君が代と日の丸とモルモン


君が代・日の丸とモルモン

今再び君が代が教育現場で問題になっていますが、ずっと以前にモルモン教では「日曜学校の賛美歌による礼拝」というコーナーで「その国の国歌を歌う」との本部指示で「君が代」を礼拝堂で歌ったことがあります。
礼拝堂の説教壇の正面・監督室には日の丸を掲げる事が指示されたました。
わたしなんぞは猛反発しましたが、神様の召された指導者の指示ということで、まかり通ってましたね。
たいした問題にも議論にもならなかったようで、モルモンの体質がよく分かる事例です。

http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう(ぜみなーるモルモン世話人) Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年3月10日<水>07時28分)


るうさん と 森さん に質問

君が代と日の丸を見てびっくりしました!

そのようなことは、いつぐらいに行われていたのですか?

これが本当なら、その当時は毎週日曜日に神様と天皇を崇拝していたんですね。

これは完全に、モーセの十戒に反することです!!

私は伝道中、バプテスマの面接の時モーセの十戒について守れているかどうか質問していました。それを、教会自身がやぶっているとはかなり問題です!!

やっぱりモルモンって真実の教会ではないことが良く解ります。

(この部分、省略)

Name : 滅びの子    重畠 雅弘 Mail : sigehata@air.linkclub.or.jp Time : (99年3月10日<水>22時20分)


ずいぶん昔ですよ!

重畠さん

日の丸・君が代はずいぶん昔のことではあります。
大阪がまだひとつのステーキでしたね。副ステーキ部長で後ステーキ分割後破門になった当時の副ステーキ部長が「国家・指導者に従う事が神様のみこころだ!」なんてなんの説得力もない説教をしてましたね。独身でしたから・・・20年は前になるでしょうね。
もし、読んでおられたら沼野さんがここらは詳しいと思うのですが・・・

(この部分、省略)


http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう(ぜみなーるモルモン世話人) Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年3月10日<水>23時45分)


礼拝中に「君が代」歌うなら、まだ異言の方が、まし。

モルモン教会の集会に「君が代」を歌う?!
自分が、もしモルモン教の活発会員だったら嫌ですね!

何か、ものすごく違和感を感じる。
右翼の集会みたいじゃないですか。
自分の考えとして、
モルモン教は、どちらかというと
彼らの考え方は、
ペンテコステ派に近いような気がします。

病人に頭に油を注いで、祝福の祈りをするとか、
個人的に神様から啓示を受けるとか、予言をするとか、

モルモン教の礼拝中に、「ハレルヤーーーッ!」
「アーメン」と叫ぶ人はいないけど、やたらと
「みたま・みたま」と口走る人が多いですね。
極端なのは、ジョセフと同じように神を見る事が
出来るなんて、言う人もいますから、
彼らの考えている事は、聖書からかけ離れていると思います。

今考えてみれば、あの極端な伝道がなければ、
今頃は、結婚して子供がいたかもしれない。
その子孫が、もしかしたら社会を変えるの
ではないかと思う。

そう考えれば、あの極端な伝道は
数百年後の世界に、大きな影響を
与えるかもしれない。

若い時から、プロテスタント教会に通っていたら
自分の人生は、もっと良くなっていたと思う。


http://member.nifty.ne.jp/4koma/mormon/tempel/

Name : ぽめ Time : (99年3月12日<金>03時08分)


君が代の事続き

るうです。
当時賛美歌による礼拝という日曜学校内の開会行事のコーナーがあって、そこで歌われたんです。手引きに今月は「その国の国歌」とあったので即君が代って決定したようです。
ここにも問題がありますよね。君が代は果たして国歌なのかってことです。今もそうですがその当時は国歌国旗についての議論がありました。それを簡単にホイと決めてしまう教会の無神経さにはあきれます。
それを疑問に思った連中には「国歌と指導者に従う事こそ神様のみこころ」って壇上からの説教だけではなにおかいわんやです。
わたしはこの君が代の時間は礼拝堂を退出して抗議を示していました。
大阪と言う土地柄もあるのですが、在日外国人の方が来て君が代を歌わされ日の丸の掲げられた礼拝堂で祈るよう言われる事を考えたことがあるのでしょうか?
モルモン教の罪はこうした無神経さにもあります。

http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう(ぜみなーるモルモン世話人)リンク募集中 Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年3月12日<金>07時24分)


政治と宗教と戦争と日の丸・君が代

宗教>心。信仰の心をもつこと。キリスト教でいえば、「唯一にして
   絶対なる神」を信仰し、その右に座しておられるイエス・キリ
   ストを信じることを心のよりどころとすることである。

政治>宗教は心を具現化するために、政治に訴えかけた。しかし、
   それが思わぬ方向に進んだ。だから、日本では「政教分離」
   という言葉で、宗教と切り離されようとした。完璧に切り
   離されている、とは未だに思っていないが・・・。
   (創価学会の例を見れば明らか。)

戦争>同じく宗教を具現化するため、また、自分の宗教を正当化
   するため、他の宗教を弾圧し、攻撃した。キリスト教絡み
   では中東戦争をはじめとする海外での事例が多いが、日本
   でも「島原の乱」「大東亜戦争」など、宗教が微妙に絡む
   事例は多い。

日の丸・君が代>そんな中で、「大東亜戦争(第2次世界大戦)」
   の残骸として残ったのが「日の丸・君が代問題」だ。
   確かに明治以来、「日の丸・君が代」を戦意高揚のために
   利用していた。GHQはそれを禁止した。平和憲法の下で
   国旗・国歌は制定されていない。それでも、何故か「日の丸
   君が代」が「国旗・国歌」として「定着」してきたと言われて
   いる。だが、あくまで「強制」でしかないのだ。
   それは、「戦争時代の押し付け」であり、「宗教弾圧」の残骸
   である。民主主義が日本で育たない原因の一つとなっている。

私の主張は、この後・・・。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/2545/kavaind.html

Name : Mr.KAVA Mail : DZS01455@nifty.ne.jp Time : (99年3月15日<月>11時12分)


日の丸と君が代は別々に考えるべきだ!

「日の丸」は、国民の間に何故か定着してきている。たとえ、成り立ち
や使われ方に過去問題があったにせよ、今では、「日本という国を表す
象徴」として世界にも使われている。今、国旗をむやみにいじる、とい
うか、「日の丸」以外のものを国旗として制定するには、よほどの時間
と制約がかかる。そのため、「日の丸」はあえて国旗としても問題は
ないのではないか。(「曙の旗」は、戦争の道具として使われた度合
いが強いし、今では殆どつかわれていないので、これはダメ!)
「日の丸飛行隊」が活躍する姿や、オリンピックで金メダルを取って
日の丸を揚げることを名誉に感ずる姿を見ていると、「定着」している
ということが言えると思いますよ!

反対に、「君が代」は、国民主権のこの世の中、「君が代」という表現
には、問題があると思います。「メロディー」は定着していると思うし、
「日本的」とは思います。ただ、歌詞には非常に疑問が残ります。
今の日本は「民の世」であり、「君が代」ではありません。天皇家の
末永い繁栄を願ったようなこの歌詞を、民主主義・国民主権の国の
「国歌」とするのは、非常に問題があるように思います。
ですから、私の立場は他のクリスチャンとは違い、「日の丸賛成・君が
代反対」というものです。反論のある方、議論しませう!

でも、政府が何故ここまで「日の丸・君が代」にこだわるのか。
これは、ひとえに、「軍国主義」の復活、「古き良き時代(何をもって
こう呼ぶのかは甚だ疑問ですが)」の復活を願う一部指導層のゴリ押し
のほかにありません。「国民的論議を経て法制化」と言いますが、
「国民的論議」がどこまで活発に行われるのか、思い切り監視しておく
必要がありますね!その方法も問われますよね!一部国民だけの論議は
もう不要ですよね!これこそ国民投票で決定する必要があるのではない
でしょうか。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/2545/kavaind.html

Name : Mr.KAVA Mail : DZS01455@nifty.ne.jp Time : (99年3月15日<月>11時26分)


日の丸君が代問題

教会で日の丸君が代をやるのは、
現状ではちょっと問題があると思うので
アメリカの指導者がいったからといって、
鵜呑みにやる神経はちょっとどうかしていると思います。
思いますが、それは、それだけそういう問題に対する
認識が日本人指導者の中にもないのかもしれないので、
いわゆる社会問題にたまたま無頓着な人が指導者に
なったからおこったのではないかと思います。

ただ、社会問題に無頓着な人を教会指導者にすること自体、
モルモン教会が何を見ているのかが
よくわかる事例だと思います。

でもって、それとは別に、
日の丸に関するMr.KAVAさんの意見には同意します。
ただ、君が代に関しては
あたしはMr.KAVAさんの日の丸に関する見解と同じように受け止めています。
つまり君が代もいいのではないか?というものです。

詳しくは知りませんが、
君が代の歌詞は、もともと恋い歌だったと聞いています。
君<<というのを大君つまり天皇と解釈すると、
まさに天皇の代は…云々になるのですが、
君<<っていうのを、単に僕、君という現代的使い方で解釈すると、
恋するあなたの代は…ってことになって、
つまり愛は永遠なんだという
今の歌謡界を席巻しているような、内容にもなれると思います。
(詳しくは知りませんが、君が代の歌が出た時代には、まだ天皇を大君とする言葉の使われ方はされていなかったと聞いた事があります。
それで君が代の君とは恋人<夫あるいは妻?>の事ではないか?っていうわけです。)
そう考えると、恋愛歌を国歌とするなんて、
なんて平和で、誇れる歌なんだろうと、あたしは面白くおもっちゃいます。
『君』をなんて解釈するかで、この歌は全然意味が代わるのが面白いと思いませんか?
『君』をクリスチャンであれば、天皇でも恋人でもない『主、イエス』とすれば、
『イエスが代々限りなく続きますように』
って意味にもなり得ると思いますが(^-^;)(^-^;)

政府も、時代にあわせた君が代の君解釈を出せば、もっと平和に君が代は国歌として
親しまれると思いますけどね。

http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月15日<月>12時00分)


君が代、補足です

以下のurlでも少し君が代の君の解釈について書いてありました。

http://www2.justnet.ne.jp/~dec.family/284.HTM

部分引用しますと、

> 「君が代」の歌詞の出典である「古今和歌集」や「和漢朗詠集」の注釈書を調
> べると、「君」は「帝」を指すのではない、と書かれている。それを無理矢理
> 「君=帝」としてきた歴史があるのである。

内容的には「君=帝」とねじ曲げた解釈をした歴史があるので、君が代に対して否定的みたいですが、
あたしは、だったらむしろ「君≠帝」であるという解釈を広く普及させて、
過去の過ちと決別すべきではないかと思います。
今さら君が代に代わる国歌を制定するよりは、
そちらの方が現実的ぢゃないかと思いますけど(^-^;)
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月15日<月>12時09分)


やっくんへ!

おお、なるほど・・・。「君」の解釈って、もっと奥深いものでしたね!
確かに「君」は「恋人」なのか・・・。ただ、この解釈、あまり定着
してませんよね!その「恋人」が本当の「恋人だったらいいんですけど
ね!」
議論を重ねましょうね!そしてその議論を重ねる環境を整えましょうね!
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/2545/kavaind.html

Name : Mr.KAVA Mail : DZS01455@nifty.ne.jp Time : (99年3月15日<月>17時31分)


君ははやり君主をさすでしょう

やっくん様
君をあなたという人称代名詞にしたのはずっと後世の事ですね。
ここはやはり君は君主を指すと考えるのが妥当でしょう。「あな
た」という意味なら「汝れ(なれ)」とか「背」とか「妹」をも
ちいるでしょうね。
君が代の歌詞はわが君の統治が「とわにかきよにとこしえに」(
読者よ悟れ!)と褒め称えた讃歌なわけです。
モルモンが主の再臨とその千年王国を信じているなら、しかもそ
れが近々だと主張している。
だからもう、これは、たとえ国歌でも礼拝堂では歌えないでしょ
うね。
http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう(ぜみなーるモルモン世話人)リンク募集中 Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年3月15日<月>21時51分)


君が代君主説

歴史にそれほど詳しいわけではないのですが、

君=大君=天皇だという解釈自体が、もともと後から当てはめたものであって、
明治の軍国主義教育時に強引に広めたものだったらしい。
というのが、あたしの聞いた話です。
先の引用しましたように、君=帝と解釈してはいけないと「古今和歌集」や「和漢朗詠集」の注釈書にもあったようで、
それを、明治に君=帝(天皇)としてしまったわけですね。
これも別に間違っているという事ではなく(^-^;)
ようするに時代の流れに合わせたということだとあたしは思います。
そんなわけで、今は、今なりの人称代名詞的に解釈すればいいだけではないか?と
思っているわけですね。

結局、今さらあたらしい国歌を制定するってわけにもいかないのではないか?(^-^;)
という妥協的な話しです。

ちなみに君主と解釈しても、君=天皇だといっているのではなくて、
君主という代名詞(^-^;)なので、君主とは私にとっては、アメリカ大統領だとか(^-^;)
麻原ショーコだとか、あるいはイエスキリストだとか、各人の各様であってもいいと思います。

難しい問題なのですが、この歌そのものには罪はないと思います。
問題なのか、かつて、この歌を『強制的』に歌わせたという事でしょうかね。
しかし代替歌がないのである以上(^-^;)、やむを得ないような気がするのですが(^-^;)
だんご三兄弟を国歌にしようといっても、君が代以上に抵抗を受けそうですしね(^-^;)

私としては、むげに固執するほうが、唯一真だという主張に固執している末日聖徒みたいなので
嫌なんですよ(^-^;)
末日聖徒ののべる唯一真っていう主張の否定以外は、
物事を相対的に捉えたいのですけど…(^-^;)
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月15日<月>23時54分)


君が代さらに補足(^-^;)

インターネットで検索すると、君が代は天皇家ではなく、古代九州にあった王朝を称える歌だったという説を唱える人もいるらしく、
やはり君が代の君に対する解釈は、もともと「これだ!」っていうものはないのではないかという印象です。
そもそも詠み人知らずの歌で、
天皇を称えるという目的の大層な歌をつくった人が分からないって所から、怪しいです。
やはり、無名の人物が、ラブソングで送ったものが、フレーズがよかったので、和漢朗詠集におさめられたという解釈が、妥当なのぢゃないかなぁって
思いますけれども…(^-^;)

ただ、だからといって、国歌として教会で歌えっていうのも、
今の段階では違和感があるっていうか(^-^;)
もっと国民全体が納得しないと、国歌ともいえないんぢゃないかなぁって
思いますけどね。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月16日<火>00時15分)


なおも君が代

やっくん様
万葉集大好きるうの見解とすれば、当時は宮廷歌人というのが一杯いて
「おおきみ」讃歌や「魔除」の歌を変わって歌っていたのです。人麻呂はもっとも有名ですね。君が代の歌詞は万葉時代の歌人のそれらに比べ
てずーっと芸術性は下がるし、内容もない。
「よみびとしらず」となったのもうなづけます。
君をあなたと言う人称代名詞に使う前からこの「きみ」という言葉は
あったわけだしそれが自分の使える主人を指していることは歌詞で明白
なわけでこれを相聞や恋歌の範疇に入れることは無理があるでしょう。
それと、そうした「ずーと、使って来ていて認知されてるから」って論
理はそれ自体が「過去の反省のなさ」ということでもんだいなのでしょ
う?それはモルモン教が過去を償わず隠蔽している姿とダブります。
そうゆう意味ではモルモンが君が代を礼拝堂で歌うのはふさわしいかナ!
http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう(ぜみなーるモルモン世話人)リンク募集中 Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年3月16日<火>06時39分)


どうしても抵抗があるなら代替歌詞を!

おはようございます!

まぁ、過去の反省といっても、実はこれも怪しいところで、
なんでもかんでも日本が悪いっていうのも、
何か抵抗を感じるのでありますが、

嫌だって言うものを、強引に押し勧める事こそ(^-^;)
末日聖徒的だと思うので、君が代の代替歌詞を考えました。
曲はそのまま歌詞だけかえて歌ってみてください。
(なんて、ここで書いてもただの自己満足なんですけど)

ひのもとは、あおけしうみに、かすむやまの、みどりのなりて、うつくしきくになり
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月16日<火>08時59分)


漢字にするとこんなんです

なおも自己満足モードで申し訳ありません。

漢字にすると、こんなんです。

 日本は、青けし海に、霞む山の、緑野なりて、美しき国なり

ううん。でも、ここの掲示板に内容が相応しくないような気がしてきたぞ(^-^;)
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月16日<火>09時05分)


君が代

ここに書き込んでもよかったのだろうか?(^^;

君が代の元歌についてですが、
 http://www.hs.reitaku-u.ac.jp/tokosibe/utisot36.htm
によると、藤原朝臣石位左衛門という作者のことと、もともとは
「わが君は 千代に八千代にさざれ石の 巌となりて苔のむすまで」
という歌が「古今和歌集」に採録され、その歌によって位を腸わった経緯などが
記されている本の紹介があります。

ここにはこの歌の解釈についての記述はないのですが、その歌によって
天皇から位を授けられたという経緯からして、この「わが君」は天皇と捉えるのが
自然なように思えるし、これがその後編纂された「和漢朗詠集」で
「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
となったとしても、やはり元歌のエピソードは生きているという風に考えますけど、
やっくんは、いかが?

http://www.tsuchiya.com/

Name : 『どんクジラ』 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月16日<火>09時44分)


あらら、どんクジラ氏登場?

ども、やっくんです。

そうですか(^-^;)
あたしも色々ネット上で検索かけて見たり、百科事典ひっくり返したりしているのですが、
下で教えてもらったような事は出ませんでした(^-^;)
ううん。ぢゃ、やっぱり君は天皇なのかなあ…??

でも、ネット上で見る限り異論がある見たいですし、確かあたしの聞いた事は新聞あたりにも載った話です。
ただ、うろ覚えで正確ではないのが弱い(^-^;)

いずれにせよ、仕切り直すなら直すにしろ、代替国歌を提案しなければ、やっぱり国歌は君が代でいっちゃうんぢゃないかなぁ。
って現実的に思うのですが。
過去の反省にしろ、反省して、ではどうするのか?まで語らなければ話しにならないような気が(^-^;)
末日聖徒問題とは…リンクするかなぁ(^-^;)?(かなり苦しい)
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月16日<火>11時57分)


天皇ぢゃなくて親王(^-^;)

どんクジラ氏が紹介して下さったサイトみましたが、
この説明を読むと、藤原朝臣石位左衛門が親王に使えていた時に歌った歌らしいですね。
と、なると、君は天皇ではなくて親王(天皇の王子)であって、
天皇家というよりはその親王個人を念頭においたと考えられます。
となると、また少し話しは違って来るのでは無いでしょうか?
その親王が後に天皇になって、位をもらったというのも、後の話しで、
あくまで個人的に自分の主人にあてた歌わけだとすると、
君は、各人の主人あるいは君だと思う対象でいいんぢゃないでしょうか?

つまり、当初いったように、天皇だと思いたければ天皇だし、社長だと思いたければ社長(^-^;)
大管長だと思いたければ大管長、イエスだと思いたければイエスだと。

どんなんでしょうか?
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月16日<火>12時04分)


多様性こそがいのち

いや、別にやっくんの思いたいように思って、それは一向にかまわないと思います。
実際のところ、恋人を念頭に置いて詠んだ歌だったかも知れず、それを読んだ
主人が、かってに自分を讃える歌だと思ってくれるかもしれない、とちょっとは
期待していたら、本当にそうなったとか、いうことだってあるわけで、要するに
世の中に残されている様々な情報をいろいろと集めていって推理するのは推理する人の
勝手でしょ、ということです。恐いことには、時として、本人が全く意識していなかった
ような解釈があとからつけられて、それが本人の意思を飛び越えて流布してしまうような
状況というのもあったりするということです。

やっくんの書き込みを見ていると、時として、「まず自分の考え」があって、
それに合うような情報を見つけてきては説明としたり、都合が悪そうな部分があれば、ちょっとした
ほころびや曖昧な部分を見つけては、そこを根拠に言い訳したり、自分の側の論理に近づけようとする
傾向がちょっと強いかな、と感じることがあります。
それで、こんな情報もあるよ、と紹介しただけです。

君が代問題は、大元の作者の意図がどうあれ、現状の日本においては、
良くも悪しくも、過去の天皇支配と結びつけて考える人がけっこうたくさんいるし、
その問題と切り離すことができそうにない、という点だと思います。
天皇制が良いとか悪いとか、過去の天皇支配の歴史が良いとか悪いとかの
論議にどうしてもつながってしまうような中での国歌の論議は、結局は結論が
出ないような気がしますし、国歌論議を天皇制と切り離したところで行なうような
視点もあるんじゃないかな、と思います。

その意味では、やっくんのように新しい国歌を提案するような動きがドンドン
でてくるといいなと思います。)@^^@(

http://www.tsuchiya.com/

Name : 『どんクジラ』 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月16日<火>12時53分)


新しい国旗国歌を募集

以下のような情報に接する機会がありました。
こんな前向きの動きが起こってきて大きくなっていくことを、私個人は嬉しく思います。

 原爆の図で知られる丸木俊さんたちの呼びかけで、「日の丸」「君が代」にかわる
旗と歌を創り出す会というのが15日にできたそうでs、
B5横長の旗と、歌詞を募集するそうです。締め切りは11月3日。

連絡先は〒125-0041 東京都葛飾区東金町5−27−6−103
      会事務局の田中弥須子さん 電話03-3608-8985

http://www.tsuchiya.com/

Name : 『どんクジラ』 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月16日<火>13時02分)


モルモンの実体(今日の証)!!

>君が代問題は、大元の作者の意図がどうあ
>れ、現状の日本においては、良くも悪しく
>も、過去の天皇支配と結びつけて考える人
>がけっこうたくさんいるし、その問題と切
>り離すことができそうにない、という点だ
>と思います。

ですから、当時の末日聖徒イエス・キリスト教会は明らかにモーセの十戒に反しています。

この例は、末日聖徒の特徴をよく表していると思います。『彼等がいかに自分の頭で考えていないのか(盲目の信仰)』ということと、『ほとんど強制的な従順(神殿の儀式の時のような)』という特徴であります。だから、狂乱のバプテスマのような間違いも起こるのです!!
しかし、心配はいりません!

>1945年5月26日付け「Deseret News」紙に掲載された
>「ワード・ティーチャー(現在のホーム・ティーチャー)
>メッセージ」より。

>私たちの指導者が語る時、考えることはすでに済んでいるので
>ある。彼らが計画を提示すれば、それは神の計画なのである。
>彼らが道を示せば、安全な道は他にはない。
>彼らが方向を示せば、議論の終わりを意味し、神はそれ以外の
>法方でみ業を行うことはない。すぐに悔い改めをせず。それ以
>外の考え方をすると、その人は信仰を失い、証を破壊し、神の
>王国にふさわしくない者となりかねないのだ。

は〜い モルモンのみなさん考えることは止めて、指導者に従順に従いましょうね!!

ですから私は(自分でよく考え祈ったから)、モルモンの信仰を失い証が崩壊し、神の王国(モルモン的)にふさわしくない者となったのであります。^_^;
君が代の話ありがとうございます。そして、るうさんの新しいホームページ、両方ともたいへん勉強になりました。いつも本当にありがとうございます。

Name : 滅びの子    重畠 雅弘 Mail : sigehata@air.linkclub.or.jp Time : (99年3月16日<火>17時09分)


滅びの子さんへ質問

私の文章からの引用が使われると、やっぱり反応してしまうなぁ。(^^;

>>君が代問題は、大元の作者の意図がどうあ
>>れ、現状の日本においては、良くも悪しく
>>も、過去の天皇支配と結びつけて考える人
>>がけっこうたくさんいるし、その問題と切
>>り離すことができそうにない、という点だ
>>と思います。

> ですから、当時の末日聖徒イエス・キリスト教会は明らかにモーセの十戒に反しています。

これも、「滅びの子」さんがそのような結論を自分で導き出すことは、かまわないと思います。

でも、頭の悪い『どんクジラ』に、その論理をこれでもかって、押しつけないでくださいね。)@^^@(
http://www.tsuchiya.com/

Name : 『どんクジラ』 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月16日<火>17時23分)


あくまでもモルモンと君が代

しげさんの仰る通りです。
日の丸君が代にどのような見解をとろうとそれは構わないわけです。教育現場ではそれを押し付けようとするから問題になるのです。国立青年の家でNGOの全国大会があったときこの施設が日の丸掲揚と降納の朝会・夕会があるとわかったとき一大議論となりました。
そのためにひとつのプログラムがもたれてNGOでは全国レベルの偉い人からわたしみたいな端っぽまで喧喧諤諤議論しました。
備忘録ではわたしのつたない文が載っていてなつかしいが・・・
で、言いたいのはモルモン教にこうした議論の風土があるかってことです。
日曜学校の手引きでは「その国の国歌」って世間知らずなド田舎のお坊ちゃまタウン・ソルトレークからまさにノーテンキな指示がなんも考えずに「ホイ!」と出されてるんです。アジア侵略の歴史に関して国歌国旗では様々な議論のある事がわかっているはずのこの国で、それなりのお立場の方が実情を売ってるでもなく、「神様の指示」ってことで盲目的に従わされるということは異常です。
わたしやしげさんが言いたいのはこのポイントです。
思考を停止し、与えられたエサをただただほふられる時まで食べつづけるだけ・・・
モルモン教徒はブロイラーってわたしが言うのはそこです!
しげさんの証を右手を上げて支持します!(笑)
http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう(ぜみなーるモルモン世話人)リンク募集中 Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年3月16日<火>22時10分)


対話の場(1)

るうさん、はじめまして。
私もネット上の別の場所ではシゲ(本名:土谷重幸)と呼ばれていますので、
一瞬戸惑いました。あれっ? るうさんは、私の何に賛成してるんだろうって。(^^;

私自身が見聞きしてきたモルモン教会の中では、君が代が実際に歌われたとか日の丸が
掲げられたとか、それが強制されたという経験は一度もなく、国旗の掲揚についての自由な討論の場を
何度か経験したことがあるくらいでしたので、ここに来て初めて、どこかの地方の教会の中で、そうした
話題でもめたことがあったのかな、と知りました。

また、るうさんが言われるように、自由な対話(議論ですか?)の場が教会の
中にないというのも私自身の経験からは、よくわかりません。少なくとも
私自身は、自由な討論や対話を穏やかな雰囲気の中でやらせていただいてきたと感じています。

私は、どんなにそれが正しく思えるようなないようであっても、人に強制することはそれ自体が神様の方法ではない、
という信念を持った人たちと共に歩んできましたし、そのような考えを持っていない人も残念ながらいましたが
私にとっては、そうした人の存在が私自身の考えを弱めるような存在とはなりませんでした。

会社にあってもそうですが、上層部の人たちの中にもいろいろな人がいます。
自分の立場を笠に着て押しつけてくる人もいれば、時間を割いて、部下の言葉をじっくりと気候として
くれる人もいます。そして必ずしも私から見てふさわしいと思えるような人ばかりが上層部にいるわけでは
ありません。

さて、私にはまだこの掲示板の雰囲気がよくわかっていないところもあるのですが、
これまでに感じたところでは、
(1)この掲示板は、モルモンの教義、モルモンの組織運営、あるいはモルモン側に立つ個人、を非難したり
  その間違いと思われるところを指摘するような場?
(2)それとも、「モルモン教会の真実を掘り下げよう!」というサブタイトルから感じなくもない、
  それぞれいろいろな立場からの自由な対話の場?

のどちらなのか、決めかねています。あるいはどちらも違ったりして。(^^;
【続きます】

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Name : 『どんクジラ』 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月17日<水>08時19分)


対話の場(2)

私としては、せっかくこのような場があるのならば、開かれた対話の場であったほうが
参加する人にとっても、より価値のある場になるのではないかなと思いますけど、そこら辺はここを
開いたかたの自由ですから、それに従うべきでしょう。

少し言わせていただくならば、対話の場としてここを運営していただけるのでしたら、
るうさんのなんとかゼミナールにも紹介されていた、<a href="http://www.712.nu/astext/index.html" target=_blank>AS気まぐれなウェブページ</a>の作者のかたのような
立場を保ち続けることができるようなかたを進行役としてお願いし、様々な立場のかたが気後れすることなく
自由でかつ穏やかな雰囲気の中に対話できるような場を準備されるといいのではないかと考えます。
そのページの作者のかたはその中で、「モルモン」「反モルモン」「一般のかた」と言う風に相手をわけて、それぞれの立場のかたに
メッセージを書いておられますが、そのような態度のことを私は言ってます。

それから、ここの管理者のかたへ老婆心から。
私はその事実関係について全く知りませんが、昨日の書き込みを見ると、このページのバナー広告
の一つがオウム関連の会社のものだという指摘があっています。
ここに参加されているかたの中には、モルモンをカルトであると、そのホームページなどで
公然と非難されているかたもあり、そのような人たちが中心となってこの掲示板が運営されているように
感じられるこのページに、世間からカルトであると見なされているような団体の運営を支援しているかの
ようなイメージを与えるようなことは、すぐさまやめられたほうがいいのではないかな、というように
思います。もっともこれはあくまでも私個人の気持ちですけど。

http://www.tsuchiya.com/

Name : 『どんクジラ』 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月17日<水>08時19分)


教会では上下関係内での対話は許されない

ども「時として、『まず自分の考え』があ」るやっくんです(^-^;)
(それは当たっていると思います。)

> また、るうさんが言われるように、自由な対話(議論ですか?)の場が教会の
> 中にないというのも私自身の経験からは、よくわかりません。少なくとも
> 私自身は、自由な討論や対話を穏やかな雰囲気の中でやらせていただいてきたと
> 感じています。

自分の考えでは(^-^;)(なんかポメさん風)
基本的には、モルモンはいい人ばかりですから、自由な討論や対話を穏やかな雰囲気の中で行えるようになっていると思います。

しかし、事が極端な状況に発展した場合は、自由な討論や対話を穏やかな雰囲気の中で行うなどという事はすっ飛ぶ場所だと思います。

自分の考えでは(^-^;)、たとえばPBOの指示とか、ステークや伝道部の決定などの状況について、穏やかに討論したり対話するなどという事はありえなかったように思います。

そこには従って天国に行くか従わずにそれ以外の所に行くのか?という究極の選択を求められたように感じます。

でもって自分の考えでは、この国旗国歌問題は、そういうステーク、地方部、伝道部の決定を末端ユニットに持ってきた結果だと思います。つまり、その結果自由な討論や対話など封殺されたのだと感じます。
同じ事は、たとえば狂乱バプテスマの時にもいえると思います。当時の指導者が決定した事に末端は対話することは許されないわけです。

これが会社などの業務命令のようなものなら、そんなことは当然だろうと思えるかもしれませんが、会社の場合、嫌なら辞めて別の会社に移動できますが、モルモンの場合、嫌なら地獄?行きみたいな状況に追い込みますので、精神的負担は現実にあり得ると思います。

自分の考えでは(^-^;)どんクジラさんは、そういう現実を無視されているのではないかということです。どんクジラさんはPBOの決定に対して、対話された事がありますか?あるいは指導者の決定で、納得が行かないものを対話した事がありますか?
もしも、そのような上層指導者の指導に納得しなかった事がなければ、おそらく対話したいと思いもしないので、結果対話が『実は出来ない』という現実に直面されなかったかもしれません。

自分の考えでは、それはそれで、そういう経験が無ければ、そのような真実に直面しないわけですから、そんな事はないと思い込むのはやむを得ないだろうと思います。

その意味で「よくわからない」とおっしゃる事は理解出来ますが、その言葉の意味は、それ以上でも、それ以下でもないと思います。
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Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月17日<水>11時04分)


どんクジラさんへ

 私も過去がそうであったので、どんクジラさんの意見は、大方のモルモン教徒の意見を代表しているのではないかと思います。

 カトリック司祭で上智大学教授の百瀬氏は、その著書「カトリック要理解説」で、モルモン教を評してこのように言っています。
「なぜ、あのような宗教に現代の若者が走るのかを考えるときに、われわれカトリックが現代人のニーズに十分こたえられなかったことを、反省すべきであろう」
 こういう、教会の体制を批判することはカトリック、プロテスタントでは罪ではありません。

 しかし唯一真実を掲げているモルモンでは、教会のトップである大管長を批判することは、神を批判することになります。彼と、彼が組織するモルモン教会の体質を批判することは、一般教徒にはできないのです。

Name : 薮内 Time : (99年3月17日<水>12時41分)


個人の責任(1)

やっくんへ。
天国に行くとかどうとかも、そうしたことは他人が決めるようなことではないし、自分と神様との問題だろうし、それにしたってその人が信じているかどうかによるわけなので、言いたい人には言わせておけば、って感じなんですけど。

私がどういう現実を無視していると感じるのかよくわかりませんが、少なくとも自分の見に起こった現実には目をそらさずに正面から向き合ってきたつもりで、これまでの人生を歩んできました。

教会員としての生活でもいろいろとありました。私を真面目で信仰深い会員だと思いたい人は思っていても一向にかまいませんが、そういう人がいたとして、聞けば眉をひそめるようなこともいろいろとありました。私は、真面目だと見られる半面、けっこうイタズラ好きな面も持ち合わせているようで、思い出せないものもたくさんあると思うけど、今いくつかを思い出して書いてみましょう。

バプテスマから2年後くらいの夏だったか、アルバイト先で誰かの誕生日のお祝いに、ビールが出され、その日は夕方からMIAの集会がある日でしたけど、私は飲んでもあまり顔に出ないほうなので、ビールをコップに何杯か飲んで、そのままなに食わぬ顔で教会の集会に出かけました。私からは何も言わなかったし、バレなかった。これは、私の個人的なことですね。
【長いと怒られた(^^; ので続きます】
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Name : 『どんクジラ』 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月17日<水>13時04分)


個人の責任(2)

私が宣教師の時代に、2年間もほぼ終わりがけごろのある支部でのこと。私は当時、その支部で宣教師のリーダーと支部長とを兼務しておりました。一人の外人宣教師が、質屋でマージャンのセットを買ってきまして、私にゲームのやりかたを教えて欲しいというのです。初め私は断りました。すると彼らが、大管長の家族もやってるんだからいいじゃないかと言うので、宣教師の立場とかルールをタテにとって、押さえ込んでも良かったけど、わかった、じゃあその大管長がマージャンやってるというのが書いてある本のコピーを見せてくれたら、教えてあげよう、と言って、他にいくつかの条件を提示して、手を打ちました。彼らはすぐにアメリカの友人に手紙を書き、ゲームをしている写真と記事を送るように頼み、それが送られてきました。それから約1ヶ月の間、伝道から戻ってから寝るまでの時間に1時間を割いて、彼らとマージャンをしました。このことは当時の伝道部長には一切報告していませんし、これまでに他人にはほとんど話したことはありません。これは、当時の私の立場からして、単に個人的なことではなく、公にするならば、それなりの反応があったかもしれない出来事だと思います。

次は、私が30台の中ごろだったと思います。教会で音楽関係の指導的な責任をいただいていて、毎月の会報のようなものを発行しておりましたが、紋切り型のお行儀のいい文章ばかりの会報では面白くないし、と自分なりにいろいろと工夫したいと考えておりました。ある月の原稿を書くにあたって、ある日曜日、家族やワードの人たちには他支部への訪問だと告げて、市内の図書館に行き、そこでいろいろと資料を見ながら原稿を書き上げたことがありました。この原稿が元で、その後の展開があるとは予想もしていなかったのでしたが。その翌年だったか、ステイクの一人の指導者が私のその文章を、私に断りもなくステイクの何かの発行物に、一部をそのまま引用しました。その時にも、私は音楽関係の責任をいただいていたのでしたが、ある会議の場で、別のステイクの指導者が私の音楽についての指導に関して教会の方針とは合わないというようなことを責められ、こともあろうに、そのあるべき姿として私が書いたその文章を示されたのでした。彼は、もう一人の指導者がどこか教会の公式の出版物から引用した文章だと思っていたかのようでした。その引用した本人もその場にいました。その文章が、少なくとも私が当時知り得る教会の出版物のどれからも取ったものではなく、わずか15文字程度の聖句の引用を除いては、私があの日図書館で調べた資料を元に、自分自身の言葉で書いたものであり、それがこともあろうに安息日にウソをついて教会の集会をサボって書いたものであったことは、私自身が一番よく知っておりました。その場では、私のどこに問題があるかをもう一度きちんとお聞きし、自分の考えを述べさせていただいて、その場は終わりました。その会議のあと、私の文章を引用したそのかたが私のところに来て、あの場で引用の元原稿が私のものであったことを自分から言わずにゴメン、と謝ってきました。私は、それで十分でしたし、指導者一人一人も自ら望んでその立場にいるわけでもなく、個人的には欠陥だらけの人たちであることは自分を振り返ってみてもよくわかっていることですから、それ以上にどうこう言うつもりもするつもりもありませんでしたし、今でもそうです。
【これまた長い(^^;】
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Name : 『どんクジラ』 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月17日<水>13時09分)


個人の責任(3)

何が言いたいのかわかりにくくなってしまいましたが、私は私自身に向かってくる現実に対して避けようとしたことはなかったと思うし、自分の責任においてそれらに当たってきたと思っています。私がどのような役職をもらっていようと、私の言動に対しては私に責任があるのだという気持ちで過ごしてきたつもりです。教会でも会社でも、自分で自分の責任を取ることができずに、組織や規約や教義の責任にしてしまうような態度は、私個人から見ると、そんな人間にはなりたくないな、と思います。けど、そんな人がいたとしても同情します。

やっくんが教会に対して漠然と矛先を向けている内容の中には、本来個人が責任を取ることで十分な部分と、教会がその教えや組織運営において、構造的に持っている問題点とがごっちゃになっている時があるのではないかと心配しております。少なくとも私に対して、教会の教義や組織運営上の構造的な問題点に対して答えを求められても、あぁそう、そんなこともあったんだ、で終わってしまいます。

もう一度書きますと、国歌、国旗について私の記憶では、国旗を教会内に掲揚する件について、話し合いがなされた記憶があり、私は反対の意見を述べたように思います。そして、私が知っている範囲の教会では国旗が掲揚されたり、君が代が歌われたような事実は知りません。

【終わり】
私の書き込みは長くなりすぎたようで、他のかたに多大のご迷惑をおかけするようなので、以後書き込みを自粛します。

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Name : 『どんクジラ』 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月17日<水>13時10分)


亜流の考えを持ってこられても(^-^;)

どんクジラさんへ

ここで第二次メール戦争の発端がひらかれるとは思いもよりませんでした(^-^;)

> 天国に行くとかどうとかも、そうしたことは他人が決めるようなこ
> とではないし、自分と神様との問題だろう
> し、それにしたってその人が信じているかどうかによるわけなので、
> 言いたい人には言わせておけば、って感じ
> なんですけど。

私が学んだ限りの教会の様々なテキストといわれないテキスト(^-^;)やら資料によれば、
「従順は天の第一の律法」なんだそうです。

もちろん、これも、最初にそれをいった指導者個人の見解だといえなくもありませんが、
少なくとも、様々なテキストやら資料上にてそうしるされているのであれば、
見る方は、「従順は天の第一の律法」だと考える事でしょう。

でもって、教会はまた「いかなるけがれたものも天国には入れない」と教えています。モルモン書にそう書いてあります。「素顔のモルモン書」にはモルモンは聖典を持たないっていって指摘していますが、とりあえず(^-^;)、一般の会員にしてみればモルモン書は聖典だと教わっているわけなんですから、預言者はそれにはずれることは言わないと思うわけで、結論からすれば、けがれたものは天国に入れないわけですね。

さて、この二つの話しを考えれば、当然のこととして、出る結論は、従順でなければ天国には入れないということです。そして、それはあたしの個人的解釈というよりも、あたしが感じた教会全体のムードです。もちろん、どんクジラさんがおっしゃるような雰囲気もあります。
しかし、それはどちらかというとリベラル思考な考えで、教会では亜流でしょう。
つまり、亜流の考え方を持ってきて、本流批判を否定されても、それは本流という現実を無視しているように感じます。
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Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月17日<水>14時57分)


嘘をついても良心がいたまない人の感性で語られても(^-^;)

でもって、
一つお尋ねしますが、何故モルモンは死者のためにバプテスマを施しているのですか?
これこそ、モルモンの本質を表しているように思いますが。
すなわち、モルモン教会ではモルモン教徒でなければ、天国には入れないと信じ教えているということです。他人がどうのこうのではなくて、現実に、教会が天国にいける人間といけない人間の条件を見事に定めているわけです。
そして、モルモン教徒であって、なおかつ忠実なものでしか天国にはいけないと教えているわけです。その条件がエンダウメントであり、「終わりまで堪え忍べ」という言葉でしょ。

なるほど、ずうずうしい人だったら、「あなたは教会に忠実ですか?」という質問に、指導者に従ってなかったり、隠れて酒を飲んでいても「ハイ」と答えられるでしょう。そして「あなたは自分は神殿に入るに相応しい人間だと思いますか?」という質問にも、戒めの全てをやぶってその前日に援助交際の女性と寝ていようと答えて、神殿に入れる事でしょう(事実そういう人を何人か知っています。)その意味では、あなたもそのような人なわけなんですから、教会で何いわれようが、そのせいで落ち込んでも、それは教会のせいではなくその人本人のせいだと言い切れる事でしょう。

しかし、そんなのは、本来的には、そもそもそういうところで「嘘」を付く人格の方が問題なはずなわけではないでしょうか(あえていうなら、平気で酒をのんで良心が痛まないという教会時代を送っているあなたの方がおかしい!酒を飲みたかったら教会を止めればいいのに。)
そういう平気で嘘をつくひとに、教会を攻めるのは筋違い、嘘をつけないお前がおかしいのだといわれても、誰が納得するというのでしょうか?
それで納得出来るのは、あなたと同じ嘘つきだけです。そう。たとえばジョセフあたりはそういう性格だったので、騙した俺が悪いのでは無くて、騙されている彼等(信者)が悪いんだ!と主張することでしょう。
まぁ、ある意味でそれは当たっているとは思いますが(^-^;)
しかし、だからといって、騙した方は全く悪く無いなんていう結論にもって来られたら誰だってたまりません。

君が代や日の丸の件は、実際にそういう経験をした人があり、それがたまたま日の丸君が代であっただけで、そうでない事柄でも同じような現象は十分おこりえるとあたしは感じます。
その例として狂乱バプテスマだとかアンモンプロジェクトなんてものがあったのではないでしょうか?話し合う場がないというのは現実に教会にある事柄です。
ユニットのコーリーレーション単位やステークの役員会合レベルの話しではないのです。
仮にステークの役員会合レベルの中に話しあう機会があっても、その役員になっていない人との対話などないのです。従え!これがあるのみです。これがモルモンの現実だと、あたしは証しちゃいますよ!
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Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月17日<水>14時58分)


誤解を招く事を改善しない体質!

指導者が不完全だなんて事は耳タコです。

問題なのはそれを認識していながら「しかし教会は間違っていない。」というふざけた論ぽうです。
指導者は不完全だが、それに従えとも聞いた事があります。読んだ事もあります。
なるほど、あたしも不完全なユニットでの指導者な時もありました。(って日曜学校の会長でしがけど(^-^;))その意味では不完全でありながら指導者にたつひとの気持ちはわかります。
わかりますが、問題なのは、それでいながらその不完全な指導を神の指導として、従わせるということです。

まぁユニットの日曜学校の会長ぐらいなら、指導者っていってもタメ口関係ですから、「ここおかしい」とかいえますが、相手がステークの会長とか地域会長とかになったら、もうあきまへん。
はっきりいってモルモンのシステムからすれば、日曜学校の会長クラスの人間がいきなり地域会長になり得るわけです。従って地域会長だろうがステーク会長だろうが、間違える人間なわけです。
ところが、その指導は神からのもので、それには従わねばならない。という論理。
これが、モルモン教会の矛盾でありおかしさです。
が、しかし、信仰者ですから、間違った指導に従うのは、謙遜さを教えようという神の御心なのだ(^-^;)という解釈さえ可能でしょう。
しかし、しかし、その理屈では、もしも指導者が大きな間違いを犯し、会員がそれに従って大きな過ちを犯したら、誰がフォローするのか?
誰もフォローしません。それは神様がやった事なのだから、文句は神様にいえ。
これがモルモン教会の実体なわけです。だから、教会は大きな間違いを犯しても「謝る事」さえしないし「反省」もしないのです。(指導者個人が個人的に謝ることはあってもね)

具体的な例をあげるならば、たとえば80年代の狂乱バプテスマに対しても、教会は謝罪も反省もしていませんし、指導した当人は今でもあれは正しかったと主張しています。
その代わり、裏では、左遷とか人事転換なんて事はしているのです。

この事は、誤解を招きます。どのような誤解かといえば、間違った事をしていても、それが正しいのだと思ってしまうことです。
たとえばあたしの場合などは、自分の改宗談は間違ったやり方だったのに、それはずっと神様の御心による正しい伝道だとほんの数年前まで「誤解」していたのです(^-^;)。
イリで桑原さんや武井さんや沼野さんに「あの伝道は間違っていたのだよ。」と諭されるまでは、「危険な質問」を書いたその当時まで、その伝道方法は世間的には批判されようとも、神の正しい伝道方法だし、教会も推奨していたと「誤解」していたのです。
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Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月17日<水>15時41分)


責任の所在を最初から明らかにしていないじゃないか!(^-^;)

誤解した方が悪いとどんクジラさんならおっしゃるかもしれませんが、ものには限界ってものがあります。紛らわしい事をしている方にも責任はあるし、始末が悪いのは、その紛らわしい事から誤解が生じても、それが教会にとって都合がよいことであるならば、黙認、あるいは容認するわけですね。
いいですか、人を「成長」させて「救い」に至らせる事をうたい文句に上げている宗教がそのような事でいいのですか?「ヤクザ」とかそこら非良心的な「企業」ぢゃないんですよ。
個人の幸福より組織の安定が優先されるような組織のどこに人を救いに至らせる力があるっていうものでしょうか?誤解や偏見を取り除くのが救いの道だと歌い上げながら、自らは誤解と偏見の種をばらまいているのですよ。これは宗教としては詐欺です。企業ならいくらでもこういうのはありますがね(^-^;)。しかし宗教ではこういうのをカルトっていう事でしょう。特に天国を約束している宗教にいたっては。

指導者が人間であり不完全であること。これに同情することと、教会という組織を批判せずにはおられないことは、同一視するような事ではなく、むしろ、不完全な指導を完全なものだとしてしまう教会の理屈によって指導者に来る精神的負担、障害をあたしは懸念します。

なるほど個人の資質っていうものはあるでしょう。
ですが、はっきりいって、「全ての人を救う」などと教会はいった段階で、個人の資質なんて事をあげる事はできません。あらゆる個人の資質に対応できない方が「悪い!」のでしょう。
それが出来ないのに「全ての人を救う」と主張するから批判されているわけです。
個人の責任を語る前に、そもそも教会がどこからどこまでを教会の責任か個人の責任か明確にしていないという事実を認めてもらいたいものです。その上で、明確にしているのであれば、個人の責任だといえると思いますが、明確にしていないのに個人の責任だと言われても、それこそ、組織の無責任を感じざるを得ません。いかがでしょうか?
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Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月17日<水>15時42分)


戦争なんてしたくないなぁ。

私はこの28年間、酒を飲んだのは記憶に間違いがなければ、多分4度だけあります。そのうちの一回が、先に書いたアルバイト先です。もしかしたらもう何回かあったかも。この件に関して、私はなんと言われても私の責任ですから、かまいません。そのことで私が信用できないなら、対話は無理ですね。(^^)

私は自分の宣教師、監督、評議員などの立場を通じて私が接してきた人たちや私の責任の元で行なわれたことがらに対して、責任はあると思いますので、もし具体的にその当時の私の責任が問われることがあるならば、誠心誠意でそれに対したいと思います。私が現実を見ていないというやっくんの言葉が私のどこを指していっているのか、いまだにわかりません。申しわけないです。

やっくんが私個人に向けた言葉に対しては反応しますが、漠然と教会に向けられたと受け止められる言葉に対しては、今のところノーコメントです。

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Name : 『どんクジラ』 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月17日<水>16時17分)


どんクジラさん、筋の通った意見を!

 どんクジラさん、私の意見にはまったく、反論しておられないしゃないですか。私が言ったのは、そんな酒とか教会をさぼったとか、そんな細かい違反ではなくして、もっと根源的な、「教会体制」を批判できるような、民主的な雰囲気がモルモンにはあるのかということです。神を拝する教会でも、人が組織に関われば当然、欠陥も出てくる。それをみなで話しあって、より神の視点に立った教会に作り変えようという改革はあなたたちにはできないでしょう。
 当たり前なんです。大管長は預言者なんですから、モルモンには必要ないんです。

Name : 薮内 Time : (99年3月17日<水>16時17分)


人の不安に付け込むということを不安がない人はわからないのでは?

> 私はこの28年間、酒を飲んだのは記憶に間違いがなければ、
> 多分4度だけあります。そのうちの一回が、先に書
> いたアルバイト先です。もしかしたらもう何回かあったかも。
> この件に関して、私はなんと言われても私の責任で
> すから、かまいません。そのことで私が信用できないなら、
> 対話は無理ですね。(^^)

信用出来ないというよりは、どんクジラ氏はこちらを理解していない。あるいは、理解出来ないだろうと指摘しているのですね。

どんクジラ氏は酒を飲んでも、教会的に述べるならば、「悔い改め」なんてしなかったのだから、たとえばある人が、なんらかの事情で酒を飲んでしまって、その結果、自己を凄く責めて、責めて、責めて、涙の内に悔い改めたのだが、実はそんな事は無意味だったと知った時の、失望感、挫折感、あるいは、喪失感などの感情など、わからないでしょう。

たとえば、教会に忠実であるために恋人と別れることを選んだ人が、実はそんな必要はなかったという、やはり失望感、挫折感、あるいは喪失感など、理解できないでしょう。
なぜならば、どんクジラ氏だったらおそらく恋人をとって教会を離れられるし、それで「自分は正しいのだろうかどうだろうか?」と不安の中の疑問や自己嫌悪の気持ちを持たないだろうからです。

確かに、自分は、何をやろうとも(たとえ人を殺そうとも)絶対に正しいと思う人にしてみれば、教会に入ったのも抜けるのも個人の責任だと主張することでしょう。
おそらくどんクジラ氏はそのタイプに属すると思います。

しかし、実際の多くの人間は不安の中に、とりあえずの決定をするわけです。その結果、失敗したと思えば後悔するし、うまくいったと思えば一息つくでしょう。
どうも間違っているが、はっきり間違っているという自信がない人は、「これは間違っていません。絶対に正しい!」と主張されて、反論する知識がなければ、うやむやのうちに従ってしまうわけです。その場合、その従った事が、実はやっぱり間違っていたとした場合、しかもそれがもともと悪意のうちに計画されていたのだと知った時、どんな気持ちになるでしょうか。もちろん自分を責めるでしょう。なんて馬鹿だったのだ。と。それは当然です。しかし、同時に、そのような悪意の企画自体に対しても、強い反発をもつわけです。

しかしどんクジラ氏にはそのような感情は気持ちを理解することはないでしょう。
あたしがどんクジラ氏が現実を見ていないというのは、そのような感情を持った人間を理解しようとしていないという事です。
キリストは弱者のために来たのであって、強者のために来たのではないのに、モルモン教会は確かに強者でない弱者は「救われないのだ!」と主張して、人を惑わせ、不安に陥れ、さらなる罪の重荷を背負わせているのです。そしてそれを愛だと主張する。
そのようにキリストの教えをねじ曲げているという現実を、どんクジラ氏は見ていないとあたしは思うのです。なぜならば、どんクジラ氏は強者であって弱者ではないからですね。
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Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月17日<水>17時54分)


ごめんなさい間違いでした訂正します(^-^;)

第二次メール戦争ではなくて、
第二次メールバトルでした。
でもメールぢゃなくて、掲示板ですけどね。ここは(^-^;)


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Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月17日<水>18時17分)


なんでチョコや醤油までダメっていう人が出るのか?

どんクジラさん>>

時々いますよね。こういう人。
知恵の言葉で禁じているのは酒、タバコ、コーヒー、茶なのに、カフェインが入っているからチョコだめコーラだめ、醤油だめ。知恵をつかってダメダメダメ!

何故かダメな方に気が向くわけです(^-^;)

これは人の不安な気持ちをよく当てはめています。
同時にいかにモルモンが愛ではなくて、表面的な行いを重視しているかわかる事例です。

しかし、おそらくどんクジラ氏には、こういう過剰に知恵の言葉を守ろうとする人の気持ちはわからないでしょう。
あたしの周囲にも、過剰に知恵の言葉を守ろうとしたり、法律重視とかいって、速度制限を絶対しない人がいました。
なんでこうなってしまうのか?もちろん各個人の資質でしょうが、本来なら、そんなパリサイ人みたいにならないように指導すべき教会が逆にもともとそういう素地があった人を見事に開花させてしまうわけです。これはどっちの責任だといえますか?教会?それとも各個人?あたしは7割以上は教会の責任だと思います。

大概この手の人っていうのは若い人に多いのですが、もしも教会がなかったら、社会に揉まれているうちにそのような素地はなくなっていたでしょう。つまり、そのようになってから、自分が確立されてから教会に入ればよいものを、教会の「バプテスマ受けましょう」攻撃の前に確立されないまま入るわけです。
だから、教会の責任だろうと思うわけです。

どんクジラ氏推奨の浅井サトシさんのサイトを見れば、カトリックでは当人が「入れて下さい」と言い出すまでは「入りなさい。」なんて事はいわないそうですし、そちらの方が正しい宗教だと思います。なぜならば、「自己の確立が出来た、自己の責任で教会に入る」からです。
自分で納得するまで勉強してから入るわけなのですから。
それに対してモルモンは、ひどいはなし本部がソルトレークにあることさえ知らなくても「入りなさい」攻撃をしていれるわけです。

そのような伝道方法でさせ、全責任は入る方にあるといえるのですか?まぁ、強い人ならそうだというかもしれませんが、大概の人は弱いわけです。だから、先にあげた過剰な人も、教会のせいでそうなってしまったのだとあたしは理解しますね。
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Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月17日<水>18時30分)


論点がわからない対話は疲れます

ですから、私が経験してきた環境では民主的な対話が行なわれていたし、それが違うと言われても戸惑うだけなんです。なんでこれが伝わらないのかなぁ。(^^)

> たとえば、教会に忠実であるために恋人と別れることを選んだ人が、
> 実はそんな必要はなかったという、やはり失望感、
> 挫折感、あるいは喪失感など、理解できないでしょう。

理解できないかどうかは、実際にそういう人が私のところに相談に来られて、私と相対した時にその人が理解されていると感じるかどうかであって、それ以上のことは私には何とも答えようがありません。

また、私が教会の教えを守ることで父親との仲が悪くなったということが過去にあって、私が伝道から戻ってからほどなくして父が亡くなるというkとがあったとしても、それを今ここで書いたとしても虚しいし、そうしたことを話ができる相手でも雰囲気にも感じません。私個人のことをこれまでのわずかな情報から勝手に推測されるのはかまいませんが、私もこれまでの人生の仲で、多くの悲しみや苦しみや後悔をしてきています。やっぱり生身の人間ですから。
だからそれがどうだって言うんでしょうね。(^^)

私は、もしやっくんや藪内さんが私と対話をしたいと言う気持ちをお持ちならば、それに応じてもかまわないと思いますが、まずは土俵作りと言うか、そういうところからの必要を感じています。

それから、やっくんはある程度ご存じですが、藪内さんはご存じないでしょうけど、私はここ7年ぐらい教会には通っておらず、責任も持っておりません。その理由について詮索されたとしても、今のここの雰囲気の中で、正直にその心の内を吐露することは非常に愚かなことに思えますので、要請があってもお断りします。

なんで、こんな方向にしか向かわないのかなぁ。)@^^@(
http://www.tsuchiya.com/

Name : 『どんクジラ』 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月17日<水>18時31分)


モルモンの傾向

どんクジラ氏へ
はじめまして。るうです。このボードにははじめてお越しですね?
前には他のハンドルで来られていたなら失礼しますが・・・
大変言いにくいのですが、このボードにはじめてお越しなら最初に
はじめましてのメッセージを入れられるべきでしたね。いきなり、議論に加わられてもわたしは面食らうのみです。ここはあなたが主催されているMLでもサイト内の掲示板でもないのですから。
面白い事にこのボードに来られるクリスチャンの方々は全てきちんとご挨拶から書きこみをはじめられます。モルモン教の連中でとくに「とんでも」な方々はほとんど「いきなりモード」です。(極楽とんぼ@カルカッタ 参照)
こうした基本的なマナーがそうした連中と同じレベルであるというのは大変残念です。

http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう(ぜみなーるモルモン世話人)リンク募集中 Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年3月17日<水>21時45分)


だからどうした!って事を指しているんですけどね

> 私が経験してきた環境では民主的な対話が行なわれていたし、
> それが違うと言われても戸惑うだけなんです。

どこでそんな事いっていますか?
あたしは民主的な対話がなかったなんていっていないです。
普通のユニットのコーリーレーションとか、ステーキの役員会、あるいは日曜学校とか神権会とかの場でも特例を抜かしては対話できるでしょうが、そうでない場合も確かにあると述べているのです。

> 私個人のことをこれまでのわずかな情報から勝手に推測されるのはかまいませんが、> 私もこれまでの人生の仲で、多くの悲しみや苦しみや後悔をしてきています。
> やっぱり生身の人間ですから。
> だからそれがどうだって言うんでしょうね。(^^)

ああ、推し量るってきましたね(^-^;)
以前は何をいっているのかなぁって思ったのですが、そういうことですか(^-^;)
あのですね、そこで「だからどうだって言うのか」って事をさしているのです。
そりゃ、30年も教会生活をしていれば、あたしがあげたような事例にはたびたび遭遇もしているでしょう。それぐらいは想像できます。
が、しかし、そこからの経験を「だからどうだって言うのか」程度にしか感じない感覚を、「理解できないでしょう。」と指摘しているのであって、そういう経験は知らないだろうといっているわけではないのです。
当初は対立はしなかったのかなぁって思ったのですが(だから「もしも」って書きましたが)酒飲んだことあるような事いったので、ああ、そういう経験を自分や周囲にしても、その向う側の感情までは理解しないって事かと指摘したわけです。

> なんで、こんな方向にしか向かわないのかなぁ。)@^^@(

だからですね、あたしは別に教会に民主的な雰囲気がまったくないなんていっていませんが、教会には民主的でない、対話のない雰囲気や場が確かにあると証ししているわけです。(おそらく日の丸君が代の時もそういう時だったのだろうと理解したわけですね)
でもって教会では天国か地獄かの究極の選択を迫る雰囲気があると指摘したのに対して、どんクジラ氏はそんな事は自分と神様の問題だといいだしたわけです。
それに対してあたしは、「そんな事は自分と神様の問題だ」なんていう考え方は、教会では亜流であって、実際に教会にはその雰囲気があるということをいくつかの事例からくり返しのべているわけです。しかし、どんクジラ氏の言い回しから、そういう雰囲気を理解出来ないのではないのか?と指摘したわけですね。
でもって、強者なら、それはあり得ると、延べながらも、多くの人は弱者だからそういう雰囲気に流されて、望まない事を選択するはめになるといっているわけです。
それにたいするどんクジラ氏の解答は、自分は充分そういう弱者をしっているが、「だからどうした」という事なわけです(^-^;)

つまり、弱者の気持ちが理解できなければ、こんな方向にしか向かないでしょう。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月17日<水>21時48分)


宗教の尊重はまずモルモン側から!

多くのクリスチャンがモルモンはキリスト教ではないと述べています。
あたしは昔モルモンだったので、それに反発しましたが、
確かにいろいろ話しを聞いていくと、
「モルモンはキリスト教ではないな。」
という方向に意見が代わりました。

一方、どんクジラさんの場合、モルモンはキリスト教ではないというクリスチャンたちの見解は狭量だということでしょう。(すいません推し量っていますが、過去の経緯や発言を知っていますから(^-^;))

私の場合、おそらくどんクジラ氏よりキリスト教は知りませんが、「モルモンはキリスト教ではない。」というクリスチャンさんたちの立場や気持ちを尊重すれば「モルモンはキリスト教ではない。」という見解にならざるをえないと思いました。
そんなわけで、モルモンはキリスト教ではないという見解は狭量だという(おそらくモルモン教会の中には広くあるだろう)見解の方に、宗教の信仰心を認めない狭量的精神を感じます(^-^;)。

なぜならば、それはオウムが突然「私達は実はモルモンなんです。モルモンの教えに従っているのです。」と主張し始めたとしたら、モルモンの人はおそらく面喰らって「オウムはモルモンではない。」と主張するだろうな。と感じるからです。
どんクジラさんはこのような場合、「オウムはモルモンではないという主張は狭量だ」と思いますでしょうか?

もしも各宗教を尊重する立場であれば、モルモンはキリスト教でないと、モルモン自身が認めるべきでしょう。いくらキリストの名を出そうがなんだろうが、キリスト教側が違うと述べるなら、違うのです(^-^;)
それを無理矢理自分達はキリスト教だという主張を続ける事に違和感を感じますし、その上で、さらに「他のキリスト教は全部背教した」というずうずうしい教義に呆れさえ感じます。つまり自分達は他の宗教は尊重していないのに、自分達の宗教は尊重しろという主張にですね。

どんクジラ氏はそのように感じる事の方に文句をいいますか?それともキリスト教だという主張をひっこめないモルモン教会側に文句をいいますか。おそらく前者だろうとは思いますが(^-^;)(また推量(^-^;))
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月17日<水>22時19分)


どんクジラさん、答えてください

どんクジラさん、あなたがお休み会員であれば、モルモンを擁護するにしても、模範的モルモン教徒でなく、亜流の立場の意見であることはお認めになりますね。ですからやっくんのいう意見もお認めになりますね。

 あなたが言っている「民主的話しあい」というのは、私たちキリスト教徒とは全く次元が違います。
 ほんとうに「民主的」であると思うなら、以下の証明をただちにして下さい。

1、現役モルモン教徒の著書で、大管長の決定や方針を批評した著作物(HPも可)をあげる。無論、彼の決定をおおいに批判しているものでなければならない。
2、モルモンが私が教会を離れている間に、教会が唯一真実であり、他の教会はサタンの支配下であるという閉鎖・独善的な考えを放棄しているなら、それを証明する。

 無論、カトリックではこれは当たり前にやっていことなんですけれど、どんクジラさんが、どうしても他の教会並に自分たちは民主的とおっしゃるわけですから、それを証明していただきたいのです。これ以上の抽象論は結構だし、話の土壌つくりは、あなたが、まずこのボードに意見をし始めた、そもそもの目的をはっきりさせることが先決ではないでしょうか。

Name : 薮内 Time : (99年3月17日<水>22時59分)


なんだかずいぶん賑やかですね。)@^^@(

あまりに一度に多くの文章が出てきて、聖徳太子の能力を持たない私としては、
しばし、整理の時間が必要だと感じます。まぁ、この姿勢を逃げだと捉えていただいても一向にかまいませんけど。

それで、幸いに明後日から3連休ですし、ま、今のことろ一日は朝早くから20キロの山歩きを予定していますけど、
それ以外には予定を作っていないので、時間を取って、じっくりとみなさんの書き込みを読ませていただき、
私なりのまとめを書いてみましょう。私に向けられた全ての質問に対して答えないとお叱りを受けそうですしね。(^^;
でも、そんなことって私の能力の限界を越えてると思うし、ま、そのまとめを読んでからにしてくださいね。ご批判は・・・・。

それにしても、ものすごい掲示板ですね。ここは。(^^)
http://www.tsuchiya.com/

Name : 『どんクジラ』 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月18日<木>08時18分)


失礼のお詫び

> どんクジラ氏へ
> はじめまして。るうです。このボードにははじめてお越しですね?
> 前には他のハンドルで来られていたなら失礼しますが・・・
> 大変言いにくいのですが、このボードにはじめてお越しなら最初に
> はじめましてのメッセージを入れられるべきでしたね。いきなり、議論に加わられてもわたしは面食らうのみです。ここはあ
> なたが主催されているMLでもサイト内の掲示板でもないのですから。
> 面白い事にこのボードに来られるクリスチャンの方々は全てきちんとご挨拶から書きこみをはじめられます。モルモン教の
> 連中でとくに「とんでも」な方々はほとんど「いきなりモード」です。(極楽とんぼ@カルカッタ 参照)
> こうした基本的なマナーがそうした連中と同じレベルであるというのは大変残念です。

るうさんのこのご指摘はごもっともで、大変に失礼しました。お詫びします。

あらためて、みなさん、はじめまして。
まだこの掲示板の雰囲気がよくつかめていませんけどよろしくお願いします。

ここに書き込むようになった経緯を簡単に紹介させていただき、ご挨拶とさせて
いただきます。なお私自身について興味がおありのかたはホームページをご覧ください。

ここの常連と自分で言われているやっくんとはネット上で以前から交流があり、最近、やっくんの
ホームページの中に「何故か、あたしが常連の反LDSの掲示板で君が代問題が出ている(^-^;)。」という
書き込みがあるのを読み、そこの反LDSの掲示板という言葉に直接ここの掲示板に対してのリンクが
張られており、反射的にそこをクリックしたところ、その時のページには、やっくんの書き込みがいくつも
並んでいて、なんだかついやっくんの個人の掲示板かな錯覚してしまったのは事実です。
そこでもう少しこの場の雰囲気を確かめてからにすればよかったのですが、やっくん個人宛てに
別角度の情報を提示する程度ならいいかな、と思って最初の書き込みをしました。

その後、薮内さんとるうさんのほうから私の言葉の引用やコメントがありましたので、
お二人に対しては、はじめまして、とご挨拶をした後に、コメントさせていただいたという
ことがあります。

でも、ここに参加されるみなさんに対してはご挨拶が遅れてしまったことについては全く言い訳の
しようがなく、ここにお詫び申し上げます。

さらに、私個人の軽はずみな行為が、本来私個人の責任に帰すはずのこの問題を、モルモン一般の問題としてとらえられて
しまったことに対して、大変に責任を感じ、この件に関してモルモンの会員のみなさんに大変に申しわけないとお詫びいたします。

どうか、みなさんお赦しください。


http://www.tsuchiya.com/

Name : 『どんクジラ』 Mail : shige@tsuchiya.com Time : (99年3月18日<木>09時03分)


モルモンとカトリックの限界

Mr.KAVAさん、ご忠告おそれいります。

 ここに来るモルモン教徒の人はみな、「自分たちの教会はいい教会」というけれど、あなたがたは「モルモン以外の教会はサタンの支配下」云々の教義に背いてまで反論はできないのだから、究極としては、モルモンを信じていない人にまで説得力のある話はできないんだということを理解していただければと思います。どんクジラさんへの質問にしたって、聖徳太子を持ちだして一時退散なさるほどの質問を浴びせたつもりはございません。一貫して私は二つしか質問していません。
 無論、これから啓示板に来られるモルモンの誰に対しても私は同じ質問を繰り返していくつもりです。

 ただ、カトリックの自由な精神で自己批判すれば、モルモンの唯一、優れているのはその教義でも何でもなく、その信徒同士の強い絆にあると思います。阪神大震災ではまず被災教会員の安否が先に回ったのは失態だと思いますが、 それはあなたがたは誇ってもいいと思います。
 マザーテレサは、先進国にも貧困はある。それは孤独という精神の貧困だと言いました。上智大学の百瀬氏は著書の中で、カルトに多くの若者が走った現象を、「今のそうした現代人の求めるものにカトリックなどの既存の宗教が十分応えられなかった結果である」としています。そういう意味であなたがたがモルモンにいることは、私たちも反省するべき点なのです。

Name : 薮内 Time : (99年3月18日<木>13時23分)


どんクジラさんへ

どんクジラさんwrote
>私個人の軽はずみな行為が、本来私個人の責任に帰すはず
>のこの問題を、モルモン一般の問題としてとらえられて
>しまったことに対して、大変に責任を感じ、この件に関し
>てモルモンの会員のみなさんに大変に申しわけないとお詫
>びいたします。
 納得のいかない謝罪なので質問します。
 どんクジラさんは、教会内では十分、他教会と同様の言論の自由が保証されているとおっしゃっています。それならは教義について突っ込んだあなた自身の見解をおっしゃればいいのてはないですか。当然、あなたが「私は唯一真実は信じない」「他の教会にも神がおられる」などの言動を続けても、教会員として受け入れられるはずだからです。神殿参入などが差し止められるなどのことは無論ないでしょうし、監督としても取り立てられるでしょう。(今はお休み的活発会員のようですが)
 そこのところも言動に矛盾が見られるので、納得のいくまで追及させてもらいます。

 私は教会をやめるときは、こうした議論を幾度か、教会の人たちと繰り返していきました。しかし、モルモンの人たちはあるパターンでしかものがいえないということを、理解しました。心理学者が、カルトの特徴としてあげていた一つであります。
 今、あなたが、何を返事するつもりかということも、実は十分予測がついているのです。結局は当時の議論の繰り返しで終わるでしょう。
 私は正直、この議論は楽しめないので、無理をして返事をなさる必要はありません。その代わり、二度とここには現れないでください。この手の議論は飽きました。

Name : 薮内 Time : (99年3月18日<木>23時32分)


対話を切るような発言はちょっと…(^-^;)

>その代わり、二度とここには現れ
>ないでください。この手の議論は飽きました。

ここまでいわなくても…って気持ちがするのですが(^-^;)
カトリックも創価学会と対話する時代ですし、
各人が何を発言しようとも、とりあえず、
それは受け取る人にとってはよい資料になると思いますので
(つまり薮内さんのいうところのパターンの実証になるという意味でも)
あたしとしては、誰のどんな発言も(いいかげん霹靂するものでも)
歓迎したいです。



http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年3月18日<木>23時52分)


お詫びとお断り

 なるほど、それも一利ありです。失礼しました。
 私の見てきたモルモンの人の発言は、筋がどうしても通っていないので、遥かなる山々の声さんの指摘の通り「潔癖な」私は、きっちりと筋を通してもらいたいほうです。
 過去に、三重のモルモンの人と論戦して負けたことがなかったのですが、勝っても疲れるだけで・・。(^^;)
 というよりは、こっちの気持ちもけばけばしくなっているので、どんクジラさんがどうお出になるかは存じませんが、しばらく、私のここでの発言は控えさせていただきます。 

Name : 薮内 Time : (99年3月19日<金>02時25分)


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