ジョセフ・スミスのバー

 高橋弘先生の「素顔のモルモン教」106頁に、以下の記述があります。
サイトでごらんになる方は
ここで。

「『知恵の言葉』は、当初、ジョセフ自身も厳密に守っていたわけではない。第一、これは神からの禁止事項ではなかった。第二に、ジョセフは世俗的な人間であり、またこの世が提供する楽しみを人一倍享受していた人間であったから、一時的に『禁酒運動』の影響をうけることはあっても、その推進派になるはずはなかった。第三に、一八三六年、リグダンの指導のもとでアルコールやたばこなどについての教えを厳しく遵守することが決議された後も、ジョセフと一部の指導者たちはひそかにワインを楽しんだり、コーヒーを楽しんだことが分かっている。またアルコールだけに限ってみても、ノーヴー時代には自宅にバーを作り、訪れた客にワインなどを勧めていた。ジョセフはノーヴー市長になった時、酒類を適当と認めるならいかなる量であれ旅行者、訪問者その他の人に売る権限を市長に与えるという条例を成立させている」

ジョセフ・スミスが全く知恵の言葉を守っていなかったと言うことは既にサイト聖徒の未知で資料とともに指摘されており、疑念の余地のない所です。
今回はこのジョセフが経営していたと言うバーについての資料を提示しましょう。これはジョセフ・スミスの息子が書き残しているのです。(The Saints' Heraldの110ページ、1935年1月22日)

 
「1842年頃、新しい大きな家が私たちのために建てられた。・・・ノーヴマンション(宿屋としての名前)と言ういかめしい名前が与えられ看板が掲げられた。母(エマ・スミス)は女主人に任命されたが、彼女はそれから直ぐにセント・ルイスに旅行に出た。
母が旅行から帰って帰ってくると、彼女は自分がホテルのハウスキーピング係に任命されている事を知った。--そこは客が集まったり、到着時に供されるメインルームであった。そして、そこにはカウンター、棚、酒のボトル、グラスやその他通常のバーの様な什器備品がそなえられた宿屋のバーであった。そしてポーター・ロックウエルが接客の責任者であった。
母は大変驚いて、この取り決めを妨害することとなった。
『ジョセフ』と母は尋ねた。『この家のバーは一体何を意味するのでしょうか』と。
信仰という体の霊的な頭にとって、酒を売る設備を備えたホテルを営業することはどう言うことでしょう』と母は尚も尋ねた。
母は父のお陰で全ての宿と言うものは酒を売ったり飲ませるバーがあるものだということを改めて思い起こさせたのである。
母は力強く、明確に、しかしあくまでも静かに告げた。
『あのね、ジョセフ。・・・私は子供を連れて古い家に戻ってそこにいることにします。押し付けられたあの取り決めの中で彼らを支えることも、こんな所にたびたびやって来るような連中と一緒にされるようなことも私はしませんから』
あなたには、自由がありましてよ。バーを家から閉め出すか、私たちを閉め出すかです』
父が選択に要する時間は長くはなかった。父は即座に答えた。『わかったよ。エマ。私はバーを直ぐ引越しさせるよ』と。そしてそれは実行されたのである」

新しい家は宿としても使えるようになっていて、エマ・スミスはいわば民宿の女将さんだったわけです。エマはジョセフと違って真面目な性格でした。教会のリーダーが営業する宿屋です。禁欲的な施設を想像したのでしょう。エマは宿の基本的な施設であるバーが設けられることなど思いも寄らなかったのです。
エマが旅行に出かけた隙にジョセフは目的を達します。エマをハウスキーパーという閑職に異動しておいて、宿屋にバーの施設と責任者をすっかり整えてしまうわけです。
既成事実があればエマも納得するだろうと楽観的に考えるところがいかにもこジョセフらしいです。しかし、エマは強硬でした。ジョセフはエマの剣幕の前にバーの営業は実現しなかったのです。

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