一冊の書物とは?

ジョセフ・スミスは聖書がその成立の最初から万人が手にとって読まれていたと思っていた節があります。
ニーファイ第1書でニーファイは示現を天使の解説付きで見ています。これはバビロニアによるエルサレムの陥落から世の終わりに至るまでのスケールの大きなものなのですが、13章20節で

・・・一冊の書物(聖書)が見え、それが彼ら(アメリカ大陸への近代の入植者)の中で広まるのが見えた

とあります。
さて、ご存知のように印刷技術が確立するまで聖書は万人に読まれるものではなく、朗読されるものを聞いていたのです。ニーファイの時代はそれさえも確立されていません。ようやく預言者がその主張を記述し始めたころにあたるのです。
ともあれ、
ニーファイは「本」なるものは全く知らないのです。それが、この示現であっさり理解され、そして「人が持っているのが見えた」とは誠に奇異です。理解不能のものを敢えて記録しようとすればエゼギエルがケルビムを描写したような難解な表現を強いられたでしょう。
当然
パソコンや携帯電話などもニーファイはこの示現で見たはずなのですが、それらは全く書かれてはいません。
モルモン書の面白いのは
ジョセフ・スミスの時代のころは当たり前であったことが非常に明確に預言として述べられていることなのです。ところが、それよりすこし後の事になると理由もなく

これからあなたが見ることは書き留めてはならない (14:25)

となるわけです。
真実の教会が末日にインターネットでその教えを述べ、またそれに反対する悪魔の使いもインターネットで邪悪な子羊を惑わそうとする光景は書き留めておいてもよかったと思うのですが・・・

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