昇栄ってナニ?


昇栄

最近アナホリを知ったので、以前に昇栄についての話があったかどうか
わからないのですが、教会の言う昇栄について教えてください。

私も昇栄したいと思っていました。
なんでも昇栄場所の日の栄えには「完全な幸せ」があるとのことだったので。
しかし完全な幸せとか、完全なる喜びとかってなんなんでしょう?
熱心だった教会員のころ、これらの言葉は私をひどく恐れさせたものです。
なにしろ自分一人がんばってたって、結婚してなかったら日の栄えには行けないらしいので。
まったく理不尽なオキテですよね。当時もそう思っていたけど、そういうものなのだ、指導者のおっしゃるとうり!と言い聞かせてました。

だけど、私にとっての幸せは愛する家族や友達と過ごせる事です。
家族や友達が教会員じゃないからといって一緒に昇栄できないなら
幸せとはいえないんじゃないかなと思っていました。
たとえ家族、友達とともに昇栄できても、昇栄出来ない人がいる
のをみるのは、なんとも辛いだろうなと思っていました。
今考えると、なんとか自分で押さえ込もうとしていても、教会に
たいする疑問は、はじめっから持っていたのでしょう。

ある時「昇栄したら、この世での記憶も、一緒にこれなかった人
たちの事もみーんな忘れないと辛いよね。完全な幸せって忘れる
事なの?」 というようなことを教会の友達に言ったらヒドイと非難
されたんだけど、やっぱりひどいこと言っちゃたんでしようか。

だけど、教会の教えって私には芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という
お話を連想させるんですよね。
私には蜘蛛の糸が与えられた、これは私の糸なんだから、あなた達は
勝手にみつけな・・・というあの話です。

教会のことについて書くと、どうしても長くなっちゃうんです。
ごめんなさい。
昇栄ってナニ? とお尋ねしたかっただけなのですが。

Name : 右近 Time : (99年1月29日<金>18時20分)


「昇栄」へのコメント

右近さん

「昇栄」へのコメント

この前へは大変、有意義な書きこみをありがとうございました。右近さんのような常識的でまたシャープな視点のご意見にこのボードで出会う事が多くて大変ありがたいのです。
今後ともよろしくお願い致します。
さて、昇栄の話ですが・・・
我が家は女房が活発会員で私が背教者って構図です。当然、今の状態で行けば、女房は昇栄出来ませんよね。
女性にとって昇栄は神権者に着いていって「達成されるもの」ですから・・・これって本当に不平等です。モルモンがフェミニズム運動の批判の対象になっているのもうなづけようとゆうものです。
ちょっと脱線しますが、人種問題と女性問題は欧米社会では将に「双子の差別」って感覚なんでしょうね。この黒人問題でキンボールが神権授与で一定の見解を表明した時、同様に女性に関しても解放を行うべきでした。それができないということもモルモンが外圧に弱い「ご都合教義」で「ああいわれればこうする式の延命」を謀っている証左であると思っています。
私のHPでも「果たして昇栄して幸せか」という問題提起をしてくださっている方もいらっしゃいます。昇栄すれば人は神となり自分自身で救いの計画を行うのですが、そこでドロップアウトしてゆく自分の息子娘を「永遠に見続ける」ってことになる、これはもう幸福なんてものではないというのがその方の主張です。全く言われるとおりであると思います。
そんな風にあれこれ考えると昇栄なんて矛盾だらけの教義だとわかります。

元来イエスが福音書で宣言されている「王国」とか「神の国」とゆうのはもっと素朴な「救い」です。イエスが「神の国はあなた方の中にある」って宣言されています。聖書学者ってゆうのはとことんやるもんでこの「中」って概念を当時の表現や言いまわしから調べて「心のなか」とかのあいまいな概念ではなくて、「手の届く範囲」という意味であると結論づけているのです。つまりイエスが説かれた事は・・・
「神の国は、そらそこにいるお前達でもう出来てしまうんだよ」
って強烈な救いの概念の転換なのです。そこには「あれをしてどうなるこれをしてああなる」なんてそれこそ『オキテ』はないのですよね。

昇栄からちょっとずれましたが・・・モルモンの主張する「栄の教え」は否キリスト的なものであると言うことを申しあげます。


http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年1月30日<土>03時32分)


昇栄

>が家は女房が活発会員で私が背教者って構図です。当然、今の状態で行けば、女房は昇栄出来ませんよね。
>女性にとって昇栄は神権者に着いていって「達成されるもの」ですから・・・これって本当に不平等です。
>モルモンがフェミニズム運動の批判の対象になっているのもうなづけようとゆうものです。

 奥さんに昇栄の可能性はありますよ。あなたから取り上げられて、他の人に与えられればいいんですから。
結んだ神は解くこともできるわけですから、奥さんが望めば、福千年の時、あるいは次の世でそうなるのでは
ないでしょうか。そうならない可能性を、教会は否定していないと思います。それに、この世で結婚しなけれ
ばならず、またその結婚に縛られるのであれば、独身者は昇栄できなくなってしまう。とすると、幼くして死
んだ子らは、絶対に昇栄できませんよ。
 何にしても、本人の行いだけでなく、思いによっても裁かれるのですから、本人の選びが優先されるのでは
ないでしょうか。(つまり、どんなに行いが立派だろうと、昇栄したい奴はするし、したくない奴はしないっ
てこと)
*その結婚に縛られるのであれば…実際問題として、「この人と結婚したいから入信した」という人もいるの
*です。そういう人には儀式は効果がないと、私は考えています。


>昇栄すれば人は神となり自分自身で救いの計画を行うのですが、そこでドロップアウトしてゆく自分の息子
>娘を「永遠に見続ける」ってことになる、これはもう幸福なんてものではないというのがその方の主張で
>す。全く言われるとおりであると思います。

 まぁ、否定的な見方をすればそうですね。しかし、それに倍する喜びもまた、あるわけです。あと、私は神
は減点主義ではなく、加点主義だと思います。「これができていないからダメ。アレができていないからダ
メ」という見方をすれば、確かに見る方も見られる方も辛いでしょう。しかし、「これができているから○。
アレもできているから○」という見方をすれば、すなわち「良かった探し」をすれば、また感じ方も変わって
くるのではないでしょうか。私は、末日聖徒には減点主義者がおおいように感じます。
#もっとも、私にとっても、その方とは違った意味で、永遠はとても恐いものですけど。


 あ、あと、私は最近、信仰もしょせんまじないだと、思うようになりました。

Name : じった Time : (99年2月1日<月>18時37分)


昇栄の事(続)

じったさん

> 奥さんに昇栄の可能性はありますよ。あなたから取り上げられて、他の人に与えられればいいんですから。
残念ながらありません!モルモンの教義がどうであれ我が家はそれなりに愛情ある家庭をやってますんでね。問題はそうした家庭にはモルモンの教義にはジレンマがあるって事ですね。

>またその結婚に縛られるのであれば、独身者は昇栄できなくなってしまう。とすると、幼くして死
>んだ子らは、絶対に昇栄できませんよ。
男は単体でもOKでしょ?
幼子は福千年のとっぱちで復活、そこでの行いがポイントってことでしょう?
そんなことを言いたいのではなくて、この「男は一人でも大丈夫、いや多妻も多いに結構。ただし、女性は単体では不可。ましてや多夫など問題外。」これが問題だって言ってるのです。

>何にしても、本人の行いだけでなく、思いによっても裁かれるのですから、本人の選びが優先されるのでは
>ないでしょうか。(つまり、どんなに行いが立派だろうと、昇栄したい奴はするし、したくない奴はしないっ
>てこと)
そうなんですか・・・正式な教義?
そうでなくてあなたの個人的な見解ならそのゆえんは?

> まぁ、否定的な見方をすればそうですね。しかし、それに倍する喜びもまた、あるわけです。あと、私は神
>は減点主義ではなく、加点主義だと思います。「これができていないからダメ。アレができていないからダ
>メ」という見方をすれば、確かに見る方も見られる方も辛いでしょう。しかし、「これができているから>○。

そうですね。子供が三人いてうち一人が犯罪者になって人に迷惑かけまくって、そのことに心を傷めても残りの二人がまっとうな人生を送ってくれてれば幸せに感じるだろうって事ですかね。そんな考えは「(天)父」としてはないでしょうね。
加点主義とか減点主義といった現代的な考えはキリスト教では不適です。ローマ人の手紙を熟読すれば分かることですが、律法は一つでも欠ければ罪ありであると言っています。だからこそ、信仰のみによる救いをパウロは説くのですが・・・

>私は、末日聖徒には減点主義者がおおいように感じます。

ではなく律法主義であるということです。律法主義には減点はなく、満点か0点です。(電撃イライラ棒を想像すればよいでしょう)

> あ、あと、私は最近、信仰もしょせんまじないだと、思うようになりました。

なるほど、ではここで書いておられることは「呪文」なんでしょうか?

メタパミ!

http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年2月1日<月>21時46分)


ある霊界観から見た「昇栄」

 日月神示、出口王仁三郎、スウェーデンボルグの霊界観によると、人が死後、神によっ
て裁かれ、天国なり地獄へ振り分けられるのではなく、自分が一番居心地がいい世界へ、
自分で向って行くらしいです。
 その人の霊が天国のレベルにあれば、自然と天国へ行くし、地獄のレベルなら、地獄へ
行きます。自分の意思で。
 それなら、みんな天国に行こうとするじゃないかと思われるかもしれませんが、人の幸
福観は多種多様で、天国的なものに喜びを感じる人もいれば、地獄的なものに喜びを感じ
る人もいます。
 要は、人が何に喜びを感じ、何に幸せを見出し、何を求めるかが、その人の死後に住む
世界を決めるというわけです。
 良い行いをたくさんして、神に気に入られれば、天国へ行けると考えるのは、誤まりで
あり、天国へ行きたいがために、良いとされる行いをするのは、強迫観念による善人のマ
ネごとに過ぎないでしょう。
 僕はここで、教会員の根本的理念を否定したことになります。
 なぜなら、教会では、神に従い、戒めを守り、耐え忍べば、来世で神の国へ入れると教
え、それを人生の目的としているからです。
 それにもう一つ言わせてもらうなら、天国へは、死んでから行くものではないというこ
とです。
 天国へ行くような人は、生きているうちから天国に住んでいるし、地獄へ行く人もまた、
この世においても地獄に生きています。
 人が見ている世界は、心のあり方次第で、どのようにも見え、天国にも地獄にもなりう
るのです。
 心の中の真実が、その人にとっての世界をつくりだしているのです。言いかえれば、そ
の人にとっての世界というのは、その人の心の投影に過ぎません。
 心の中の真実が変われば、世界も変わり、その人が真の価値観に気付いたとき、その人
は既に天国の住人であります。
 それはあるとき、あるところにある世界ではなく、時間と空間を超えたところにある形
而上の楽園です。
 因みに、霊界には時間と空間の概念がなく、想念のみの世界です。
 今は苦しくても、山の向こうに天国があるのではなく、今いるところを足場として、そ
こから天国にしていかなければ、天国など何処にもないし、「昇栄」などありはしません。

 大雑把に書きましたが、以上が、日月神示などによる霊界知識による霊界観です。「昇栄
」についての参考になると思ったので、書いてみました。

 死後の天国を祈って生きても、それは蜃気楼に向って歩いていくのと同じで、空しいと
しか言いようがありません。これが、教会の見せた幻想の実態なのです。

Name : しゅういち Time : (99年2月4日<木>22時09分)


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