毎日新聞(大阪版)8月23日の記事

8月21日に続いてのモルモン教の紹介記事です。カートランド銀行の事まで伝えられています。

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モルモン宗(承前)
第一の集会 スミスは千八百二十年四月六日に初めて信徒を集めて集会を催し其後数年にしてまたもや神託を受けたりと称し、自から僭して「救世主の目撃者、翻訳者及び其使徒」なる名称を用い始めたるが、第一の集会を催したるニューヨーク週セネカ郡ファェアット地方にはスミスの人と為(な)りを熟知するもの多く教法伝播の見込みなきより三十人の信者を引連れてヲハイヲ州のカートランドに移住せり。
銀行の設立 カートランドに移りし後スミスは亦(また)もや神託を蒙りたりと称し信徒の財産を挙げて一の銀行を設立せしめ、自からその頭取となりしが、手形の濫発甚しく、近傍諸村落の経済界を紊乱(ぶんらん)せしかば村人等大(おおい)に憤り或夜(あるよ)スミスとリッグドンの家を襲ひ、両人を寝床より引き出し辛き目に遭はわせたり。是れ実に千八百三十二年五月二十二日のことなり。モルモン教徒の勢(いきおい)もこれがために暫くは挫けたる如くなりしも、凡そ一年を経る頃(こう)には漸くその衰勢を挽回しスミス、リッグドン及びルレデリッキゥイリヤムスの三人を選んで頭領とし教法伝播の任を托するに至れり。
ブリガムヤングの出現 然れども此頃(このころ)に至りては放縦傲慢なるスミスの挙動漸く信徒の嫌悪するところとなり宗内の紛紜(ふんうん)常に絶えず或は信徒の離散をも来さん形勢なりしに不図(ふと)一人の人物現れ出でてスミスの軍師となりモルモン宗の基礎を固むるの任に当たれり。即ち先にいふ天草騒動の森宗意軒をも言うべきヴァモント州の人ブリガムヤングなり。ヤングはペンキ塗り及び窓硝子の嵌込(はめこみ)を業とせしが、稀代に強硬なる意思を有し且つ非常に弁舌に巧みにして、人を特に妙を得、しかも事務の才幹を有し、思慮周密にして物事に熱心なりといふ宗教宣布に適当の性質なりしかば千八百三十三年、年三十歳にしてカートランドにおいて本宗に帰依し直ちに長老の格式を与えられ同三十五年十二使徒なるものを造りて四方に遊説せしめたる時、選ばれてその一人となり、当方諸州の宣教を担当せり。 (未完)

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