聖書にはイエスの母であるマリアがどのように懐妊したと言っているでしょう。
「・・・母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に聖霊によっ
て身ごもっていることが明らかになった」(マタイ1:18)
マリアのイエス懐妊は聖霊によるものと述べられています。誰でもが知っている処女懐妊です。モルモン書もアルマ7:10でこの「聖霊に寄る懐妊」を支持しています。
「・・・マリヤは聖霊の力により覆われて身ごもり、男の子、まことに神の御子をもうける・・・」
ところがこの教えにモルモンの予言者は異を唱えます。まずはブリガム・ヤングの言葉から
「さあ今から後は永遠に覚えておいてもらおう。イエス・キリストは聖霊によって身ごもったのではない」(Jounal of Discourses,vol.1 P51)
と聖書はもちろんモルモン書さえも否定します。
次に10代大管長ジョセフ・フィールディング・スミスは
「モルモン書はイエスが聖霊によって身ごもったと宣言していると、彼らは言う。私は敢えて宣言させて貰おう。モルモン書はそのようなことは教えてはいない!ましてや聖書もそうではないのだ」(Doctrines of salvation, vol.1 P19)
と述べています。では、聖霊に寄らないでマリアはイエスをどのようにして身ごもったというのでしょうか。
「救い主の誕生は自然な出来事であって、神秘的なものはいささかもない。父なる神は文字通りイエスの父なのである。それは霊によるというのと同様なのである」(Religious Truths Defined, P44)
「キリストは神の子である。人の手助けなしに彼は生まれる事はなかった。そしてその人とは神であった!」(Doctrines of salvation, vol.1 P18)
これは、骨肉の体を持った天父(神)が人間同士の自然な営み(SEX)によってマリアにイエスを身ごもらせたと言うことです。これこそが聖書並びにモルモン書が正しく意味するところだとこの現代の予言者は公言しているのです。
十二使徒ブルース・R・マッコンキーは説明を加えています。
「この言葉のそれぞれが文字通りのものである。ただひとつ、意味するものはただひとつである。父であるということの意味するものは父であるということでしかない。子であるということの意味するものは子であると言うことでしかない。キリストは、死すべき人が死すべき父に寄って生まれるのと同じ方法で、不死不滅の神を父としているのである」(Mormon
Doctorine,1979,P546 邦題『モルモンの教義』)
「キリストはこの聖なる存在である方の文字通りの子としてこの世に生まれ出たのである。彼は死すべき父によって生まれた死すべき全ての人と同じような個性、実体、そして文字通りの感覚を持って生まれたのであり、彼の父系についてはなんら比喩的なものは存在しない。イエスは父の普通で自然な行為と手法で受胎したのである。・・・キリストは『人の子』であり、その意味するものは彼の父(永遠の神!)は聖なる人であると言うことなのだ」(同書`P742)
肉体を持った神が自分が創造した人間とSEXを行って妊娠、出産させる。それが救い主イエスであると言うのがモルモンの教えなのです。これが聖書の正しい理解であり、この教えことが真実であると言うのです。
キリスト教に好意的でない方々もこのような教えには驚きと嫌悪を感じられると思います。
さて、聖書に拠ればマリアの許婚者はヨセフであって、ヨセフはマリアの妊娠を知って「密かに離縁しよう」としたくらいでした。天使のお告げによってマリアの妊娠は聖霊によるものと知り、思いとどまりそのまま結婚するわけです。ヨセフは「正しい人」でした。
当然、肉体を持った神がマリアと性交渉を行うには「それなりの正当な理由」が必要となるのは当たり前のことです。その理由とはなんだったのでしょう。
ブリガム・ヤングがその理由を語っています。
「ヨセフの妻マリアはもうひとりの夫がいた」(Desert News,Oct10,1866)
つまりマリアにはもうひとりの夫がいてそれは神だったと言うのです。神とは天父ですから、近親相姦になると思うのですが・・・。
使徒オーソン・プラットこの教義を補足しています。
「イエスの肉体においては母と同様に父にもそれが必要であった。イエスは父母の肉体を受け継いだのである。夫と妻との(生殖)能力を含めて問題を考えないといけないのだ。この故に処女マリアは当分の間父なる神の合法的妻でなければならなかった。私たちは合法的という言い回しをした。何故ならそれは彼(神)が彼女を汚した、あるいは非合法に救い主を子として設けたとということでは最も忌まわしい冒涜とされかねないからである。誰であれマリアに性的な交渉を行う事は非合法であるかも知れない。まして、彼女はヨセフに許婚られていたのである。モーセの律法に従えばこの種の極悪な犯罪は両者を死に値する有罪としたであろう。しかし、全ての男女を作られた神は聖なる意思と喜びと伴に、ご自身の創造の力を実行するための完全な正義をを持っておられたのだ。彼(神)はマリアに他人と許婚けられていても、彼(神)が夫としての(生殖)能力により処女マリアと交わり子を設ける合法的な正義を持っていたのである。彼(神)がマリアを扱った後に夫として許婚けられていたヨセフに与えた事もまた合法的なことであった。父なる神がマリアをヨセフに与えたのはひとときの事か永遠かは私たちには知らされていない。神は彼女の最初の夫であったのだから、彼(神)はヨセフの妻として、彼(神)だけ彼女を与えることが出来たのだ。そして、彼(神)は彼女を復活させ、再び彼女を取り上げて、彼(神)自身の不死不滅で永遠の妻達のうちのひとりとするのである」(The Seer,Oct1853,P158)
ここまではっきり書かれてしまうと、敢えて私のコメントも必要ではないくらいです。マリアはまず(モルモンの)神と婚姻していた。そしてSEXによって救い主を身ごもった。これらはもし律法に違背していたなら死罪であったが、神のした事は合法であり、神自身が律法を作ったのであるから彼を既定するものではない。(モルモンの)神は一定期間を経てヨセフにマリアを与えた。その権限も夫であった神は持っていた。(この考え自体が性差別そのものです)
そして、復活の後はマリアは(モルモンの)神の妻たちのひとりになる。つまり、娘を妻にするということです。別項にて述べますが、(モルモンの)神は多妻婚をしています。はてさて、一体どうすればこんな異常な教えを作り出せるのでしょうか?
このようにモルモンの予言者(この場合はブリガム・ヤング)や使徒達は、聖書、モルモン書に書かれた「聖霊による」受胎(マタイ伝1:18)が間違いだと言っています。
モルモン教は「正しく翻訳された限りにおいて」聖書は真実という教えですから、「聖書の記述が間違っている」と言ってもそれ自体はなんら驚くにはあたりません。
さて、それならここで「正しい聖書」でこのマリアと天父のSEXというモルモン教義を確かめましょう。正しい聖書とはモルモンの正しい聖書です。ジョセフ・スミスが「間違いを改めた」霊感訳聖書の登場です。
マタイ伝1:18節に該当する箇所はジョセフ訳では2章の1になります。以下がその原文です。参考のため右段にジョセフが日ごろ読んでいた欽定訳聖書の文を示しました。
霊感訳聖書
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欽定訳聖書
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Now, as it is written, the birth of Jesus Christ was on this wise. After his mother, Mary, was espoused to Joseph, before they came together, she was found with child of the Holy Ghost.
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Now the birth of Jesus Christ was on this wise:When as his mother Mary was espoused to Joseph,befbre they came together,She was found with child of the Holy Ghost.
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霊感訳の方には若干の挿入と接続詞に違いがある他は、「彼らが一緒になる前に、マリアは聖霊に寄って身ごもっている事が分かった」と明確に聖霊による妊娠だと述べています。どこにも一言も「天父によって身ごもった」「ヨセフの前に神の妻であった」などとは書かれていないのです。つまり現在、私たちが手にしている聖書の記述「マリアの聖霊による受胎」はジョセフ・スミスから見ても正しいのです。
モルモンの教えは回復された永遠に変わらない真理ですから、その教えは首尾一貫しているはずであり、矛盾はあるはずはないのです。ところが、同じモルモンの予言者、それも初代と2代目で見解が違っているとは一体どうした事でしょう。
もちろん、神と人との性交渉などは反キリスト的な教えである事は言うまでもない事ですが、モルモンの教義はその場限りに適当に作りあげてきた教義なのです。そこには当時のモルモン指導者の乱脈な性生活を正当化するための思惑が見えるのです。
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