ゼラヘムラ神殿の唐突な出現
モーサヤ書を読み始めるとベニヤミン王の説教に行き当たります。 説教は2章から始まるのですが、その直前の1章18節に
「ゼラヘムラの地にいるすべての人に、皆連れ立ってモーサヤの父 の語る言葉を聞くために神殿に集まるように布告を出した」 |
とあるのです。
全く唐突に突然、ゼラヘムラに神殿があったと言うことが、しか
し、当然のように述べられています。
もともと、モルモン書の世界ではリーハイの息子のニーファイが神殿を作っています。それにも重大な矛盾と飛躍があることは指摘済みです。やはりこのゼラヘムラ神殿も同様に矛盾に満ちています。それを指摘しましょう。
ゼラヘムラという町がどんなものかをモルモン書から読めば明かになることです。「オムナイ書」、「モルモンの言葉」と「モーサヤ書」の3書から要約してみると・・・
「モーサヤなる人物が多くの賛同者(民)を伴ってニーファイの地 を脱出し、たどり着いたのがゼラヘムラの地であった。そこには所謂ユダの王ゼデキヤの子ミュレクの子孫達が住んでいた。 ミュレクの子孫(ゼラヘムラの民)は王の子孫でもあるに関わらず なんの歴史的な記録も持ってきてもおらず、歴史の記録も残してい なかった。それどころか、創物主の存在も否定するありさまだった。 そして、ふたつの民は連合しモーサヤは王に選ばれ、その息子がベ ニヤミンであった。賢明で勇敢なベニヤミン王はレーマン人との戦いに幾度となく勝利し、民の独立と平和を守った。晩年に王位を息子のモーサヤに継いだが、その折に民を集め説教を行った」 |
ここで、レーマン人との戦闘の記事はあっても、最も重要な神殿
建設の記事が全く見当たらないのです。レーマン人との戦いの中で先祖ニーファイの神殿とその聖地を失った民が新しい同胞と神殿を再興するという将に奇蹟と言うべき大偉業が全く記されていないのです。大変おかしな事です。
そして、ベニヤミン王がレーマン人との戦闘と流血を繰り返しな
がらも神殿を建設したということもおかしなことです。聖書によればダビデはその戦いによって流した血のゆえに神殿の建設を息子の
ソロモンに託さねばならなかったのです。そう考えると、ベニヤミ
ン王には聖書で述べられている神殿建設の資格がありません。
また、こうした戦争を繰り返しつつ、たった一代で神殿を建設す
るというのも可能性の低い話なのです。
極めつけは、ベニヤミン王の説教(モーサヤ書2〜5章)で自分
の事跡を述べながらもこの神殿建設は本人の口からも全く語られていな いのであす。
結局、この箇所もジョセフ・スミスの後先を考えないでまかせで墓穴を掘っているのです。