ジョセフ・スミスは殉教したのか

  モルモン教は教祖ジョセフ・スミスの死が殉教であったと教えており、信者もそう信じています。ジョセフはカーセージの牢獄に入る前既に死を覚悟しており「わたしはほふり場に引かれて行く小羊のように行く。しかし、わたしは夏の朝のように心穏やかである」(「私たちの受け継ぎ」P56)と述べていたと言います。果たしてこれは本当なのでしょうか?
ジョセフの『殉教』の様子について、聖典である「教義と聖約」のは驚くほど簡略です。 

  ・・・彼らは、千八百四十四年六月二十七日午後五時ごろ、カーセージの監獄において、百五十名から二百名の、顔を黒く塗り武装した暴徒により銃撃された。ハイラムが最初に撃たれ、『わたしは死ぬ』と叫んで静かに倒れた。ジョセフは窓から飛び降りたが、その途中で撃たれ、『おお、わたしの神、主よ (O Lord my God! )』と叫んで死んだ。・・・(135:1)

 ゴードン・B・ヒンクレーは「回復された真理」という本にジョセフの死の模様をやや詳しく述べています。

  刻々と時間がたつにつれて,重苦しい気分がのしかかってきた。預言者の望みによってジョン・テーラーは「悩める旅人」を歌った。その歌は救い主について歌ったものであり,ノーブーではよく歌われていた。(略)
 歌い終わったとき,監獄の戸口にぎわめきと引き渡せという叫びが聞こえ,続いて3,4発の銃声がした。医師が……窓のカーテンに近寄って見ると,……100人近い武装した暴徒が戸口の辺りにいた。……暴徒は建物を取り巻き,そのうちの数人が階段の上にいる看守の近くへ突進し,扉を押し開け殺人行為を始めた。
 最初にハイラムが撃たれ,『わたしは死ぬ』と叫んで床に倒れた。ジョセフは走り寄って,『愛する兄弟ハイラムよ』と叫んだ。続いてジョン・テーラーが撃たれ重傷を負って床に倒れた。しかし幸運にも,1発の銃弾はチョッキのポケットに入れてあった時計を砕いただけで済み,これが彼の命を救った。
 銃弾が扉を貫いて飛んで来るので,ジョセフは窓へ飛び上がった。ほとんど同時に,3発の銃弾が彼に命中した。2発は戸口から1発は窓から飛んで来た。瀕死の彼は,『おお,わたしの神,主よ』と叫び,開いた窓から落ちて死んだ。リチャーズ医師は傷を受けずに逃れた。(P75)

  こうした内容から、死の近づく事を知りながら粛々としかし凄絶にその使命に殉じていった預言者の姿が想像されるでしょう。
 しかし、まじめに信じているモルモン教徒にとっては残念なことですが、ジョセフ・スミスの死についても、モルモン教団は相当の改ざんを行っています。
 ジョセフの死について別の視点、歴史的な視点から見てみましょう。
 「素顔のモルモン教」には以下のようにあります。

  結局、知事フォードの約束と努力にもかかわらず、第一回聴問会の前日、一八四四年六月二七日、激怒していたワーソー周辺の民兵が、看守のすきをついてカセージ刑務所を襲い、ジョセフとハイラムを虐殺しようとした。しかしジョセフとハイラムは、ひそかに持ち込んでいた六連発銃で応戦し、殺害されるまえに数人を殺傷した。彼らは伝説が語っているように、子羊のように黙々と殉教したというわけではない。(P209)

 また、現場に居合わせ、自らも怪我を負った、後の大管長ジョン・テーラーが教会歴史(英文)の7巻P100,102と103に記録を残しています。
 その記事によれば、事件の前にモルモンの長老であったCyrus H. Wheelockがカーセージ獄を訪れ、ジョセフに6連発拳銃を渡した事が書かれています。この時、Cyrusは獄にいた一同に向かって「誰かこれを持っていたいですか?」と問うたところ、真っ先にジョセフが「私が預かろう」と返答しポケットに忍ばせました。やがて、民兵の襲撃を受け最初にハイラムが斃れました。ジョセフは直ちにその拳銃で応戦しています。6発全弾を発射し、3発が命中し少なくともふたりは死んだだろうとテーラーは述べています。こうした銃撃戦のことは第3代預言者の記録であってもテキストには抹殺され、信者には知らされません。
 また、ジョセフの絶命寸前の模様については「心臓を貫かれて」(マイケル・ギルモア 角川文庫)に詳しく述べられていますが、それもモルモン教団の伝えるところとは大いに違っています。

 当時の記録によれば−−それはモルモン教徒の目撃者と、後に告白を行なった暴徒の一人によって裏付けられているのだが−−カーセージにおけるジョゼフ・スミスの最期はかくのごときものであった。
 スミスが窓際に寄ったときに二発の弾丸が命中し、彼はそのまま暴徒の群の真ん中に落下した。群衆の一人がジョセフを引きずっていって、監獄から数フィート離れた井戸の井桁に押しつけた。国民軍の大佐が四人の男たちに彼を射殺するように命令した。男たちは八フィートの拒離から射撃し、弾丸はスミスの心臓を撃ち貫いた。ジョゼフ・スミスは顔から突っ伏し、その血は彼がかつて啓示を試みた隠された歴史を持つ土地を赤く染めた。死体はそのまま捨て置かれた。(P47)

 このジョセフの最期の場面は100年以上前の明治35年刊行の高橋五郎著「麼児門(モルモン)教と麼児門教徒」の挿絵に取り上げられています。同書はモルモン教を紹介した日本語のもっとも古い著作のひとつです。鮮明さに欠けますが、井戸端に半分崩れ落ちたジョセフに向かって民兵の銃弾発射の白煙が描かれている事が分かると思います。ちなみに窓から惨状を見下ろしているのは、リチャーズ医師です。

 ジョセフ死の瞬間
 (同書P10)

  このようにジョセフ・スミスの死は後世になって大幅に美化脚色されたものである事がお分かりいただけると思います。
 さて、タナー夫妻のサイトに興味深い記事があります。「Joseph Smith's Death」という記事です。
 この中の「Masonic Cry」の項にジョセフの死ぬ前の叫び声について考察されています。ジョセフ・スミスが死の直前に叫んだ言葉は先に述べた通り「O LORD, MY GOD! (おお、わたしの神、主よ)」でした。この叫び声はモルモン側の資料から解釈すると死の直前の祈りの言葉のように受け取れるのですが、実はそうではなかったと言うのです。これはモルモン教徒のライターE. Cecil McGavinに寄るものです。彼は「ジョセフは自分の死を覚悟して、祈ってこう叫んだわけではなかった。彼は祈る時のこうした言葉を使ってはいなかった」と述べています。実はこの言葉はフリーメイソンの『しるし』だというのです。メイソンは危機に瀕したときに腕と手を上に上げて肘を直角にして「O LORD, MY GOD! is there no help for the widow's son?(おお、わたしの神、主よ。寡婦の息子に助けがありませんか)」という仲間の援助を呼ぶサインがあり、それを唱えたと言うのです。
 ジョセフは弾が尽きてもなお、窓際から救援のサインを送り、民兵の中に危機から救出してくれるメイソンの仲間を求めたわけです。最後の最後まで、生き延びようとしていたのです。そこにほふり場に行く小羊の姿などはありません。
 しかし、彼の願いはかないませんでした。窓の内外から弾を受け、屋外に転落、そして井戸端引きずって行かれ、銃殺隊の一斉射撃で絶命したのです。
これが歴史の事実であり、ジョセフ・スミス殉教の真実なのです。 

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