深意に目を向けて


議論すると見えてくること

いかに末日聖徒がいいかげんな宗教であるかって事が
ぽろぽろ見えてきてしまいますね。

だから教会は議論はいかんといっているのではないかと
勘ぐりたくなるぐらいです。
つまり、深く追求したり考えを深めると、
おかしなところだらけであることに心ある人なら気がついてしますのです。

心をおちつかせ議論の表面ではなく、その深意に目を向けてみて下さい。
>>All

http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月25日<月>15時35分)


その深意に目を向けて?

「その深意に目を向けてみて下さい。」と言われていますが。
宗教の深意に目を向けるためには、新約聖書第一コリント2章11節から書いてある「いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。」と、書いてあるように神の御霊なしには不可能です。人の思い込みではなく真理を教えてくれる神の力です。この力を身につけなければ永遠に宗教の深意に目を向けることなどできないと思います。御霊もどきではだめですよ。真理を教えてくれる神の御霊です。どうすれば神の御霊が自在につかえるようになるかその奥義を悟れない以上結局は、単なる御山の大将どまりで終わりです。

それから、やっくんさん旧約聖書に出てくる桁外れの預言者はどれくらいの周期で民の中に現れてきますか?切れ目なく現れていませんよね。それに預言者と言ってもいろんなレベルの預言者がいましたよね。それと、旧約の時代の長さと末日聖徒イエス・キリスト教会の時代の長さを考えれば、あなたが言っていたことに無理があることに気がつきませんか?

皆さんの質問に一つ一つ丁寧にお答えしたいのですがなにぶん時間がありませんのでお許しください。また、何日間忙しいので返事がすぐに書きこめません。と言っても、人知でしか物事を考えることができない人には何を書きこんでも無駄なんだけどね。無駄だとわかっていながら何故書きこんでいるんでしょうね。

Name : ボンド君です Mail : 007a@d1.dion.ne.jp Time : (99年1月26日<火>01時25分)


都合が悪くなると深意といってごまかす。霊感詐欺師の常套手段

>それから、やっくんさん旧約聖書に出てくる桁外れの預言者
>はどれくらいの周期で民の中に現れてきますか?切れ目なく
(中略)
>日聖徒イエス・キリスト教会の時代の長さを考えれば、あな
>たが言っていたことに無理があることに気がつきませんか?

モバさん>>

古代イスラエルの民で大神権を常時持っている人いなかったってのが教会の教えですよね。
ところがいまでは世界中にモーセやエリヤが持っていたと同じ大神権保持者が何万人もいます。
なるほど時代の長さでは末日聖徒はそのレベルにはいたっていません。
ところが大神権者の数では旧約時代全部あわせた数の何倍(何十倍)も多いのです。
それなのに、旧約時代と同じ奇跡がまったくないというのはどういう事なのでしょうか?

いいですよ。たった一つでも。モーセがエジプト人をうちまかせたのは1000年に一回であったかもしれくても、その一回がイスラエルの起こる最初に起きているのです。
今後末日聖徒に1000年の歴史がつまれ、その中い一回でも奇跡がなかろうと、最初の段階でないっていうのはどないこってしょうか?

モーセは燃える柴に神とあいました。
まぁ、これはジョセフの見神とたとえる事は出来るでしょう。
その後モーセはエジプト全土にイスラエルの神の力、威力を見せつけました。
ジョセフはどうですか?
モルモン書は現しましたが、とてもモーセの奇跡に匹敵するとはいえません。
なぜならモーセの奇跡は抗い難いものであったのに対してモルモン書はあっさり抗えちゃうからです(^-^;)
モーセはその後の人生、奇跡だらけです。
モーセにはむかった人は大地に飲み込まれました。
いったいジョセフにはむかった人たちはどうなったのでしょうか?
モーセは泉を沸き立たせ、マナとウズラを呼び、青銅の蛇を立てました。
これはたった一人の大神権者が40年のうちにおこなった事です。
末日聖徒はその40年のうちにたくさんの大神権者を生み出しましたが、とてもとても人知を超えた奇跡などありません。
カモメの奇跡は有名ですが、あれも、誰か預言者が呼んだ形跡はないわけで(^-^;)単なる偶然だと言われてしまうでしょう。

そしてモルモン書では奇跡がないのは、信仰がない証拠であるといっています。
と、いうことは末日聖徒の信仰は奇跡を呼び起こせるようなものではないということになります。
と、いうか、ちょうどバビロンにイスラエルが神の助けを受けれずほろぼされてしまったのと同じように、末日聖徒も正しくないので神の助けを受けられず、奇跡も起こらないと解釈出来るのではないですか?
つまり、末日聖徒自体がとっくに背教状態なわけです。
そう考えれば、世界中に何万人も大神権者がいようとも、何も出来ない理由がよくわかります。それでいて、自分達は古代のイスラエルよりうえだ(大神権を得ている)などとよくいえるものだとあきれちゃいます。
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Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月26日<火>11時47分)


やっくんさんへ

前の書き込みが、私モバ宛になっていますが、
ボンド君宛ての間違いですよね・・・・

Name : モバ Time : (99年1月26日<火>12時10分)


おおぼけ(^-^;)<<ごめんなさい>>モバさん(^-^;)

モバさんへ>>

すいませ〜ん。おおぼけです

ボンド君あてですぅ(^-^;)(^-^;)

ああ、恥ずかしい…
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Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月26日<火>13時04分)


RE:都合が悪くなると深意といってごまかす。

やっくんさん
「ところが大神権者の数では旧約時代全部あわせた数の何倍(何十倍
)も多いのです。それなのに、旧約時代と同じ奇跡がまったくないと
いうのはどういう事なのでしょうか?」

まぁ、数じゃないと言うことです。それと、今の会員の状態は当時の
旧約の時代の民よりましなのかもしれません。

「その一回がイスラエルの起こる最初に起きているのです。
今後末日聖徒に1000年の歴史がつまれ、その中い一回でも奇跡がなか
ろうと、最初の段階でないっていうのはどないこってしょうか?」

ごめんなさい、イスラエルと言う言葉が使われ始めた日は忘れました。
でも、始まりはモーセからじゃないでしょう。もちろん今の旧約聖書
を文書として残し始めたのはモーセの時代かららしいですが、始まり
はモーセからではないでしょう?だって、モーセが現れる前から民はモーセの出現をまっていたのですからね。と言うことは、モーセが始
まりとは言えないと思うのですが?

「そう考えれば、世界中に何万人も大神権者がいようとも、何も出来
ない理由がよくわかります。それでいて、自分達は古代のイスラエル
よりうえだ(大神権を得ている)などとよくいえるものだとあきれち
ゃいます。」

桁外れの預言者と比べたらそりゃお粗末そのものです。でも、民のレ
ベルで比べたら?今の方がましでしょう?だって、自分と解釈が違う
からと言って殺そうとする人今の教会にはいないでしょう。ところが
、旧約の時代には殺そうとしている人がいっぱいいるではないですか?
それを考えると、今の方が、ましですよ。旧約の時代だったら、破門
どころか殺されるのですよ。それを考えたら今の方がましでは?

あなたたちは教会に不満があって教会を去りましたが、今のあなたた
ちの状態は不満を持っていた教会の状態と似ているんじゃありませんか?確かに教会には理不尽なことがたくさんあります。私も何度も嫌
気をさしました。でも、良く考えると教会の深意って、教会に行くこ
とが目的じゃなく、霊性を身につけることが目的でしょう?要するに
教会は目的ではなく手段であると言うことです。
的外れの譬えかもしれませんが、病人が病院に行くのは行くことが目
的ではなく、治すことが目的ですよね。「ここの病院は唯一病気を根
本から治す病院です。」と言われていくのと、「直るかどうか判らな
いけど行って見たら」と言われていくのでは、治すことを目的とした
ら前者のほうが治る率が高いうことです。これが病院に行くことが目
的だったらどうでしょうか?建物が狭いとか、看護婦が不細工だとか
、トイレが汚いとか、いろいろ不平ばかり出るのではないでしょうか
ね。建物とか、看護婦とか、トイレなどそれほど関係ないんですよ。
大切なのは、病気が治るかどうかなのです。
確かに、今の教会員は目的を履き違えて教会に来ている人が多いです。
そのために大きな弊害がたくさん起きています。でも、そのために良
いものもすべて否定してしまうのはどうなんでしょうか?それでは、
ミイラ取りがミイラになっているのと同じでは?

Name : ボンド君です Mail : 007a@d1.dion.ne.jp Time : (99年1月27日<水>12時48分)


教会の目的と私の目的

ボンド君wrote:

>でも、良く考えると教会の深意って、教会に行くこ
>とが目的じゃなく、霊性を身につけることが目的でしょう?要するに
>教会は目的ではなく手段であると言うことです。

モルモン教会では、違いますね。モルモン教会側の目的は、一人でも多くの人々に救いに必要な儀式を施すことです。その儀式は、神殿でしか受けることができません。そして、その儀式を受ける資格とは、霊性のレベルではなく、外形的な戒めを守っているかどうかということです。

>でも、そのために良
>いものもすべて否定してしまうのはどうなんでしょうか?

私に関して言えば、モルモン教会のすべてを否定しているわけではありません。当HPの「公式の宣言」を実行してくれさえすれば、OKです。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~exmormon/claims/profile.htm

Name : 「聖徒の未知」オーナー HANK@森 Mail : mori-hdk@shonan.ne.jp Time : (99年1月27日<水>20時22分)


RERE:都合が悪くなると深意といってごまかす。

引用

桁外れの預言者と比べたらそりゃお粗末そのものです。でも、民のレ
ベルで比べたら?今の方がましでしょう?だって、自分と解釈が違う
からと言って殺そうとする人今の教会にはいないでしょう。ところが
、旧約の時代には殺そうとしている人がいっぱいいるではないですか?
それを考えると、今の方が、ましですよ。旧約の時代だったら、破門
どころか殺されるのですよ。それを考えたら今の方がましでは?

//////////

今は 治安がよくなっただけではないのですか?

引用文

でも、良く考えると教会の深意って、教会に行くこ
とが目的じゃなく、霊性を身につけることが目的でしょう?要するに
教会は目的ではなく手段であると言うことです。


///////

”霊性” って なんですか?

Name : 個人 Time : (99年1月28日<木>09時57分)


「その深意に目を向けて?」へのコメント

ボンドくん
「その深意に目を向けて?」へのコメント

いろいろ書くの良いですが先になおさんの「抗議」にお答えになられては如何?
どうも、霊感とか情緒的・神秘的なものがお好きのようですね。残念ながら仰るような「奥義を悟る」の類の論は「十字架の教え」を徹頭徹尾説くパウロとは全く合いいれないものです。コリント人への手紙が気に入って何度も引いてますが、前ににも述べましたようにパウロの思想をしっかり把握してからされるべきですよ。ここは一般の方も結構覗かれていますしなかには聖書にお詳しい方も多数おみえなので、恥をかかれないかと心配致します。


さて、あなたの致命的な考え間違いを指摘しておきます。
>真理を教えてくれる神の御霊です。どうすれば神の御霊が自
>在につかえるようになるかその奥義を悟れない以上結局は、
>単なる御山の大将どまりで終わりです。
神の御霊を人が自由自在に使うなどというのは永井豪の「まんがの世界」の話ではありませんか。人は神様の恵みと愛で生かされているのであり、人が何を神様にする事があるのですか?

旧約の予言者をやっくんに説くなら先にあたたは「ヨブ記」をお読みになるべきでしょうね。
http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年1月29日<金>19時58分)


RE:都合が悪くなると深意といってごまかす。へのコメント

ボンド君
RE:都合が悪くなると深意といってごまかす。へのコメント

>まぁ、数じゃないと言うことです。それと、今の会員状態は当時の
>旧約の時代の民よりましなのかもしれません。
とんでもない!そこらのモルモンの連中をかき集めてモーセの時代の環境において見て御覧なさい!
想像すれば一発でわかることです。
まあ、でもどっちが上かとかましとかなんて比較をする事自体が・・・


>もちろん今の旧約聖書を文書として残し始めたのはモーセの時代か
>ららしいですが、
これも、聖書学では間違いです。ミデヤンの勝利の歌は旧約中最古の口伝といわれますが、それ以外
は全てもっと後で整理し書かれたものです。モーセが手づから書いたなどはありません。
モルモンはモーセ五書をモーセが書いたと主張してますがこれは明らかに間違いです。
聖霊とか御霊はこうした聖書の常識を示してはくれないのですか?
困った賜物ですね!


>だって、自分と解釈が違うからと言って殺そうとする人今の教会に
>はいないでしょう。
ジョセフやヤングはばんばん粛清してましたよ。
そこらへんの事情はこのボードでもご紹介があったと思いますが?

>旧約の時代には殺そうとしている人がいっぱいいるではないですか?
>それを考えると、今の方が、ましですよ。旧約の時代だったら、破門
>どころか殺されるのですよ。それを考えたら今の方がましでは?
律法によって殺される罪が規定されていたという事でしょう?
それは律法によるものです。律法の執行が問題なんですか?
でも、モルモンの破門とか罪の規定は大変「あいまいなもの」です。(某有名女優の神殿結婚など)
どっちがましとかの議論をモルモンは問題外ですね。

もちろん、その決まりから外れた違法な罰の執行(殺人)も載っているし、もっと悪どく律法を理由にした殺人行為も載っています。それを隠しもせずに後世に聖書記者達が残してくれたおかげで私達は過去を参考にできるわけです。モルモンのように誤魔化し隠し忘れさせようなんて事は彼らはこれっぽっちも考えなかったのです。(ま!それが聖書が今まで読まれる理由のひとつでしょうが)

>あなたたちは教会に不満があって教会を去りましたが、
決めつけないで下さいね!


>でも、良く考えると教会の深意って、教会に行くことが目的じゃなく、
>霊性を身につけることが目的でしょう?要するに教会は目的ではなく
>手段であると言うことです。
霊性を身につける?これってよくわからない表現ですね。救われるだけ修行をする、善行を積むて事ですか?
しかし、「目的ではなくて手段」って・・・その手段は「唯一の真実な回復された教会」というひとつしかないのですよ。

>でも、そのために良いものもすべて否定してしまうのはどうなんでしょうか?それでは、
>ミイラ取りがミイラになっているのと同じでは?
では、「全力を尽くしてはじめて救われる」という教えの通り、行って良い行いをすべきでしょう。ここで書きこんでる暇はないはずですよ。イエスは天国に行くには「目をえぐってでも、手を切り落としてでも」って言ってますよ。


http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年1月29日<金>19時59分)


re:RE:都合が悪くなると深意といってごまかす。

横槍御免。しかも脱線気味。
ミヤケでございます。

>でも、良く考えると教会の深意って、教会に行くこ
>とが目的じゃなく、霊性を身につけることが目的でしょう?要するに
>教会は目的ではなく手段であると言うことです。
>的外れの譬えかもしれませんが、病人が病院に行くのは行くことが目
>的ではなく、治すことが目的ですよね。「ここの病院は唯一病気を根
>本から治す病院です。」と言われていくのと、「直るかどうか判らな
>いけど行って見たら」と言われていくのでは、治すことを目的とした
>ら前者のほうが治る率が高いうことです。これが病院に行くことが目
>的だったらどうでしょうか?建物が狭いとか、看護婦が不細工だとか
>、トイレが汚いとか、いろいろ不平ばかり出るのではないでしょうか
>ね。建物とか、看護婦とか、トイレなどそれほど関係ないんですよ。
>大切なのは、病気が治るかどうかなのです。
>確かに、今の教会員は目的を履き違えて教会に来ている人が多いです。
>そのために大きな弊害がたくさん起きています。でも、そのために良
>いものもすべて否定してしまうのはどうなんでしょうか?それでは、
>ミイラ取りがミイラになっているのと同じでは?

教会は目的でなく手段である、私もよく聞かされましたし,教会で何か
について議論をする際には、よくこのセリフを思い出しました。
噛み砕いて表現するとこうなるのではないでしょうか。
「教会(の活動に積極的に参加することは)は目的ではなく(救いを得る
ための)手段である。」恐らく英語でもこの手の表現はあるのでしょう
が,日本人の私が勝手に解釈すると上記のようになるかと思います。
 私にとっては非常に窮屈な考え方です。それ以外に救いに至る手段は
ないの?とかね。「教会は目的でなく手段である。」という言葉の裏を
返せば教会は唯一真実であることを前提としないと意味が通りません。
私は末日聖徒の教えが唯一真実であるとは思いません。それどころか、
やはりジョセフ・スミスの創作の教義であると考えています。(個人的
にはそれでもロマンのある教えであるとは思っていますが。)。
自称元会員の私の目には果たして教会というものがどれほど人の人生に
良い影響を及ぼしているか考えると大変疑問です。(私はこう感じると
いう曖昧な印象論に過ぎませんが。)
教会に通われている方の中では、教会が真実であるかどうかは二の次で
通われているという(私の感覚からすると)器用な方もいらっしゃるよう
ですが,私自身は教会が真実ではない。と思うようになった頃から教会
に通うのが辛くて辛くて。
唯一真実という言葉は非常に便利にできています。要するに例外は存在
できないのですから。「救いに至る方法として私は教会に通うのではな
くて、別の方法を選びます。」ということが絶対に認められないのです
から。
しばしば不活発会員は活発会員を蛇蝎の如く嫌います。(私にもそのき
らいがありますが。)。それは、熱心なホームティーチャーのその熱意
の言葉が,不活発会員には無礼であると感じられることが多いから。
教会を頭から唯一真実であると信じ込んでいる人と会話するのはホント
に辛い・・・。

Name : ミヤケ Time : (99年1月29日<金>21時36分)


Re:都合が悪くなると深意といってごまかす @

引用


「教会(の活動に積極的に参加することは)は目的ではなく(救いを得る
ための)手段である。」恐らく英語でもこの手の表現はあるのでしょう
が,日本人の私が勝手に解釈すると上記のようになるかと思います。
 私にとっては非常に窮屈な考え方です。それ以外に救いに至る手段は
ないの?とかね。教会は目的でなく手段である。」という言葉の裏を
返せば教会は唯一真実であることを前提としないと意味が通りません。


Name : 個人 Time : (99年1月30日<土>09時51分)


Re:re:RE:都合が悪くなると深意といってごまかす。A

<私の意見>
教会の集会や活動に参加するのは救いを得る為の手段だという考え方の根本には、教会がが真実であるという前提があるという御意見は同意いたします。
教会の活動の中では特に”独身成人”の集まりが永遠の伴侶を探す場になっていて、教会の独身の男女にとっては教会という狭い組織の中で自分に会った異性を探す為に利用されています。教会の中ではお見合いや適齢期の独身の紹介する為、北は北海道から南は沖縄まで独身者の個人情報が駆け回ってます。
すべての熱心な教会員は救いの計画で謡われている最高の位を得ることを目的として、教会への信仰を篤く持っています。
独身の教会の女性にとって教会の中では独身男性が独身女性と比較すると少ない為、教会が組織的にお見合いをすすめたり、出会いの場を設けたりしています。 しかし、昇栄にはふさわしい神権者と神殿で結び固めを受けなければ行けない!という男尊女卑(この言葉適切かな?)的で男女の比を考えても女性が圧倒的に不利な教会の教義がある為、多くの人は伴侶やガールフレンドに対する愛情よりもその教会の教義を尊重します。
教会が族長制度や神権の権能を否定し恋愛の自由を認めたならば、多くの女性は身近にいるふさわしい男性を選べるようになるわけです。そのようになれば、多くの教会員の夫が妻に対して示している高飛車な態度(この部分は日本の男性諸氏に心地よく受け入れられている教義だと私は思ってますが)は、自由な恋愛によってその価値を下げ、民主主義の世の中において教会の男性も正しく家族を導く事ができ、ステーク大会や教会の集会では小さい子供たちをお世話するのが、ほとんど男性ばかりになったり、日頃の家事の労をねぎらい安息日には家族の弁当を作るお父さんが増えたり…・等など 自分の伴侶やガールフレンドに対する愛情をもっと示すことが出来るようになり、絆の強い家族が恋人同士が”自然”に築かれて行くと、私は考えます。
”自然”と書いたのは、教会での結婚相手を選ぶプロセスは、純粋な愛情から二人の関係が育まれるのではなく、”昇栄する為の義務感”が 二人の 愛情に先立っているのです。あくまでも、熱心な教会員に当てはまる事柄です。参考までに、教会のインスティチュートのコースに”日の光栄の結婚”というコースがありますが、その中で、”結婚は昇栄の鍵である、私達は神の子供である、昇栄し神々のようなものになる為には、家族を持たなければならない。”と、私は伝道にでるずっと前に教えられ、信仰が篤かった私は、伝道に出ることと、帰還してから、神殿で結婚することが、他のどんな事よりも大切な目標になっていました。なぜなら、天の父のように完全な真理を得たかったからです。
その結果、私の目が開けて教会が完全な真理をもっていないと気づいたときには、”私自身が多くの経験と知識を得る貴重な機会を多く逃した”事を、葛藤の末認めざるをえなくなったわけです。でたらめな教義を真実だといって私や多くの人達の純粋な気持ちをもてあそんだ教会を、大きな精神的なダメージを受けた宣教師時代や愛の無い結婚生活を考えるとき、私が教会に対して抱く憎悪の気持ちを理解してくださる方もいらっしゃるのではないか?と思ってます。また、私が教会を紹介してバプテスマを受けた方々に対して、私は、お詫びする言葉も無いです。私の信用と名誉は教会によって著しく損なわれたわけです。(私が、伝道期間中や教会での伝道活動中バプテスマを受けて今も熱心に教会に集っていらっしゃる方々が多くいます。)

Name : 個人 Time : (99年1月30日<土>09時51分)


Re:re:RE:都合が悪くなると深意といってごまかす。B

引用文

自称元会員の私の目には果たして教会というものがどれほど人の人生に
良い影響を及ぼしているか考えると大変疑問です


<私の意見>
確かに、教会は私を不幸にしました。教会は現在の幸せを求めているのではなく、現在は、”試しの世の中”だという教義を持ち出し、教会員の幸せを損なう戒めを守る様、教会員に指示しています。断食の律法 なんて その1例と私は思ってます。

引用文

教会を頭から唯一真実であると信じ込んでいる人と会話するのはホント
に辛い・・・。


<私の意見>
確かに、その人がどのような気持ちで、教会を信じているのか考えるとき、教会に通っていたときの自分自身と熱心な教会員を重ねて見ることがあります。だから、頭ごなしに熱心な教会員を責めては行けない!!とは思うのですが、長い間教会から騙されてた自分を考えると、熱心な教会員に できるだけ早く目を覚ましてもらえる機会をあげたいと思い、ついつい、議論に熱が入ることがあります


Name : 個人 Time : (99年1月30日<土>09時52分)


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