三人の見証者私見

 モルモン教では三人の見証者を大変立派な人物であると紹介しています。実際はどうでしょう。既にこの三人のことは詳しく論じられているのですが、ここでは私なりに調べてまとめたことを紹介します。
ジョセフ・スミスの時代のアメリカ、特にジョセフの住んでいたあたりの宗教感覚はとても特殊でした。高橋弘氏はこう述べています。 

開拓地には、かつてはキリスト教徒であったが、フロンティアでの開拓生活を長く続けているうちに教会から離れてしまった人々が大勢いた。開拓地には教会も学校もなかったのである。大覚醒運動は、失われた魂を蘇生させ、ふたたびキリスト教の信仰にたち返らせる運動であった。集会では讃美歌が歌われ、聖書の言葉が語られ、また時には異言が語られたり、癒しが行われたりもした。ただし集会の目的は、ふたたび救いに与かる魂を見いだすことであり、集会のたびに「招き」がなされ、その場で洗礼が授けられたり、その教派の会員に加えられたのであった。説教者は地獄を鮮やかに描き、救われぬ魂の行くすえを大袈裟に語り、人々に不安をかき立てたため、集会のなかでしばしば発作で倒れる人が出たという。しかしこういう集会は「ヒット・アンド・ラン」と呼ばれ、やりっ放しの無責任な集会に終始しがちであった。したがって、人々は指導者のいない宗教的興奮のなかにとり残されるという結果になったのである。

 信教の自由は素晴らしいことには違いないが、大衆には重荷であった。かきたてられた罪の意識や、救われぬかもしれないという恐怖心、さまざまな精神的不安はてっとり早い救いを求めていたのである。もしそこに強力な指導者が現れ、明瞭な教えや救われるための道を説いたなら、大衆がそれにとびつくのは明らかであった。こういう時代を背景としてジョセフ・スミスをはじめとする、さまざまな新宗教の指導者が出現することになるのである。(『素顔のモルモン教』P67)

 私たちが想像する現代のキリスト教を想像してはいけないと言うことです。ジョセフ・スミスの宗教環境は極めて土着的で占い呪いなどと渾然一体となっていたのです。それはジョセフだけではありませんでした。三人の見証者も同様でした。
 三人に共通することは信仰についてはとても移り気でかつ不安定。理性的に物事を考えることはなく、オカルト的なものに強い興味を持ち、物事を信じ込みやすいということでした。また、彼らはいちおうにいろいろな宗派を転々としていたと言うことです。そんな彼らにとってはモルモン教も信仰した宗教のひとつに過ぎなかったということを忘れてはいけません。モルモン教団は彼らはモルモン書が真実であることを生涯否定しなかったことを強調します。そうした記録も確かにありますが、もっと大切なことは見証者たちがモルモンと同様に他の宗派も生涯否定しなかったし、他の宗派の奇跡や啓示も真実としていたということです。たいへん無節操な人物たちであり、果たして証人としてのふさわしさがあるとは思えないのです。
 三人の見証者、それに八人の見証者がジョセフに従って来たのにはそれなりに意味があります。それはジョセフが自分がしているような神との交流を皆に認めていたからです。

モルモン教の最大の魅力は、たぶん、神とのおどろくべき親密な関係が信者のひとりひとりに約束されることだろう。ジョセフは信徒たちに神から直接お告げをうけることを教えたし、それを奨励した」(ジョン・クラカワー『信仰が人を殺すとき』P 111

 しかし、これはジョセフの思い通りにならない信者を生むこととなります。そのためジョセフは正しい啓示を受ける予言者は自分ひとりである、と方針を転換します。
 この種のトラブルで深刻だったものがハイラム・ページの事件でした。ページは特殊な石を使って啓示を受けていました。それが信者たちに影響を与え始めたのです。教義と聖約28章にはオリバー・カウドリーもその影響を受けたとことが述べられています。そしてこのことがきっかけで啓示を受けるものがジョセフに限定されていく様子もわかります。

見よ、わたしはあなた、オリバーに言う。わたしが与えた啓示と戒めに関して、あなたが慰め主によって教会員に教えるすべてのことを、教会員は聞かなければならない。しかし見よ、まことに、まことに、わたしはあなたに言う。わたしの僕ジョセフ・スミス・ジュニアのほかに、だれもこの教会で戒めと啓示を受けるために任命される者はいない。彼はモーセのように戒めと啓示を受けるからである。(中略)また、あなたはあなたの長であり、教会の長である者に命じてはならない。わたしは彼に代わる別の者を彼らのために任命するまでは、奥義の鍵と封じられている啓示とを彼に授けたからである。(中略)さらにまた、あなたはあなたの兄弟ハイラム・ページを、彼と二人だけの所へ連れて行き、彼がその石によって記録した事柄はわたしから出たものではないこと、そしてサタンが彼を欺いていることを彼に告げなさい。見よ、これらのことは彼に命じられておらず、また教会の聖約に反することは、この教会のだれにも命じられないからである。

 そもそも石を使って啓示を受けると言うこと(一種の占いでしょうが)は当時は別段珍しいことではありませんでした。現実、ジョセフ・スミスも金版を発見したと言う話以前から覗き石(see stone)を使っていたのです。
 このジョセフの変節がオリバー・カウドリーに最初の失望を与えたようです。オリバーはジョセフが姦通している事を知りそれを糾弾しました。(ジョセフの姦通は事実でした)しかし、これに対してモルモン側は、オリバーこそが「姦通をした」と主張しました。結局彼は1838年にモルモン教会から破門され、メソジストになりました。1841年に、モルモン教側は「モルモン書がオリバーによって否定された」と書かれた詩を発刊しました。
 決定的な仲たがいをしてしまったジョセフは、「言及することができないほど卑劣な」人々のリストに、カウドリーを加えました。そして、モルモン教徒たちはカウドリーが「偽造者、泥棒、うそつき、およびいかさま師の集団」に加わったと主張したのでした。
 また、ジョセフはオリバーが「偽金とサイコロ」を購入し、起訴を避けるために「その地から逃走した」ことを信じさせる根拠も持っているとも言い放ったのでした。
 この「『言及することができないほど卑劣な』(too mean to mention)」人々のリストには別の見証者デビッド・ホイットマーとマーチン・ハリスも加えられています。特にホイットマーは「dumb ass」と呼ばれています。これは大変汚い言葉のようで『馬鹿なケツ穴』とでも訳せばいいのでしょうか。こういう言葉を使うこと自体、既にジョセフ・スミスがニセ予言者だと言う証明でしょう。
 オリバーは死ぬ前、1848年にモルモン教会に戻って再度バプテスマを受けたようです。そしてその1年後に死にます。この間モルモン教会内でどのようにしていたかは詳しくは分かっていません。モルモンの初期において、彼は「第二の長老」として、ジョセフに次ぐ高い地位にあったわけで、モルモン教としては彼の復帰をもっと大々的に宣伝してもよさそうなものですが、その記述は大変簡単な内容に終始しています。たとえば「回復された教会」と言う本での説明はこうです。

オリバー・カウドリーは1848年に教会に戻った。そして、1849年1月友人のデビット・ホイットマーに別れを告げに行く途中没した。(P61)

ところが、この記述は事実と微妙に相違しています。それはオリバーの友人であり、見証者のひとりであったデヴィッド・ホイットマーの著作によってわかります。彼の著作で史上初の反モルモン本と言われる「An Addressto Believers in The Book of Mormon」には

In the winter of 1848, after Oliver Cowdery had been baptized at Council Bluffs, he came back to Richmond to live, and lived here until his death, March 3, 1850.
(1848年の冬に、オリバー・カウドリーはカウンシル・ブラフスでバプテスマを受けた後、生活するためにリッチモンドに戻り、50年の3月3日に死ぬまでそこで生活していました)

 とあります。オリバーはバプテスマは受けたもののモルモンの共同体には加わらず、故郷に戻って春まで生活してそこで死んだのでした。つまり旅行中に死んだと言うのはモルモン教の嘘なのです。オリバーの復帰が形だけのものではモルモン教は困るのでこうした嘘を述べたわけです。オリバーは再度バプテスマを受けたものの、モルモンとしての生活はしなかったわけです。これをもって教会に復帰したと言うことには無理があるでしょう。
 また、デヴィッド・ホイットマーは、オリバーがジョセフ・スミスが堕落した予言者であり、教義と聖約の啓示は拒絶されなければならないと終生信じていたと説明しています。そして、デビッド・ホイットマーとジョン・ホイットマー(八人の見証者の一人)、そして、オリバー・カウドリーの3人は1849年に新しい啓示を受けてあくまでも「教義と聖約」を拒絶することを確認しています。

Now, in 1849 the Lord saw fit to manifest unto John Whitmer, Oliver Cowdery and myself nearly all the errors in doctrine into which we had been led by the heads of the old church. We were shown that the Book of Doctrine and Covenants contained many doctrines of error, and that it must be laid aside.... They were led out of their errors, and are upon record to this effect, rejecting the Book of Doctrine and Covenants.
(そして今、 1849年に主は、古くからの教会の指導者達によって教え導かれていた教義に関する、ほとんどすべての誤りを、ジョン・ホイットマー、オリバー・カウドリー、そして私自身に明らかにされたのです。私たちは教義と聖約という本が多くの誤った教義を含んでおり、それを削除しなければならないと示されました。・・・彼らは、その誤りから解放され、その効果として教義と制約を拒絶するにいたったと、記録されたのです。)(An Address to Believers in The Book of Mormon, 1887, pp. 1-2)

 オリバー・カウドリーはふとした気の迷いから再びモルモンのバプテスマを受けたもの、ジョセフ・スミスが堕落した予言者であり、教義と聖約は聖典ではないと言う考えを終生否定することはなかったのです。モルモン教団がオリバー・カウドリを顕彰するのであれば、こうした自らにとっては好ましくない点やジョセフ・スミスがカウドリーを罵倒していたという事実合わせて取り上げるべきでしょう。

 デビット・ホイットマーは典型的な宗教サーファーでした。彼は様々な宗派を転々として結局新しい宗派を興して、自ら予言者におさまってしまっています。
 ホイットマーは 晩年の1887年に「An Address to All Believers in Christ(キリストを信じるもの全てへの声明)」と「An Address to Believers in The Book of Mormon(モルモン書を信じるもの全てへの声明)」のふたつの小冊子を書いています。
 「An Address to All Believers in Christ」でホイトッマーは三人の見証者全員揃って『証言を取り消したことはなく、モルモン書は神のものである』と述べています。これは事実であり、モルモン教団も好んでこれを引用します。

It is recorded in the American Cyclopedia and the Encyclopedia Britannica, that I, David Whitmer, have denied my testimony as one of the three witnesses to the divinity of the Book of Mormon; and that the other two witnesses, Oliver Cowdery and Martin Harris, denied their testimony to that Book. I will say once more to all mankind, that I have never at any time denied that testimony or any part thereof. I also testify to the world, that neither Oliver Cowdery or Martin Harris ever at any time denied their testimony. They both died reaffirming the truth of the divine authenticity of the Book of Mormon.(同書p7)

 ところが実はここからが問題なので、またもモルモン教側は都合の悪い事は隠しているのです。ホイットマーは確かに最期までモルモン書は信じていたようですが、ジョセフ・スミスが堕落して予言者の資格を失ったとし、予言者としては認めなくなっていたことは先の引用の通りなのです。教義と聖約やその他ののジョセフの啓示も否定して、神の言葉とは認めていないのです。
 ホイットマーもハイラム・ページから影響を受けたようです」また、カートランドにいた「黒い石を持つ女」からも影響を受けていたとジョセフ・スミスの母親は記録しています。ジョセフと袂を分かった後、ホイットマーはジェームス・J・ストラングの主導するモルモン教ストラング派に加わっていました。そして、それからマクレイン(McLellin)のグループに加わりました。そのグループでホイットマーはなんと自らが予言者におさまってしまっています。(1840年代後半)そして晩年には「Church of Christ(キリストの教会)」と言う教会に所属していましたが、この教会もモルモン書を信じていました。
 ホイットマーのモルモン書に対する証とは実際はこの程度のものだったのです。
 また、この重大な証人に対して、ジョセフ・スミス自身はカウドリーと同様に「言及できないほど卑劣な奴」、「馬鹿なケツ穴(dumb ass)」と呼んでいます。初代予言者大管長のジョセフ・スミスがそこまで罵倒する人物が見証者として資格があるのでしょうか。モルモン教は全く矛盾しています。

 さて、最後のひとり、マーチン・ハリスは三人の見証者のうちもっとも精神的に不安定だったようです。彼が信じやすい性格で、詐欺にかかりやすい人物であったことはアンソン教授が見抜いていました。
 およそ30年間ハリスを知っていた、パルミラの住人G・W・Stodardは 

彼は最初は正統クエーカー教徒、それからユニバーサリスト(Universalist)、次はの復興主義派(Restorationer)の一派に、それからバプテスト、次には長老派、そしてモルモン教徒でした。(Mormonism Unvailed, p260-61)

 と述べています。
 モルモン教徒の学者、リチャード・アンダーソンはハリスがカートランドにいた時期に宗教的立場を8回も変更していることを述べています。また、モルモン教徒作家のE・.セシル・マクガウィンもハリスの不安定を認め以下のように述べています。

マーチン・ハリスは非意欲的で、よろめき、簡単に影響を受け、ウサギほども好戦的でない人物でした。彼の信念はその日のうちに突然霧散し、日没前には疑問と恐怖に取って代わるかもしれないものでした。彼は、変わりやすく、飽きっぽく、そして判断と行為においては幼稚でした。

 ストローム・ローザ博士は研究の結果として「私の知る範囲ではハリスが偏執的であったと信じられます」と述べています。ハリス夫人も、夫マーチンには「気が狂う発作」があったとまで断言しています。夫人にとってはモルモン教は夫の精神衛生によくなかったように感じられていました。夫の精神がかき乱され混乱し、口汚くなったのもモルモン教のせいでと思っていたのでした。
 モルモン教団側もハリスが背教した時、「悪霊の激しい怒りと狂気で満たされていた」と言っていましたし、ハリスがイギリスに行った時「うそつきで人を欺く霊」にとりついてたと言っていました。機関誌 Millennial Star はハリスを「邪悪な男」と述べています。
 そして、ジョセフ・スミスはハリスが「意地の悪い男」であるとの啓示を受けています。ハリスの背教後には、やはり他のふたりの見証者、オリバー・カウドリとデビット・ホイットマーに与えたと同じ称号「『言及することができないほど卑劣な』(too mean to mention)人物」を与えています。
 こうして見ていくと、マーチン・ハリスはもっとも信頼するに足る人物でなかったということがわかると思います。

モルモン書は証人を立てるということで、真実性を持たせるようにしてあるのですが、こうして証人の適正を見て行き、ジョセフやその後の教団が証人にどのような扱いをして行ったかを見れば、かえってモルモン教がインチキ宗教だと言うことが暴露されてしまうのです。
 

ホームへ

 

戻る