雑誌太陽9月5日発行号の記事

明治28年から昭和3年2月まで『太陽』という雑誌が発刊されていました。わが国で初の総合雑誌であり、論説、史伝、地理、小説、海外思想などを網羅していました。(紹介サイトはここから)
この雑誌が明治34年9月5日発行号(第7巻第10号)でモルモン教の来日について取り上げています。
以下は原文です。句読点は補い、旧漢字は適時改めています。
厳しい内容で、好意的な記事を載せた二六新報を批判したうえで、合衆国の法律も日本の民法も一夫多妻を禁止している事には変わりないのであり、モルモンが宣教を始める以前にモルモン教を禁止し、海外追放せよと述べています。また、法を厳にして、この種の下劣な宗教は禁止しろとまで述べています。
残念なことに記者である「文学土龍山学人」については分かりませんでした。もし、情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらお教えください。

宗教時評 文学土 龍山学人

 ○モルモン宗来る 

喇嘛(ラマ)貫主に次ぎてモルモン宗の伝道師は我邦に渡来せり。喇嘛貫主の我邦に来たりしは単に観光の目的を有せしのみ。然れども後に来たりしものは則(すなわち)然らず。彼等はモルモン宗の教義を伝へんがために来たりしなり。彼等はモルモン聖書を持来れり。彼等は十一箇條の信條と五十八箇の解釈とを斎せり。彼等は基督を信ぜり。彼等は自己の宗教を我邦人に伝へ、之を信ぜしめんとするの勇気と熱心とを有するなり。是れ豈に我邦宗教界のために注目すべきの一現象に非ずや。彼等の来るや、京浜に於ける外字新聞はいずれも不同情を以て之を迎へ、我邦に於て之を厳禁せんことを勧告せり。蓋し彼が主張する一夫多妻の制度は米国人の甚だ忌む所、過ぎし頃一モルモン教徒の代議士として選ばるるや、米国の婦人等はこぞって之に反対し、議場に出席せざらしむることに勤めしといふ。合衆国政府は千八百六十二年、千八百八十二年、千八百八十七年に於て厳酷なる法律を発布し、或は一夫多妻を厳禁し、或は教会の解散を命じ、或は其基本財産をも没収し、遂に千八百九十年に至り、今の教会長自ら一夫多妻を禁ずるの教令を発布せり。しかも、一夫多妻は彼等が神意に契ふものとして信ずるところ。滔々たる弊風は遂に止まず、本年に至りては其根拠たるユタ州会に於て一夫多妻公認の法律を可決したりといへば、一夫一婦を主張する米国人の如きは彼等の勢力の弥漫せんことを恐るるなるべし。或者はユタ州の実業の盛なるを見、又其宣教師の時として実業家を兼ぬるものあるを見て、商工業発達のために此宗教預りて、力ありしならんかとの疑を抱き、其言ふ所又一理あるかの如く思ふものありと雖、余輩は我邦の実業家なるものの内には、稲荷、不動、若しくは他の下劣なる宗教を信ずるものの多きを見て、彼国にも又此の如き蒙昧なる人物の多きを怪しまず。而して彼等の渡来に関し世人が如何なる念慮を以て彼等を迎ふべきか。是れ余輩が最も着眼を怠らざりしところなりしが、其中、二六新報の如きは八月二十二日の紙上に於て、彼等を虐遇することなく、国民の襟度を示すべきことを以てし、彼等が大多数なる一夫一婦の基督教民に囲まれつつ、飽くまで一夫多妻主義を実行して屈せざるの勇気を賞し『吾徒は苦き顔を以て之を虐遇するに堪へず、好意の笑を以て之を迎へ先づ兎も角も其説を聞かんと欲する者也』といふに至りては、余輩は唖然として、所謂其襟度の大なるに驚かざるを得ず。好奇心も此に至りて極れりといふべく、大度量も寧ろ狭量に劣れりといふべし。彼モルモン教徒は一夫多妻に就き弁明して曰く、千八百九十年以後合衆国の法律に依り、第一の妻の生存中に更に第二の妻を娶る者あれば法律の罪人たるべきを以て、我教令は又之を禁じて一夫多妻のものを排斥すと、彼等は法律上其主義を変更したるが如し雖、彼等の心中依然として此主義の神聖なることを信仰せり。彼等はダビッド、アブラハム、アイサック等、聖書中有名なる者の預言者が皆此多妻主義を実行したるものなるこを証し、此証権を以て従来の基督教徒に反抗せり。翻て之を我邦に見る如何。日本民法第七百六十六條は、配偶者ある者は重ねて婚姻を為すことを得ずと規定し、米国法律が規定するところと、毫(ごう)も異なることなし。我邦の当局者たるもの、彼が未だ教を説かざるに先だち、之を海外に追放する決して不可なし。若し夫れ彼等を遇する寛大ならば、彼等は恐く東洋人を以て与し易きものとなし、一夫多妻主義を実行すべき処は東洋にありと称し、神意に適合したるものなることを主張するに至るや、蓋し明かなり。余輩は当局者に勧告す、宜しく法律の明文によりて此劣等なる宗教を禁止し、以て社会の秩序を懐乱せざらしむべし。知らず此際、嘗て生々主義を標榜して得々たりし日本主義の徒、彼等教徒の多妻主義に垂涎して彼等を歓迎し、彼等の教組スミスのために一篇の讃辞を呈するの勇気あるや否や。若し夫れ皮肉的に我邦人現時の宗教を観察せば、彼等家庭の宗教はモルモン宗的の一夫多妻外国に行けば基督教徒の如き殊勝なる顔をなし、死亡せる時は仏教徒の如き顔をするといふが、恐く当世紳士の宗教ともいふべきものなれば、如何に世人の之を遇するかは着目すべき問題なるべし。


現代語訳

 ラマ教貫主についでモルモン宗の伝道師がわが国にやって来た。ラマ教喇嘛貫主の来邦は単に観光目的だった。しかし、後からやって来たものはそうではない。彼らはモルモン教の教義を伝えるために来たのである。彼らはモルモンの聖書を持って来たのだ。彼らは11箇条の信条と58個の解釈をそろえている。彼らはキリストを信じている。彼らは自分の宗教をわが国の人に伝え、信じさせようという勇気と熱心を持っている。こえはわが国の宗教界にとって注目すべき事ではないか。
彼らが来るや否や、東京横浜の外字新聞は揃って否定的論調でこれを迎え、わが国ではモルモン教を厳禁するように勧告した。多分、彼らが主張する一夫多妻制度は米国人の大変忌み嫌うものであろう、過去にひとりのモルモン教徒の代議士が選ばれたが、米国の婦人たちはこぞってこれに反対し、議場に出席させないように勧めたと言う。
合衆国政府は1862年、1882年、1887年に厳しい法律を発布して、あるいは一夫多妻を厳禁、あるいは教会の解散を命令、あるいは基本財産の没収を定め、ついに1890年に至り、今の教会長自ら一夫多妻を禁止する教令を発布した。しかし、一夫多妻は彼らの神と契約したものとして信じるところである。今まで続いてきた習慣は止まず、今年になって本拠地ユタ州会議で一夫多妻公認の法を可決したと言う事である。一夫一婦制を主張する米国人はその勢力がより増える事を恐れているのであろう。
あるものはユタ州の実業の盛んなのを見て、またその宣教師が実業家を兼ねているのを見て、商工業の発達のためにこの宗教に入信すれば力を得れるのではないかとの思いを持ち、モルモンの教義にも一理あるのではないかと思いはじめる者もいるのである。しかし、わが国の実業家にも稲荷、不動やその他の下劣な宗教を信じるのを見れば、わが国にもまたこのような蒙昧なる人物の多いことも怪しむにたりない。
そして、彼らの渡来に際して世間の人はどのような思慮を以って彼らを迎えるべきだろうか。これは私がもっとも着目して止まないところであるが、その中で、二六新報は8月22日号の紙面で、彼らに厳しく接するのではなく、度量を持って対するべきであって、多数派である一夫一婦制のキリスト教徒に囲まれながらも、尚も一夫多妻を実行する不屈の勇気を賞賛して『我々は嫌な顔つきでモルモン教徒に厳しく接することは到底出来ない。好意の微笑で彼らを迎えてとにかくその話を聞こうとするものである』と言うに至っては私は唖然として、その度量の大きさに驚かされるのである。好奇心もここに極まれりと言うべきであり、大度量はむしろ狭量にも劣るというべきである。
モルモン教徒は一夫多妻について以下のように弁明している。1890年の合衆国法によって第1の妻が生存するうちにさらに第2の妻を娶るものがあれば法に基づいて罪人である。だから私たちの教えはこれを禁じて一夫多妻のものを排斥するのであると。モルモンは法律上その主義を変更したようであるが、彼らの心の中では依然としてこの主義が神聖であると信仰している。彼らはダビデ、アブラハム、イサクなど聖書の有名な預言者が皆多妻主義を実行したという事を証して、この証しで従来のキリスト教徒に反抗して来たのだ。
ひるがえってわが国を見てみよう。民法766条は「配偶者ある者は重ねて婚姻を為すことを得ず」と規定している。これは米国の法律が規定する事となんら変わる事はない。わが国の当局者は、モルモンが教えを説く以前に、海外追放しても決して不可ではないのである。もしモルモンを寛大に取り扱うなら、彼らはおそらく東洋人は扱いやすいと判断し、一夫多妻の実行する場所は東洋にありと証して、一夫多妻は神意に適したものであると主張し始める事は、明らかであろう。
私は当局者に勧告しよう。法に明文化して、このような劣等な宗教を禁止して、未然に社会の乱れを防げと。日本主義なる連中が、モルモン教徒の多妻主義垂涎して彼らを歓迎してモルモンの教祖スミスのためにいくらかの賛辞を呈する勇気があるかもしれないのである。もし皮肉な見方が許されるなら、わが国、現在の宗教を観察すれば、モルモン教のような一夫多妻の国に行けばキリスト教徒のような顔付きをして、死んだ時には仏教徒のような顔付きをするのである。これが現代紳士の宗教と言うものであるなら、世間の人がこれを以下に取り扱うかは注目すべき問題である。

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