アンソン教授の否定

 モルモン書の原本とされる金版には3人と8人の見証者がいることになっていますが、この見証者と言われる連中とは別にモルモン教はもう1人の間接的な、しかし重要な証人を挙げています。それはチャールズ・アンソン教授です。
アンソン教授の物語を「高価な真珠『ジョセフ・スミス―歴史』」の1章61〜65節から引用し紹介しましょう。

・・・わたしたちは非常に貧しく、迫害がひどいために貧しさから抜け出せず、苦難のただ中で出発の準備をしていたとき、マーティン・ハリスという名の紳士と親しくなった。彼はわたしのところに来ると、わたしたちの旅の助けになるようにと五十ドルくれた。ハリス氏はニューヨーク州ウェイン郡パルマイラ町に住んでいる人で、社会的地位のある農場主であった。この時宜にかなった援助によって、わたしはペンシルベニアの目的地に着くことができた。そしてそこに着くとすぐに、わたしは版から文字を写し取ることを始めた。わたしはかなりの文字を写し取り、ウリムとトンミムによってそれらの多くを翻訳した。これを行ったのは、十二月に妻の父の家に着いてから翌年の二月までの間のことであった。この二月のあるとき、前に述べたマーティン・ハリス氏がわたしたちのところにやって来て、わたしが版から書き取っておいた文字を取り、それを持ってニューヨーク市へ向かった。彼とその文字に関して起こった出来事については、彼が帰って来てわたしに伝えた彼自身の言葉をお伝えする。それは次のとおりであった。
「わたしはニューヨーク市へ行き、翻訳された文字をその翻訳とともに、文学上の学識があることで広く知られている一紳士、チャールズ・アンソン教授に披露した。するとアンソン教授は、この翻訳は正確であり、エジプト語から翻訳されたものでこれほど正確なのを見たことがないと述べた。その後、わたしがまだ翻訳されていないものを彼に見せたところ、彼は、それらはエジプト語、カルデア語、アッシリア語、およびアラビア語であると言った。また、それらはほんとうの文字であると言った。そして、それらがほんとうの文字であることと、それから翻訳されたものの翻訳も正確であることをバルマイラの人々に証明する証明書をわたしにくれた。そこで、わたしはその証明書を取ってポケットに入れ、まさにその家を去ろうとしたとき、アンソン氏はわたしを呼び返して、どうしてその青年は金版を見つけた場所にその金版のあることが分かったのかと尋ねた。そこでわたしは、神の天使が彼にそれを明らかにしたと答えた。すると彼は、「その証明書を見せてください」とわたしに言った。それでわたしがポケットからそれを取り出して彼に渡すと、彼はそれを取って細かく破って、今どき天使の働きのようなものなどないと言い、また、その版を持ってくれば翻訳してあげようと言った。そこでわたしは、版の一部は封じられており、持って来ることを禁じられていると告げた。すると彼は、『わたしは封じられた書を読むことはできない』と答えた。わたしは彼のもとを去り、ミッチェル博士のところへ行ったが、彼も文字と翻訳の両方に関してアンソン教授が言ったことを認めた。」

 つまり、ジョセフが金版から写した文字の書かれた紙をアンソン教授に見せたところ、その文字は真正なものであって、それを保証する書きつけを教授は書いた。しかし、金版の由来を聞くと教授は態度を一変し書きつけを破り捨てたというものです。
この出来事について、モルモン教はイザヤ書に書かれていた予言が成就したと言います。そのイザヤの予言とは、イザヤ29章11〜12節です。

それゆえ全ての幻は、お前たちにとって封じられた書物の中の言葉のようだ。字の読める人に渡して『どうぞ、読んでください』と頼んでも、その人は『封じられているから読めない』と答える。字の読めない人に渡して、『どうぞ読んでください』と頼んでも、『わたしは字が読めない』と答える。

モルモンの教えではこの箇所を金版の翻訳に関して、予言されていた事であって、アンソン教授のエピソードによって成就したと言うのです。予言が成就したことで、モルモン書の真実性が立証されたというわけです。10代大管長ジョセフ・フィールディング・スミスの言葉です。
 

イザヤが、この書物の言葉は読むことのできるものにわたされ、また読むことのできないものに渡される、と言っているのはなんと驚くべきことであろうか。これはアントン氏とジョセフ・スミスの間にあった歴史上の事実と完全に一致している。 (救いの教義3巻P191)

ジョセフ・フィールディング・スミスの浮かれ気分には申し訳ないのですが、この箇所は将来起きることの「予言」ではありません。旧約聖書の歴史を知って、読めばすぐに分かることですが、ここは当時の対バビロニア対策に関しての警告です。ユダヤの王と指導者に対して、イザヤが行った厳しい批判なのです。これはヤハウェから預かった言葉を為政者や民衆に述べた「預言」なのです。アンソン教授のエピソードの真偽は後に述べますが、常識的な聖書解釈さえ満足に出来ていないのが、モルモン教の教義です。
ではこのジョセフ・フィールディング・スミスが『歴史上の事実』と断言するエピソードの真偽の程はどうだったのでしょうか?
実はアンソン教授は、既に1834年にモルモンの言っていることが作り事、デマであるとの手紙を友人に託しているのです。
タナー夫妻のサイトからチャールズ・アンソン教授の手紙を訳出して見ました。

ニュー・ヨーク 1834年2月17日
拝啓

私は今朝貴殿の9通目の急ぎの手紙を受け取った。
モルモン教徒が述べている、
改良エジプト文字について私が語ったと言う物語の全てが偽りである。
数年前、ひとりの質素で見るからに純朴そうな農夫が、私の町に住むミッチェル博士(既に故人である)の手紙を携えて私を訪ねて来た。その農夫が持って来た一枚の紙、それはミッチェル博士が理解する事が出来ないと認めたものであった。そして、もし可能なら私に解読してくれと要求したのである。私は疑念を抱きつつその紙を検めて行った。そして、
私はすぐにその全部がトリックか、一杯食わせようとしたものだと結論した。
思い出すのは、それを持って来た人物に彼が私に持ってきたその書き物を、どのようにして入手したのかを私が尋ねた時に以下のような回答をしたことだ。それは一冊のニューヨーク州の北部で発掘された「金の本」で多くの金の板で成っていて、同じ金属のワイヤーによって本の形に綴じられているものであった。そして、本と共に掘り出されたのが巨大な「金の眼鏡」だったと!
この眼鏡はとても大きかった。もし人が見ようとして掛けたなら、その人の目は一方のガラス(レンズ)の方にひっくり返るに違いなかった。この怪しげな眼鏡は全く人の顔より大きすぎたのである。また、この眼鏡を通して板を調べる者は誰でもそれを読めるだけでなく、その意味を完全に理解するというのである。しかしながら、この知識のすべてはその時には、ひとりの若者に制限されていた。そして、彼は本および眼鏡を収納できるトランクを持っていた。
この若者は農家の屋根裏で、カーテンの向こうに陣取り、視界を遮って、時々この眼鏡を掛け、もっと正確に言うなら、眼鏡のうちの1つのガラス(レンズ)に目を通して、本の文字を解読し、数枚の紙に手書きし、外側に立っていた人に、カーテンの裏からそれを託するというのだった。
しかしながら、ひとこともプレートが「神の賜物によって」解読されたとは言わなかった。全てがこのように、大きな眼鏡によって成されたのであった。
農民は付け加えて、彼が「金の本」の出版に向けての費用のすべてを寄付するよう要求されていた。(彼はその保証を行っていた)そして、その本は世界に完全な変化を生みだし、世界を破滅から守ると言うのだ。
彼への要請は非常に緊急を要しており、彼は農場を売りその全額を板の印刷を望んでいる面々に上納するつもりだった。しかし、用心ための最終段階として、ニューヨークへやって、本の内容の一部として、彼に与えられていた持参の紙の内容の意味について学識者の意見を聞こうと決心したのである。
この奇妙な物語を聞いてすぐに、私はこの紙についての意見を変えた。
学識者に一杯食わせようとしたものであろうとの当初の見解を、その農夫の財産を詐取する計画の一部と考え直したのである。私は詐欺師に用心するように彼に警告し、私の疑いの思いを伝えたのだった。
彼は
私の見解を記述するよう要請したが、当然、私はこれを与える事を謝絶した。
またその時私は、彼が持ち運んでいた紙を取って見た。この紙には、実に珍しいなぐり書きがなされていた。それは縦に配置されていて、すべての種類が湾曲した記号から成っていた。そして、明らかにその時の様々なアルファベットを含んでいる本で彼の以前に持っていた誰かによって準備されたものだった。
ギリシアとヘブライ人の文字、十字形および飾り書、ローマ字は横向けあるいはさかさまに配置され、縦に垂直に並べられていた。そして、全てが様々な仕切りに分割された円の粗雑な描写に終始し、様々な奇妙なマークで飾られていた。そしてフンボルトによって提供されたメキシコ文字から明白に写しとったものもあった。しかし、それは引用された資料の出所が漏れないような方法で写されていたのである。
私はこの通り、この紙の内容に関して特別な立場である。だから、私は頻繁にこの話題について友人の話しに付き合った。モルモン教の熱狂が始まって以来、
その紙には「エジプトのヒエログリフ」以外のあらゆる物が含まれていたことをよく思い出す
しばらくの後、同じ農夫に私は二度目の訪問を受けた。
彼は、印刷された金色の本を持って来て、私にそれを売り込もうとした。私は購入を謝絶した。すると、彼は調査考察のために本を私に託したいと申し出た。私はそれを受け取る事も謝絶したが、彼の態度は変に急いでいた。
私はもう一度、私の見解に寄れば彼に対して行われていた悪事について、そしてその金版がどうなったかを尋ねた。彼は、大きな眼鏡と一緒にトランクの中にあると私に知らせた。
私は微罪判事の元に行き、トランクを捜査してもらうように助言した。彼は、万一そんなことをすれば「神の呪い」が降りかかると言った。
しかしながら、私が推奨した方法の遂行を強く押したので、彼は私に、もし私自身が「神の呪い」を受けるというなら、彼はそのトランクを開けるかも知れないと言った。
私は彼を悪人の支配から脱出させることだけでも出来るのであるなら、そうした危険現象の全部を請け負おうと最大級の快諾の意思を持って返答した。その後、彼は去って行った。
私は私的な手紙としてあなたに、モルモン教の出所について知っている事のすべてについて十分な声明をこうして与えた。
万一私の名前がこれらの卑劣な狂信者によって再び言及されていたのを発見したなら、この手紙を速やかに直ちに公表する事をあなたに懇願するに違いない。
敬具、CHAS ANTHON

ここで、モルモンと教授の見解を整理してみましょう。
モルモン側は教授が「翻訳は正確」と言い。書きつけには「エジプト語、カルデア語、アッシリア語、およびアラビア語」が記されているとしています。
この文字の混在と当時まだ出来ていなかったアラビア語が書かれているということ自体がモルモン側の説明がでたらめである事を示しています。この点に関しては既に、「ジョセフが翻訳した言葉は?」で考察しています。
一方教授は一目見て「トリックか一杯食わせようとしたもの」と判断し、その文字の奇妙な様子を詳しく描写しています。特にメキシコ文字らしき写しの出所をフンボルトと推定している点は、極めて具体的で、学者ならではの述懐です。どちらが正しいことを言っているかは明白でしょう。
また、私は「ジョセフが翻訳した言葉は?」で1837年までは翻訳不能であったヒエログリフを「翻訳が正確だ」などとその筋の権威であるアンソン教授が軽はずみに言うはずもないのと述べました。このアンソン教授の手紙はそれを裏付けています。教授は翻訳に関しては一切言及せず、文字自体がおかしなものであったと言っています。教授の対応は全く自然なものといえます。
モルモン側の記録では、教授は「正確な解読」「真正な文字」と保証しての証明書を先に書き、その後ハリスの退出間際なって、その文字の出所を聞いて証明書を回収し破棄しています。しかし、これは人間心理としておかしな行動です。もし、あなたが教授の立場であったらどうでしょうか。こうした驚きの翻訳と文字を見せ付けられてたなら「これはどうしたのだ?」と即座に尋ねるに違いないでしょう。証明書を書いてから帰り際に思い出したように尋ねるということは考えにくいのです。
教授の手紙では、教授は農夫(ハリス)から金版、ウリムとトンミム、そして翻訳の方法について証明を書く前に極めてくわしく聞いています。そうした上で最初は自分を騙すつもりと思っていたが、実はハリスが詐欺師に騙されているのではないかと考えを変えたと言う説明をしています。これは当事者でしか語れない極めてリアルな内容です。こうした点を挙げても教授の手紙こそ事実であると判断できるのです。
同様にミッチル博士を訪問した事が両者の説明では前後していますが、紹介状を持って農夫がやって来たと述べる教授の説明の方がやはりよりリアルです。モルモン教の説明のようにミッチル博士が、「正確な解読」「真正な文字」という同様の見解を示したのであれば、何故彼から証明を取らなかったのでしょうか?ハリスの行動(モルモン教の説明)には一貫性がありません。

この物語は金版・モルモン書の否定に留まらず、マーチン・ハリスを通してマインド・コントロールの恐ろしさを伺う事もできます。

このようにアンソン教授自身の弁明はモルモン教にとっては致命的なものです。しかし、現在の大管長ヒンクレーは以下のように述べて、尚も教団の主張が正しいと強弁します。

「数年後アンソン教授は、ジョセフ・スミスを非難する者と自ら名乗る人たちと親しくなった時、その文字あるいは翻訳に関して有利な論評をした覚えはないと言った」(回復された真理P16)

教授の否定に対する反論はこの一文のみですが、短いがゆえにかえって浅ましさがよく見えます。そもそも、アンソン教授はモルモン教とは利害関係にない人物でした。利害関係にない人物の証言は信頼できるものです。だからこそ、ハリスはアンソン教授の中立であり、かつ権威ある見解を求めたのでした。つまり、ヒンクレーはこう言いたいわけです。
「当時は聖典に書かれたとおりの内容でどおりであって、教授は中立な立場にあって翻訳、文字を真正とした。ところが、反対者と親密になり、その中立性を失った」
では、この「非難する者と自ら名乗る人たち」とは一体だれを指すのかを明瞭にしなければならないでしょう。1829年2月にハリスがアンソン教授を訪問しています。そして、5年後の1834年2月に教授は手紙を書いているのです。この時期の何時教授が心変わりしたかも提示するのが反論の常識でしょう。
聖典「高価な真珠の記事は歴史的事実である」という出発点は無条件でなければ、到底受け入れなれない屁理屈なのです。そうした屁理屈は確かにマインド・コントロールされている現役モルモン教徒であれば納得させることができるでしょう。しかし、それこそ中立な第三者から見ればなんの説得力も持たないのです。

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