木戸孝允の手紙

明治の初期、岩倉具視を団長とした岩倉使節団がユタ(当時準州)、ソルトレークに立ち寄ったことは知られた話しです。
大雪のため一行は予想外の長期滞在を余儀なくされてしまいます。
この使節団には桂小五郎(木戸孝允)が加わっていました。木戸はソルトレークから故郷に2通の手紙を書いています。そのなかでモルモン教が紹介されています。

 

木戸孝允文書 巻十二 

一、三浦梧楼宛書翰 明冶五年正月十一日

爾後彌御壮剛に御尽力と大賀此事に御座候。弟等も去冬十二月七日桑港へ到着侯処意外之引受有之日々其に奔走。二十二日発軌(?)侯鉄路為雪埋滅。桑港より九百余里サールトレーキと申す処に滞泊。不図こゝにて越年いたし侯。此地は海面より七千フート之高地にて千八百四十六年末共和政治之管轄に入らさる前、モルモンと申一種の宗旨ニューヨルク其外にて逐われ、終に千余里之人跡を絶ち、始百四十四之ものこゝに来り当時は二萬余之人口なり。モルモン之和尚をプレシテントと同じく称し侯て威権も甚強く此節華聖頓政府より少々手を入取押へ侯得ども元来教宗之事は任自由候国法に付別にいたし方も無之。此節和尚へ番人等を附け禁足之姿にいし居候も。曾て此宗之もの他宗之人を殺せしことこれありしよしを以と云。実に此宗之奇なる一夫多妻を娶り、已にプレシテソト・ヨングなるものは当年七十余歳にて十八人之妻、六十余人之子あり。実に開化之国と雖も様々の弊あり。信迎(ママ)する人民におゐては合点に入らざる事も不少。又理学者なとに至り侯事には総に教宗之弊を意外に嘆息いたし居侯ものも有之。新来にて一般之形情未中々相分り不申候。尤モルモンは買女等之事は甚厳にやケ間敷申侯よし。一珍事故任筆相認。于時出発之節何とぞ御配意奉謝侯。且又次処に御折合もよく御意味深長と御察申侯。必々此度はめて度御永久乍陰祈念に御座候。却説モルモンは世界之一珍事故相認侯事に付、萬一も御信迎(ママ)之念発起侯事は不相済。此段御戒心可被下候福原河野へも可然御致意是願侯。先は任幸便相呈侯。其中時下御白玉第一奉存侯。草々頓首。

訳と解説

木戸孝允文書 巻十二 

一、三浦梧楼宛書翰 明冶五年(1872年)正月十一日

その後、ますますご壮健で御尽力とのこと、大変喜ばしく存じます。私も昨年冬12月7日にサンフランシスコに到着いたしましたが、存外の雑務に奔走を余儀なくされました。 

【一行は西海岸から大陸を横断していた。その後ヨーロッパに渡る】

22日に汽車にて(東海岸側へ)出発いたしましたが、雪のため線路が塞がってしまい、サンフランシスコから900余里のソルトレークと言うところに滞在しています。そして、図らずもここで年を越してしまいました。ここは海抜7000フィートの高地で、1846年の末に共和国の管轄に組み入れられました。

【ユタが正式にメキシコから米領になったのは正確には1848年】

その前は、モルモンと言うひとつの宗教がニューヨークやその他から追放され、始めは144人のものはここにやって来たのが、当時は2万人の人口となったとのことです。

【このあたり現代語訳に自信なし】

モルモンの和尚を(米大統領と同じく)プレジデントと称し権威権利は大変強いのです。この度連邦政府から手入れが入り取り押さえられたようですが、元々この国は宗教については個人の自由に任せるという国法を持っていますので、特にそれ以上はありませんでした。この度、和尚に番人などを付け禁足処分にしたとのことです。

【1870年のヤング逮捕、不起訴の事件を指しているのだろう】

かつてこの宗教は他の宗教の人を殺したこともあると言います。実にこの宗教は奇妙で一夫が多妻を娶っています。プレジデントのヤングなる者は現在70余歳ですが、18人の妻と60余人の子供がいます。

【別項で紹介するが、数日後の別文書ではヤングの妻子の数が増える。当地でもヤングの妻が何人なのかははっきりとわからないぐらいだったのだ】

文明開化の国とは言うものの様々な弊害があるものです。信仰している人たちにとっては納得のいかないことも少なくもないのでしょう。また理学者などに至っては宗教の弊害を嘆息するものもおります。とは言っても、私は来たばかりのものですから、全般的なことはまだ分からないのですが。もっともモルモンは売春などははなはだやかましいのです。ひとつの珍事と思ったので筆に任せて書いています。

【多妻はするのに売春は不可と言うのを木戸は奇妙に感じている】

出発の際はなにかとご配慮をいただき感謝に耐えません。また、次のところは折り合いもよろしいようで意味深長ではないかとお察し申し上げます。
先にモルモンは世界の一珍事としたためさせたいただきましたが、万が一にも信仰しようなどと思い立たれることはよろしくありません。この点は決心され、福原や河野にもそのようにご意見して下さるようにお願い致します。(手紙を運ぶ)便の都合に任せてこれを送ります。なにとぞお体を大事になさってください。
                          草々頓首。

【モルモン教を信じてはいけないと申し入れている。福原、河野と言うのは、家人か友人か。彼らにもモルモンに注意するように言って下さいと頼んでいる。さすがに木戸孝允はモルモンの危険性を見取っている】

 

別の木戸孝允の手紙です。前の三浦梧楼の手紙の2日後に書かれています。手紙の最初からソルトレーク、モルモン教について述べられたところまでを引用します。
前の手紙から比べるとブリガム・ヤングの妻の数が増えています。どうも、ソルトレークの住人たちにとってもヤングの妻の数ははっきりしないようです。ここら辺にもヤングの絶対的権威を看取ることができますね。

 

二 槇村正直宛書翰 明治五年正月十三日

爾後弥御堅剛に御尽力と大賀此事に御座候。さて出立前に御面倒の儀御願任候処、早々御送、被下忝奉存候。いづれ帰。朝の上御礼可申陳侯。且又御託の廉々は慥(たしか)に承知器械の事故工部省の肥田に相頼置詮儀いたし見候都合に御座候。此等の器械は総て彿蘭斯がよろしきと申候。合評にて御座候。米国にも巨大の器械場も有之申候得。共其向に無の国々の長所有之事と被相察申侯。于時に(ママ)弟等も旧臘初七桑港へ到着侯処、此地の人民意外の懇遇にて不図長滞いたし侯。桑港にて待遇の為め数万金を人民費せしと云。米国政府にては此度の使節を米国の国客と見なし華盛。頓滞在の入費五万金を募り侯よし。已に議院に下し議院の諭至一決申候。漸二十二日に此地発軌侯。鉄路為雪に埋没、桑港より九百余里フールトレーキと申候処に今以滞在、終にこゝにて越年いたし侯。鉄路出来已来此道路如、今年大雪は未曾有と申事に御坐侯。当年は山中の難所へは尽道筋へ(ママ)屋ねを造築すと云。已に当地までの開四十五里屋中を馳せ候処有之申侯。山中最高き所は八千二百四十二フート海面より有之侯よし。此地は四千フート余と云。此地は千八百四十六年、モルモン宗と申一派の宗旨合衆国の方より被逐、終に此処に来て居住せしと云。千八百四十七年、メキシコの戦争にて又合衆国の管轄に入れり。モルモンの徒、最初百四十三人。人跡の絶たる所千三十余里を経てこゝに来た、当時は二萬余人の人口あり。尤三分の一は他宗のものなり。則此モルモンの和尚はプレシテントと唱。甚威権も有之申候。此宗の奇なるは一夫にして多妻を娶とり已に和尚などは十九人の妻あり、子供七十余人生存するもの四十八人。寺堂は高大にして寺中へ萬余人を容れり。耶蘇振なれども如此一派を立、神より直に教道を授かると云。文明の国にても今日如此宗派の相開け、人民も又真に信向いたし候などゝ申は実に不思儀の至と相考申候。尤華盛頓政府にては甚此宗をいとひ侯へとも元来国憲に宗旨は人民の信向にまかせ有之候故別に如何とも難致尤当時和尚は禁足の姿にて兵隊の警め有之申侯。是は此宗のもの会て他宗の人を害せし事有之。其責和尚へ帰し候姿一珍事故見聞のまゝ申上候。
此地の傍に塩湖有。之長き処は百余里に渉り申候。元来ソールトレーキと申字義は塩湖と申事のよし。塩気甚烈、敷一魚も不能生。此水を蒸発するときほ三分一の塩塊を得ると云。如此山中に如此塩湖の有之候も亦世界の一奇に御坐候。(以下略)

訳と解説

その後、ますます元気で活躍との事お喜び申し上げます。出発前にご面倒な事をお願いしましたが、早速に送ってくださりありがとうございました。いずれお返しする所存です。会議の場でもお礼を申すべきところです。そのお任せいただいたことは機械の事ですから工部省の肥田(浜五郎)をお便りいただいて詮議してみられてはいかがかと存じます。この種の機械は総てフランス製がよろしいと言う事だそうです。これは一致した評価です。米国にも大きな機械工場があるようです。ともに機械のない国から見て優れたことであると思っています。
私たちも昨月初めサンフランシスコ港に到着しました。この地の方々は以外にも手厚く迎えて下さり、図らずも長滞留をしました。サンフランシスコでの私たちの接待の為数万の金を費やしたと言います。米政府はこのたびの私たち使節を国賓とみなして、華々しく盛り上げ、滞在注の諸費用として五万金を募ったとのことです。既に議会にはかられこれは直ぐに決議されていたと言う事です。ようやく22日に同地を汽車で発ちました。ところが線路が雪に埋もれたためサンフランシスコから900余里のところソルトレークと言うところに今現在滞在しており、ついにここで年を越す事になりました。鉄道が出来て以来は道路のようでしたが、今年の大雪は未曾有の事との事です。今年は山中の難所まで、雪が覆っていると言います。(わたしたちは)既に当地までの45里を(雪を)開き、そこを走って来たところなのです。山中のもっとも高いところは海抜8242フィートあると言います。
この地は4000フィート余りと言います。この地は1846年モルモン宗と言う一派の宗旨が合衆国の方から放逐され、とうとうこの地に来て居住したと言います。
1847年メキシコとの戦争でまた合衆国の管轄に入りました。モルモン教徒、最初143人でした。人跡の絶えたところに1030余里を越えてやって来ました。今は2万人余りの人口があり。その3分の1は他宗に所属するものです。モルモンの和尚はプレジデントと称しています。大変大きな権威があるということです。

【ユタ入植の歴史が簡単に述べられている。】

この宗教の奇妙なのは一人の夫が多妻を娶とることです。既に和尚などは19人の妻があり、子供は70人余りで、そのうち生存するのは48人です。寺堂は高く大きく、寺の中には1万人余りを収容します。キリスト教風ではありますが、このような一派が設立されいて、神から直接に教えを授かっていると言うのです。

【多妻婚の紹介、特に和尚、大管長ブリガム・ヤングの妻の多さが述べられる】

文明の国であっても、このような宗派が開かれ民衆も真剣にこれを信仰するなどというのはまったく不思議な事だと考えております。もっともワシントン政府ではこの宗教を大変嫌っているとのことで、元来は憲法で宗教を信仰する事は国民の自由に任せてあるので、いかんともしがたいわけですが、今は和尚も禁足処分を受けており、兵隊の警備にあっています。これはこの宗教が他の宗教の人に危害を加えたことがあるからです。その責任が和尚に帰せられてているのはひとつの珍事であり、見聞きしたままを申し上げました。

【信教の自由と、合衆国政府がモルモン教に対してどのような姿勢であるのかが述べられる】

この地の傍らに塩の湖があります。これの広いところは100里余りあると言います。ソルトレークという言葉の意味は「塩湖」ということだそうです。塩気は大変強く。魚の一匹も生息することが出来ません。この水を蒸発させれば水の3分の1を塩の塊として得る事が出来ると言います。塩湖と同じように山中にもまた世界の一奇景と言うべきものがあります。(以下略)