木下尚江講演「モルモン宗に就いて

「婦人新報」五四号、1901(明治34)年10月25日号

木下尚江という明治の偉人がいます。ネットの人物紹介から引用します。

木下尚江 きのしたなおえ

 1869〜1937(明治2〜昭和12)明治時代の社会運動家・評論家。信州松本で下級士族の長男として出生。1888年(明治21),東京専門学校法律科を卒業,松本で新聞記者や弁護士となり,またキリスト教に入信。1897年(明治30)同志と日本最初の普選運動を始めたが投獄され,1899年(明治32),上京して毎日新聞入社。以後足尾鉱毒問題・廃娼問題など当時の主要な社会問題に取り組み,また鋭い天皇制批判を展開した。1901年(明治34)には同志5人と社会民主党を結成したが禁止され,日露問題が切迫すると平民社に参加,同志とともに非戦論を主張した。そのころ書かれた『火の柱』『良人の自白』は明治社会主義文学の代表作である。その後キリスト教社会主義を旗印に雑誌「新紀元」を刊行するが,そのころから思想的に動揺し,1906年(明治39),母の死を契機にそれまでの活動から離脱し,岡田式静坐法に心酔したり,鎌倉新仏教に近づき宗教的生活を送った。著作は『木下尚江著作集』15巻(明治文献)にまとめられている。」

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この木下尚江がモルモン教(当時はモルモン宗)について講演を行い、その内容が1901(明治34)年10月25日の『婦人新報』に掲載されています。元の講演は同年9月22日に銀座会館で行われたものです。グラントが来日してまもなくの時にあたります。クリスチャンで、ジャーナリストでそして人権主義的社会運動家がどうモルモン教を見ていたかは大変参考になると思います。以下は木下尚江全集第20巻(教文館刊)からの引用です。原文にはほとんど句読点がありませんので補いました。現代語訳と解説は後述します。

モルモン宗に就て(九月二十二日銀座会館に於て)

木下尚江君演説概略

モルモンの開山はジョセフ、スミスと云ひ其祖先は昔英国より来りて米国に移住せしものなり。スミス、神の黙示によりこのモルモン宗を創設せりとぞ。言伝ふる処によれば神スミスに宣はく、「スミス我汝をまつこと久し汝われに代りてこの米国を初めとし普(あま)ねく諸国にこの宗教を伝へよ」と、与ふるに一の経典を以てす。其経典は金の板の上に虫目鏡をもて漸く見得べき程の細字を鏤附(えりつ)けたるものにして、この金板こそモルモン宗の此上なき憲法ともいふべきものなれ。モルモン宗徒は自から基督信徒なりと云ひ、而して神の「生めよ殖えよ」の聖語を体せりと自称して一夫多妻の主張者なり。スミス若し米国ならずして支那に生れしならば必孔子の徒なりと称して四書五経をもて其経典とせしならん。最初に於けるモルモン徒の有様は実に微々たるものにして、僅に数名の信徒に過ず。大に世間のひん斥を受け殆居住の地なく、行く処居る処追放されたり。されど攻撃の増すと共に信徒の数も増し来れり。ここにジョセフ、スミスは一の宗教と政治との権力を兼備せるモルモン王国を米国の中心に建設せんとの一大野心を起し、其方針に対して進みたればスミスは遂には獄中に死することとなれり。
スミスに継(つい)で起れるはヨングと称(とな)ふる人なりき。ヨング及其宗徒は当時非常なる迫害に対し合衆国の領地を去り、メキシコさして行く事とはなれり。されど多勢の旅行は中々尋常一様の旅行にあらず、殊には未開の地を通り行く事とて、先進の青年隊に到る処に其土を耕して農作をし食物を備へ置き、ヨングの来着をまつの有様なりければ、僅にメキシコに着するに数閏月(えつげつ)の久しきに亘りければ、其間政界の変動にメキシコは合衆国領土となりたり。されば折角にさして行く方のメキシコは希望の外の国とはなり、一行は之れより方向を変じてユターのソルト、レーキに住付きたり。此処にモルモンの根拠は作られ、其勢力は非常なるものにして米国の政治宗教道徳界に一大変動を来せり。最初スミスの時、僅に六人をもて初まりたるもの今や其数三十万の多きに達し、厳格なる教への播かれたる米国の中心にモルモンは揚々として其旗を挙げ居る次第なり。
米国は宗教自由の国なれば政治上より之れに嘴(くちばし)を容(い)るべきにあらず由て「一夫多妻」の点をもて非とし之れを禁ずる事とはなしたり。而るにモルモンはこの判決に対し却て当時米国議員社会の内幕に説及ぼし、彼等が表には一夫一婦を奉ずれども、其裏面は一夫多妻なることを証明し、而して只之れを陰に行ふと陽に行ふとの差別あるのみと云ひ、尚進んでいふ 「これをたとへんに、ここに一人あり。其妻死したるにより、第二の妻を娶る。この妻亦死せり。第三の妻を娶る。其妻の肉体は死せりと雖ども霊魂は不滅なるものとすればこの人は一夫にして多妻を娶りたるならずや。然るに法律は何故之れを禁ぜざるや」と。かく論弁して殆裁判官を辟易せしめたりとぞ。然るに千八百九十年頃とか、モルモンは改めて米国の法律に服従すと宣言せりとぞ。此頃来朝せるグラントは今頻りに「ジャパン、メール」と争論中なり。
モルモンの組織を見ば、其精神を見るべし。モルモンには管長ありて宗教及政治の権力を併有し下に「アポストル」ありて、モルモン内閣を成す。この内閣の管長(プレジデント)を神と信じ、管長の一言は総てを決す。代議士を撰出するも、元老院議員を指名するも、皆其一言による。而(しか)して意思の自由は全く禁ぜらる故に米国、いひかふれば自由の国とも称ふべき処にとりて最危険千万なるは此の意思束縛の宗派なり。モルモンは前述の如き性質を有せり。而してこは二の原因より来れるものにて、一は人口の繁殖といふことと、一は人権を無視せる野蛮の思想是れなり。彼の無学無識にして不道徳なるスミスの其方針及手段を今追究せんに、かれは人口繁殖の道をもてモルモン王国を建設する最要手段と信じたるが故に一夫多妻をもて神の告げと布告し、多くの家族を作り、自から其家族の長、即王とならんとせしなるぺし。故にモルモンにては女権の拡張程恐ろしきものはなく、嫉妬は女の不徳義として数婦を娶るに彼等互の不服を許さず、只唯々黙従するをもて婦徳とせり。我国に於ける所謂婦徳なるものは之れに類せることなきか。しかしてモルモンは自白す。「多妻は決して君等が思ふ若(ごと)くなるものならず。一家に波風立つ様なるものならず。其故に第二の妻を娶らんとせば、第一の妻に計り、第三の妻を娶らんには第二の妻に計る。斯の若くして多妻を娶る。さるに決して不服を唱へざるは女徳に背くとして黙従するがゆへなり」と。
抑宗教と法律と何れが高尚なるかと云へば宗教なりとす。しかるにモルモンは国法に背くがため自からわが宗義と信ずる一夫多妻のことを今は云はじと唱ふ。これモルモンが一夫多妻を真理に反することと信ずるが故か。否。然らば之れを(多妻説)、云ふことを欲せざる為めか。否。モルモンは嘗て法廷に弁論したりときく。されど懺悔したるをきずかざれば、モルモンは一夫多妻の行為を廃したるか。否。彼は我国に多妻主義の実際教課(ママ)書として来れるなり。
モルモンのグラント云はく、我は日本の法律を重んず。故に多妻のことを云はずと。我同胞は其甘言に迷ひ、知らず知らずの間に己れらの好める多妻主義に感染せられずや否や、実に言語は力なく、行為は強し。恐らくは目前の教課書は我同胞に歓迎せられんことを。
(下略)


現代語訳

 モルモンの開山はジョセフ、スミスと言い、彼の祖先は英国からの移民である。スミスは、神の黙示でこのモルモン宗を創設したと言う。言い伝えでは神はスミスに、「スミス、私はお前を長い間待っていた。お前は私に代わって、この米国を初めとしてあらゆる国々にこの宗教を伝えよ」と言い、ひとつの経典を与えた。その経典は金の板の上に虫目鏡をもてようやく読み取れる程の細字を彫り付けたもので、この金板こそがモルモン宗の最高の憲法とも言うべきものであった。モルモン宗徒は自からキリスト教徒であると言い、そうして、神の「生めよ殖えよ」の聖句を実現していると自称して、一夫多妻を主張している者なのである。スミスがもし米国ではなく、中国に生まれていたなら必ず孔子の弟子であると称して四書五経をもってその経典としたであろう。
 最初におけるモルモン教徒は実に微々たる勢力であり、わずか数名の信徒に過ぎなかった。大変な世間からの排斥を受けほとんど居住の地がなくなり、行くところ留まるところで追放されて来た。しかし、攻撃の増すと共に信徒の数も増えて来たのである。そこでジョセフ・スミスは一種の宗教と政治権力を兼ね合わせたモルモン王国を米国の中心に建設しようとの一大野心を起こし、その方針で邁進したためにスミスは遂には獄中死する事となったのである。
 スミスの後を継いで頭角を現したのはヨングと称する人物であった。ヨングと信者はは当時の非常な迫害に対して、合衆国の領地を去って、メキシコを目指して行く事となった。しかし、大勢の旅行は中々簡単なものではなく、特に未開の地を通り貫けて行く事であった。先発の青年隊は行く先々で土地を耕して農作し、食物を備えて、ヨングの到着を待つ状態であったため、メキシコへの到着までに数ヶ月の長さに及んだ。その間、政界に変動がありメキシコは合衆国領土となってしまった。そのため、せっかく目指していたメキシコは望みにかなった場所ではなくなり、一行は方向を転じてユターのソルト・レーキに住みついたのである。ここにモルモンの根拠地が作られ、その勢力は非常に大きなものになり、米国の政治宗教道徳界に一大変動をもたらした。最初スミスの時には、わずか六人で始まったものが今やその信者数三十万の多さに達し、キリスト教の厳格な教えの広まっている米国の中心にモルモンは高々とその旗を挙げている次第である。
 米国は宗教自由の国であるので、政治上の理由からこれにくちばしをさしはさめるものではない。しかし、「一夫多妻」の点を取り上げて、それは非とし一夫多妻を禁止する事は行ったのである。しかるにモルモンはこの判決に対して、却って当時の米国議員社会の内幕で議論を行った。それは彼らが表面的には一夫一婦を奉じていると見せかけていても、その裏側では一夫多妻を行っていることを証明し、そして、ただそれを隠れて行うのかおおぴらに行うかの違いがあるだけであると言ったのである。彼らは尚進んで言った。「これを例えれば、一人の人がいた。その妻が死んだので、第二の妻を娶った。また、この妻が死んだ。男は第三の妻を娶った。その妻の肉体は死んでしまったが、その霊魂は不滅なのだったならこの人は一夫にして多妻を娶ってのではないだろうか。であるのに法律はどうしてこれを禁じないのか」と。このように論じて、ほとんど裁判官を辟易させてしまったというのである。しかし、千八百九十年頃に、モルモンは改めて米国の法律に服従すると宣言したと言う。最近来日したグラントは今「ジャパン・メール」【注:当時の英字新聞】としきりに論争している。
 モルモンの組織を見るならば、その精神を見るべきであろう。モルモンには管長がおり宗教と政治の権力をあわせ持ち、その下に「アポストル」がいて、モルモンの内閣を構成している。この内閣の管長(プレジデント)を神と信じ、管長の一言は総てを決定するのである。代議士を選出するも、元老院議員を指名するのも、ずべてその一言によるのである。そして、意思の自由は全く禁じられている。米国、言い換えれば自由の国と称する場で、もっとも危険なものはこうした意思を束縛する宗派である。
 モルモンは前述のような性質を持っている。そしてこれはふたつの原因による。ひとつは人口の繁殖といふことであり、もうひとつは人権を無視している野蛮の思想であるということである。あの無学無教養で不道徳であったスミスのその方針と手段を現在考えて見れば、彼は人口繁殖という方法がモルモン王国を建設する最重要手段と信じた。そのために、一夫多妻を神の告げと布告し、多くの家族を作り、自からその家族の長、すなわち王になろうとしたのであろう。そうであるから、モルモンにおいては女性が権力を拡張すること程恐ろいものはない。、嫉妬は女性の不徳義とされ、複数の妻を娶るのに妻たちの不服を許さず、只唯々諾々と服従する事が女性の美徳としているのである。我が国における女性の美徳というものもこれに似たようなものはないだろうか。そしてモルモンは自白する。「多妻は決して皆さんがが思うような、一家に波風が立つようなものではない。それが理由に第二の妻を娶ろうとすれば、第一の妻に計り、第三の妻を娶るには第二の妻に計る。このようにして多妻を娶る。それに対して不服を唱えないのは女性の美徳に背くことであるとして黙って従うからである」と。
 そもそも宗教と法律とどちらが高尚かと言われれば宗教であろう。しかるにモルモンは国法に背くということで自ら自分の教義と信じる一夫多妻のことは今はもう言わないと述べているのである。これはモルモンが一夫多妻が真理に反することであると信じたせいであろうか。いやそうではない。ではこれ(多妻説)を述べることを望まなくなったためであろうか。いやそうではない。モルモンはかつて法廷で弁明したと聞いている。しかし、懺悔したということは聞いていない。モルモンは一夫多妻の行為を廃止したのであろうか。いやそうではない。彼らは我が国に多妻主義についての実在の教科書としてやって来たのである。
 モルモンのグラントが言っている。「私たちは日本の法律を重んじている。だから多妻のことは言わない」と。我が同胞はその甘言に迷って、知らず知らずの間に彼らの好める多妻主義に感染してしまうのか、そうでないか。事実、言葉には力はなく、行為は強い。恐らくは目の前にあるこの教科書は我が同胞に歓迎されることであろう。
(以下略)


解説

木下尚江のモルモン教理解について考えてみましょう。明治時代のほかの新聞記事にもいえることですが、モルモンについて理解が不十分な点、誤解している点が若干ありますが、概ね彼の理解は正確です。現代人がモルモン教団の一方的な説明を受け入れている事にくればれば、これは驚くべき事です。
木下はジョセフの所業を「スミス若し米国ならずして支那に生れしならば必孔子の徒なりと称して四書五経をもて其経典とせしならん」と「アメリカだからキリスト教を模した宗教を作ったが、中国なら儒教思想を元に新宗教を作っただろう」と喝破しています。ソルトレーク移住についても、過度に美化することなく客観的に見ています。特にメキシコ戦争とモルモンとの関わり、結局はユタが合衆国領になってしまった事も紹介していることにも驚かされます。(ここでメキシコが合衆国領になってしまったと述べている点は誤解があるようです)
また、一夫多妻結婚の実情についても良く知っています。(現代人には通用するごまかしが木下の前では通用しなう点は見習うべきです)「彼等が表には一夫一婦を奉ずれども、其裏面は一夫多妻なることを証明し、而して只之れを陰に行ふと陽に行ふとの差別あるのみ」と言うモルモンの主張紹介はモルモンの教義そのものを正確に伝えています。
「代議士を撰出するも、元老院議員を指名するも、皆其一言による。而(しか)して意思の自由は全く禁ぜらる故に米国、いひかふれば自由の国とも称ふべき処にとりて最危険千万なるは此の意思束縛の宗派なり」この『意思束縛の宗派』とは全く良い得て妙であり、現代のカルト宗教論としても十分通用するものです。
また、「モルモンにては女権の拡張程恐ろしきものはなく」という主張にもうならせられます。この講演は「婦人新報」という女性のための雑誌に掲載されたこともあるでしょうが、女性の権利が十分ではなかった明治の時代にあって、既にモルモンのアンチフェミニズムを看取していたことも驚き以外にはありません。
また、信仰者として国の法と信仰とどちらが価値あるかということについても述べています。つまり、木下の論では信仰者にとっては法律と宗教なら宗教の方が高尚なわけです。ところが、モルモン教は宗教より程度が低いはずの国法に反しているという理由だけで、公には一夫多妻を言わなくなったという欺瞞性を厳しく突いています。この木下の言葉は現代にあっても通用するだけでなく、今も変わらないモルモンの問題点を端的に表しています。

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