうですか?

昼あんどんさん。ご指名ありがとう。
あつしです。御返事送れましてどうも(^o^)、
栗という字源の意味についてですが
「栗」と言う漢字は「西と木」の構成です。
西(ニシ)の読み音はイスラエルのイスに子音のニを充てて造られ、クリと言う読みはクリスト、
つまり、栗という漢字は、中国からは「西にあるイスラエルという国に
いたキリスト」と言う意味(感じ)になります。
栗に用いられている「木」の文字は十字架に両方から支え木を入れたものであり、倒しては行けない、倒れない彼の十字架(使命)のことです。
木の字を私がなぜ「十字架に架かったイエス・キリストを支える」文字かと捉えるかと言うと、例えば「様」という文字があります。
この概念を示す「様子」にも用いられる「様」とは「木と羊に飾りを付けた」文字だからです。
つまり、様とは「倒れない、倒してはならない。私たちの罪のために十字架に架かったイエス様」のことであり、私たちの豊かな概念は彼がなぜ十字架に架からなければならなかったのか」を思うことにより、築かれて行くのです。
説明が長くなると思いますので「饅頭」の文字の意はあとにしましょう。

教会に行く準備があるので、これにて失礼。

Name : あつし。 Mail : atusi@ryukyu.ne.jp Time : (99年3月21日<日>07時24分)


業界の基準は消費者のためのもの

昼あんどんさんどうもです。

栗のかおりの件ですが、たとえだと話しがややこしくなってくるので、ストレートに述べましょう。
もしも、モルモンがキリストの教えに従い、「愛」を実践するというのであるならば、
キリスト教と名乗るのは止めましょう。

何故ならば、それを「嫌がる」人々がいるからです。
そして、その人々にはその人々の「思い」があるからです。

その人々の「思い」を尊重して、「愛」を示すのであるならば、自らをキリスト教と名乗らないでしょう。

と、いうことで、キリスト教と名乗るという行為自体が「愛」が足りないわけで、

結果的に「栗のかおり」もほとんど感じられないと、このように思いますが、いかがでしょうか?


タコ抜き焼きの件ですが、歴史を見ましょう。

一時期、キリスト教からも、ほとんどタコが入っていないか、とっても小さなタコしかないタコ焼きを打っていた時代がありました。それに対して、消費者から不満もでたし、業界内の一部からも、「これは商品に偽りがある!」と激しいつきあげを食らって、業界団体が分裂する騒ぎとなりました。
その結果まさに、仁義なき戦いみたいな事もあったわけです。
しかし、人々は消費者も業界関係者も、あまりに不毛な戦いに反省をし、やはり商品に偽りはあってはいけないということで、タコを大きくいれたタコ焼きを販売することになり、業界関係者は誇りを自信をとりもどし、消費者も満足しはじめている。というのが現在の状況だろうと思います。

タコ抜き焼きがかつてタコ抜き焼きであった理由はさまざまあるでしょう。
関西でタコ焼きが流行っていたのを見て、これは売れる!関東の連中はたこが入ってなくてもそれがタコ焼きの本流だとは思うまい。というような詐欺的動機もあったのではないかと推測します。

しかし、新幹線も通り(^-^;)東西の交流が激しくなれば、本当のタコ焼きとは、タコが入ってないとおかしいということに関東の消費者も気付くわけですね。従ってタコ抜き焼きは一度はだまれても、二度は騙されないという理由で敬遠され、結局タコを入れざるを得なくなっていくわけです。

ところで、モルモン教会というタコ抜き焼き屋はタコ抜き焼きを「これぞ唯一のタコ焼き、業界よ、我々もタコ焼き屋であると認めよ!」と迫っているわけです。な上、その商品の売り方には、押し付け詐欺同然のような事をしたりして、そのお店の本質としてヤクザっぽいわけです。
このお店をのさばらせておくことは、タコ焼き屋業界全体にとっても、誤解を招く恐れがあり、とても危険なわけです。しかもタコも入れないし、それが「正当で正しい」と改善する気持ちもないわけです。

もしもタコ焼き屋として業界に認めてもらいたければ、少なくとも、業界の基準にあったタコ焼きを作らねばなりません。それをせずに、認めろというのは、少しムシが良すぎるのではないでしょうか?


http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月21日<日>11時22分)


業界には業界の歴史の重みっつうのがある

それから、聖書のイエスの言動だけで業界を解釈するのは無理があります。
業界には2000年の歴史があり、色々な事があったわけです。
つまり、いきなり当初、異端がいろいろ入って来たわけですね。その事についてはパウロも手紙の中で懸念をあらわしているので、その当時から異端が入って来た事がわかるでしょう。
有名なのは、いわゆるグノーシス派の台頭です。
詳しくはしりませんが、神は実は悪魔で悪魔は実は神というような解釈の派閥です
その他色々な考え方が出て来て混乱して来たわけです。反対しないものは味方であるというような論理だけでは通じないような複雑な状態です。
それで業界全体が集まり、研究と話し合いの結果、消費者が混乱しないように業界の基準をもうけたというわけです。カトリックとプロテスタントは対立していましたが、この基準ラインの上で双方はキリスト教であるという認識だけは持っていたわけですね。
面白いのですが、モルモンのインスティチュート資料では、やはりこの時異端とされた宗派を異端だと述べている所です(^-^;)。つまりモルモン自身も反対しないものは味方であるというような論理をとっていないわけです。

くり返しますが、キリスト教には二千年の歴史があり、その中で実に様々な事があり、偉人も多く排出しました。単に聖書だけ読めばキリスト教だとはいえないわけです。そのような事情を無視して、自分達はキリスト教であるというのは、無茶があるし、そこにはキリストの説く「愛」は感じられません。
「愛」を説くなら、まず自ら実践することだと思います。少なくとも、他のキリスト教との交流を教会の活動として行っているユニットなど日本であたしは知りません。
クリスマスの季節になると、あたしのいる地域では教派を超えて讃美歌を歌う集いがあったりしますが、「そういう活動に参加しないのですか?」と当該ユニットに提案したら、無言のうちに却下されました(無視されたってこと)そして独自にキャロリングして、キリストの愛を伝えたとかなんとか思い込んでいるわけですね。実に独善的です。連係とか連体というのを無視しているのは、むしろモルモン側だと思います。他の教会のバプテスマを認めず、独自のバプテスマしか有効でないとするのもキリスト教として認めがたいものですし、自分達以外の教会は背教していると主張しているのも事実なのです。
そのあたりに対する改善を求めず、単に「キリスト教と認めては」っていうのは、少しわがまま…っていうかちょっと非常識というか、あまりにムシが良すぎる話だと思いますが。
おそらく、他の教会は背教しているとか、三体同位の神思想や預言者制度を廃するという、業界の基準に適合する努力をするならば、業界もすかさずキリスト教と認めるのではないでしょうか?
キリスト教側に一方的に歩み寄ることを求めるのではなく、自らも歩みよってこその話しではないでしょうか?そうでない話しは建設的とは程遠いと感じます。


http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月21日<日>11時24分)


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