モルモン教が日本に伝道を開始をしたのは明治34年(1901)です。初代の伝道部長として後に大管長となるヒーバー・J・グラントがルイス・A・ケルチ、ホレス・S・エンサイン、アルマ・O・テーラーの3人の宣教師を引き連れて来日しています。グラントらは8月12日に横浜に到着、その後も横浜の高級ホテル、横浜グランドホテルに長期宿泊し、そこをモルモン教の拠点としています。モルモン教の悪評は既に知られるところであったようで、一行は住まいをなかなか借り受けられなかったのですが、宣教師の仮住まいにしては豪勢な住まいです。当時宗教団体の布教開始に当たっては政府、内務省に届出が必要でした。モルモン教団の発刊している「世紀を越えて」(日本伝道100周年実行委員会編)に基づけば「9月3日、グラントは『二六新報』記者の岡野英太郎とともに東京の内務省を訪れ、教会が伝道活動を行うことについて正式の許可を求めている」(P39〜40)とありますが、これは事実に相違します。9月24日の朝日の記事には内務省の談話としてモルモン教が「未だ本省(内務省)に向て布教の届出をなさず」と述べています。一月以上もの間、届出が滞った理由は不明ですが、モルモン教の伝道はこのように最初からつまづき通しでした。
モルモン教が来日するとの情報は新聞各紙で結構大きく取り上げられました。関心の高さが伺えますが、それらのほとんどが批判的な論調でした。記事の内容は現在の私たちでも驚くほどモルモン教の真実を捉えていました。当時の新聞記者の取材力には脱帽させれます。モルモン批判の焦点は第一に多妻結婚問題で、モルモン教は多妻結婚を行う道徳的に堕落した邪教とされています。モルモンの教義を容認するかどうか「日本道徳の試金石」と報知新聞は述べ、イギリス人記者は「(日本帝国)憲法によりこの有害なる宗教の伝道を禁ずべし」(毎日新聞の伝えるジャパンメールの記事)とまで言われています。内務省もモルモン教をマークしていたことは間違いないようで、先に挙げた朝日新聞の内務省談話記事に「若し此規則を無視し恣に布教する等の事あらば行政執行法に依って直ちに相当の処分を為すべく、相当の手続を経て布教に従事するも其説く所我国の安寧秩序を妨ぐるの恐れあるときは行政警察権を以て之を禁止し若しくは解散せんのみ」と付け加えています。集会場を借りようにも、「内の主人が此上(このうえ)多妻主義になつては大変と細君の強硬なる反対で断られた」という少しかわいそうな事もあったようです。しかし、これも結局は教団の身から出たさびなのです。
教団が「一夫多妻は過去の事」と強弁し、グラントが「一夫多妻主義の実行は一千八百九十年九月二十七日以降モルモン宗徒に絶えて無し」(二六新報8月19日)と述べても、当時の日本人にとって一夫多妻への嫌悪感は現代よりも激しかったようです。これは儒教的な道徳観がまだ健在であったからでした。この頃、内村鑑三が「人はモルモンの一夫多妻を非難するが、わが国にも妾蓄がある」と述べたのも、モルモンを擁護する意味で言ったのではなく、道徳の退廃への警鐘としてでした。また、当時の識者はモルモン教の一夫多妻の中止が表面上のものである事を見抜いていたようです。モルモン教団は合衆国政府から何度も警告を受け、法律で禁止規定を受けながらも堂々とあるいは隠れて多妻婚を継続して来たのです。最終的なエドモンド・タッカー法の制定と幹部の指名手配で多妻婚を放棄すると宣言したということを知っていれば、警戒を強めるのは当然だと言えます。現実、伝道開始時の大管長はロレンゾ・スノーでしたが、その後継の大管長ジョセフ・F・スミスは多妻結婚実施者として当局に逮捕されています。
しかし、モルモン側の説明では、こうした教団に不利な情報は、「風評の類」であり、正統キリスト教会の仕組んだ妨害、真理に対する迫害であったとなります。あわせて、モルモン教側は比較的に好意的記事を掲載した二六新報の記事を紹介し、モルモン教が決して招かれざる客ではなかったと説明しようとします。同紙にはジョセフ・スミスやグラント挿絵が掲載され、グラント自身の英文投稿記事が掲載されています。また、モルモン教の紹介についても、インタビューに基づいており、好意的内容といえなくもありません。しかし、グラントが多妻婚をしている事やモルモン教の問題点などは極めて率直に報道されています。当然のようにモルモン教側はインタビューの部分を世間には紹介しません。
このように厳しい環境のなかでモルモン教は結局確たる成果も挙げられず、大正14年(1924)には日本から撤退を余儀なくされます。
伝道開始当時の毎日新聞の記事はこう述ています。「モルモン宗の来る亦何ぞ妨げん。然れども浅薄なる宗教の行はるるは決して一国の慶事にあらず。政府は素より人民中の先覚者は、宜しく一方において大いに学術の知識普及に努め、怪し気なる信仰をして健全なる常識の前に煙散霧消せしむるの工夫なかるべからず。是れ我輩の希望なり」(8月21日)軽薄な宗教が流行しないように、政府や識者はその宗教の真実を皆に知らしめ、怪しげな信仰が存在できないようにすべきだというのです。これは現代にも通用する卓見です。
とても残念なのは第2次大戦後、モルモン教の伝道再開時には、この当時のような厳しいチェックの視線が失われてしまってしまい、米国礼賛、追従も追い風になりモルモン教に一定の成功を収めさせてしまいました。最近になり、ようやく私たちもたくさんの本当の情報に接する事が出来るようになって来ました。今から一層、この毎日新聞記者のメッセージは重要だといえるのではないでしょうか。


記事一覧

明治34年8月14日時事新報

 

明治34年8月二六新報 

 

明治34年8月20日報知新聞

 

明治34年の毎日新聞

8月21日記事(1)

8月21日記事(2)モルモン教紹介

8月22日コラム

8月23日記事モルモン教紹介

8月24日記事モルモン教紹介

明治34年9月24日朝日新聞(東京)

 

 雑誌太陽のモルモン教記事

明治34年9月5日発行号

婦人新報:54号             

明治34年10月25日号
木下尚江演説 「モルモン宗に就て」

 

モルモン教は信じるに足るかに戻ります