モルモン教会と教会員、どちらが悪い?


教会と教会員

じったへ

> #ちなみに、私は教会を責めるつもりはほとんどないが、教会員を責
> #めたい気持ちは多分にある(^_^;)

そうですね。あたしも当初そうでしたが、結局それを容認している教会に疑問を感じます。
別に教会員が悪いというのではなくて、運営が背教しているとしか思えなかったわけです。人間の知恵や習慣のものを神のものとしている。って事ですね。
しかし教会はそういう人間を容認していますし、結果、教会は背教している。背教しても構わないのであるなら、あたしも背教します。って事で、止めたわけです。
しかし、今、洗脳が抜けてからようく教会について考えると、その歴史のはじめから教会はどうも背教いるわけで(^-^;)
今さらはじまったわけでもなかったわけですね。

たしかにじったがいうように、昔の事はよくわからないから今が大切だと思います。その今だけを見てあたしは教会を辞めましたが、冷静になってみると、昔といってもかなり資料があるわけで、我々はたまたま日本にいるからそれが分からなかったわけです。

素顔のモルモンの高橋氏はそれをBYUまでいって掘り起こし翻訳し資料として本にされたわけです。また森さんはインターネット上に流れている大量の資料に目をとめ結論にいたったわけです。
そして、最後に、今も教会員である某兄弟もまた、(おそらく日本の末日聖徒の中ではもっとも末日聖徒研究に真面目にとりくんでいらっしゃる方だと思いますが)それを認めたという事実において、あたしはまったくもって教会の主張は実は偽りであったと判断せざるを得なくなりました。

ここにおいて背教した今さらですが(^-^;)、あたしゃ心底ギャフンとなってしまいました。

まったく教会には救いがないのです。

辞めた当初は宗教として認めるつもりでしたが、今や宗教としても認めるわけにはいかないという気持ちになっています。しかし、まぁ、神様は認めてくれるかもしれません。それが神の不思議なわざですかね。

あたしの嘆きの気持ちはあたしのホームページにやっくんの詩編としてアップしました。よかったら見て下さい(^-^;)
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月14日<木>22時02分)


言動不一致>>勘違い理解

あつしさん>>

あなたも勘違いされているのです。

教会は一見正しいそうな事をいいます。愛だ友情だ自由だと。
しかし、その意味は、あつしさんが理解している愛だとか友情だとか自由だとかとは、微妙に違うわけです。

教会は「愛」が一番だといいながら、その実「愛」なんてどうでもいいのです。教会のプロジェクトを忠実に行う人間ならば、その人間に「愛」がなくたって指導者にしてしまう。でもって指導者にされた方は「愛」がないのに、指導者になったのだから自分には「愛」があるんだと勘違いしてしまうわけです。

その結果その愛がない指導者は愛があると思い込んで愛のない指導を行う。
会員も愛が一番だと教えられているから、当然そう教える方の指導者は愛があると思って、愛のない指導を愛の指導だと受け入れてしまう。

教会の中ではこんな勘違いだらけなのです。

そう理解すれば、あつしさん、あなたが教会に集っても、どうして全然楽しくないのか分かるでしょう?
思い当たる事がありませんか?

教会はその創設時からそんな調子なんです。だから純潔の律法とか貞節とかいいながら多妻結婚はよいになれちゃうんですね(^-^;)
つまりこれは「人を愛しなさい。殺してはいけない。」といいながら「サリンをまきなさい」という指令が同時にできる教団だという事なわけです。
全会員が多妻結婚したわけぢゃないですから、全会員がサリンをまくっていわなくても、考えてみれば問題なかったかもしれませんがね(^-^;)(今にして気が付く(^-^;))
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月15日<金>02時47分)


筋の通らない事

あつしさん>>

> 大管長の命ならばサリンを撒くという気持ちを起こさせる教会も変ですが、撒かな
> いと言った人が半数もいたので教会をやめたというあなたはもっと変ですね。

あつしさんは理屈とか「筋」っていうものをご理解されていらっしゃるでしょうか?
事実として、教会は「指導者に従え」と教えているのです。
たとえ「指導者が間違っていても従え」とね。
インスティチュートの歴代大管長という教会側の資料にははっきりそのように書いてあります。
ちなみにこの話しには「オチ」があって
「しかし、教会の指導者は間違えない。」なんだそうです。(^-^;)

で、あるならば、指導者がサリンをまけといったらまくのが筋でしょうね。
それが「人間の目から見て間違っている」事であろうとも人知を超えた崇高な神の高い視点からの判断による霊感による指導であるならば、「まく」というのが本来の筋でしょう。

ところが、実際には教会はこのような筋が通っていないわけです。

サリンをまけといったら4割りがまくと答えたという数字は実に微妙ですが、(^-^;)

6割りは筋をとおさない人間の集まりなんですよね。教会は。
(ちなみに実際には「わからない」「ありえない」っていう答えもありますから明確にまかないと答えた人が6割っていう意味ぢゃないですよ。)

と、いうことは、教会の筋は4割しか通らない。

つまり、当時あたしが教会を見て思ったことは、

1.教会は背教しているからつどっても無駄である。
2.教会が背教していも神がそれを容認するというのであるならば、あたしが背教しても神はこれをも容認するだろう。

って事です。(実際にはこの結論に達するには紆余曲折ありましたよ。だから「それも教会をやめた理由」なわけですね)

世間から見れば4割り「も」まくでしょうが、あたしからみれば6割り「も」まかない事が教会は変だという感覚になったわけです。

ま、結局、この時の教会に対する疑念が、(実際他にも疑念が発生する事があったので、これはその多くの中の一つにすぎません)教会はまったくもって虚実の固まりである。御都合主義であるという結論にいたったわけですね。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月15日<金>02時48分)


言動不一致>>勘違い理解

>やっくん
>教会は「愛」が一番だといいながら、その実「愛」なんてどうでもいいのです。教会のプロジェクトを忠実に行う人間ならば、その人間に「愛」がなくたって指導者にしてしまう。

もしそうならば彼を指導者にした上層部の「監督不行き届き」であって「愛」なんてどうでもよい云々の話とは別な問題でしょう。

>やっくん
>でもって指導者にされた方は「愛」がないのに、指導者になったのだから自分には「愛」があるんだと勘違いしてしまうわけです。

やっくんこれは勘違いの話であって愛云々の話ではないでしょう。

>やっくん
>その結果その愛がない指導者は愛があると思い込んで愛のない指導を行う。会員も愛が一番だと教えられているから、当然そう教える方の指導者は愛があると思って、愛のない指導を愛の指導だと受け入れてしまう。教会の中ではこんな勘違いだらけなのです。

あなたのこの話自体が勘違いなのではないでしょうか。

>そう理解すれば、あつしさん、あなたが教会に集っても、どうして全然楽しくないのか分かるでしょう?
思い当たる事がありませんか?

教会に集って楽しいかの話をしているのですか?
楽しい時もあるし、苦しい時もあるのが人生でしょう。

>やっくん
教会はその創設時からそんな調子なんです。だから純潔の律法とか貞節とかいいながら多妻結婚はよいになれちゃうんですね(^-^;)
つまりこれは「人を愛しなさい。殺してはいけない。」といいながら「サリンをまきなさい」という指令が同時にできる教団だという事なわけです。

多妻結婚は確かに人間的な間違いから生れたと思いますが
サリンを撒けという指令を誰かがだしたのですか?

>やっくん
>全会員が多妻結婚したわけぢゃないですから、全会員がサリンをまくっていわなくても、考えてみれば問題なかったかもしれませんがね(^-^;)(今にして気が付く(^-^;))

今にして気が付けば直したら善いでしょう。

atusi@ryukyu.ne.jp

Name : あつし。 Mail : atusi@ryukyu.ne.jp Time : (99年1月15日<金>18時57分)


筋の通らない事

>>やっくん
>あつしさんは理屈とか「筋」っていうものをご理解されていらっしゃるでしょうか?。事実として、教会は「指導者に従え」と教えているのです。たとえ「指導者が間違っていても従え」とね。
インスティチュートの歴代大管長という教会側の資料にははっきりそのように書いてあります。

あなたは「たとえ指導者が間違っていても従え」ということをまともに信じるのですか。これを信じる人は馬鹿です。
「間違っていることが明確ならば」神様が言う事だって聞いてはいけませんよ。

>ちなみにこの話しには「オチ」があって
「しかし、教会の指導者は間違えない。」なんだそうです。(^-^;)

「間違えない」なら信じましょう。

>やっくん
で、あるならば、指導者がサリンをまけといったらまくのが筋でしょうね。それが「人間の目から見て間違っている」事であろうとも人知を超えた崇高な神の高い視点からの判断による霊感による指導であるならば、「まく」というのが本来の筋でしょう。
ところが、実際には教会はこのような筋が通っていないわけです。

あなたは人間には自由意志があるということを学ばなかったですか。
強制は悪魔の仕業であるということを学んだでしょう。
人は誰にも強制することは出来ないと学んだことはないですか?
あなたは教会を止めたいまでもまだ撒くというのですか?

>>やっくん
>サリンをまけといったら4割りがまくと答えたという数字は実に微妙ですが、(^-^;)6割りは筋をとおさない人間の集まりなんですよね。教会は。(ちなみに実際には「わからない」「ありえない」っていう答えもありますから明確にまかないと答えた人が6割っていう意味ぢゃないですよ。)

と、いうことは、教会の筋は4割しか通らない。

つまり、当時あたしが教会を見て思ったことは、

1.教会は背教しているからつどっても無駄である。

あなたみたいな人は集っても無駄でしょう。

2.教会が背教していも神がそれを容認するというのであるならば、あたしが背教しても神はこれをも容認するだろう。

そうであるならば容認するでしょう。

>>やっくん
>って事です。(実際にはこの結論に達するには紆余曲折ありましたよ。だから「それも教会をやめた理由」なわけですね)
世間から見れば4割り「も」まくでしょうが、あたしからみれば6割り「も」まかない事が教会は変だという感覚になったわけです。

今もその感覚は同じですか?。

>>やっくん
>ま、結局、この時の教会に対する疑念が、(実際他にも疑念が発生する事があったので、これはその多くの中の一つにすぎません)教会はまったくもって虚実の固まりである。御都合主義であるという結論にいたったわけですね。

教会も御都合主義。やっくんも御都合主義。みんなその時代に合わせて御都合主義になる。いいんじゃないの。それで、
ところでやっくんの言う御都合主義ってなんなの?
あなたの解釈を聞かなければそうであるということなの?

atusi@ryukyu.ne.jp

Name : あつし。 Mail : atusi@ryukyu.ne.jp Time : (99年1月15日<金>19時35分)


チョイス

あつしさん>>

>>教会は「愛」が一番だといいながら、その実「愛」なんてどうでもいいのです。
>>教会のプロジェクトを忠実に行う人間ならば、その人間に「愛」がなくたって指導
>>者にしてしまう。
>
> もしそうならば彼を指導者にした上層部の「監督不行き届き」であって「愛」なん
> てどうでもよい云々の話とは別な問題でしょう。

それは好意的解釈ってやつでしょう。
しかしあたしにいわせれば監督不行届きという事自体、上層部に「愛」がないという事なんぢゃないか?と思いますよ。もしも「愛」があれば不行届きにならないでしょ。
あつしさんのおっしゃる「愛」とは不行届きなものでも「愛」だという愛でしょうか?
それこそが、末日聖徒のいう所の言葉の取り違いってやつでしょうね。
「愛」っていうのは「不行届き」にしないから「愛」だというのであって、そうでない「不行届き」をしてしまう「愛」っていうのは「愛」が足らない「愛」かあるいは「都合がいい」「愛」なのではないんですか?

> やっくんこれは勘違いの話であって愛云々の話ではないでしょう。

「愛」という言葉の勘違いの話しでしょ。
だから、監督不行届きであって「愛」がないわけぢゃないっていうのが、「愛」っていうものをそもそも「勘違い」しているという話しなんですよ。
その「勘違い」をとおしてしまうから教会の言葉と行いは違うのだといっているのです。

あつしさん、あなたは都合のよいように言葉や漢字の意味を変更する天才です。
だから、その部分において教会と共感しているのではないかとあたしは思います。
あなたにとってはそのように言葉を都合がよいように解釈してそれを広める教会は実に都合がよいのかもしれません。
だから、あなたは教会の別の側面に反発しつつ、その実都合のよいところはチョイスし、それを守ろうとするのでしょう。
それがあなたの人生でありアイディンティであること、つまり個性であることは認めます。

ただし、それは結局は真理ではないのです。あなたにとって真理でも、万民に共通の真理ではない。それさえ認めてくだされば、それでいいのです。
ハゴツの民が沖縄について、沖縄人こそニーファイ人である。…これはあなたにとって真理でも、万民の真理ではないのです。万民にとってはそれはバーチャルつまり仮想、空想の話しなのです。
末日聖徒の「末日聖徒こそ唯一絶対の神の教会だ」という主張も、仮想の真理であって、万民の真理ではない。
万民の真理でないことは幻想にすぎないわけです。その幻想を持って、そうでない他人の人生を破壊し、追い詰めるやり方がカルトなわけです。

あなたがあなたにとっての真実、しかし他者にとって幻想であることのために他人の人生を破壊する教団の肩を不用意に持つのは止めた方がよろしいのではないでしょうか?

> 多妻結婚は確かに人間的な間違いから生れたと思いますが

でましたね、自分の都合のよいチョイス的解釈(^-^;)
教会自身が「多妻結婚は人間的な間違いでした。」って認めていないのですから、その言い方はあなたが自分の都合のよいところだけとりをしていることがよくわかる発言です。

> サリンを撒けという指令を誰かがだしたのですか?

誰もだしていませんよ。仮定としてアンケートを取っただけです。
「もしもサリンをまけといったらまくのか?」ってね。

> 今にして気が付けば直したら善いでしょう。

なおしております。しかし教会にもどる程、教会に価値があるとは思えません。もどったらまたどこで馬鹿になってしまうかわかりませんので(^-^;)
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Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月15日<金>21時47分)


あたし馬鹿でした(今の?(^-^;))1

あつしさん>>

> あなたは「たとえ指導者が間違っていても従え」ということをまともに信じるので
> すか。これを信じる人は馬鹿です。
> 「間違っていることが明確ならば」神様が言う事だって聞いてはいけませんよ。

ご説ごもっともです。
馬鹿かそうでないか?という事でいうならば、あたしは馬鹿でした(^-^;)。
でもって、今、自分がいかに愚かであったか気が付き後悔、懺悔しているわけです。
ちなみに、末日聖徒は「馬鹿」の製造工場でして(^-^;)
あたしと同じような馬鹿が約4割いるというわけです。

個人の責任ということを述べるならば、
残念ながら真面目な性格であったこと、まっすぐ生きる事が結果的に馬鹿になったと思います。
これは小林よしのり氏が「ゴーマニズム宣言」の中でオウム信者について指摘されているように、純粋まっすぐ君が陥ってしまった墓穴ともいうべきことでしょう。

で、純粋まっすぐ君は(^-^;)どこまでいっても純粋まっすぐですので、
教会が筋が通らないとなると、ガビーンとなって離れるわけです。

今もって教会に残る人は、純粋でもまっすぐでもない、どちらかというと、むしろ世人に近い人たちでしょう。教会の教えの都合のよいところだけをチョイス出来る、愛すべき人たちです。

それがいわゆる6割程いるということですね。

> 「間違えない」なら信じましょう。

あつしさんも純粋まっすぐ君ですね(^-^;)。
間違えないなんて話をマトモに受け取っちゃいけません。
それではあなた自身がのべている「馬鹿」になります(^-^;)
矛盾していますよ。

> あなたは人間には自由意志があるということを学ばなかったですか。

ここでいっている自由意志とは教会の教えている自由意志という意味でしょうか?

ちなみにあたしが教会で教わった自由意志の本質とは「二者択一」

従って「天国にいくか、従わずに地獄に行くか」です。

その選択を自由に選べるよっていう話しでした。

ですので、何をやっても自由ですよ。何をして天国にいけますよ。
などという自由意志など教わっていません。

もしも教会が述べている自由意志を後者のような意味だと思っていたら
それは、おそらくあつしさんの勘違いか、
あるいは、末日聖徒が世間体を考えて都合よく教会が元々いっていた自由意志という意味を変化させたのでしょう。

あいかわらず、教会のやることは汚いですね(^-^;)

> あなたは教会を止めたいまでもまだ撒くというのですか?

教会を止めたのに、なんでまかなければいけないのでしょうか?(^-^;)?

> あなたみたいな人は集っても無駄でしょう。

はぁ(^-^;)…?
無駄とは?あたしが述べた無駄という意味は、教会は背教しているのだから、そこでおこなわれていることは神の業ではない。神の業ではないことをいくらやっても、やらなくても同じ事という意味です。

あつしさんが述べるところの無駄とは何でしょうか?

>>世間から見れば4割り「も」まくでしょうが、あたしからみれば6割り「も」まかな
>>い事が教会は変だという感覚になったわけです。
>
> 今もその感覚は同じですか?。

質問の主旨が分かりません。
純粋まっすぐ君で教会の主張をそのままとらえるという立場ならば、6割もまかないという人がいるのは、変でしょうね。
しかし、今のあたしは別に教会の主張をそのままとらえていませんので、4割もまくという人間がいる集団はおっかねぇと思いますよ(^-^;)

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Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月15日<金>21時54分)


あたし馬鹿でした(今の?(^-^;))2


> みんなその時代に合わせて御都合主義
> になる。いいんじゃないの。それで、

おっしゃる通りです。そして、であるならば、教会に集う理由も意味も何もないのです。末日聖徒が存在する必要もないという事です。

> ところでやっくんの言う御都合主義ってなんなの?
> あなたの解釈を聞かなければそうであるということなの?

まず、教会では真理とか過去現在未来をとおしてかわらない事物の知識だと教えています。この定義は教会の定義で一般の定義と違うかどうかは別としますが、ともかくこの定義を受け入れたとしましょう。

では一つの事例としますが、

教会では救いには「神権」が必要だと主張しました。
しかし、過去教会は黒人の方には神権を与えませんでした。
教会は人を救うためにあるといいましたが、
黒人の方に神権を与えないということは、彼等は救わないという事になります。
その理由は彼等は前世の罪があるので、現世で肉体がある事だけで祝福だからだみたいな事を説明していました。

ところが、公民権運動が高まり、内外からの批判の声にさらされると、
教会は「御都合」により黒人に神権を与えるようになりました。

もしも、教会がのべている事が真理であるならば、過去現在未来を通じてかわらないはずでしょ。このような人の救いに関わる根幹的な事には。
もしも今神権があたえることが真理であるならば、過去の教会は非真理な業を行っていた事になり、過去が真理ならば今は非真理なわけです。

真理はかわらないと主張していながらその真理を都合によってかえる。
これを御都合主義だとあたしは定義しております。
問題なのは、かわらないといってかわっておきながら、それを隠す行為です。
あたしはかわらないと過去主張しましたが、今かわっています。それを隠すつもりもありません。反省しております。愚かで馬鹿だったと(^-^;)
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Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月15日<金>21時54分)


チョイス

やっくん>>
>途中略「愛」っていうのは「不行届き」にしないから「愛」だとい
>うのであって、そうでない「不行届き」をしてしまう「愛」って
>いうのは「愛」が足らない「愛」かあるいは「都合がいい」「愛」
>なのではないんですか?
そんな完璧にも思える愛をいろんな考えの人が加入している教会(組織)に求める、それこそ都合の善すぎる考えではないでしょうか?
やっくん>>
>あつしさん、あなたは都合のよいように言葉や漢字の意味を変更
>する天才です。
お褒めいただき感謝します。
やっくん>>
>だから、その部分において教会と共感しているの
>ではないかとあたしは思います。
わたしはわたしです。部分的だけ共感するのはいけませんか。
昔のあなた?みたいに全てに迎合しなさいと言いたいのですか。
>あなたにとってはそのように言葉を都合がよいように解釈
>してそれを広める教会は実に都合がよ
>いのかもしれません。だから、あなたは教会の別の側面に反発
>しつつ、その実都合のよいところはチョイスし、それを守ろう
>とするのでしょう。
やっくんは都合という意味をどういう意味で用いているのですか?
やっくん>>
>ただし、それは結局は真理ではないのです。あなたにとって真理で
>も、万民に共通の真理ではない。それさえ認めてくだされば、そ
>れでいいのです。
真理とは万民に共通するものでしょう。わたしにとっての真理がも
しも真理であるならばそれは真理といえるのではないでしょうか
やっくん>>
>ハゴツの民が沖縄について、沖縄人こそニーファイ人である。…これはあなたにとって>真理でも、万民の真理ではないのです。万民にとってはそれはバーチャルつまり仮想、>空想の話しなのです。
日本人は「ニーファイ人の残りの子孫」であり、アーマン人を先祖とする沖縄人はレ(ァ)ーマン人の子孫であろう」とはいいましたが。「沖縄人こそニーファイ人である」とは言っていませんよ。
やっくん>>
>末日聖徒の「末日聖徒こそ唯一絶対の神の教会だ」という主張も、仮想の真理であって、>万民の真理ではない。万民の真理でないこと
>は幻想にすぎないわけです。
そうです。万民の真理でないことは幻想です。万民が真理と認めなければ真理ではありません。が、ところで万民(赤ちゃんも含めての人)が認める真理ってこの世にあるのでしょうか、
>あなたがあなたにとっての真実、しかし他者にとって幻想である
>ことのために他人の人生を破壊する教団の肩を不用意に持つのは
>止めた方がよろしいのではないでしょうか?
不用意に教会の肩は持ってはいません。教会の功罪も含めて自分の意見をまとめようとして悩んでいます。
あつし> 多妻結婚は確かに人間的な間違いから生れたと思いますが
やっくん>>でましたね、自分の都合のよいチョイス的解釈(^-^;)
>教会自身が「多妻結婚は人間的な間違いでした。」って認めてい
>ないのですから、その言い方はあなたが自分の都合のよいところ
>だけとりをしていることがよくわかる発言です。
教会自身が「多妻結婚は人間的な間違いでした。」って認めてなければ、あなたやわたしがこれは間違いといっても間違いではではないと言いたいのですか?
やっくん>>
>なおしております。しかし教会にもどる程、教会に価値があるとは思えません。もどっ>たらまたどこで馬鹿になってしまうかわかりませんので(^-^;)
そうですね。皮肉ではなくそれは言えてると思いますね。
しかし馬鹿の概念にも色々あるみたいですよ。
あつし。●● atusi@ryukyu.ne.jp ★★

Name : あつし。 Mail : atusi@ryukyu.ne.jp Time : (99年1月16日<土>22時19分)


あたし馬鹿でした(今の?(^-^;))1

やっくん>>
>ちなみに、末日聖徒は「馬鹿」の製造工場でして(^-^;)
>あたしと同じような馬鹿が約4割いるというわけです。

わたしが依然あなたから聞いた話では撒くと言った人は1割で、不確かな人も含めて3割と聞いた覚えがありますが?、ところで何人のアンケートの結果なのでしょうか?。まーどこにもいろんな人がいますけど、いずれにしても馬鹿が多すぎと思います。微力でも二人で直すほ
うに加担しましょうよ。

やっくん>>
>今もって教会に残る人は、純粋でもまっすぐでもない、どちらか
>というと、むしろ世人に近い人たちでしょう。教会の教えの都合
>のよいところだけをチョイス出来る、愛すべき人たちです。
>それがいわゆる6割程いるということですね。

良識あるその世の人々への仲間入りをお勧めします。

あつし> 「間違えない」なら信じましょう。
やっくん>>あつしさんも純粋まっすぐ君ですね(^-^;)。
>間違えないなんて話をマトモに受け取っちゃいけません。それ
>ではあなた自身がのべている「馬鹿」になります(^-^;)矛盾
>していますよ。

すみません「間違えないなら」ではなく「(その時)間違えてないなら」信じましょうに直してください。

やっくん>>
>ちなみにあたしが教会で教わった自由意志の本質とは
>「二者択一」従って「天国にいくか、従わずに地獄に行くか」です。
>その選択を自由に選べるよっていう話しでした。

あなたが教わった自由意志の解釈は間違いです。

やっくん>>
>ですので、何をやっても自由ですよ。何をして天国にいけますよ。
>などという自由意志など教わっていません。
>もしも教会が述べている自由意志を後者のような意味だと思って
>いたらそれは、おそらくあつしさんの勘違いか、あるいは、末日
>聖徒が世間体を考えて都合よく教会が元々いっていた自由意志と
>いう意味を変化させたのでしょう。
>あいかわらず、教会のやることは汚いですね(^-^;)

あれま、何をやっても天国にいけますよ。などという自由意志は今でも教えてないというか、何をしても天国に行けるという言葉は自由意志という言葉とは関係ないと思いますが?

やっくん>>
>あつしさんが述べるところの無駄とは何でしょうか?

「役に立たない。益のない。」ことです。

Name : あつし。 Mail : atusi@ryukyu.ne.jp Time : (99年1月17日<日>13時42分)


思い込みも真理>本当の真理とは違うけど

あつしさん>>

> 真理とは万民に共通するものでしょう。わたしにとっての真理がも
> しも真理であるならばそれは真理といえるのではないでしょうか

そうでしたね(^^)。
言葉が足らず申し訳ありません。追加させて下さい。
あなたが真理だと思い込んでいる事柄、つまりあなたは真理だと信じているが、実は真理であるかどうかなんてわからない事。これがあなたにとっての真理。
しかし、それは実は真理かどうかなんてわからないのであり、真理でないから、万民にとっては真理ではない。あなたがそう真理だと強く信じている事、つまりあなたにとっての真理であっても、万民はそれを真理だと信じていないのだから、真理ではない。
いずれも、本当の真理とは違う真理です。本当の真理は人間がどう思おうと勝手に存在しているわけです。

> 日本人は「ニーファイ人の残りの子孫」であり、アーマン人を先祖とする沖縄人は
> レ(ァ)ーマン人の子孫であろう」とはいいましたが。「沖縄人こそニーファイ人で
> ある」とは言っていませんよ。

ごめんなさい間違いました。m(_ _;)m↓ペコ

> そうです。万民の真理でないことは幻想です。万民が真理と認めなければ真理では
> ありません。が、ところで万民(赤ちゃんも含めての人)が認める真理ってこの世に
> あるのでしょうか、

認める認めないは真理とは関係ないところでしょう。
世の中は、まだ人間がしらない真理が沢山あるでしょう。
同時に、勝手に人間が真理だと思っている真理でない事柄も沢山あるって事です。
ここでいう人間とはかならずしも人類全体って事ぢゃないですよ。

> 教会自身が「多妻結婚は人間的な間違いでした。」って認めてなければ、あなたや
> わたしがこれは間違いといっても間違いではではないと言いたいのですか?

いえ違います。つまりあなたが弁護しようとしているのは教会ではないということをいいたいのです。

> しかし馬鹿の概念にも色々あるみたいですよ。

そうかもしれませんが、あたしはご免です。


http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月17日<日>15時51分)


教えの実践より、儲け道>>末日聖徒の事だよ(^-^;)

あつしさん>>

> そんな完璧にも思える愛をいろんな考えの人が加入している教会(組織)に求める、
> それこそ都合の善すぎる考えではないでしょうか?

違うでしょう。組織が実践できないうちに、いろんな考えの人をそもそも加入させちゃいけないのですよ。
たとえば、あつしさんやあたしのような人を加入させちゃいけないわけです(^-^;)
組織の教えを実践出来ないのですから。
組織の教えを実践出来るようになって始めて加入させることにより、組織の教えは組織の実になるわけです。
しかし、末日聖徒の場合、組織の教えが実体を持つことよりも、組織を巨大化させる事の方が重要なわけです。だから「いろんな考えの人」が加入してしまい、組織の教えの実践が出来ないのです。
この事から、組織の教えが一番大切だといいながらその実は組織の教えなどよりも、組織の巨大化の方が大切だという、末日聖徒の本質が見えてくるわけです。

組織の教え、つまり愛が本当に大切なら、完璧にも思える愛を皆が持つまで待つべきなのです。ところがそうぢゃない。言動不一致なわけです。

> わたしはわたしです。部分的だけ共感するのはいけませんか。
> 昔のあなた?みたいに全てに迎合しなさいと言いたいのですか。

教会は全てに迎合しなさいと教えています。
もっとも、そう教えている人は、そうぢゃないのですがね(^-^;)
そこで、表と裏が出てくるわけです。
あたしは、表の言葉を真っ当に受けとったわけです。
しかしあつしさんは裏の方をとっている。
表と裏があるなら、最初から表と裏があると言えばいいのに。そうすれば、あたしみたいな
ど勘違いな人間は出なかっただろうなあとあたしは思いますよ。
あなたのような、適当な所で迎合して、人生の美味しい面だけ生きている人を見ると、
素直に、うらやましい。ねたましい気持ちです。
そう。つまり、ただの妬みだとご理解下さい。

> やっくんは都合という意味をどういう意味で用いているのですか?

自分に有利とでもいいましょうか。つまりあなたにとって有利な事柄を都合がよい事。
不利な事柄を都合が悪い。っていうことでしょうね。
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Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月17日<日>15時52分)


自由意志>>理解次第で大きく変わる

あつしさん>>

> あなたが教わった自由意志の解釈は間違いです。

そんな事はあたしにいわれても困ります(^-^;)

> あれま、何をやっても天国にいけますよ。などという自由意志は今でも教えてない
> というか、何をしても天国に行けるという言葉は自由意志という言葉とは関係ない
> と思いますが?

いえ、それが本質です。そこの所のデリケートな所をつめないと言葉の勘違いが生じるのです。

たとえば、山にのぼりたいという意志がある中で、
右にいけば山にのぼる。左に行けば山から下る。
さあどちらを選ぶ?選択の自由だ。

というのであれば、山にのぼりたいのですから(^-^;)当然右に行く事でしょう。
教会がいう自由意志とはこのような事です。(しかし教会はこの事実は隠しています)

ふつうに述べる本当の自由意志とは
山にのぼりたいという意志がある中で
右にいけば右コースで山にのぼる。左にいけば左コースで山にのぼる。
当然双方の景色は違うが、どちらを選ぶか?

というようなものです。

別のいいかたをするならば、お腹がすいているとき、
ラーメンと、カレーと、牛丼と、フランス料理のフルコースがあるが、どれにする?
っていうのが本当の自由意志です。
腹を満たすだけなら、どれを選んでも構わないわけで、それゆえにどれを選ぶのかが大切なわけですね。(腹をみたす以外の要素が絡む。たとえば予算とか体調とか気分とかムードとか)

サリンをまこうがまくまいが天国にいけますよ。
っていわれたら、誰がサリンなんかまくでしょうか(^-^;)
まかなければ天国にいけないというから、その言葉を信じてまくわけです。
天国にいきたいかいきたくないかという選択なわけです。

それに対して、サリンなんかまかなくても天国にいけるはずだと思っている人や、
サリンまくぐらいなら天国なんかいきとーないわい。っていう人が
そうでない選択を選ぶわけですね。

> >あつしさんが述べるところの無駄とは何でしょうか?
>
>「役に立たない。益のない。」ことです。

それぢゃ、同じ認識ですね。つまりあたしは天国に行くのに教会に集うなんて事は役に立たない。益のない事だと思ったので、止めたのです。
いやいや、実際には、天国にいくという事にこだわること自体、役に立たない、益のない事だと思った次第です。

もっともあつしさんがあたしにいいたかったのは、あたしなんかが教会にいくらつどっても役も益にもならん事かもしれませんが、それもまた、教会の存在する意味なんかないのと同じって事ですよね。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月17日<日>15時54分)


サリンの話しはMF15号を読んでね

あつしさん>>

> わたしが依然あなたから聞いた話では撒くと言った人は1割で、不確かな人も含め
>て3割と聞いた覚えがありますが?、ところで何人のアンケートの結果なのでしょ
>うか?

あたしも面倒くさがりやなもので、どうにもテキトーな事をいってしまいがちで申し訳ありません。

お望みの詳しい事については、当時のあたしの見解(今の見解とは大いに異なる)とともにモルモンフォーラム第15号にあります。

当時の情勢や様々な考察など、今にして思えば随分真面目に述べており、
おそらく、あたしのいいたいことを誤解なく理解するのに、これ程参考になるものはないとおもいますので、是非読んで見て下さい。
しかし、当時も今も文章を的確にまとめるのはへたくそですので、意味もなく長文です(^-^;)

もしも長文でなかったら、全文掲載してもよかったのですが、疲れる程長文なので、止めました(^-^;)(^-^;)

> 良識あるその世の人々への仲間入りをお勧めします。

えっと?これは誰に?>>教会orあたし?

> すみません「間違えないなら」ではなく「(その時)間違えてないなら」信じましょ
> うに直してください。

ううん。これは鶏が先か卵が先かではないですか?

間違えているか、間違えてないかわからないから、どちらかを信じるというこだと思います。
間違えてない事が確実なら、それは信じる事ではなく、ただ従うだけでしょう。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月17日<日>15時59分)


サリンの話は

私の記憶が正しければ、5割だったと思うぞ。

その後、某氏が自分のユニットで得たという回答を付け足して1割から3割になったように思う。

Name : じった Time : (99年1月18日<月>00時08分)


サリンの件、もう一つ

to:やっくん

>それに対して、サリンなんかまかなくても天国にいけるはずだと思っている人や、
>サリンまくぐらいなら天国なんかいきとーないわい。っていう人が
>そうでない選択を選ぶわけですね。

 ちょっと待って。これ、ずいぶん変えてませんか?もっと吟味された意見が出ていたように思いますよ。
単純にこういう言葉でまとめられなかったと思います。だから、モルモンフォーラムの掲載文が長文なん
じゃないですか?

Name : じった Time : (99年1月18日<月>00時42分)


はしょったのさ

>ちょっと待って。これ、ずいぶん変えてませんか?

あたし流にはしょったまでです。
だから、全部のせれないっていったでしょ(^-^;)
(読み返してみると、恐ろしく長い。しかも当時の自由意志に
対する認識はかなり甘い(^-^;)…っていうか理解していなかった
所があった。)
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月18日<月>03時27分)


自由意志>>理解次第で大きく変わる

やっくんへ
あなたは自由意志という言葉の意味を理解次第で大きく変わると言いました。自由意志(他から束縛されず自らの責任において決定する意志)の話をするのに
「たとえば、山にのぼりたいという意志がある中で、右にいけば山にのぼる。左に行けば山から下る。さあどちらを選ぶ」と束縛された話を持ち出す。
ここにはあなたが次で言う不十分な「選択の自由」しかないではないですか。

やっくん>>
>「山にのぼりたいのですから(^-^;)当然右に行く事でしょう。
>教会がいう自由意志とはこのような事です」>(しかし教会は
>この事実は隠しています。)

幼かった改宗当時のやっくんに教会がどのように自由意志の言葉を
説明したのか、わたしには知りようもありませんが、あなたの自由
意志の言葉の解釈は間違えてます。ですから直してください。
つまり
「ふつうに述べる本当の自由意志とは山にのぼりたいという意志がある中で」という設定は出来ません。足が悪くて山に登る自由意志を最初から持たない無い人もいますし、山よりも海に行きたいという人もいるからです。ですから
「右にいけば右コースで山にのぼる。左にいけば左コースで山にのぼる。当然双方の景色は違うが、どちらを選ぶか?というようなものです。」という二者択一された束縛された設定は出来ません。

「右に行っても、左に行っても山に登る」とは「右のコースを行っても、左のコースを行っても幸せになれる」という譬え話ですがこの話の帰結はあなたやわたしがいう幸せとはなにかこれを論じないと行けないということになると思います。

やっくん>>
>サリンをまこうがまくまいが天国にいけますよ。っていわれたら、
>誰がサリンなんかまくでしょうか(^-^;)
>まかなければ天国にいけないというから、その言葉を信じてまく
>わけです。

やっくんよ、やっくんあなたとは付き合えません。だれがそんなことを言いました。これは事実の話ですか。自作した仮定の話を持ち出してこのように「自分(達)の解釈は大管長は神と同じようなものだからサリンを撒く」と結論づける。それこそ自分も他者をも埋める惨めな「アナホリ」作業というものでしょう。

いいですか大管長は神ではありません。彼は私たちと同じ人なのですよ。
なぜ言いもしない話を持ち出してきてサリンを撒くと盲信するのでしょうか。わたしにはあなたの言葉はなにかを意図した罠だらけ、
「どこぞの教団に入って、そこの代表を神と崇めて、どうぞサリンを思い切り撒いてください」とだけ言いたい今の気持ちです。

あー腹が立ってきた。

Name : あつし。 Mail : atusi@ryukyu.ne.jp Time : (99年1月21日<木>08時00分)


加害者でなく被害者を責めて楽しいですか?1

あつしさん>>

あなたは私を責めて何を目指しているのですか?
私は、教会はこう教えているといっているだけです。
その私に

> あなたの自由
> 意志の言葉の解釈は間違えてます。ですから直してください。

というのは、見当はずれでしょ。
「教会はそんな事を教えていない。あなたの教会の解釈は間違っている。ですから直して下さい。」
というのであれば、意味は通じますが、あなたの言っていることはそうではない。
ですので、私には理解不能です。

> ここにはあなたが次で言う不十分な「選択の自由」しかないではないですか。

だから、教会が述べるところの自由意志とは選択の自由でしかないのです。

> 足が悪くて山に登る自由意志を最初から持たない無い人もいますし、山よりも
> 海に行きたいという人もいるからです。

それは山に登る意志を持つ前の選択でしょ。それこそ山にも海にも行こうなどと思わない場合もある。その場合は、「何かをしたい」という意志のもとに選択されているわけです。そして「何かをしたい」という意志も「何かするかしないか。」という選択の結果なわけです。
あたしは、たまたま、山に行くか海に行くかという選択を終えた後の話しをしているわけです。これが山でなくても海でも同じでしょ。

> この話の帰結はあなたやわたしがいう幸せとはなに
> かこれを論じないと行けないということになると思います。

私が説明しているのは、教会の主張です。私はかつて、教会の主張どおりに従っていただけにすぎません。ですので、かつての私に文句があるならば、教会が間違っているということをあなたは認めなければならない。何故、教会の責任を私に転換するのでしょうか?そうやって教会を弁解したいのですか?

もしも、「教会はただしい。お前の解釈が間違っている。」といいたいのであれば、また話しはわかるのですが…。しかし、そうであるなら、そうであるで、ではただしい教会の教えの解釈を根拠をもっていってください。ここでいくらあなたの「自分で思っていること」を説明されても話しが噛み合いません。
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月21日<木>11時16分)


加害者でなく被害者を責めて楽しいですか?2

あつしさん>>

> 自作した仮定の話を持ち出してこのように「自分(達)の解釈は大管長は神
> と同じようなものだからサリンを撒く」と結論づける。それこそ自分も他者をも埋める惨め
> な「アナホリ」作業というものでしょう。

もしも大管長がサリンをまけと指令したら、それに従うのかどうか?
という質問、聞き取りを私はしました。
その結果、まくという回答を寄せたひとは20余名中9人余、つまり4割りいました。
これはネットを経由しての聞き取りなので、人数は少ないですが、二つの事がわかります。

1.地方による片寄りはない。
2.ネットの匿名性という性格上、かなり本音?だと思われる。

まくといったのは当時の私だけではないのです。文句があるなら、そういう回答をするように影響を与えている末日聖徒イエス・キリスト教会へお願いします。

> いいですか大管長は神ではありません。彼は私たちと同じ人なのですよ。
> なぜ言いもしない話を持ち出してきてサリンを撒くと盲信するのでしょうか。

それに対する説明を何度もしているのに、あなたは理解しようとしていない上、そんな盲信は「既に辞めた」私に文句を言われても、困惑しかありません。

> 「どこぞの教団に入って、そこの代表を神と崇めて、どうぞサリンを思い切り撒いてくださ
> い」とだけ言いたい今の気持ちです。

だから、私はそんな信仰は辞めて、そのような信仰をしろと求める末日聖徒イエス・キリスト教会を否定しているのです。何故そんな私がそのような事を言われなければいけないのか分かりません。

> あー腹が立ってきた。

腹を立てる相手を間違えています。私ではなくて教会でしょ。誰か助けて下さい(T_T)
http://www.kis-net.ne.jp/user/yakkun

Name : やっくん Mail : yakkun@kis-net.ne.jp Time : (99年1月21日<木>11時16分)


自由意志1

to:やっくん

 んと、やっくんの自由意志云々を読みましたが、教会が教える自由意志について、
やっくんが理解されているのと私が理解しているのと、違いがあります。

 まず、私が理解している自由意志は、やっくんのいう自由意志と同じです。つま
り、右も左も山を登る道で、結果は頂上に着くけれども、景色は違う。私は教会が教
える自由意志も、こうだと思います。「収穫の律法」(リンゴの種からミカンはでき
ない。人は自分の行動の結果を受け入れなければならない)もです。

 そこで、どこで認識のずれが発生したか、考えてみました。そうすると、イリアン
タム(教会員だけでやっているメーリングリスト)でマザー・テレサの話をされてい
たのを思い出しました。どのような内容だったか、きちんと読んでいたわけではない
ので憶えていませんが、「彼女のようなすばらしい行いをした人が、儀式を受けてい
ないから救われないなんていうのはおかしい」と仰っていたように記憶しています。
このことや他のここでの発言から、「戒めを守らなければ救われない」とお考えなん
だと推測しました。この推測の下、以下に話を進めます。

Name : じった Time : (99年1月21日<木>17時04分)


自由意志2

 さて、私の認識では、この「戒めを守らなければ救われない」というのも、間違っ
ています。なぜなら、戒めは、その戒めを守ることができる人にしか与えられないか
らです(モルモン書を読む限りの、私の戒めに対する解釈)。アルマは息子に「日々
神に祈り求めなさい。そうすれば神はおまえのためになる戒めを与えたもう」と記し
ています。また、バプテスマまでのレッスンプランでは、最初にイエス・キリストに
対する信仰を教え、本来なら、キリストを信じる信仰がなければ次の段階に進んでは
いけないのです(ここに教会の問題がある)。そしてバプテスマは、キリストを信
じ、その戒めを守る証として受けるものであるとも、記されています。そうして、キ
リストへの信仰が満ちると、もう罪を犯そうとは思わない(モルモン書より)、状態
になります。こういう人に対して戒めを与えても、「戒め」とは思わないでしょう。
それを守ることは当たり前なのですから。神の目的は人を救うことであり、決して滅
ぼすことではありません。神の御心は、全ての人を救うことであり、決して滅びる人
を作ることではありません。もし戒めを守る準備ができていないのに戒めを与え、そ
の戒めを守れないために救われないとすれば、戒めを与えた神がその人の救いを放棄
したことにならないでしょうか。戒めは、それを守れる人にしか与えられません。そ
れは奉献の律法(収入をはじめ、自分の命を含む全てを主に捧げること。その後、必
要な分が神から戻される)が取り上げられ、代わりに什分の一の律法(収入の10分
の1を主に捧げること)が与えられたことからも理解できると思います。

 したがって、サリンの件は、「主の命令であれば大量に人が死に、無関係の人も巻
き込むかもしれないが、実行する」という信仰を持っている人には、そういう命令が
与えられるでしょう。しかし、そういう信仰を持っていない人には与えられないで
しょう。神の命令を守らないで滅びに至るかもしれない人を作らないようにするため
にです。

 私が理解している神は、全ての人を同じ基準で判断しません。全ての人を、その人
の基準で判断し、裁きます。戒めを与えられた(その戒めを守れるだけの信仰があ
る)人はその信仰にしたがって、戒めを与えられなかった(その戒めを守れるだけの
信仰がなかった)人も、持っている信仰にしたがって裁かれるのではないでしょう
か。そうでなければ、ある人はその戒めを聞くことができたので守ったけれど、戒め
を聞くことができなかった人(教会を知ることができなかった人)は、知っていたら
守ったかもしれないのに、事実として守っていなかったために罪とされれば、不公平
ではないではないでしょうか。

Name : じった Time : (99年1月21日<木>17時02分)


訂正

 「自由意志2」の『神の命令を守らないで滅びに至るかもしれない』を、
『神の命令を守ることができないで滅びに至るかもしれない』に訂正しま
す。

#ちゃんと読み直したはずなんだが(^_^;)

Name : じった Time : (99年1月21日<木>17時22分)


総論・自由意志


やっくんの「誰か助けてよ」の声により、突然登場の「昼あんどん」です。

やっくんの今回の自由意志についてのご意見は、私のつたない理解によれば、以下の様になるかと思います。

教会の教える自由意志とは、本当の意味での自由意志とは言えない。
何故なら、選択肢が限られているので、選ぶ人が自由に選んでいる様に見えても、教会側の意図している道を選択せざるを得ない様に仕向けられているからである。

これに対して、あつしさんは以下のご意見を持っていると、私は理解しています。

教会の指導者の言葉がどうであれ、自分なりの方法で考え、自分の責任のもとで結論・選択をすべきで、その責任を他人や教会に転化すべきではない。
あつしさん個人としては、多妻結婚などでは、教会や指導者は過去に判断を誤ったと思っている。教会も時として間違う事も有るのだから、教会の言う事を何も疑わずに信じる人は、はやりその人の問題となるであろう。

とまあこう言う事だと思いますが、いかがでしょうか?
もし甚だしく間違っていたら、スミマセン訂正をして下さい。

やっくんは、だから教会は悪いと言い、
あつしさんは、だから考えないあんたが悪いと結論してます。

私の意見はというと、時間と手間を思いっきり省略して言えば、
あつしさんの言おうとしている所が正論だと思います。

しかし、被害者と称するやっくんの意見には、飛躍がありますが、かなり真実味が感じられます。
少なくとも信仰を持つ事、教会に集う事などに大変悩み苦しまれた事がわかります。これは貴重な彼の証でもあります。

ですから、簡単にどちらがどうだと言う事は難しいと思います。

ただ、あつしさんを正論と言った理由は、

1.教会には会員を教え導く責任がある訳ですから、数ある選択肢の中から最も妥当と思われる選択肢を指摘するのは当然の事。
逆に考えて、正しいと思われる選択を指摘せずして、どの様に会員を導けるか考えるとお解りかと思います。

2.教会の公式の声明や教義には、個々の会員を導く質の深さには、はっきり言って限界がある。
種々雑多な教会員を誤りなく確実に教えるには、誰もが解る明瞭な理由とわかりやすい言葉が必要です。
だから教会の教えがシンプルにならざるを得なくなると考えます。
会員個々の特別な問題には、それぞれのユニットの神権指導者が、対処する責任にあたる事になってます。
つまり教会の声明や教義は総論であり、各論はもうちょっとフレキシブルに考えるのが妥当だという事です。
(しかし、実際教会ではこんな事は言ってませんが。。。)
(教会もいい子ちゃんぶって、ずるく立ち回っていると言われれば、そんな所もありますね。。。)

以上の様な理由で、やっくんの教会自由意志抑制者説はちょっと飛躍があるものと思いました。

しかし、やっくんの言われる様に教会側がたくらみを持って、今の教会の制度を通して教会員を利用しようとすれば、出来る立場にある事は事実ですね。。。

(やっくんは、もうやってるゾとおっしゃっていますが。。。)

うーーん。これからの時代、教会員もあんのんとはしていられませんなァ。。。

住みにくい世の中だこと。。。。

絶えざる啓示が山ほどあった昔はどこに行っちゃったのかと歎く

昼あんどん デシタ。。。

PS やっくん、助けにならなかったかも。。。ゴメンネーーー

PS2 それにしても、やっくん・あつしさん、お二人の会話はめちゃ分かりにくいです。。。

Name : 昼あんどん Time : (99年1月21日<木>17時27分)


to:あつしさん

to:あつしさん

 はっきり言って、あなたの認識不足です。私は、やっくんから、「もし、
大管長に呼び出され、2人きりで『主があなたにサリンをまくようにいわれ
ました。実行していただけますか。』と問われたならば、あなたはどうしま
すか」と聞かれた一人です。
 この質問で、やっくんが聞きたいこと思ったことは、

1.大管長を神の代理人として受け入れるか
2.神の命令であれば、どんなことでも引き受けるか

ということではないでしょうか。確かにLDSの多くは「代表を神と崇め
て」いるのです。年次総大会のビデオなどで大管長が映されると、自然と畏
怖の念を抱きませんか?それを「盲信」といっているのです。あなたは大管
長という人物を知っているのでしょうか?私は知りません。知りませんが、
地区大会では「予言者、聖見者、示現・啓示を受けるもの」として“支持”
するのではないですか?それは、「教会の大管長なのだから」という根拠の
ない信念からではないでしょうか。これを「盲信」と表現しているのです。

 あと、モルモン書には「愛は長く堪え忍び、嫉まず誇らず親切であって容
易に怒らず…」と書いてあったと思う。ちょっと性急すぎませんか?

Name : じった Time : (99年1月21日<木>17時28分)


じったさんと昼あんどんさんへ

先ず、昼あんどんさん。
的確な要約ありがとうございます。

次にじったさん。
「年次総大会のビデオなどで大管長が映されると、自然と畏
怖の念を抱きませんか?」
ということですが、わたしは畏怖の念は全く感じません。感謝の念とご苦労さまという気持ちと、善い御爺さんだなと時々思う程度です。
「モルモン書には、愛は長く堪え忍び・・・・」の件ですが
悔い改めたいと思います。ご指摘ありがとうございます。

やっくんへ
撒くと言った人たちへは一緒?に抗議しましょう。

あつし。●● atusi@ryukyu.ne.jp ★★

Name : あつし。 Mail : atusi@ryukyu.ne.jp Time : (99年1月21日<木>21時15分)


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