神権の力と魔術


神権の力とは

この教会は神権によって管理されていると言われています。つまり神の御子の大神権であって、昔イエスが使徒達に与えられたのと同じものが現代のふさわしい末日聖徒の男性会員に与えられています。
この神権で奇跡を行なう事も出来て、私も何度か要請があって病人を癒したものです。また、自からも神権の力の恩恵にあずかり、病気の時に癒されたことがあります。例えばインフルエンザのような病気にかかった時などは、HTにお願いして癒しの儀式をしてもらい、瞬く間に症状が軽くなったという事が自身の体に何度も起こってますし、とにかく教会内では病気を癒した、癒されたという話をよく聞きます。病気以外でも、海岸に押し寄せる津波を神権を使って止めた?等のような話しも時々聞かれます。
しかしさすがに何年も何十年もかかり続けているような慢性病を癒すという訳には行かないようです。このような方からも癒しの儀式の依頼を受けた事はありますが、一時的に症状を抑えることが出来ても、慢性病自体を癒すというわけにはいかないようですし、効能が切れるとまた症状が再発するのです。指導者によると癒すも癒されるも信仰次第というあやふやなものらしいです。
この神権の力とは神の力なのでしょうか。それとも、かってジョセフが行なっていた魔術が、代々神権と称して受け継がれてきたものなのでしょうか。

Name : モバ Time : (99年1月19日<火>02時09分)


信仰そのものが魔術

to:モバさん

 魔術の定義を知っていますか?光の導師D・フォーチューン、近世最凶の魔術師A・クローリーは、
「行動の伴う意志」「意志の伴う行動」(どっちがどっちを言ったかは忘れた)と言いました。「…が
したい」という要求を「そのために、…をしよう」という意志に変え、その意志の通り行うこと、これ
が魔術の基本なのです。したがって、「救われたい」という要求を「そのためにキリストを信じよう」
という意志に変え、信仰をすること、これも、魔術だということを意識すれば、魔術になるのです。
 さて、魔術にしても、信仰にしても、大切なのは意志の力です。信じた物事が、必ず起こると信じる
意志です。:脇道:スプーン曲げなどの超能力者は、スプーンを曲げようと思うのではなく、曲がった
スプーンを想像します。これも意志の力です。:終わり:私は、この意志の力で、神さえも創れると思
います。もちろん、一人では無理です。しかし、多くの人が同じ神を想像すれば、神を創造できると信
じます。末日聖徒イエス・キリスト教会が組織されて150年以上。その間に多くの人が、神権を想像
し、神権によって癒されることを想像しました。過去から今までの人々のそうした意志が、神権の力で
はないでしょうか。

Name : じった Time : (99年1月19日<火>09時09分)


私の改宗談

私がバプテスマを受けたのは、今から12年前の1987年6月で、大学2年生のときです。宣教師に出会ってバプテスマを受けるまでには約3ヶ月かかりましたが、はじめは神の事について知りたいという気持ちはあれども、バプテスマを受けることまでは考えておらず、そのつもりもありませんでした。
レッスンが一通り終わっても決意をせず、そんな私に業を煮やしたのか、彼らは奥の手を使ってきました。福音の原則という本の第21章、聖霊の賜という箇所(P128)の文章で「聖霊の賜を授かっていない人が、聖霊から一時的に導かれることがある。しかしこの導きは、バプテスマと聖霊の賜を授かる按手礼を受けなければ継続しない。」を紹介されて、聖霊の導きを受けられなくなるのは大変なことだと不安になり、はじめて気持ちが揺れ動きました。
これに追い討ちをかけたのが、癒しの儀式です。当時私は数年前からかかり始めた鼻炎に悩まされていて、慢性的なものになりつつありました。何とか直したくて、いろいろな治療を試みましたが効果はありません。そこで癒しの儀式の話を聞いて、是非私も受けたいという気持ちになったのですが、でも彼らが言うには、バプテスマを受けて聖霊の賜を受けた後の方が効果が大きいということなので、そこで初めてバプテスマを受けようと決意をしました。
当時の私は、イエス・キリストに対する証もなく、モルモン経も真実かどうかもわからず、正当でない理由?でバプテスマを受けてしまいました。今になって思えば、もう少し冷静になって、友人や親にもよく相談して結論を出していれば、今はまた違った人生になっていたのではないかと後悔しています。
バプテスマを受けた後に癒しの儀式を受けましたが、一時的に症状が収まるものの、時間が経つとまた元通り、といったことの繰り返しでしかありません。結局この鼻炎が治ったのも、教会をお休みするようになってから数年後、民間療法によってでした。
今までモルモン教会に疑惑がかけられようと、どんなに悪く言われようと、最後には神権による“奇跡”を見てきたから教会は真実だと自分に言い聞かせてきました。じったさんの言われる様に、神権を想像し神権によって癒される事を想像していただけであれば、まさしく魔術だし、これは末日聖徒だけでなく、女性を含めた万人に出来る儀式ということですよね。神権の正体は魔術だったのですか?そして私は魔術によって騙されていたのでしょうか?だとしたら本当に情けない話です。

Name : モバ Time : (99年1月19日<火>17時31分)


霊的な経験

モバさん>>

病気の癒しということであるならば、イエスは盲を癒されました。
しかし、末日聖徒で盲目の人が癒されたというのを私は見たことはありません。
盲目の人で、とても信仰のあつい人は確かにいます。
彼は彼で自分なりに納得されているのですから、それはいいとしても、
端から見れば、それでは本当にイエスの回復された教会と末日聖徒がイコールなのかということに疑問になります。
教会歴史ではジョセフも病人達を癒したとありますが、「素顔のモルモン教」の高橋氏によれば、それがとても上手くいった時はジョセフは癒しに熱心だったが、上手くいかなくなってくると、それに対する関心がなくなったということでした。
まぁ、癒しとは別に似たようなものに、霊的な経験というのがあります。
御霊を感じるとか火と聖霊のバプテスマというようなものです。
末日聖徒の中で確かにこのような経験をする方がいることは、実は、私自身の経験でも分かります。私はなる程火と聖霊のバプテスマと思われるような事柄を経験しました。実は、この経験が、私が長いこと教会を離れられなかった理由の一つです。
しかし、よくよく調べて見ると、私がしたようないわゆる霊的な経験は、他の宗教指導者や、いわゆる教祖たちがしている経験に似ているような気がしました。
たまたま、私は末日聖徒で末日聖徒として、そのような経験を末日聖徒的解釈をしただけで、実際には結構末日聖徒内外を問わずそのような経験をされる方は多いのだとすれば、これまた、末日聖徒のみの唯一のものであるという考えは方向転換せざるを得なくなったわけです。
つまり、霊的な経験=末日聖徒は唯一真実なのではなく、霊的な経験>末日聖徒にもある。程度のものだったわけです。
末日聖徒は、モルモン書の中で、「奇跡はもうないというものは云々」と書いてあるので、一般クリスチャンは奇跡を信じていないと思ってしまうかもしれませんが、現実には結構霊的な経験とか奇跡的な経験はクリスチャンもそうでない人も含めて信じ容認しているわけです。
一体何が奇跡的な力を起こすのかは、知りませんが、じったのいうようなものかもしれません。いずれにせよ、現実的に末日聖徒だけにその力がないのである以上、末日聖徒の主張、すなわち自らのみ唯一、神権を持つ教会だ。というのも非常にあやしいと言わざるをえないと私は思います。あやしいというか、事実ではないと断言しても良いでしょう。
残念ながらあたしも含め、その言葉を信じていたものは、結果的に騙されていたという事になるでしょう。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月19日<火>20時18分)


霊的な経験と宗教

私は、一般的に言うところの「霊感の強い」人種ではありませんが、監督をしていた時に、奇跡のような経験をしたことがあります。

ある女性教会員が、結婚して数年経つにも関わらず、子宝に恵まれませんでした。その方をある責任に召したのですが、その際、子供が授かるように祝福をしました。このような場合、あまり無責任なことは言えないので、たいていは「主のみこころがなされますように」程度の祝福でお茶を濁すことも多いのですが、この時ばかりは必ず子供が授かるに違いないという「霊感」を受けたと確信し、大胆にもそのように宣言をしました。
果たして、その方はすぐに妊娠され、無事子供を出産されました。彼女が妊娠したことを聞いた時には、顔から血の気が引いて鳥肌が立ったことを覚えています。あまりに「効き目」がてきめんだったので、出産日から逆算して考えてみると、祝福を授けた時点では、本人が気づかなくとも、既に妊娠されていた可能性もあります。それでも、当時の私の信仰を高めたことは事実です。

単なる偶然なのか、何か別の力が働いたのか、私には未だにわかりませんが、私にとっては貴重で大切な経験です。教会員時代も、このことを公に話すことはありませんでした。この経験をもって、モルモン教会は真実なのだ、と「証」する気持ちにならなかったんですね。神と自分との関係は個人的なものであり、それをモルモン教会の真実性に普遍化することを潔しとしない気持ちがありました。考えてみれば、この時から私の「背教」が始まったのかも知れません。

あのベストセラー「7つの習慣」の著者スティーブン・R・コヴィー氏は、その本の中で、宗教についてこう書いています。
「宗教組織を手段としてではなく目的としてみることは、私たちの知恵を奪い、生活のバランスを崩す結果を招く。寺院、神社、教会などは力の源について教えることはあっても、その力の源になることはない。神と人間を会わせるひとつの手段だという位置づけがより適切だろう。」(p.159)

心あるモルモン教徒の方なら、このコヴィー氏の言葉に共感するかも知れません。しかし、モルモン教会が自らをこの世で「唯一真の教会」と主張することや、その教義のあり方は、コヴィー氏による宗教の位置づけを大きく逸脱するものだというのが、このHPの主張でもあります。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~exmormon/claims/profile.htm

Name : 「聖徒の未知」オーナー HANK@森 Mail : mori-hdk@shonan.ne.jp Time : (99年1月20日<水>00時04分)


霊的な経験と宗教(補足)

ということで、スティーブン・R・コヴィー氏はモルモン教徒です。念のため。彼が著書の中で宗教について触れている部分は、モルモン教会の状況についての彼の認識であることは間違いないと思います。彼の書いていることは、痛烈なモルモン教徒批判でもあります。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~exmormon/claims/profile.htm

Name : 「聖徒の未知」オーナー HANK@森 Mail : mori-hdk@shonan.ne.jp Time : (99年1月20日<水>00時14分)


神権と魔術

to:モバさん

 まず言っておきますが、私の解釈では、神さえも魔術、と言うより思念に
よって創り出されたものになります。そのことは理解していただけていますで
しょうか。また、飛んでいったボールをそこにいた人に投げ返してもらうこと
も、魔術なんですよ(^_^;)。“私”はそのボールに何ら力を加えていないの
に、ボールが動いたわけですからね。

 思念の力で神を創り得るのなら、神権の力も創り得るでしょう。そうでない
のなら、神権の力は確かに神の力です。ではなぜ慢性的な病気が治らなかった
か。私が聞いているところでは、パウロも病気だったそうです。彼はその“弱
さ”を治して欲しいと、何度も主に祈りましたが、主からの答えは「私の力
は、弱いところに現れる」というものでした。主があなたに現れようとしてい
るのが、その鼻炎であったなら、神権の力で癒すことは不可能です。なぜな
ら、魔術は人の意志で起こすものですが、神権の力は神の意志が働くものだか
らです。
#私には敬称不要です。むしろつけないで欲しい(^_^;)

Name : じった Time : (99年1月21日<木>17時52分)


病は気から

神権の正体とは一体何なのか。神の力か、悪魔か、それとも魔術なのか。それが知りたくて当掲示板に質問を投げかけたのですが・・・・。
じったの書き込みを読んだけど、正直言って良く分からなっかた、と言うのが本音。

病気が直るも直らないも、その人の気持ち次第だと思う。
数年前にテレビのある番組で放送していた話しだけど、ある中年のアメリカ人女性が、体の不調を訴え病院で検査を受けたところ、かなり進んだ癌だと診断された。放っておくと10ヶ月で死ぬと言われ、恐怖におののいた。彼女は死ぬのが怖かったし、生きたかった。もっとこの世の生活を楽しみたかった。その日を境に彼女と死の戦いが始まり、あらゆる手段を使って治療することを試みた。しかし病状は進行していくばかりで、死の影と絶望感に襲われ、肉体的にも精神的にもかなりのダメージを受けていた。それから数ヶ月が経過し、医師より余命あと3ヶ月と死の宣告を受け、彼女の頭の中は真っ白になってしまった。彼女の死が現実のものとなろうとしていたからだ。

しかし、ここで彼女の意識が180度変化したんですね。今までありとあらゆる治療を行なってきて、必死に死に対し抵抗を試みていたのに直らなっかた。だったら死を素直に受け入れよう、自分の死を認めよう、残り3ヶ月もあるんだから楽しく生きていこうと。
すると数日の内に彼女の肉体に変化が起こり、あれほど進行していた癌細胞が全て消えてしまい、病が全快したのです。まさに現代医学では解明できない奇跡が起こったとしか言い様がありません。この奇跡が何の力によってもたらされたのかは、彼女自身も私も分かりませんが、ただ、とき〜どきこういった話しは聞かれます。

これは私の考えですが、彼女が死ぬ事を全く恐れず受け入れるようになったので、イエスキリストの力が現れたのではないでしょうか。イエスは万人が死に打ち勝てるように、この世での使命を果たされたわけだから、死を全く恐れなくなった彼女にイエスの力が現れてもおかしくはないと思います。

話しは癒しの儀式に移りますが、私も風邪をひいた際、何度か神権者を呼びつけて癒しの儀式を施してもらった事がありますが、必ずと言っていいほどすぐに直っていました。だから無意識のうちに、癒しの儀式を行なうと必ず直ると信じ切るようになっていました。その他、教会内でも癒しは効く、と言われていましたし、だから儀式を受ける前から、もうすでに直って元気でいる自分を、難の疑いも無く描いていたんです。だから直るんでしょうね。
だけど慢性化していた鼻炎はさすがに直らなっかた。なぜならば、いくら癒しの儀式が効くといっても慢性病は治らないだろうな、という思いがあったのも事実ですから。つまり少し疑ってたわけ。

「病は気から」とあるように、病気が直るも直らないも気持ちの持ち様ではないですか。神権の正体は今だに分かりませんが、たとえ神権を行使しても直るものは直るし、直らないものは直らない。気持ちの持ち方次第ですよね。

Name : モバ Time : (99年1月21日<木>23時27分)


癒しと奇跡

モバさん
私に言わせればぶっちゃけた話、神権なんて神様から付与された聖なる力でもなけりゃ魔術なんて霊妙なものでもなくて単なる教会の位階です。そんな事に付ける程の問題でもないのです。モバさんが「良く分からなっかた」と言うのは当然の感想でしょう。
病人を癒すのどうして神権なんて勿体をつける必要なんてあるわけもないのです。そんな不公平・ナンセンスをおお真面目に信じさせる宗教ってまともではありませんね。
マザー・テレサの話題も出ていましたが、彼女達のカルカッタのホスピスは将に死に行く人達に安息を与えるためにあると理解しています。そこでは癒すことだけが奇跡ではなくて、安らかに死にゆく事が奇跡なのです。
モバさんのご紹介の癌の女性も確かに奇跡であると思います。
アブラを濯いで祈った。治った。奇跡だ。という事だけではないと思いますね。
金大中大統領の名言「奇跡は奇跡的には訪れない」
http://www3.osk.3web.ne.jp/~hidekio/

Name : るう Mail : hidekio@osk3.3web.ne.jp Time : (99年1月22日<金>21時05分)


re:病は気から

to:モバさん

 もう一つ書くのを忘れていました。魔術師にいわせると、イエスの癒しの力も、魔術です。
事実、新旧約聖書は魔術師にとっての必読テキストです。

Name : じった Time : (99年1月26日<火>09時35分)


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