ラモーナイ王とその父

アルマ書17章からはモーサヤの息子アンモンが王の位を辞退してレーマン人に伝道に行く物語が書かれています。
ここで、アンモンは王の家畜を奪おうとする「王の敵」を投石器と驚くべき剣技で守りぬくわけです。(このことは啓示版アナホリの過去ログPartV「アンモンは架空の人物?」 を参照してください)
ここは伝道大成功物語としてモルモン書では結構有名な個所なのですが、よく読んでみるとどうしようもないデタラメで一杯なのです。
アンモンはこの活躍が認められラモーナイという非常に権威ある当地の王に宣教することが出来るのです。そして、彼の熱弁によってラモーナイ王は俄然後悔の気持ちにあふれ、気絶してしまうのです。そして、そのまま二日二晩死んだようになってしまったのです。
なにも知らない王の一族は・・・ 「王妃と王の息子たちと娘たちはレーマン人の習わしに従って王の喪に服した」(アルマ書18:43) わけです。
当然、服喪に入ると言う事は王が逝去したと判断しているわけです。ところが、この個所はどうも支離滅裂です。
ラモーナイの王妃がいよいよ埋葬の段になりアンモンを呼んでこう聞くのです。

「夫はまだ死んでいないと言う者もいれば、もう死んでいて悪臭を放っているという者もいます。しかし、わたしが見たところ、においはありません」(同19:5)

なんとも頼りのない話しです。一国の主の逝去するという重大事がまるで他人事です。
第一、服喪に入った王妃が如何なる理由であれ男性を呼び寄せるなどということは常識ではありえないのです。直ちに王宮の奥に引きこもる事こそが服喪なのです。
また、ここでは王の一族のみが喪に服したようですが、通常は全国民に喪に服するように呼びかけがなされるはずなのです。そして、後継の王たる王子が葬儀を取しきり、喪のあけた後に大赦を行い、即位という筋道になります。特にこの時代は他国(ニーファイ人)と緊張関係にあったわけで死に乗じた軍事攻勢、反乱分子の台頭などが想像されます。つまり、後継王子の主導の元、軍は直ちに戒厳体制に入ることもありえます。ところが、ここではその肝心の王子が全く出てこないのです。
それどころか、決定的におかしいのはラモーナイの父親である「全国を治める王」(アルマ20:8)はこの息子の死という一大事をまったく知らないのです。 息子ラモーナイはいわば分権された王だったわけで、当然父王には早馬(馬はいないが)かなにかでなによりも早く訃報がもたらされなければならないのです。
ところが、なにも知らない父王は後に息を吹き返したラモーナイに出会い、「何故宴会に来なかった」と息子をなじっているのです。
こんな事は常識では考えられないのです。ちょっとした歴史小説家ならもっときちんとモルモン書を書いただろうと想像できますね。

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