死者のためのバプテスマ


Re: 昇栄について

はじめまして。

私は福音を学びはじめて間もないので細かな内容についてはわかり
ませんが、学んだ範囲で書き込みます。

昇栄については、ママさん、ゆなさんの書かれている通りだったと思います。
一度教会員になってから辞めた場合は名前が消されますが、再びバプ
テスマを受けるならば、資格を得る事は可能です。
バプテスマを受けずに昇栄する事は不可能です。(ヨハネ3:5)
そのため、現世でバプテスマを受ける機会のなかった人には霊界で
その機会が与えられます。ただし霊は肉体をもたないためバプテスマ
を受ける事ができません。そのために現世の人が身代わりの儀式を
行う必要があります。死者のための身代わりのバプテスマについては
1コリント15:29に記述があるように、LDSが勝手に考え出した
儀式ではありません。

人が日の栄え、月の栄え、星の栄えのいずれに進むかは、預言者
や指導者が決めるのではなく、本人の意志と神(イエス・キリスト)
の御心によって決められます。

詳しい事は、年期の長い教会員の方がご存知だと思いますので、
私からも解説をお願いいたします。


Name : 若葉 Time : (99年2月8日<月>01時05分)


死者のためのバプテスマ

聖句の一部を抜き出して、勝手な解釈を加えたものであることは、
確かるうさんが詳しかったと思いますが。

末日聖徒の聖書解釈しかまなばいと、つい末日聖徒の主張がただしい
と思ってしまいますが、それが実は末日聖徒への洗脳なのです。
もっと広く普通のキリスト教解釈も学びましょう。
仮にまなばなくても、そんなん単純なものなら、他のキリスト教でも
やっていておかしくないのに、やっていないという事実は、他の解釈
もあるんだろうなぁっていう、推測、常識的な想像力ぐらい身につけ
ましょうよ。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年2月8日<月>08時46分)


死者のためのバプテスマに対する解釈

以下はML[u-si]631の森さんの発言です。
当人の許可と希望により転載します。
(あたしまちがえましたるうさんではなくて森さんの
解説で、MLの記事によるものでした(^-^;))

*************

死者のための諸儀式といえば、死者のためのバプテスマが有名ですが、モルモン教会
ではその根拠を第1コリント15:29「そうでないとすれば、死者のためにバプテ
スマを受ける人々は、なぜそれをするのだろうか。もし死者が全くよみがえらないと
すれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか」という聖句に求めていま
す。
この聖句について、他の教会ではどのように解釈しているか、疑問に思っている方も
多いと思いますが、ようやくそれがわかりましたので、ご紹介します。
まず、日本語訳聖書では伝わらないのですが、欽定訳(英語)を日本語に翻訳すると
こうなります−「そうでないとすれば、死者の代わりにバプテスマを受ける彼らは何
をしているのだろうか。もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ彼らは死者の
代わりにバプテスマを受けるのだろうか。」 ここに言われている「彼ら」というの
は邪教の信者のことを指していて、クリスチャンのことではありません。クリスチャ
ンのことであれば、「彼ら」ではなく「私たち」という主語を使っているはずです。
この聖句は、28節以前を読めばわかるのですが、死者は必ず復活するのだ、という
ことがポイントであり、邪教の信者でさえ死者が復活するということを信じているで
はないか、ということを言いたいがための聖句なわけです。30節以下を読んでも、
パウロは死者が復活するということをずっと言っていて、32節には「・・・もし死
人がよみがえらないのなら・・・」とあり、パウロの意図は明確です。ですから、こ
の聖句は、古代のキリスト教会で死者の身代わりのバプテスマを行なっていたことの
証拠でも何でもないわけです。

ご参考までに。

****************


http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年2月8日<月>13時15分)


若葉さんへお返事

若葉さん

はじめまして、よろしくお願いします。

モルモンの教義その通りだと存じます。で、一応モルモン教とキリスト教の違いを述べておきます。

バプテスマなしで人は昇栄出来ないという件。

昇栄という人が死後神になるという教義を教えているのはモルモンだけです。キリスト教はバプテスマを神の国に入るステップとして位置づけます。無教会キリスト教などはバプテスマなどの儀式は一切不要救いとは全く無縁であるとの考えをとります。
モルモンもバプテスマだけでは受ける儀式は充分ではない訳で様々な儀式を全て受けないといけませんね。そして戒めも生涯を通して守らないとなりません。その戒めには「黄金律」なんて高いハードルがあるわけです。ここらあたりは僭越ながらマザー・テレサのレベルにはモルモンの諸賢も含めて誰も及ばない。儀式が上にあるのか、行いが上にあるのか、ここらが問題になるのですね。そして、ここまで話が来ると「信仰」って観点は抜け落ちます。

カソリックの方も来られたのでいい機会ですから、ご意見を聞かせてもらえるとありがたいのですが、カソリックにも幾つかの「秘蹟」があり、大切にしているようです。しかし、モルモンの諸儀式のように絶対性はないし、ましてや人に喋ったら救いに預かれないなんてことはないのです。

もうひとつイエスはご自身はバプテスマを受けたが人には施されなかったという事実。
これは信仰本意のイエスの行き様をよく表しているとおもいます。

http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年2月8日<月>21時50分)


神様はひとりだよ〜

(この部分、省略)

 
あと、るうさんの要望にお答えしてカトリックの‘秘蹟’について。
秘蹟の意味するところは、‘見えない神の恩恵の見える有効なしるし’です。
秘蹟とは洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、婚姻の七つです。このうち、前者3つは入信の秘蹟、叙階は司祭、聖職者になる秘蹟です。
つまり、洗礼は恵みであって救いのための条件ではない、というのがカトリックの主張です。カトリック要理には‘洗礼は救いを得るために必要’と書いてありますが、そのあとで‘洗礼を望みながらも神を信じ、罪を悔い改めるなら救われます。’とあります。
例をあげましょう。 
皇后美智子様はカトリックの教育を受け、洗礼を心から望んでいたそうです(洗礼を受けた、という説もあり) 
しかし、天皇家に嫁ぐ以上、カトリック信者であるわけにはいかない。
でも美智子様の思想は完全にカトリックですよ。
今でも神様を受け入れているでしょう。こういう場合には救われるって事じゃないですか?
状況が許さないから洗礼を受けられない人を見捨てるような方じゃないですよ、神様は。

Name : まりあ てれさ Mail : koa@tke.att.ne.jp Time : (99年2月9日<火>23時15分)


てれさより

だからカトリックでいう秘蹟って言うのは神様のお恵みを目に見える形で体験できるものなんです。
ゆるしの秘蹟はカトリック独特のものですが、これはそのことを如実にあらわしていると思います。
信者は罪を犯したとき、告解室という小さな部屋に行き、ひざまずいて司祭に罪を告白してゆるしをいただきます。
しかし、ゆるしているのは司祭でなく神です。
司祭は心から悔い改める人を神は必ずゆるしてくださる事を実感させてくれる道具になっているわけです。
司祭様は犯した罪についていろいろな助言をしてくださいます。
これは私たち信者にとって大きな慰めです‘私の罪は許されている’と実感できるからです。神様の慈しみと愛を心から感じるからです。
つまり秘蹟は大切だけどモルモンの儀式みたいに救いのための条件ではありません。しつこいようですが。

Name : まりあ てれさ Mail : koa@tke.att.ne.jp Time : (99年2月9日<火>23時50分)


re:てれさより

てれささん

カソリックの考えよくわかります。
非常に深遠ですが、大変なじみやすいものですね。
時にカソリックも律法主義なんて意見を巷で聞いたりしますが、それは間違いってよくわかりました。
ありがとうございます。
http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年2月10日<水>00時07分)


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