教会員は幸福か
多数派? 少数派?
いとさんwrote:
>被害者は増える一方です、、なんて書かないでほしいのです。
>こう書いてしまったら、改宗したらみんなが被害者になってしまうよ
>うに錯覚してしまうじゃないですか。
>中には改宗したことに喜びを見い出している人もいるのだから、、。
モルモン教会に入れば全員が幸福になるかのような錯覚を与えているからあえて書かせていただいています。改宗したことに喜びを見出しているのは、ほんの一握りの人たちだけです。あなたはほんの一握りの人たちとの関わりを、あたかもそれがすべてであるかのように主張しています。それとも福岡では活発率が100%なのでしょうか? 私の知るいくつかのワード、支部では、活発率はせいぜい20%、あるいはそれ以下です。この事実を、一体どのようにあなたは説明するのでしょうか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/~exmormon/claims/profile.htm
Name : 「聖徒の未知」オーナー HANK@森 Mail : mori-hdk@shonan.ne.jp
Time : (99年1月6日<水>23時57分)
RE:多数派? 少数派?
森さんwrote
>モルモン教会に入れば全員が幸福になるかのような錯覚を与えているからあえて
>書かせていただいています。改宗したことに喜びを見出しているのは、ほんの一
>握りの人たちだけです。あなたはほんの一握りの人たちとの関わりを、あたかも
>それがすべてであるかのように主張しています。
わたしはそれが全てであるかのように書いていません。
「中には改宗したことに喜びを見い出している人もいるのだから」
と書いたのです。 ちゃんと読んでください。
「改宗したことに喜びを見出しているのは、ほんの一握りの人たちだけ」
とか言いながら、あたかも全ての人が被害者だと勘違いさせるような
文章を書いているのはあなたの方ではないですか。
それから教会に来ていない80%の人が全員自分が被害者と思っている
なんてことはありません。
re:モルモン書について
>コメントがない」というのは、私がそのようなコメント(つまり
>オークス長老の発言に対する反論)をしてしかるべきなのに、な
>ぜそうしてないのか、という意味で理解してよろしいですね?
そうです。また、以下の内容は理解しました。確かに、歩いて何日
かかるという記述もあったと思うので、一部地域という理解も出ない
ことはないわけですね。
しかし、
>それに加えて、集う人の大多数を幸福にせず、時にはひどく人を傷
>付けることがある
このうち「大多数」については納得できません。私が知っているのが
ほんの一握りなのは承知していますが、教会に集っている人の多くは
幸せそうでした。また、教会に集っていない人の多くが「幸せになれ
ないから」集っていないのかと言えば、そうでもないと思います。特
に日本においては、理解できずになんとなく来なくなっているのでは
ないか、そう思います(あくまで、私の主観ですが)。
#
#まぁ、宣教師や監督をされていた森オーナーの方がよくご存じだと
#は思いますが、私も日本のあちこちのユニットに出席しましたから。
#
もちろん、福音を理解できていないのが「幸福にしていないじゃない
か」と仰るならその通りなのですが、私は、「教会が幸せにする」の
ではなく、「自分で幸せになる」のだと思います。教えられたものは
教えた人の知識であり、教えられた人の知識ではありませんから。食
べるもののない人にパンを与え続けるのではなく、働く方法を教える
という福祉プログラムに、それが現れていると思います。もっとも、
「幸せになるための道さえ示していない」と仰られるなら、それに対
してはぐうの音も出ませんが(^_^;)
なお、私に対しては敬称不要です。読んでいて奇妙なので(^_^;)
Name : じった Time : (99年1月11日<月>16時54分)
教会に集う人々、集わない人々
じったwrote:
>>それに加えて、集う人の大多数を幸福にせず、時にはひどく人を傷
>>付けることがある
>
>このうち「大多数」については納得できません。私が知っているのが
>ほんの一握りなのは承知していますが、教会に集っている人の多くは
>幸せそうでした。また、教会に集っていない人の多くが「幸せになれ
>ないから」集っていないのかと言えば、そうでもないと思います。特
>に日本においては、理解できずになんとなく来なくなっているのでは
>ないか、そう思います(あくまで、私の主観ですが)。
失礼しました。「集う人」というの「教会員になった人」が正確です。
「教会に集っていない人の多くが『幸せになれないから』集っていないのか・・・」というご指摘はわかりますが、私が言いたいことは、会員になった人の大多数が来なくなっているということは、少なくとも教会に集うことに幸福を感じなくなったからだ、ということです。「なんとなく来なくなっている」という人も、その部類に入るでしょう。組織立った調査をしたわけではありませんが、教会員時代にたくさんの不活発会員と会った限りでは、教会に集うことに意義を感じないとか、戒めが厳しくてとても続けられないとか、もう興味がなくなった、といった回答を得ています。
>もちろん、福音を理解できていないのが「幸福にしていないじゃない
>か」と仰るならその通りなのですが、私は、「教会が幸せにする」の
>ではなく、「自分で幸せになる」のだと思います。
「自分で幸せになる」というのはおっしゃる通りです。ですから、幸せになるためには教会に行っても意味がないと結論づけた人々を、「迷える子羊」とか「助けの必要な人々」のように扱うことはやめるべきです。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~exmormon/claims/profile.htm
Name : 「聖徒の未知」オーナー HANK@森 Mail : mori-hdk@shonan.ne.jp
Time : (99年1月11日<月>23時05分)
そもそも「教会員になった時」の方が問題のような…
to:森オーナー
>「集う人」というの「教会員になった人」が正確です。
了解しました。
>少なくとも教会に集うことに幸福を感じなくなったからだ、という
>ことです。
というところですが、これとは他の問題があります。似たり寄った
りですが、「必ずしも教会員になることを望んでいる人だけが教会員
になっているわけではない」ということです。このことは、監督をさ
れていた頃に感じられませんでしたか?というのも、私もこの一人な
のです。そもそもバプテスマを受けたのは、宣教師と会うのが面倒に
なり、「バプテスマを受けませんか」と(私の場合はしつこくありま
せんでしたが)勧めるため、「教会員になったら会わなくてもよくな
るだろう」(家やTel.は教えてなかったので、次いつ会うという約束
をせず、教会に行かなければ会わずにすむ、というわけです)という
ことで受けました。こういう人は、私が接してきた人の中では大勢い
ます。したがって、宣教師が「彼はすばらしいよ」といっていても、
私には「一年もしないうちに来なくなる」と写り、実際、そう思った
中で一年以上続けて教会に来たのは一人だけです。また、「来月転勤
するから、来週バプテスマを受けませんか」という言葉も、よく聞き
ました。というわけで、私としては、『教会に集うことに幸福を感じ
なくなった』以前に、「教会に集うことによる幸福」を知らない/教
えてもらっていない人が、最近の改宗者には多いのではないかと思っ
ています。こういう人々を“『教会に集うことに幸福を感じなくなっ
た』人々”とは、呼べないと思います。元々教会に来ることに幸福を
感じていないわけですから、来なくなって当たり前なのです。
##
ちなみに、私が今お休み会員なのは、このときの自分を許せないか
らです。他にもいろいろありますが、これが全てのきっかけであり、
そのためか、他の方々のような「教会から被害を受けた」という感覚
は全くありません。オーナーにいわせれば、「自分を許せないのが、
そもそも教会の構造的問題から来ることだ」ということになるので
しょうけど(^_^;)
Name : じった Time : (99年1月12日<火>11時46分)
重荷を負うて苦労している人
じったwrote:
> というところですが、これとは他の問題があります。似たり寄った
>りですが、「必ずしも教会員になることを望んでいる人だけが教会員
>になっているわけではない」ということです。このことは、監督をさ
>れていた頃に感じられませんでしたか?
1980年代初頭のいい加減なバプテスマ(教会に入るための儀式)が横行していた時代とは違い、さすがに私の監督時代(1990−95)には、そのようなことを意識したことはなかったですね。もともとおめでたい性格なのかも知れません。もちろん、続くかどうか心配だな、と思ったことはあります。でも、そんな予感もほとんどあてになりませんでした。絶対大丈夫だろう、と思う人が来なくなったり、どうかな、と思う人がずっと活発だったりすることは、よくありましたから。とは言え、ご指摘のようなことは、現実にはあるんだろうな、とは思います。
>いうわけで、私としては、『教会に集うことに幸福を感じ
>なくなった』以前に、「教会に集うことによる幸福」を知らない/教
>えてもらっていない人が、最近の改宗者には多いのではないかと思っ
>ています。こういう人々を“『教会に集うことに幸福を感じなくなっ
>た』人々”とは、呼べないと思います。元々教会に来ることに幸福を
>感じていないわけですから、来なくなって当たり前なのです。
そうですね。
> ちなみに、私が今お休み会員なのは、このときの自分を許せないか
>らです。他にもいろいろありますが、これが全てのきっかけであり、
>そのためか、他の方々のような「教会から被害を受けた」という感覚
>は全くありません。オーナーにいわせれば、「自分を許せないのが、
>そもそも教会の構造的問題から来ることだ」ということになるので
>しょうけど(^_^;)
誰が加害者かということはともかくとして、「自分を許せない」という感覚を持つのは辛いことです。私自身、18年間もモルモン教会の会員であり続け、なおかつ指導的に立場にいたということについて、「自分を許せない」という気持ちを払拭できていません。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。(マタイ11:28)」というイエスの言葉を重く受け止めたいと思います。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~exmormon/claims/profile.htm
Name : 「聖徒の未知」オーナー HANK@森 Mail : mori-hdk@shonan.ne.jp
Time : (99年1月12日<火>15時21分)
重荷を下ろすには…
to:森オーナー
>私自身、18年間もモルモン教会の会員であり続け、なおかつ指導
>的に立場にいたということについて、「自分を許せない」という気
>持ちを払拭できていません。
なるほど。そういえば、95年の6月でしたか。お会いしたとき、
やけに黒い背中が印象に残っています。
しかし、私は思うのですが、指導的立場にいたことで払拭できない
のなら、教会について調べれば調べるほど、よけいに重荷は大きくな
るのではないでしょうか。知れば知るほど、「自分はこんなところに
人を入れようとしていたのか」と、自分を責める材料を増やすだけだ
と思います。それよりも、脱会の助け、心のケアに専念された方が、
早く回復できるのではないでしょうか。最近、宣教師や教会員と町で
すれ違っても、幸せそうな顔をした人がいません。私は、自分が幸せ
でないのに人に幸せを伝えることはできないと思います。オーナー自
身が、教会を脱会したことに(破門でも、望んだ破門でしょ?)幸せ
を感じなければ、教会にいた頃と同じことをしているのではないか、
そう思います。そう思ったので、2つ目のポストで「負け犬の遠吠え
のようだ」と表現させていただきました。
##
#ところで、やっぱり魚の脂身を食べているんですか?おいしいのは
#わかりますが、ご自愛のほどを(^_^;)。
##
Name : じった Time : (99年1月12日<火>20時04分)
残念ながら
教会が正しいという歴史的可能性はもはやまったくありません。
教会員が救いに必要だと信じこまされてきた数々の儀式も神殿の技も
全て、ただのはったりだということがはっきりしつつあります。
人は思い込みだけで、大きな錯角に陥ることも検証されているようであり、
何よりも、真面目に教会歴史をさぐる数多くの熱心な会員でさえ、
それを認めざるをえない状況になっています。
では、なぜ、そのような方々は今だ教会を続けるのか?となると、
それは人生の大半をすでに教会に過ごしてしまっており、生活習慣を変更することに
伴う犠牲があまりに大きいからであるという理由があるようです。
教会は、教会外の人間にその人生の大半を過ごしてきた生活習慣と
異なった生活を行うことを求め、それが故に改宗者をなかなか得られないのと
まったく同じ、逆の立場がそこには存在するようになったわけです。
不幸なのは、社会生活は不完全であろうとも、事実を基礎として打ち立てられている
のに対して、教会生活は、すべてが偽りを基礎に出来上がっていることでしょうか。
あたし一人の判断で教会を離れた時は、あたしはまだ自分の中の方に過ちが
ある可能性を感じていました。
教会には言い分があり、神の力もあろうと思っていました。
しかし、
上記の例(教会が偽りだと承知しながら教会に集っている人)
について知った今となっては、それらも空しい望みでした。
今になってあたしは、激しい悲しみを感じます。
多くの善良な人々が皆、実は偽りの上に幸福だと思い込む生活をさせられているのです。
悲劇なのは、彼等が真面目で誠実だからこそ、
その偽りを偽りだと気付きにくいということです。
せめて彼等の子供たちだけでも、真実を知ることをとおして、
すばらしい未来、人生を歩んでもらいたいと望みます。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun
Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp
Time : (99年1月12日<火>22時53分)