ワインを飲んで人を呪う

モルモン史に初期にあって、恐るべき儀式が行われていました。それはワインを飲みながら人を呪うというものです。それが行われていたのはカートランド神殿でした。
ちなみに知恵の言葉の啓示を受けたのは1833年2月27日であり、カートランド神殿が奉献されたのが1836年の4月3日です。知恵の言葉は当初は戒めではなかったとは言うものの儀式でワインを飲むというだけすでにおかしなことです。
カートランド神殿でのエンダウメントとはその後の神殿(ノーヴー以降)のフリーメイソンの影響を受けたエンダウメントと大きく異なっていました。カートランド神殿のエンダウメントは夕方に皆集まって来て、断食開けの食事をする事だったようです。
彼らは軽く麦パンを食べて、ワインを飲んだのです。

ジョセフは、皆に「このワインは神聖なものであるのでいくら飲んでも酔う事はない」と言って杯を重ねます。実際は皆へべれけになっているのですが、予言者が酔う事はないと言ってるので、それは多分聖霊に満たされた状態だったのでしょう。それから、ぐでんぐでんになりながら、参加者は自分たちに敵対する連中を呪っていったのでした。(Willams Harris 1841 Mormmminism Portrayed)

この「ワインと呪い」の
儀式の根拠は創世記のノアの物語です。9章20〜30節がそれにあたります。ノアがワインを飲んで酔っ払って寝てしまった。その姿を笑ったハム、その子のカナンを酔いから醒めたノアが呪ったという故事です。 これがワインを飲んで敵を呪うという「モルモン教の奥義」が生まれた由縁なのです。

カートランド神殿では献堂式でもこの酒盛りがあったと出席者の手記によって暴露されています。教義と誓約110章にあるように、この時ジョセフ・スミスとオリバァ・カウドリにイエス・キリスト、モーセ、エリアとその他の過去の預言者も表れて神権の鍵を回復したとなっています。実は酒盛りであったと言うことを知れば、この示現の真実がわかろうというものです。
カートランド時代はモルモン教徒が過激化した時期でした。教義と誓約103:24〜26には以下の記述があります。

「また、あなたがたがわたしの敵に対する証拠をわたしの前に持って来た後に、彼らが、わたしがシオンの地となるように聖別した良い土地から、すなわちあなたがた自身の土地から、あなたがたを追い払うためにあなたがたに向かって来るならば、
あなたがたは彼らをのろわなければならない。また、だれであろうと、あなたがたがのろう者をわたしはのろうであろう。また、あなたがたはわたしの敵に報復しなければならない。わたしを憎む者たちの三代、四代に至るまで、わたしはあなたがたとともにいて、わたしの敵に報復するであろう。」

と呪いを肯定しているに留まらず、積極的に「呪わなねばならない」と言っているのです。これはモルモン聖典の第3ニーファイ12:43〜44

「また見よ、『隣人を愛し、敵を憎め』とも書かれている。しかし見よ、わたしはあなたがたに言う。あなたがたの敵を愛し、あなたがたをのろう者を祝福し、あなたがたを憎む者に善をなし、あなたがたを不当に扱い迫害する者のために祈りなさい。」

との教えとさえ矛盾しているのです。
では、彼らは自分の敵として誰を呪っていたのでしょうか。
後、
ブリガム・ヤングの副管長になる、ヒーバー・C・キムボールは呪いの言葉を述べるエキスパートでした。彼は合衆国大統領をこう呪っています。

大統領はその座から転落するだろうか?そうだ、彼は不慮の死を遂げるだろう。全能の神が彼を呪うからだ
この言葉を「
イエス・キリストの御名によって」述べると会衆は「アーメン」と唱和したと言います。(Journal of Discourses,Vol5)

カートランドを出て神殿を失った後も、「呪い」は続けて行われました。チャールズ・L・ウォーカーの日記に寄ると

「4月28日日曜日タバナクルに行く。ブリガム兄弟が語った・・・。『
我らの敵に食料を供するものは男であれ女であれ呪われねばならない』彼は続けて『私は主イエス・キリストの御名によって彼らを呪う』と言い。会衆はアーメンと唱和した」

とあります。
聖書には「あなたの敵が飢えていたなら食べさせ、渇いていたなら飲ませよ」(ローマ12:20)とあるのは皆さんもよくご存知だと思いますが、ブリガム・ヤングは正反対の事、 それどころか、敵に食料を与えるもの売る仲間、つまりは良きサマリヤ人さえも呪われると言っているわけです。
使徒のジョージ・A・スミスはこう強調して言っています。

「諸君には私が友を愛していることを知らねばならない。そして全能の神は私が敵を憎むことを知っておられるのである」(Journal of Discourses vol5 P110)


極めつけはやはりキムボールでしょうか、彼はイエス・キリストの「敵のために祈れ」と言う言葉を引いてとんでもないことを説教しています。

敵のために祈れ?そうだ、私は全能の神に祈ろう。奴らが地獄に行くように」(同書 P89)

これはキムボール個人の発言ではないことをベンジャミン・F・ジョンソンの手紙が裏付けしています。

「ミズーリーで私たちはこう教えられた『
敵のために祈れ。神が敵を地獄に落とすようにそして我らに奴らを殺す力が与えられるように』と」(同書 P107)

ヤング達指導者の教えの元、ソルトレーク盆地に篭ったモルモン教徒は自分達以外を大統領をはじめとして異教徒、敵として呪っていたことは高橋弘先生の論文「モルモン教と暴力」にも紹介されています。

「(ユタにおいて)そこでモルモン教の指導者は邪魔者を排除するために策をこうじた。つまり,新鮮な野菜や麦などの食料を異教徒に売ったり与えたりすること禁止したのである。しかしモルモン教徒の中にも,見るに見兼ねて食料などを売ったり与えたりした者もいた。
だが教会は,物を受け取った異教徒を『盗人』とみなし冷酷に処罰した。一方,異教徒に物を与えたモルモン教徒も教会 の 掟を乱す者とみなされ粛清されたのである。そして殺害された者の持ち物はすべて教会の物として没収されたが,それは『盗み』ではなく『聖別』と呼ばれたのである」

とあります。こうした排他的な教えがマウンテンメドウの虐殺などに繋がって行くわけです。将に当時のユタはカルト教団の支配によるの異常な世界が現出していたのです。この当時のモルモンの孤立化と破壊性は一歩間違えれば、人民寺院事件やオウムのような大変な暴発を招いていたのではないでしょうか。
現在、ユタはモルモン開拓民の偉大さをアピールすることに懸命です。そして、それは一定の成功を収めているように見受けられます。しかし、それはこうした忌まわしい過去を反省し、清算した上でのものではありません。
過去の歴史を闇に葬って表面だけを見栄え良く仕立て上げた
将に「白く塗った墓」、それがモルモン教なのです。

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