「みたま」の再現性


昔は再現性があると思っていた(^-^;)

と、いうのは、いわゆる『みたま』の事です(^-^;)(^-^;)。
たとえば、モルモン書には、「この書物が真実なものであるかどうか知りたいのなら、神に問え。真面目に問えば神は答えて下さる。」とあります。
でもって、強制改宗の宣教師はあたしに読んで祈って見ろといった。でもって、どうですか、わかりましたか?といって来ました。
正直なところ、わからなかったのですが、曖昧に、はぁ、とかまぁとかいっていたら、なんだかどんどん話しを勧められていたように思います。

ところがそんなあたしも教会に改宗すると発想が変わります。モルモン書は真実なんだけど、自分がそこに『みたま』を明確に感じないのは、自分に罪があるからではないか?と思うようになるわけです。
なんせ、毎回教会につどって、立派な大人たちが、みな口々にモルモン書は真実だ。みたまを感じたというものだから、そんな風に思ってきたのですね。
でもって、何回も何回も読んでいるうちに、なんだかだんだん『みたま』を感じたような気持ちになってきました。(^-^;)

で、いつしか遅ればせながらモルモン書は真実だと証が持てたと思うようになって来たわけですね。
だから、モルモン書を読んで真面目に神に問えば、必ず誰でも神からの『みたま』のあらわれがあると思うようになっていました。
つまり、再現性のある現象だと思っていたのです。

ところが現実っていうものを見ると、みなさん正直ですから(結局あたしが不正直なだけだったのだ(^-^;))はっきり何も感じないものは、感じない!とおっしゃる。
あっれぇ〜?変だなぁって思うようになっているうちに、
いわゆる、信仰によらなければ受け入れられない思想っていうのに犯されてきました(^-^;)。
だから信仰によらなければ、わからないのだ。って事ですね。
んだけど、これって再現性がないって事なんですよね。
この事に気が付いた時、あたしの精神は、コペルニクス的発見を自分の中に見い出したわけです(^-^;)。
再現性がないことは、万人にとって真理じゃない。って事ですね。
つまり、仮にあたしが『みたま』を感じても、他の人が感じていなければ、それは普遍の原則になりえないって事なんです。
そして、教会を離れてから、気が付いたのですが、結局、あたしが感じたと思ったことは、いわゆる『洗脳』による可能性が高いって事ですね(^-^;)
と、いうことで、いわゆる、『みたま』の証で教会が神の教会だとか真実だとか主張される皆様に杭をうっておきますけど(^-^;)、
再現性がない『みたま』では証明にはならないわけです。証明されないことは、万人にとって絶対という事にはなりえないわけです。
ここで『神の御心説』を持ち出すことは容易ですが、そんなん言い出したら、神様は人を片寄り見る不平等な存在だとなってしまうわけですね。(^-^;)
神様が平等で片寄り見ない存在なら、誰もがモルモン書を読んだら『みたま』を感じなければならない。個人の資質とか行いとか条件があるとか、まだまだもっともらしい言い訳はあるでしょうが、それらについてはまた、後程…?かな(^-^;)??
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Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年2月19日<金>14時17分)


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