カルト講演会タイトル 

以下の要領で

「カルト宗教を語る in 三重」
がアムネスティ・インターナショナル・三重グループの企画で行われました。
非常に有益な講演会でした。
その講演会の要旨をアップしました。

 

ルーテル教会

日時: 平成14年8月25日PM1:00-2:30
場所: 近畿福音ルーテル津教会
         〒514-0882
     三重県津市南が丘1丁目17-5

 

 

講師:  ウイリアム・ウッド    ノルウエージャン・新生宣教団牧師


ウッド先生写真

(講師略歴 

・1956年

アメリカ・ウィスコンシン州に生まれる。

・1976年 

テキサス州 クライスト・フォー・ザ・ネイションズ卒業

・ 同 年

 来日

・1988年

 「真理のみことば伝道協会」設立。同主事

・2001年 

アメリカのルーサー・ライス神学校より神学博士号収得

・2002年

日本初の滞在型施設である「カルト研究リハビリセンター」を設立
現在、日本各地で「異端セミナー」を開催

(著書)

「エホバの証人への伝道ハンドブック」
「エホバの証人の教えと聖書の教え」
「目ざめの時」
「エホバの証人の反三位一体論に答える」
「モルモン教とキリスト教」
 以上、いのちのことば社

「カルトと若者」 - 講演要旨 -


はじめに
カルトに関わって22年になる。最初はエホバの証人、モルモン教の 宣教師との出会いであった。彼らと話をして驚いたのは全く聖書か ら逸脱している事だった。しかし、彼らは「これこそが真理だ」と 思いこんでいて、その必死の思いが伝わってきた。その時、わたし は本当の彼らがかわいそうだった。その時から本当の事を伝えて行 きたい思うようになった。
自分(ウッド先生)はごく普通の宣教師として働くだろうと思って いたのに、夢にも思わない人生の展開になった。

エホバの証人二世の姿
カルトリハビリセンターに来たエホバの証人二世の女性がいた。教 理をたたきこまれて、強制的に集会や伝道に連れていかれた。少し でも反抗すると、ベルトで叩かれたりもした。エホバの証人の子供 はとても大人しくておりこうさんである。それは非常に厳しい訓練 を受けるからである。その教理に寄って学校の行事にも参加が禁止 される。誕生日会もクリスマス会も祝ってはならないのだ。他の子 供達が楽しんでいる間もぽつんと一人で時間を過ごしたのである。 16歳になった時、自分が存在しないことに気が付いた。自分の考え を持たず組織の言われる生き、模範的な信者を演じて来ていた。
そこで勇気を持ってエホバの証人を脱会した。新たな人生のスター トを切ったのだが、自立心が全く育っていなかった彼女は将に悪戦 苦闘の日々。大学で勉強して四ケ国後をマスターした。しかし、精 神的な傷は癒えておらず、未だにうつ病で薬のお世話になっている 状態である。
わたしは皆から言われる。「どうしてカルトなどという難しい、苦 しいややこしい問題に取り組むのか」と。理由は簡単である。苦し んでいる方々の存在を無視できないからである。

異端とは
(聖書から第二ペテロ2章1〜3節を読む)
異端とは聖書(聖書のメッセージ)を曲解したニセキリスト教であ る。エホバの証人、モルモン教、統一教会などを異端としている。 また全く聖書を宗教団体もあります。そこでもうひとつ使われる言 葉があります。それがカルト(Cult)である。オウム事件から 使われるようになった。

カルト(Cult)とは
危険な(宗教)団体であり、人間社会に破壊的結果を与えるもので ある。今読んだ聖書の言葉に「滅び」という言葉があった。異端、 カルトは「滅び」をもたらしている。オウムの地下鉄サリン事件、 人民寺院事件はその例であろう。
人権無視、家庭崩壊、洗脳、人格の崩壊、人命の軽視などカルトの もたらす被害は多種多様でかつ深刻である。
人民寺院の時に、問題になった言葉がある。それがマインド・コン トロールである。

マインド・コントロールとは
人が宗教団体や組織によって精神を操作されるのです。マインド・ コントロールを受けた人間は組織や組織の代表者を自分よりも偉い ものと認め、それに依存するようになる。宗教団体であれば、神の 預言者、代弁者となる。そして、自分で物事を考えたり、判断した り、決断したりする事を止めて、全くのロボット状態になってしま う。人民寺院でショックを与えた事は教祖が与えたジュースに毒が 入ってそれを飲めば死ぬと分かっていたのに信者はそれを飲んだ。 900人もの信者の心を教祖のジョーンズは支配しコントロールしてい たのだ。

マインドコントロールの手法

情報のコントロール
マインドコントロール法則について今は十分に語れないが、その手 法のひとつに「情報のコントロール」がある。組織の都合の良い情 報のみを伝えるのである。

権威の法則
また、もうひとつの法則は「権威の法則」でる。私たち人間は権威 に弱い。近所のおばさんが来週木曜日に地震があるので逃げよと言 われてもだれも逃げないだろう。ところが、その言った人間が京都 大学の先生だったらどうだろうか。実際逃げないまでも、おばさん の時とは聞き方ががらりとかわるだろう。
カルト教団はこうした権威を利用する。神の権威を利用するのであ る。わたしは神の代弁者、預言者だというのだ。そうして、人を自 分に従わせるのだ。宗教団体を作る際に「ウイリアム・ウッドの話 を聞きなさい。そうしないとあなたは滅びます」と言って聞く人間 がいるだろうか。とろろがそこで「これはウイリアム・ウッドが言 うのでははない。神から使わされて、神の代弁者として語るのだ」 と言えばどうだろう。聞く側の態度もずいぶん変わるのではないか。 ウイリアム・ウッドに背を向けるととは神に背を向ける事だと思わ せるのだ。ここのマインドコントロールのコツがある。
これが権威の法則である。

ホビア(恐怖心)の法則
また、良く使われるのはホビア(英語で恐怖心)の法則である。信 者の心に恐怖心を植え付けるのである。「あなたがわたしの言うこ とを聞かねば神からは救われない」と信者に教え込むのだ。そうし て宗教団体に引き込めるのである。また「愛のシャワー」という法 則もあるがそれは後で述べる。

異端は滅びをもたらす
「マインドコントロールされた人間は他人に依存するようになって、 自分で考えたり判断したり決断したりしなくなってしまう」という 事を覚えておいて欲しい。
第二ペテロの言葉を再度読んでほしい。異端は滅びをもたらすとあ る。ここにエホバの証人の「めざめよ」の94年5月22号がある。こ こに若者の写真が一杯載っていて「神を第一にした若者達」とタイ トルがある。この若者はどんなことをして「神を第一にした」と認 められたのだろうか。それは輸血を拒否して死んだからである。輸 血の禁止は聖書の曲解である。その雑誌を見る度、異端は滅びをも たらすということを思う。
また、エホバの証人は何度も予言をしている。1914、18、25、41、 75、95年と今まで6回も世の終りを予言しているのである。特に1975年 の秋には大々的にハルマゲドン(世界最終戦争)を強調していた。 その75年のすこし前にどんなことをエホバの証人が若者に語ってい たか。その言葉を紹介しよう。69年8月8日号。若い人にどんな将 来があるだろうか。この体制の差し伸べるいかなる立身出世をなし 遂げる事はできない。まもなくこの世が過ぎ去ってしまうのである。 学校教育も就職も無意味であると言っているのである。
しかし、その若者達にエホバの証人が過去にも同じ事を何度も言っ ていた事を知らされていれば、騙される事はなかったのだ。先ほど 述べたようにカルトは厳しい情報統制を行う。過去の間違った事は 一切知らされないのである。

他の被害
統一教会で経済的被害を受けた人はどうだろう。ほとんど何の価値 もない壷を何百万円も払って買わされた。先祖の祟りから逃れるた めの不思議な力があるなどというのである。私の団体で統一教会か ら救出されたものがいる。彼らは、そうしたものを非常に高価なも のだと信じていた。脱会後それを質屋に持って行くと数千円にしか ならなかった。
今アメリカでエホバの証人が児童性的虐待を行っている事が問題に なっている。これは全米(おそらく全世界でも)起きていることで ある。エホバの証人における長老が女の子レイプしているのである。 これを勇気を持って告発した人たちは買えって組織から「排斥」さ れてしまっているのである。組織の問題を指摘する女性達が訴えた 人たちが組織から追い出されるのである。

若者は何故カルトに走るか

安定の追求
世の中が複雑になり現代は情報化社会であり、溢れる情報が受身の 人間を作ってしまっている。情報化社会はとても便利だ。少し前ま ではそんなに物事を考えることなどはなかった。便利であるが溢れ る情報が若者を不安にさせるのである。何を信じたら言いか、どう 言う生き方をすれば良いか分からなくなっているのである。詰めこ み教育が考えない人間を作ってしまったとも言われている。日常生 活が便利になり、めんどくさがりやが増えたということもある。こ うしたことを考えると現代人は影響を受けやすくコントロールされ やすい性格を持っていると言える。
現代に生きるには情報を収集選択し自分で考えて生きていかねばな らない。自分に替わって考え、結論を出してくれる宗教団体に魅力 を感じるのである。特に人生経験がこれからで自分の考えを持ちに くい若者は自信を失っているのである。底に権威を持って、単純な 説明や回答を与えてくれ、これが絶対正しいと断言してくれるカル トには非常に弱いのである。飛びつくのである。自分で考える苦悩 を省く事が出来るし安心感も覚えるのである。
この若者の自信のなさを示す好例が統一教会の合同結婚である。数 千組のカップルが教祖によって一方的に決められる。しかし、若者 達はそれを感謝する。自分で決めるとその判断は間違っているかも 知れない。だから神に一番近い人に任せた方が懸命である。そうい う発想なのである。

自分の限りない可能性を実現できる
青年は理想主義者である。未成熟であるため自分には限りない可能 性があると思う。しかし、様々な環境のせいで力が発揮できないと 考える。そこで宗教で発揮しようとする。
オウムに入った若者達は麻原の説く救いの計画に参加することで、 世界に貢献していると感じ生きがいを見出している。これはエホバ の伝道者になる主婦達も同様である。平凡な主婦の生活にあきあき している方が多い、生きがいのある充実した人生、普通の主婦とは 違った生活を求めているのである。
サラリーマンも同じである。カルトは競争社会である。特に男性信 者は上の地位を目指すように言われる。もちろんこれは聖なる競争 とされている。中には、世の中のエリート競争から外れた方が自分 の生真面目さや熱心さを別の世界で晴らしているのである。彼は実 社会で挫折した事を宗教でやろうとするのである。

生活共同体への欲求
第3番目のカルトへの入信の動機は、生活共同体への欲求である。 大家族が核家族化し家族が崩壊していくとき宗教ブームが起こる。 何故なら本来あるべき家族の交わりがなくなるのである。このよう な状況で生まれ育った人には愛に対する餓え渇きが生まれる。そし て。生き生きとした共同体を求めるようになる。自分を認めてくれ て自分の悩みを聞いて、愛情を注いでくれる共同体である。
カルト教団は現代人のニーズをよく知っている。そこで使うテクニッ クが「ラブシャワー(Love Shower)」である。新しい メンバーに愛を注ぐ。その注ぎ方は普通ではない。新しいメンバー を誉める。親切にする。食事を作る。住んでいるアパートの掃除を する。引越しともなれば何十人も手伝いに来る。そのようなラブシャ ワーを経験する若者は感激する。何時間も自分の話を聞いてくれる し、これこそ本当の愛だと思う。
しかし、彼らも最初は気が付かない。このラブシャワーには条件が ついているのである。それは組織、指導者に対する絶対服従である。 教えられた事をなんでも受け入れ実行していれば愛される。しかし、 言うことを聞かなかったり、指導者に逆らった時、これは恨みのシャ ワーに変わる。そこで若者達は悩む。疑問があっても皆から愛され たい、仲間はずれになりたくない。愛されたいがために自分が疑問 に思っていることを打ち消し、宗教団体の言っていることを鵜呑み にするのである。ラブシャワーはカルトが使う非常に強力な武器で ある。

知識への欲求
カルト入信の四つ目の動機は知識への欲求である。カルト信者は非 常に勉強熱心で知られている。その熱心さはカルトグループの指導 者が神の代弁者である事と密接な関係がある。カルトグループの指 導者はなんでも知っているということになっている。特別な啓示を 受けている、智慧を与えられていると教えられている。そこに大き な喜びを感じ熱心に学ぶ。また、この特別な知識を学ぶ事で外部の 人間に対して優越感を持つ。このことを知っているのは私だけだと 思える。同時に人の上に立ち、他の人を教えることで喜びを感じる ことも出来る。

人格完成への願望
第5番目は人格完成への願望である。カルト教団に入る人々は変身 願望者である。「立派な人間になりたい」「人格を向上させてたい」 「生まれ変わりたい」そう思うのである。カルト教団はそんな彼ら に変身できる環境を提供する。結局それは教団の宣伝に役立つモデ ルであるのだ。「明るい」「熱心」「行動的」「従順」この四つを カルト人格と私達は呼んでいる。当然これらの四つの人格自体が悪 いわけではない。カルトの場合は無理やりこれらの人格を身に付け させられるのである。そこで問題が起きる。根が明るくない性格の 人にもっと明るくなれと言う。言われた人は望ましい性格であろう として無理して演技をする事になる。心に思っていることと実際の 行動とが一致しないでいると人間の心は病んでくるのである。生き 方と心が一致していて健全である。
カルトに入る人はとにかく「明るい」「熱心」「行動的」「従順」 になりなさいと言われ「なれない」というと「あなたの努力が足り ません」と言われてしまう。
カルトの世界はキリスト教的な恵みの世界ではない。言わば優等生 のための福音であり、キリスト教は落第生のための福音である。立 派なった人が神から愛され救われる。カルトの人は立派な模範的な 信者になろうとするが、組織が掲げている基準には到達しない。い つも「努力が足りない」「霊的に低い」と言われる。これもカルト の手法である。いつも人に罪責感を負わせるのである。エホバの証 人にかかわって22年たくさんの心に病を持った人を見た。またモル モン教にもそうした人がいると聞いている。
理想的な人格になれるチャンスをカルト教団は与える。カルト信者 のライフスタイルは多くの人々の予想に反してでたらめなものでは ない。むしろ逆である。組織は高い倫理規定を信者に要求する。そ の理由は主に3つである。「宣伝になる」(信者の生活態度が教団 のイメージを挙げてくれる)「組織の権威の確立になる」(高い倫 理性で教団の社会的地位を上げれる)「組織の欺瞞性を覆い隠せる」 (例えば地下鉄サリン事件の時、虫を殺す事も禁止されているのに そんな事ができるはずがないというコメントがあった)

救いを求めている
6番目の入信動機は「救いを求めている」ということである。カル トに入る人は例外もあるがほとんどが真面目である。世の中の問題 を真剣に考えている。何故犯罪が多いのだろうか。何故世界が平和 にならないのかなど。エホバの証人では特に楽園の話を聞かされる。 もう直ぐ楽園がやって来るそう信じている。モルモン教の最後のゴ ールは神になるという教義である。この世の中で失望している人た ちに救いと楽園の展望は魅力的である。また、神秘主義的な体験の 憧れも入信の動機になる。オウムの面々は麻原教祖の約束する超能 力に憧れを持った。

カルトへの対策

最後にカルトに対する対策を述べておきたい。これ以上の被害者を 増やさない方法はないのか。いまカルトにいる方を救出する方法は ないのか。

情報を広める
カルト問題の情報を広めることが重要だ。カルトのマインドコント ロールでの重要な方法は情報のコントロールである。言いかえれば カルトを糾弾する勇気を持つことである。ある人は憲法で保障する 信教の自由を理由に宗教を批判することをとんでもないというもの もいる。しかし、7年前の地下鉄サリン事件のように信教の自由を 盾に反社会的なことをしても良いというわけではない。私達は社会 や私達の生活を破壊するカルトに黙っている事はないのである。も し私が7年前以前にオウムがサリンを作っているという情報をつか んでいたらどうしただろうか。信教の自由があるからと沈黙してい るだろうか。いや、声を大にして叫ぶべきだと思う。
6年前の鹿児島でボート事故を起こした妊娠5ヶ月のエホバの証人 の信者が輸血を拒否したために、胎児と伴に死亡する事件があった。 その翌日に埼玉県の病院から電話が私にあった。その病院には13歳 の女の子が入院していたが、手術に必要な輸血を拒否していたのだ。 その子は両親をなくした孤児で合ったので本人の同意がなければ手 術を行えなかった。手術をすれば必ず助かる病気であった。ところ が何処で知り合ったのだろうか、エホバの証人が毎日押しかけて来 て輸血をしないように説得した。医師が説明すると心は揺らぐので あるが、エホバの証人が来ると元の精神状態に戻ってしまうのだっ た。手術をしないと命は一週間持たないからなんとか説得しに来て くれと頼まれ2日後に病院に行く約束をしたが、その日のうちに再 び電話が入りその少女が亡くなったことを知った。医師は激怒し言っ た「エホバの証人は許せない。13歳の少女に『死ね死ね』と言った のだ」と。また最後にこうも言われた。「あなたがた、キリスト教 の牧師は一体何をしているのだ。あなたがたが警鐘を鳴らさないか らこう言う事件が起きるのだ」と。非常に耳が痛かった。
私達はこれからも警鐘を鳴らしていかねばならない。

私達がしっかりした信念を持つ
私達自身が若者に教えて上げれるだけのしっかりした信念を持たね ばならない。人生とは、宗教とは、聖書とは、世界はこれからどう なって行くのか。様々な疑問を現代人の多くは持っている。子育て で悩んでいる人も多い。例えば家族に相談した時、家族から答えが なかった時、相談に乗ってもらえなかった時、どうなるだろうか。 若者は真面目な気持ちで相談に乗ってくれる人を捜すのである。そ してカルト教団は大変喜んでその役割を引き受ける。そして誤った 情報、有害な情報をたっぷり吹き込んでしまうのだ。
私のところに相談に来られる家族の方にお勧めする事は先ず勉強す ることである。家庭生活について、聖書について。ただ信仰を止め させれば良いのではない。カルトの教えは間違っていても、心の支 えである。回りからそうした支えを提供してもらえなかったから、 カルトに走ったのである。
多くの日本人は宗教に向き合う事をしない。世の中のしきたりや家 の宗教を守るが考えることをしない。人生の問題を真剣に考える人 であれば日本のこうした宗教のあり方に疑問を抱くのだろう。現代 の日本におけるカルト問題は日本人が宗教の問題を真剣に考えてこ なかった事への代価である。

若者を励まそう
最後に対策として大切なのは若者を励ます事である。現代人の問題 は自信のなさである。自信のない人間は権威を振りかざすカルト教 団の影響を受けやすいのである。カルトの誘いを振り払いノーと言 えるようになるには自分で考え判断する事である。「出来るから。 自分で考えてご覧」という励ましが、若者に力を与える。若者に代 わって判断してはいけない。自分で判断させるために暖かい言葉を かけてあげるのだ。
カルトにいたときには、自分で考える事が禁止されているため、考 える力が低下している。カルトから出た人にとって大切な事は回り の人間からの励ましである。自分一人で考え生きていかねばならな い。失敗しても良いから頑張って見なさいと言う言葉でずいぶん楽 になるのである。
何時でも人生は再生できる。再生品の方がじょうぶなのだ。 カルトの問題は大変な問題ではあるが、それを乗り越えればより丈 夫な人生になるのである。

手紙の紹介
最後に手紙を紹介しよう。鹿児島に住まいのエホバの証人の女性で ある。2世会員であったが、エホバの証人が嫌いで母にいつも反発 していた。そのせいでいつも精神的な虐待を受けていた。「あんた なんか産むのではなかった」と言われた彼女は次第に自分がダメだ と責め続けるようになった。ここにもカルトの問題がある。教団か らの無理な要求であっても出来なければ自分を責めるのである。組 織を責め、教団を怒れば良いのに、自分を責めてしまうのである。 結局脱会したが、その傷は未だに癒えていない事を感じている。し かし、今(キリスト)教会に集い、癒され行く自分を感じて生きて いると結ばれている。キリスト教会がカルトに対して担うべき役割 は益々大きいのである。

質疑応答

(1)アムネスティグループの方から
カルトでも救われている人はいるのではないか?そこで幸せな人も いるであろう。それを無理やり脱会させるなどの事には意味がある のだろうか?

答え
無理やりに脱会させる事はやってはいけない。カルトに入って幸せ であると実感している人がいるのは事実だろう。だが、カルトの提 供するものは全てニセモノである。例えば先に申し上げたラブシャ ワー。条件付の愛は本物ではない。カルトで得る平安もニセモノで ある。カルトの信者はニセのダイヤモンドを買って喜んでいる事に 似ている。本人は喜んでいたとしても、だまされているのである。 では、だまされている、ダイヤはニセモノであると伝えるべきか。 それはやはり伝えるべきである。ただ、それを伝える時に知恵が必 要である。一番よい方法は本物のダイヤを見せる事である。

(2)女性から
エホバ等の伝道訪問に対してどう対応すれば良いか。単に拒絶する だけで良いのだろうか。

答え
エホバの証人はなかなか一般のキリスト教の書物や聖書を読まない。 読むなと教えられる。また、クリスチャンの話に耳を傾けてくれる 事は少ない。ひとつ考えれることは質問をなげかけて考えさせる事 だ。質問すれば彼らは考える。質問の内容であるが、「ものみの塔 の予言の記録」という本があるが、それを使って「よく分からない 点があるので教えて下さいと」へりくだった姿勢を見せるのである。 また、一番古い聖書書きこみで汚くなった聖書を使う。エホバの証 人はクリスチャンは聖書を読まないと教えている。だから敢えて汚 れた聖書を出して、それをちらりと見せるようにするのである。彼 らはそれだけで、教団から聞いている話と違うと思うのである。ま たクリスチャンは伝道をしないとも教えているので、もし言えるな ら「私は伝道が大好きです」と言うのもショックを与える言葉であ る。

(3)女性から
本日は感謝である。信仰が確固としているからカルトの勧誘に負け ていないように思う。今後もカルトの勧誘には負けない。

答え
カルトの信者には救いの確信がない。彼らは救われるために努力の 途上である。彼らは一生懸命ではあるが不安なのである。しかし、 真のクリスチャンには確信がある。救われたと言う確信である。そ の確信も自分の行いによるものではなくて、キリストの購いによる ものである。


こるべしから終演の挨拶
先ほど幸福という事で話があった。カルトにいても幸福ではないか ということであるが、私自身モルモン教に在籍し自分自身で判断し て幸せであると思っていたのではなく、上から「あなたはモルモン 教会にいるから幸せなんだよ」と言われて幸せと思っていた。それ が大きな違いであった。

-----拍手で終演-----

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