高橋弘先生懇談会

謝辞
本文は12月7日に行われた懇談会の録音から起こしたものに高橋先生自ら校正いただき、あわせて大幅な加筆をいただいたものです。
ご多忙の中多大のお骨折りをいただいた高橋先生に心からの感謝申し上げたいと思います。


参加者:高橋弘先生・勇気と真実の会運営委員O・同N氏・同Y氏・某大学3回生Kさん(モルモン教を研究中) 

モルモン教について
(N:モルモン教とはアメリカ的な宗教なのでしょうか)
(O:現役信者はそう思っていません。全人類を救う普遍的宗教だと大真面目に信じています)

 宗教とはそんなものだと思います。そうでなければ宗教は存在しないでしょう。しかし実態としては、モルモン教はきわめて19世紀的なアメリカ宗教だと思います。それは『素顔・・・』のなかでも指摘しましたし、今度の論文「ユタ開拓史」のなかで明確に述べました。
(O:モルモン教は白人中心の宗教で、調べていけばその人種主義的な実態が分かってくるということもあるでしょうが、日本ではそうは行かないのではないでしょうか)
 日本人には根強い白人コンプレックスというものがありますね。英会話教室に行って同じネイティヴの先生に習うにしても、白人、黒人、アジア系の先生がいた場合、日本人は白人の先生に惹かれる傾向がありますね。 モルモン教は白人のための宗教として誕生しました。そして日本に来るのも殆ど白人ばかりです。またうわべも少なくとも背広を着てネクタイをしてカルト的印象を与えてはいません。そういうことから、日本人がモルモンの白人宣教師に惹かれるのは理由がある訳です。

資料について
 
最近、モルモン研究のための分厚い資料集が刊行されました(「Studies in Mormon History」)が、モルモン研究のための資料は一次、二次資料を含め既に膨大な量に上っており、たった一つのテーマでさえ一人の人が一生かかりそうなほどの量です。また、いろいろなCD-ROMが発売されていますが、一枚のCD-ROMには数百冊、数千冊の本や雑誌が収められています。日本にいながら主要な原書や研究書を読むことが出来るようになりました。私たちはそれを活用しない手はありませんが、ただ、膨大な時間がかかりますね。
 また、モルモンの歴史は19世紀が舞台で、当時の古い資料はもう入手できないわけですが、サンドラ・タナー夫妻が当時の本を全米から集めて、オリジナル本をある印刷方法で復刻し格安で提供していますので19世紀の本をオリジナルで読めるようになりました。夫妻の主宰している団体名をユタライトハウスと言いますが、そのウエッブサイトにもかなりの情報があります。その他にも様々なウエッブサイトがありいろいろな情報が提供されています。ただ問題は、どのような研究をする場合も同様ですが、誰が書いているかという点です。それを注意して読まなくてはならない訳です。 

モルモンの伝道について
 
モルモン教の教義や組織はすでに疲弊しており、機能しなくなりつつあります。事態がそうであれば、教団はなんとしても信者から信頼を勝ちとる必要が生じます。さもなければモルモン教団は崩壊してしまうからです。そのためにモルモン教会が様々な努力をするのは当然のことで、信徒からの献金を宛てこんでいるモルモン教団としては自己のイメージを上げ、世界伝道をする必要に迫られている、と考えられます。
 
(O:モルモン教徒沼野治郎氏がエルサレムにもBYUがあると言っています)
聞いたことがありませんし、真偽のほどは分かりませんが、大学はともかく、研究所でしたら、部屋をひとつ、机がひとつあればそれで「ある」と言えますからね。
 
(N:モルモン教は何故伝道するのでしょうか)
 元来、モルモン教は唯一正しい福音として出発しましたから、プロテスタント・キリスト教と同様エピデミック型宗教として、伝道は宗教の中心に位置付けられています。社会学的にいえば、組織とは一端出来上ると自己増殖しようとするものです。なんでもそうです、日本の省庁も同じですよ。オウムのような宗教でもあのような事件で破綻するまで自己増殖を続けていました。どんな奇妙な組織でもそうなのです。
 また、モルモン教は、マクマリンが喝破していたように文化としての宗教という側面以外には存在意義をほとんどもちません。宗教自体は形骸化していてその意味を失いつつあると私は見ています。ただ、アメリカの政治・経済面では一定のパワーを持っています。例えてみれば、わが国における創価学会と似ていますね。ある程度大きな財力を持ち、またいつでも会員を選挙に総動員できるというのは大きな力です。モルモン教の場合、一年間に集まる献金額はモルモンの事情に詳しいジャーナリスト、共同通信社の Richard Ostling夫妻の「Mormon America」, HarperSanFrancisco:1999)によれば、42.5〜53億ドルです。これを120円のレートで換算すると、5,100億〜6,360億円となります。このカネの使途については依然不明なままです。

宗教自体がアメリカと日本では違っている
 
アメリカ宗教のマイナス面に着目してみますと、アメリカではある意味で宗教がビジネス化していること。つまり宗教をビジネス的感覚で捉えていると思われるフシがある。それは特に新しい宗派や集団を組織する人間にいえますが、最近ではテレバンジェリストと呼ばれるTV伝道者がそういう印象を与えています。
 
アメリカ的価値観ということから言えば、アメリカではどんな分野でもいいからそこで成功することが肝要だと考えられている。どの分野でいいが、ともかく成功することが大切なのです。現在でもテレビ伝道師などはそこの集まる献金額を誇示する訳ですから、宗教はまさにビジネスです。そこに矛盾を感じるのも無理ありません。彼らは真剣に伝道しているのでしょうが、しかし同時に彼らは知らず知らずにビジネスマンとして振舞っている。「やるからには成功したい。多くの献金を集めたい」という気持ちが強い。アメリカ人にはそうした成功熱が常にあります。それは過去から今日に至るまでずっとそうです。とりわけ開拓時代はそうで、一部の金持ち以外は、将来は不安定で明日の運命がわからない状況でしたから、そんな中でどうやって生きるか、一人前になるかということは貧しい一般大衆にとっては切実な関心事だったでしょう。ですから成功への夢は、一種のアメリカンドリームと言っても良いでしょう。ジョセフ・スミスもそうでした。そういう環境の中で育って来たのです。如何に成功するかという事が大切で、その手っ取り早い方法として宗教が使われた。宗教は当時の人々の切実な関心事であったし、またスミス一家は農業の傍ら魔術を用いて地中の財宝を捜す仕事をしていましたから、その子どもジョセフが魔術的手段で成功を求めても不思議ではないでしょう。
 ジョセフ・スミスは、どうも最初彼はモルモン書を著してひと儲けすることを目論んでいたと思われるふしがあるが、ところがその本を真に受ける連中が周りにあらわれ、そして、「これこそが福音だ」と頭から信じてしまったわけです。そうすると今度は書いた、本人が預言者として振る舞い、神話を作り出した。それが真相のようです。
 
(O:『瓢箪から駒が出た』と言う感じがしますね)
 先にも述べましたが、どうやって経済的な自立を得るかというのは当時の切実な要求だったのです。ジョセフ・スミスは宗教的な環境にいました。ジョセフの父親はダウジングをしたりして地中の宝物を見つけるような職業をしていました。また周りにもそういう人がいました。彼らは農業をして、そこそこの生活をしながら暇な時はそのような活動をしていたのです。そうした時にもっとも手っ取り早い収入の手段・儲け口が宗教であったわけです。魔術や占い、占星術、ダウリング等の怪しげなものをいっぱい使っています。しかし当時一般大衆にとっては、こうしたことは怪しいものとは思われませんでした。人々は、なにか特殊な霊が自分に力を与えてくれれば宝を発見できる、というような感覚を持っていた時代でした。
 ジョセフ・スミスはそんな環境の中で育ち、医者の子が医者になるように、魔術師の子が魔術師になったわけなのです。そうした魔術的な活動の一環として本を書いてみたら、たまたまですが、まともに信じる連中が出てきたわけです。そして「これはいけるぞ」と思ったのでしょう。なにしろ家族がこれを信じたというのですから。ジョセフの普段の行動を知っているにもかかわらず家族が真っ先に信じたということですから、よほど迷信深かったのでしょう。
 
(O:金儲けしてやろうと絶えず思っているのでしょうか)
 (Y:『おいしいところ』をせしめようと、絶えず狙っているかのようです)

 当時のアメリカ人は皆そうです。いや、現代のアメリカ人もそうだと思います。
 
(O:それはダブルスタンダードだと私たちには映ります)
 仰るとおりです。宗教本来の意味からいえば、宗教家が宗教をとおして物的成功を望む、というのは堕落・詐欺・裏切り以外のなにものでもありません。しかし、アメリカ・プロテスタンティズムや新興宗教ではそういうのを分けない傾向があります。それがアメリカ人の一つの宗教的特徴です。よく言われることですが、「教会の牧師はビジネスマンのように話し、アメリカ人の政治家は説教者のように語る」という言葉がありますが、政治家が人々から信頼を得るには宗教色を出し、教会にいるかのような言葉で話すのです。そして実際に教会に行くと、そこではどうやって神様の祝福を得られるかということ、つまりどうやって人生の成功(金儲け)を入手できるかと言うことを牧師が説く。要するにプラクティカルなのです。
 日本のキリスト教会にはそれはありません。東洋という環境に植えられたキリスト教は、アメリカと異なり精神的で、内面に入っていくものです。
 
(O:私たちが一般的に宗教者として抱くイメージで過去、現在のモルモン指導者を見てはいけないのでしょうね。ビジネスと宗教とが混在しているように思えます。)
 この問題は、まず宗教そのものを問題として議論し、次にモルモン教を考えるのが適当かもしれません。
社会学者マックス・ヴェーバーが指摘したことですが、宗教によって形作られる人間のタイプ(ヴェーバーはこれを人間類型とか、エートスと呼ぶ)が異なりますから、宗教を全部まとめて議論することは乱暴で、適切性を欠きます。イスラームからはイスラーム的人間が生まれ、カトリックからはカトリック的人間が形成されるでしょう。にもかかわらず、宗教指導者としての役割はそれほど異なってはいないと思われます。つまり、イスラームの指導者(宗教家)もカトリックの指導者も、人間(信徒)の自己中心的・現世的な関心・価値意識を一度自覚させ、そこから信徒を解放し、永遠の価値・神や他者への関心へと導く、という点で共通しているといえます。したがって皆が抱いている宗教家像(イメージ)は大きくは間違ってはいないと考えられます。
そこでモルモン教に目を転じれば、モルモン教という宗教の本質が他の宗教と大きく異なり、宗教家の役割も異質であることに気付きます。端的にいえば、モルモン教が説く神の祝福とは現世での幸福です。そういう意味では、本来の聖書が伝える福音の意味とはまったく異なっています。聖書の福音とは、神が人間にトータルな救済を用意されている、神に従う人はこの救済に与ることが可能だ、という驚くべき喜びの知らせです。一方、モルモンは非常に現世的・物質的です。物的・経済的に恵まれることが神の祝福であると信じていますが、これは大変アメリカ的考えといえるでしょう。したがって、モルモン教の歴史をつうじて特徴的なことは、まず指導者が真っ先に富を入手するという点、ある意味では信徒を踏み台にし、信徒を搾取しつつ、指導者は豊かになっていきます。そして、いつの頃からかは分りませんが、モルモン教団の指導者をビジネスなどの世界での成功している信徒から抜擢するという、逆転した思考すら生じています。(ついでにいいますと、一般社会での成功者を宗教界が重宝するというあり方は、アメリカのバプテスト教会などにも見られます)

ブリガム・ヤングについて
 
(O:ブリガム・ヤングがジョセフの後継者になるために卑劣な手段を駆使したことも罪悪感はなかったのでしょうね)
 おそらく、ヤング自身には罪悪感などはなかったでしょう。今回のアメリカ大統領選挙はご存知と思いますが、ブッシュの勝利に裏には表には出せないような汚い政治的操作があったことが分かってきました。いわばインチキな操作によって大統領が選ばれたわけです。一国の大統領が、こんな風に選ばれることに世界は驚いたはずですが、しかし、アメリカ人自身は大して驚いた様子がないことに、今度は、世界がそのことを不審な目でみている訳です。ヤングもそれと大して変わらないということでしょうか。
 
(O:彼にとってはそれが神様の思し召しだと心から思えたのでしょうか。後ろめたさなど感じないのでしょうか)
 神の思し召しとか、そういう問題ではないと思います。まず、アメリカは金持ちを崇拝する国です。金持ちというだけで人格者のように見られるというマモン崇拝の国ですが、それには理由があるでしょう。多くが移民としてアメリカにやってきた人たちですから、物的成功をおさめるには人一倍頭を使い労働しなくてはならなかったのでしょう。それに勝ち抜いた人間として賞賛を浴びたという事かもしれません。またアメリカは競争社会ですから、宗教(教派)同士も信徒や献金を獲得する激烈な競争を繰り広げてきました。
 
こうした競争はビジネスの世界で顕著にみられますが、しかし、アメリカは実際どの分野でも熾烈な競争と相手をけ落すことに熱心であり、そのことに罪悪感はありません。スポーツの世界から科学的発明をめぐる競争までそうです。ライバルを出し抜いたり、蹴落としたりと何でもありです。ビジネスマンはどうやってライバルを蹴落とすかそればかりを考えています。如何に上司に気に入られるか、如何に自分の仕事を評価してもらうかそればかりを考えています。彼らは人当たりはソフトであるが、頭の中はそんな事ばかりを考えている。注意しないと日本人は簡単に利用されてしまいます。外資系などに就職すると大変なことになります。日常の会話で何気なく話した事を翌日アメリカ人があたかも自分の考えのようにプレゼンテーションするとことも良くあることで、罪悪感などさらさらありません。むしろ抜け目のないやり手のビジネスマンとして評価されるぐらいですから。宗教についても全く同様なのです。ライバルを蹴落として罪悪感を感じる人など殆どいないでしょう。ただ、宗教指導者がこんな風に決まると思うと、心境穏やかではないですね。
 
(K:ブリガム・ヤングがモルモンに入るまでの経歴に興味を覚えます。それを調べたいです)
 (O:BSの番組で彼が取り上げられていましたが、モルモン入信前の情報は少なかったですね。)

 簡単な履歴の紹介なら色々あります。いろんな仕事を転々としていたようです。
 ブリガム・ヤングがモルモンに入る前の宗教的背景を調べるだけでひとつの研究になるでしょう。なぜ彼がモルモンに入ってきたのかということそれだけで立派な論文になりますね。ただ、そうしたものは資料として残ってないと思われます。自伝的なものはあるでしょうがそんなものは、まず資料として信用できません。モルモン教関係の文章は例外なく脚色されています。したがって真実を知るためには、脚色される前の、オリジナルな資料を入手するしかないでしょう。
 
(O:BSの番組でも大管長になってからの悪逆非道ぶりばかりが伝えられていました)
 (Y:それが向こうの人には英雄扱いになっています)
 
先ほども言いましたが、アメリカは金持ちを崇拝する国です。19世紀のアメリカの大金持ちは、スタンフォード、ロックフェラー、カーネギー、バンダービルトもみんな、ある意味で抜け目なく振る舞い、人を押しのけて金儲けをしてきた金儲けの猛者です。ブリガム・ヤングの特異な点は、まさに宗教のなかに、モルモン教のなかにマモン(カネ)崇拝を持ち込んだことです。初代のグルであるスミスもそうした傾向をもっていましたが、ヤングは意図的・計画的に、信徒を犠牲にして物質的成功を入手したことです。しかも、明らかにあらゆる非合法で暴力的なテロ支配を確立して、ユタの地にほとんどブリガムの独裁国家体制を築いたわけです。西部劇に例えても、彼は立派な悪漢というところです。
 
(K:ブリガム・ヤングは宗教には熱心だったのでしょうか)
 当時のアメリカは宗教熱に浮かれた時代でした。宗教に関心のない人などはいませんでした。日本が20年前にバブルに浮かれたのと同様ですね。したがって、一般大衆が宗教に熱心だったのと同じ程度ヤングは宗教に熱心だったと思います。ユタ開拓の過程で明らかになりますが、ヤングは宗教以上に政治(覇権の確立)や経済(金儲け)に熱心だったということです。 

フリーメーソンについて
 
アメリカ人は成功するためにはあらゆるものを利用して行きます。フリーメーソンとはある意味で成功した人たちが入っていく団体です。フリーメーソンに加わることで繋がりが出来ます。アメリカでは教会に行っているということがビジネス上の信用になります。ユタでも事情は同じで、「モルモン」であることが信用される条件になっていて、モルモン教徒でなければビジネスは円滑には運びません。モルモンだということでユタやその近辺では信用されるわけなのです。だから、純粋な宗教的な関心が無くても皆教会に行く訳です。宗教とビジネスとは深く繋がっています。
 フリーメーソンというのは元来「秘密の方法で神にまでいたる道」ですから、一種の宗教(密儀)と考えていいと思います。また時代によってはメーソンであること自体が社会的信用を得るステイタス・シンボルになりました。また、歴代のアメリカ大統領はほとんど全員がフリーメーソンであるといわれています。
 
(O:ジョセフ・スミスは後からメーソンになっています。社会的に一定の地位を獲得してメーソンになれる資格を得た、と考えるべきなのでしょうか)
 むしろ社会的に成功した人がモルモン教に入信して来て、その中にメーソンがたくさんいたという事ではないでしょうか。彼がどうやってメーソンにかかわったかは明確ではありません。フリーメーソンは一種の秘密結社です。一見して誰がメーソンかは分かりません。出会った時に様々なサインをして、それがメーソン同士でないとわからないようになっています。確かに言えることはこうしたフリーメーソンの密儀と彼の魔術的な世界とで合致するものがあったということです。
 ジョセフの腹心にメーソンがいて、一方ではジョセフはモルモン教をやりながら同時にメーソンになるという格好になりました。しかしジョセフはやがてそれらを一つにしていきます。モルモン教がメーソンのようになり、メーソンがモルモン教のようになって行ったのです。最初は、ジョセフは自分からメーソンになりたくて入ったと思います。モルモン教をモルモン神殿で、フリーメーソンはロッヂで、別々にやっていたわけです。しかし、だんだんとモルモン教の集会をフリーメーソンのロッヂで行うようになっていった。それは完全に混同です。やがてモルモンのフリーメーソンはフリーメーソン協会から逸脱として破門されてしまいます。それを契機にジョセフは独自のフリーメーソンを興し、一方で様々な儀礼やアイディアをフリーメーソンから借用し、モルモン教に取り入れていきました。
 このようにスミスの中ではあらゆるものをひとつにして行こうというのがあったでしょう。たとえば、メルケゼデク神権、アロン神権、あるいはエンダウメントといった儀礼は、キリスト教とはなんの縁もゆかりもない異教的儀礼で、これはフリーメーソンから借用されたものです。
 
(O:オウムもそうですが、カルト宗教はハイブリッド化を目指すようですね。なんでも取り込もうとする姿勢があるように思います)
 そうかもしれません。モルモン教徒も魔よけのエプロンを身に着けるそうですね。
 
(O:神殿では身につけて儀式を受けます。エプロンをし、帽子をかぶります)
 エプロンを身に着けるのはフリーメーソンで、キリスト教とは無関係ですね。
 
(O:私の時代の儀式では罰の動作も行っていました)
 それもフリーメーソンですね。モルモン教会は相当いろんなものをフリーメーソンから吸収しています。
 
(O:その反面、肝心の神学的なものはないがしろにして来たと思います)
 そういう意味ではモルモン教の教理は、どちらかといえばシンプルだと思います。 

レーガン政権と家族を大切にするという教えについて
 
最近、モルモン教会は家族の重要性を強調していますね。それはレーガン大統領時代に家族の価値を強調したのと機を一にしています。ご存知のように、アメリカでは家族が崩壊しつつありますが、レーガンは突然、家族の価値ということを言い出しました。それを追うようにモルモン教も、また統一教会も、同じことを言い出しています。
 レーガン時代の話をしますと、共和党大統領のレーガンは福祉切り捨て、企業優先の政策をとりましたが、失業やホームレスがかなり増加しました。アメリカの下位60%の労働者の収入は下がり、貧困化の道をたどっています。レーガンが「家族の価値」を言い出したのは、そうした企業優先の政策をカムフラージュするためではなかったか、と私は思っています。本当に家族を大事にしたいのであれば、家族の基本である教育や医療、治安や福祉という方面にお金を回すのが当たり前でしょう。
 また、レーガンは完全なアンチフェミニズムでした。彼の実態はといえば、家族をほんとうは軽視していたのです。
ところで、モルモンの指導者はほとんど共和党であって、レーガンの方針や考え方と歩調を合わせています。実は、モルモンの会員の中にも家庭問題があり、それも結構深刻だといわれていますね。
 
(O:単一な価値観の押し付けという点ではレーガンもモルモン教も同じようですね)
 5、60代以上の年配の考える価値観が基本的にそうなのです。政治の世界であれ宗教の世界であれ、白人50〜60歳代のそうした価値観がエスタブリッシュメントになって保守化したといえます。日本でもそうでしょう、年を取った政治家は皆保守的になっています。
 フェミニズムはキング牧師等の公民権運動のあとを追うように出現しました。現在、アメリカでは履歴書に、性別、人種、宗教、年齢を記載する必要がありません。法律で禁じられていて、違反すると裁判沙汰になります。ところが、経営者とすれば、まさにあの手この手で女性をなるべく雇わないでおこうとしています。白人男性が獲得してきた権利を守ろうと悪あがきしているわけです。それはわが国の自民党と同じように見えます。ほとんど自国が崩壊の瀬戸際にあるのに、通用しなくなった古臭い考えを堂々と掲げているというのはじつに驚くべきことです。
モルモン教もレーガンも保守主義という点では一致しています。また、モルモン教団指導者は代々共和党(レーガンやブッシュ)を支持してきました。
 
(O:モルモン教は同性愛者差別団体に資金援助をしていると聞きました)
 ゲイというものは、家族を重んじるということの対極にあると彼らは考えます。「ゲイを認めれば家族は崩壊する」と、彼らは考えています。個人個人の幸せは画一された基準はありません。個人個人のことを考えるのであれば、それぞれの性向を認めねばなりません。元々同性しか愛せない人は存在します。ところがそれを一切認めません。家族は異性愛がベースだと首長するわけです。その点でレーガンとブッシュは同じです。
 HIV感染者が顕著に増加してきた際も、保守派の連中は「そらみたことか」と言う感じでした。HIV感染やエイズはゲイに対する神の天罰だと、彼らは主張しました。「エイズはゲイの病気だ」とレーガンは言っていました。これは私が調べて分ったことですが、レーガンはエイズがゲイの病気だと主張するあまり、色々な調査機関が全米に爆発的にエイズが伝染していることを伝えても一切対策を講じなかったのです。そのせいでアメリカにHIV感染がどっと広がりました。レーガン政権が終わる時にアメリカでは男性の100人にひとりが、女性は200人にひとりがHIV感染していました。そこまで行ってしまったのです。それが20年前ですから、現在はもっと増えているでしょう。それもひとえに大統領という権力者が保守的な人間で、「あれは同性愛者の病気だ」と言う認識から一歩も出なかったせいなのです。
 
(O:同性愛者を撲滅すれば、エイズはなくなると思っていたわけですね)
 そうです。
 
(N:同性愛自体を、病気だと思っているのでしょう)
 そうです。少なくとも正常だとは思っていません。
 
(O:モルモンが将にそうですね)
 モルモン教徒もそういう見方をしていますね。
 
(O:モルモン教では同性愛者を治すためのマニュアルがあります。教団の中にゲイ矯正の組織があります)
 私は調べていないのですが、同性愛とモルモンに関する研究は結構ありますね。
 
(O:ゲイは治ると信じてモルモンを続け、その結果、心がぼろぼろになった者もいます)
 ゲイは、DNAの中にそうしたものが入っているのではないでしょうか。治療するものなどではないでしょう。そして、モルモンでは独身者は天国に行けない、救われないと教えていますね。そうすると、無理矢理結婚しないといけなくなります。
 
(K:それは男性もそうなのでしょうか)
 
(O:むしろ男性は絶対モルモンの女性と結婚しないと昇栄して神になれません。ところが女性は非信者と結婚していても、死後には熱心なモルモン教徒の男性と多妻結婚の妻のひとりになることで昇栄できると信じられています。その点女性は有利なのです)
 死んだ後、架空の籍があって、モルモン教徒の多妻のひとりになると言うことです。
 
(O:私がモルモンを離れる際にこう言われました『あなたは滅びの子になって終わりだが、あなたの奥さんは来世でよりふさわしい男性と結婚することができる』と)
 それなら男性も死後、熱心な女性信徒の籍に入れれば良い。簡単な事なのに(笑)
 
(O:オカルト的教義を使って脅迫しているのです。不愉快な教えです)
 本当ですね。人間の死後の世界をコントロールしている訳ですから、これは完全な魔術です。死後の世界にまで権力を振るうということですからね、信徒にとっては恐ろしいことでしょう。
 
(N:モルモン信者同士の夫婦でどちらかが不活発になった場合、『別れなさい』といわれますね)
 (O:価値観が違うと不幸だと主張するわけです)

 だから家族を重んじると言いながら、実際にはどんどん離婚を勧める訳ですから、むしろ家族は崩壊するでしょう。価値観が違ってもお互いにそれを認め合って生きなさいなどということは言いませんね。モルモン的価値観を持った家族が大事で、その他の家族ことはどうでもいいということですから、家族ではなく宗教を重視していることになりますね。
 
(O:9人の子供がいて、それぞれの家族と神殿で一緒に結び固めすると言っていたモルモンがいました。当時信者だった私はその話を聞いて大変感動してしまいました)
 信者のうちは感動するでしょう。
 
(O:家族のうちの誰かが信仰から離れるとは想像していません)
 熱心な信者の中ではそんなことも真剣に考えられるということですね。それ以外に救われる方法がないということです。その人が救われるか救われないかが宗教的にコントロールされている。私が最近の論文で書きましたように、スミスの時代に、人を祝福する権利や呪詛する権利を、大管長が持っているのだと主張しはじめる。つまり大管長が神の代理人ということです。しかも大管長が自分の都合に応じて、神の祝福と呪詛を口にする。財産を寄進する信徒を祝福し、敵を呪う。教団の教えに従順なものを祝福し、従わないものを呪うわけです。
 
(O:過去は大統領などを呪っていましたね)
 (Y:呪いというよりも『俺の言うことを聞きやがらねえぜ。こん畜生』というような愚痴と同レベルに思えます)
 (O:呪いがあるということ自体が非キリスト教的ですね)

ヤング時代の変容について
 
スミスの時代とヤングの時代にモルモン教がどう変わったかということですが、モルモン教というのは基本的にいくつかのシンプルな原理というものがベースになっています。それ以外は状況にあわせてどんどん変えていくという宗教です。いってみれば大変柔軟で、その柔軟性というのがアメリカで成功した理由だと私は思います。仏教も最初は小乗仏教であったそれが大乗仏教となりました。大乗仏教になってどっと広まり、日本にまで伝播して来ました。最初からモルモン教はいわば大乗仏教的で基本的なものさえ信じれば誰でも入ってこられる宗教として、時代とともにどんどん姿を変えていったと言えるでしょう。
 すなわち、スミスの時代は30年に初めて45年ぐらいに亡くなるまではスミス流にどんどん行く先々で変えていっています。そして、ヤングはユタまで行きましたので、そこでいろんな経済的に厳しい状況に直面して、教団の独立を守ることのためにまたどんどん状況に適応して変更してゆきました。
 モルモン教でもっとも大切な事は教会指導者の言うことを聞くということです。これがもっとも根本的であると私は思っています。しかも教義そのものが変わっています。モルモンにおいては教義の一貫性というのはさほど重要ではないのです。
 多妻婚を例にあげると、それを野蛮な風習と否定しながらも自分たちはそれに入っていくわけです。外部には否定しながらも自分たちは実際に実行していきます。そして隠し切れなくなると「これは教会の教義である」という言い訳をします。それからは多妻婚は教会の中心的教義となるわけですが、その後、州昇格のために政治的判断で多妻婚を捨てると言う方向になりましたが、教義としてはこれを外すことが出来ませんでした。そこで「この世では多妻婚は違法だが、ただし未来では多妻婚の世界である」と使い分けるようになりました。この世では違法なので出来ない。だが、あの世では多妻婚の世界だと言うわけです。教義が大きく三転しています。このようにモルモンの教義は変幻自在です。

多妻婚の遺産
 
(O:先ほど大乗仏教とモルモンを比較されましたが、それは褒めすぎではないでしょうか。また、フレキシブルと言えばプロテスタントもカソリックもそうではないでしょうか。モルモンの場合は肝心なところが変わってないように感じます。)
 そうですね。モルモン教のなかの一貫性・連続性がどこにあるか、あるいは連続していない点はどこか、こういう点からながめるのも大切ですね。
 
モルモン教は多妻婚のこだわりを捨てていないと思います。これが、変わっていない点です。教祖スミスが妻以外の女性たちに異常な関心を持ち始めて誘惑を開始するにおよび、妻エマに詰問されるようになり、多妻婚というアイディアを思いつくわけです。スミスが多妻婚を啓示として語ったとき、信者たちはそれをまともに相手にしませんでした。そこでまず信者たちを納得させ、多妻婚を公認するために大変な努力をしました。女性たちや反対する男性信者をどうやって納得させたかと言うと、まず救済の教義にこれを結び付けました。「多妻婚に入らなかったら救われない」ということを言ったのです。しかし話はそう簡単ではありません。当時の人々の証言を読むと、こうです。
 まずヤングとかキムボールとかのトップ指導者たちをこれに引き入れる。信徒にはまだ内密だった。しかし噂が広まり出したとき、神の啓示だといい始める。最初に女性たちをどう説得したのかというと、目をつけた女性に接近し、「神があなたを私にくれた」と宣言する。女性がそれに難色をしめすと、再三、天使が剣を片手にもって現れ、多妻婚に入らないと殺すと言われた語り、「あなたが断ると私は殺されるのです」と哀願する。そういわれると同情せざるを得ず、女性たちは不承不承承諾をする。頑なに拒絶する女性たちには呪詛が語られる。また、高位の指導者の多妻婚になると天国での女性の位が高いと教えていた。
 男性に対しては、やはりあめと鞭を使い分けていた。彼岸の世界で高位につくには男が一人の妻を持つだけでは不十分だ、少なくともリーダーなら2,3人の多妻を持つべきだと促す。それもこれも、先に女たちを誘惑していた教団指導者たちの行為を公的に承認させる手段だったのでしょう。実際、気に合わない多妻を、使徒たちや部下にたらいまわしにしています。
 さらに、忠実な信徒と結婚しないと救われないと教えたのです。そうなると若い信者はいつ棄教するか分からないので、女性たちは死の近い(棄教の心配のない)会員、転向しそうもない年配の会員を選んで多妻になって行くということが起こったのです。そして、もうひとつは絶対に夫の言うことを聞くということです。いきなり見ず知らずの女性を連れて来るわけですから、男性の言うことを絶対に聞く必要があったのです。男性の言うことを聞けない女性は失格なのです。男性優位ということと救いの教義とを関連付けたわけです。当初、ジョセフ・スミスは女性にも与えられていた神権はだんだんと男性にしか与えなくなって行った。そのことも大切なことです。神権を持っているということはモルモン教では大きなことです。神権を持っている人の発言権はモルモン教では大変強いものなのです。
 現在のモルモンの指導者は全部多妻婚の家系から生まれています。自分のお父さん、おじいちゃんはすべて多妻婚者だったのです。そこから生まれた子供たちですから、今でもまともに多妻婚についての議論は出来ません。多妻婚の事を言えば、それはおじいちゃんたちの悪口を言う事になるからです。非常に複雑な状況です。
 
(O:ますます、動脈硬化を起こすことになりますね)
 
その通りです。

多妻婚とユタの州昇格について
 
ユタは独立を獲得するために州昇格を目指していました。ユタは準州時代にすでに連邦議会に代表を送っていますが、多妻婚が障害となって連邦政府から拒絶されてしまいます。ユタの州昇格は永い間認められませんでした。ユタが州に昇格した後に、上院や下院に議員を送るのですが、その時にも彼らが実際に多妻婚をしていないかどうかを確認されていました。ユタが正式にワシントンに代表を送り込めるまでにすったもんだがありました。結局、簡潔にいいますと、教団はテイラーもウッドラフも多妻婚は放棄したくなかった。理由は、なによりも神の法(多妻婚)は世俗の法の上位にある、という確信です。したがって最後の最後まで、多妻婚の放棄はまったく選択肢になかった。しかし、連邦政府は次々に強力な法案を成立させ、モルモン教会に対する選挙権の剥奪とか教団の財産の没収とかを行った。これ以上抵抗するのは得策ではないと考えた指導者は、啓示を受けたとして多妻婚の放棄を宣言する。連邦政府はそれを受けて、罰則を反古にし、ユタの州昇格を承認します。
 しかし、これは連邦政府を欺く単なるカムフラージュでした。といいますのは、その後の大管長ウッドラフもジョセフ・F・スミスも多妻婚を続行していたし、有力な信徒にも認めていたからです。つまりは、多妻婚は本当は放棄していなかった、ということです。

金とモルモン教
 
(O:モルモン教に明日はないが、金はありますね。教会のどの部署がお金を動かしているのでしょうか)
 『ゴッド・メイカーズ』の著者E・デッカーの研究では、教会とは別個の法人を作ってそこに金銭を移行して運用していると言いますね。そこが運用しているのでモルモン教団自身は金銭を持っていないようにしていると言います。全くの別会社を作っていると言うことですね。
 
(O:その会社のリーダーは大変な権力者になりますね。大管長以上になるでしょう)
 そうですね。しかし、別法人の責任者は教団のトップに違いありません。そのあたりのことを探るのも大事なテーマですね。その辺については調査する価値があるでしょう。
 
(O:日本で集められた献金が外国に送金される事は非合法ではないかと思いますが・・・)
 (N:外為法などに引っかからないのでしょうか)

 統一教会は一日1億円の稼ぎがあるそうですが、それは全部グルに贈られています。直接お金を持参したり、海外で銀行から引き出したり、簡単に海外に出ています。例えばこちらで銀行を口座を作っておいて、向こうにクレジットカードの番号を教えておけばいくらでもそっくり引き出しが可能でですね。国際収支というときのお金と言う場合は実際にモノが海を渡った場合のみが統計に上りますから、こうした水面下のお金の移動と言うのは一切チェックしないのです。アメリカは赤字赤字と言っていますが、例えばファーストフードチェーン店などの売り上げは、最終的にアメリカの収入のはずですが、国際収支とは関係ありません、ということは国際収支そのものが無意味だということですね。 

ゴールドラッシュとモルモン教徒
 
(O:論文でも取り上げられていたサミュエル・ブラナンはとても面白い人物ですね)
 ブラナンはゴールドラッシュの仕掛け人ですが、その金鉱自体を発見したものモルモン教徒のようです。サッター砦で働いていたのもモルモン教徒だったのです。これも面白い話です。
 サミュエル・ブラナン一行がカリフォルニアに行く前、既にモルモン教徒がユタに向かって移動していました。その移動に1年ちょっとかかっているのですが、途中でアメリカ政府がメキシコと戦争をすることになり、そのために急遽モルモン教徒を兵士としてリクルートしました。その時、資金に困っていたヤングは兵隊を500人ぐらいを提供しました。兵の人数はもっと多かったかも知れません。ユタへの移動中に連邦政府と取引をしたわけです。その時に結構悩んだようです。アメリカを捨てて新天地へ行こうとするのになぜアメリカに協力しなければならないかということです。ところが、現実問題としてお金が欲しいということで妥協するのです。そしてその給料は兵士個人に支払わないでそのまま教団が吸い上げてしまいました。それが1846から47年です。メキシコ戦争が終わって決着を見るのが47年です。カリフォルニアで金鉱が発見されたのが47年から48年にかけてで、49年がフォティーナイナーズのゴールドラッシュとなりました。
 モルモンの兵士たちは特に戦闘らしい戦闘もしないままにカリフォルニアに到着しました。そして、そこに駐留しているうちに金鉱を発見するのです。彼らは除隊になった時にはポケットにすこし金を入れてユタに戻って来たのです。そのポケットの金を見てユタの中にも一攫千金を夢見る連中が出てきました。それで教団に内緒で密かにカリフォルニアに向かう連中が出てきたのです。みんなお金のほうが宗教より大事なわけです。それが目立って来て、教団も何とか食い止めなければならなくなる。そうしないと誰もいなくなりそうだったのです。そこで「金に目がくらむとはなんたる事だ」という感じで、今後勝手にユタを離れる者は厳罰に処すと脅しをかけたのです。
 
(O:そこで「復讐の天使」や「ダナイト団」がでて来ることになるのですね)
 そうです。実際に、そうした自警団に処刑された信徒もいたのです。
 
(O:アメリカがメキシコ戦争に勝ったためにユタはアメリカのものになってしまったことは大変皮肉なものだと思いますね)
 歴史のいたずら、という感じですね。 

興味深いモルモンたち
 
(O:先生はモルモン教徒には面白い人物が多いと仰っていますね)
 興味深い人物の筆頭は、モルモンのならず者・殺し屋ですね。19世紀にはモルモン教の中に指導者の指示で動くならず者がいました。腕っ節も強くて大管長や指導者のためなら何でもやるという連中です。その悪者の何人かがとても面白いですね。その事について書かれた本もいろいろあります。これから読むのがとても楽しみです。そんな連中も実は根はとても良い奴だったりします。しかし、宗教的な思いのために教祖のため、それこそサリンも撒きますというような熱心な信者でした。教団のため、教団指導者のために、敵を殺したり信徒を粛清するという事をやっていました。
 ユタの山中で殺されたとしても誰にも分かりはしません。今でもロッキー山脈の中で人が殺されたとしても全く誰がやったかなどは分からないでしょう。私も色々調べものをするためにユタ州には何回か行っています。レンタカーを借りてロッキー山脈をドライブしたこともありますが、それはもう美しいものですね。ところが、大変立派な道路が出来ているのですが、1時間に1、2台しか車とすれ違いません。それぐらい人が住んでいないのです。
 
それから勿論、モルモンのなかにも高潔な人物もおりました。スターリング・マクマリンとかルーベン・クラークとかが有名ですが、しかし、こういう人たちは教団の幹部とは反りが合わず、苦労したのではないかと思います。
 
(O:オーソン・ハイドとヤングの対立などにもドラマを感じます)
 指導者と対立したために追放されたモルモン教徒は結構多数おります。そういうテーマを扱った本が数冊あります。たとえば、過去から現代に至るまでの教会から破門された十数人の人物をピックアップして書いたものです。サンドラ・タナー氏も取り上げられています。そんな風にモルモンに関しては本当に様々な本が出ていて、研究するには時間がいくらあっても足りないでしょう。 

今後の著作は
 
『素顔のモルモン教』は内容を書き換えて再版することを考えています。もうひとつユタの歴史を中心として、ブリガム・ヤングやジョン・テーラー、ウイルフォード・ウッドラッフの事を中心に19世紀をカバーしたものを書きたいと思っています。ただ、これはとてもテーマが豊富で何を書くべきかで思案しています。
 ジョセフ・F・スミスという人物も出て来ますが、この人は多妻婚放棄後の大管長なのですが、最後まで多妻婚を続けていました。教団が多妻婚を放棄宣言したあとも多妻婚を続けていて連邦警察に捕まった指導者です。彼が非常にたくさんの企業・会社に関わっていた事は『素顔のモルモン教』に書きましたが、ジョセフ・F・スミスやジョージ・キャノン等を調べることは、今日のモルモン教会の混乱や行き詰まりを理解するには、不可欠かもしれないと思いはじめています。

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