最近モルモン教会を辞めました


初言

 はじめまして、しゅういちといいます。
 僕は飛鳥昭雄氏に影響され、教会に入ったんですが、最近になって、
教会を辞めました。
 初めは、モルモン教会が真実の教会かもしれないと思っていましたが、
今では、それは単なる思いこみに過ぎなかったと、はっきりわかりまし
た。

 教会にも、いい面はあると思っていたのですが、それは、そこに集う
人の人間性から来るもので、教会という組織から来るものではないよう
な気がします。
 そこのところが曖昧になっていて、教会の人たちがいい人たちに見え
たとしても、教会の教えが正しいという証明にはならないと思うんです。
 確かに、教えの中には、常識的に考えて、正しいと思えるものが少な
からずあるんですが、部分的一面をもって、教会の全てを判断する事は
出来ないと思います。
 この乱れた世の中から見れば、教会が素晴らしく見えるかもしれませ
ん。事実、僕も初めはそういう印象を受けました。
 でもそれは、比較からくる相対的なもので、絶対的なものではないよ
うな気がします。というより、絶対の価値観から見れば、教会の教えは
間違っていると思います。

 奇跡についても、たとえそれが本物だったとしても、教会の真実性を
裏付けるものではないと思うのです。
 超能力や霊能力で、病気を治したりする人は世界にたくさんいるよう
ですし、サイババ氏を引き合いに出さなくても、ある神道系信仰宗教で
は、「手かざし」などで、病気を治してしまう例もあると聞きます。
 つまり、奇跡はモルモン教の専売特許でもないし、そのレベルも他の
それより劣っているくらいでしょう。ましてやそれが、真理を握ってい
る証明になどなりはしないと思うんです。
 でも、教会の教えを信じている人にとっては、奇跡が起こったりする
と、教会が真実である「証」となるんでしょう。そして、だんだん信じ
込んでいく……
 本人は真理に近づいていっているつもりでも、本当は、虚偽の真実に
幻惑され、真理から遠ざかっていることに気付かず、夢想の中で一喜一
憂し、死後に神の国へ行けると信じ込み、今このときを空しく生きる…
…そんな人生にどんな意義があるのか。
 神はそんなことをさせるために、人間をつくったのか。
 教会や預言者の奴隷と化し、自分の人生を代償として、制限された幸
福に甘んじることを、本当に心から望んでいるのか。
 自分の人生の主人となり、自分の人生を生き、自分で真の幸福を探し
求めることに、本当の人の生き方があり、それが神の御旨ではないのか
……ま、そんなことも言いたくなりますね。

Name : しゅういち Time : (99年1月27日<水>11時13分)


しゅういちさん の書き込み

はじめまして、しゅういちさん 今後ともよろしくお願いします

引用文

本人は真理に近づいていっているつもりでも、本当は、虚偽の真実に
幻惑され、真理から遠ざかっていることに気付かず、夢想の中で一喜一
憂し、死後に神の国へ行けると信じ込み、今このときを空しく生きる…
…そんな人生にどんな意義があるのか。

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しゅういちさんが、投げかけられた 奇跡についての意義を問う発言は、モルモン教問題に対して非常に価値あることです。

モルモン教会と現代科学を比較し共通点を探したとき、”奇跡的な力”に対する解析能力ではないか?と思われます。どちらも、人知で及ばない事柄に対して仮説を立て、モルモン教会(宗教全般)は教義への盲信を求め、科学は新たな知識を求める為研究者を育てます。歴史的にも日本では、天皇が神道を使って自分が神であると国民をだまし軍国主義に走り大東亜共栄圏を国民が一丸となって目指し、アメリカでは不可能だと思われていた人類を月に送るという計画が実行されました。そこには、2つの異なる目的がありました。ひとつは間違った政治によって多くの人達の命を失う結果をもたらしり、もう一つは多くの知識と偉大な実績、人類共通の喜びをもたらしました。

私たちは、奇跡に対する、興味、関心、恐れ 等など の気持ちを 満たす方法をよくよく考えなければいけません。根拠の無い思想や宗教に頼り、”井の中の蛙”になることを選ぶのか?それとも、多くの人達の考えや自分の知識経験から知識を模索するのか?

ご存知のとうり、ガリレオガリレイは、当時定説となっていた 天動説を、自分の天体観測結果から間違いであることを発見し 人々に発表した結果 宗教裁判にかけられ処刑されました。この事から、私たちが考え選ばなければいけないことは、自分自身 正しい知識を目の前に示され、それが これまで信じていたことと全く正反対であったなら、たとえ マイノリティであっても真実を受け入れることが出来るか? もしくは、責められるのが恐いので、周りの人の動きにただ合わせるだけか?

私は多くのモルモン教会員が、上記の後者”周りから責められるのが恐いの(もしくは教会が居心地がいいとか・・・)で教会に矛盾があっても、教会を受け入れている”のではないか?と 考えています。

引用文

初めは、モルモン教会が真実の教会かもしれないと思っていましたが、
今では、それは単なる思いこみに過ぎなかったと、はっきりわかりまし
た。

しゅういちさんは、教会が真実だと思ったが それは 単なる思い込みに過ぎなかった。と 書かれました。 これは、一見普通の判断なのですが、非常に勇気のある 判断だと、私は思います。なぜなら、自分が属していた教会の会員全てを否定する発言だからです。教会が政治を握っていたとしたら、死刑になるんじゃないか?と思うくらい、重要な判断を下されたのです。私は、そのような勇気に 感銘を受けます

多くの熱心な教会員が、自分の置かれている立場を自覚し正しい判断が出来る事を、心から望んでいます

Name : 個人 Time : (99年1月28日<木>09時50分)


教会に対するとらわれた心

個人さんへ
 こちらこそよろしくお願いします。
 僕は、個人さんが言われたような勇気は持ち合わせていません。
 僕には、教会意外に、確かな道が見つかったから、教会を辞めてしま
うことに勇気は必要なかったし、教会へ行く必要がなくなって、開放感
を覚えたくらいです。
 ただ、教会の教義を信じる心が少しでもあったなら、辞めるのに勇気
は必要だったでしょうね。

>私は多くのモルモン教会員が、上記の後者"周りから責められるのが恐
>いの(もしくは教会が居心地がいいとか・・・)で教会に矛盾があっ
>ても、教会を受け入れている"のではないか?と 考えています。

 僕もそう思います。ただ、教会を受け入れているというよりも、自分
の中で誤魔化しているだけなのかもしれません。

 教会にいたころの僕は、教会の矛盾を感じつつも、それを勝手な理屈
でねじまげ、教会へ行くことの意義を見出そうとしていました。
 そして、教会で納得のいかないことがあっても、"周りから責められる
のが怖かった"ので、自分を偽り、自分自信を誤魔化していました。
 それは、自分の世界が狭かったということと、自分の心の中に教会に
とらわれた気持ちがあったからです。
 僕を縛りつけていたのは、実際には教会そのものではなく、教会にと
らわれた自分自身の心でした。

 Name : しゅういち Time : (99年1月29日<金>22時40分)


続、教会に対するとらわれた心

 教会に対するとらわれた心は、教会員なら誰しも持っているはずです
(本人はとらわれているとは思ってはいないかもしれませんが)。それ
は、人によって、様々だと思いますが、その一つとして、認められよう
とする心理というものがあると思います。
 人は、他人から認められれば、喜びを感じるし、そのために他人に認
められようと努力さえします。
 だから、たとえ偽りの自分であっても、それが認められれば、人は多
少なりとも喜びを感じると思うんです。
 僕も最初のころ、レッスンで、自分の言ったことに対して、「素晴ら
しい」とか言われてなんだか嬉しかったし、それでそのころは、教会に
対しても好意的だったんです。
 でもあるとき、自分は、認めてもらいたいがために、その場に合った
ことを言ってるんじゃないのか、その場の雰囲気に合わせたことを言っ
ているに過ぎないんじゃないのか、と思えてきました。
 こういうことは、教会に限らなくても、いろいろなところであると思
うんです。友達に合わせたり、世間の常識に合わせたりと……
 結局、自分の本音を言うことで、他人から認められなくなることに怯
え、危険を感じ、無意識に自分を偽ってしまう。あるいは、自分を隠そ
うとする。
 そういうことも、この世の中で生きていくには必要なことなのかもし
れません。ですが、それも許容範囲を越えたとき、自分の存在意義をか
けた判断が要求されるでしょう。
 教会の教義によって作り出された、虚像でしかない教会員のあるべき
姿としての理想像(善的な要素を持ってはいるが、人として不自然で、
強迫観念を与え、人を教会の奴隷と化すものでしかない)は、まさにそ
れです。
 いくら、教会の教えに忠実になることで、教会の人から認められたり
、祝福があると言われたり、来世で神の国へ入れると言われたとしても
、そんなのは誤魔化しで、何か人間として大切なものを失ってしまうん
じゃないのかと思うんです。
 その中で一番大きいのは、やはり、自分の人生を生きることだと、僕
は思います。
 自分の人生を生きるか、教会に従って生きるか……
 ただ、僕が確信していることは、真の幸福は、何かに従って与えても
らえるものではないということです。そしてそれは、自分で探さなけれ
ば、決して見つかるものではないものです。

Name : しゅういち Time : (99年1月29日<金>22時42分)


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