ゼデキヤの息子ミュレクは存在しない

モルモン書にはゼラヘムラの民というのが出てきます。「ミュレクと、また彼とともに荒れ野へでた人々の子孫」(モーサヤ25:2)だそうです。 モルモン書の記述によるとこのミュレクと言うのはユダヤの王ゼデキヤの息子だそうです。(ヒラマン8:21)しかし聖書にこの人物の名はありません。モルモン書にも母の名前、何番目の子であったかなど書かれていません。
ゼデキヤは甥である先代の王ヨヤキンがバビロニアに捕囚され、彼に代わって立てられた傀儡の王でした。しかし、故あってバビロニアに反旗を翻し、バビロニア王ネブカデネザルの親征を招くことになります。
エルサレムは難攻不落で鳴る稀代の城塞都市であり、かのアッシリアでさえ、篭城の末に退けているのです。バビロニアも苦戦は承知の上で、王みずからの出陣してきたのです。何がなんでもこの謀反は徹底的に鎮圧し裏切り者には断固たる処断を下さねばならなかたったのです。なんと2年以上に及ぶ厳しい篭城戦の末、兵糧の尽きたエルサレムは陥落します。
その夜中にゼデキヤは脱出を計りますがあえなく捕らえられ、その王子達を目の前で殺されて本人は両目をえぐられてバビロンに連れ去られているのです。つまり聖書ではゼデキヤの王子はすべて殺されていることになっているのです。
さて、モルモン書はこのゼデキヤの息子のミュレクとその民は彼らはモーサヤの時代に見つけ出されたおりには相当な数になっていたと述べています。これはゼデキヤの王子とされるミュレクが単身で脱出したと言う事ではなくリーハイ一行のようにその家族・一族おまけに召し使いやその家族までも連れての大脱出を敢行した事を意味します。しかし、誠に不思議な事にはこの、リーハイのエルサレム脱出よりもより奇跡的でモーセによるエジプト脱出にも匹敵する一大脱出劇がさすがのモルモン書にも全く触れられていないのです。
しかし、常識で考えて果たしてその鉄壁の包囲網から非戦闘員ばかりの王子一行が大挙して脱出する事が出来たのでしょうか?
屈強な兵士に守られた王でさえ脱出に失敗をしているのです。 日本語モルモン書の後ろにある「聖句ガイド」にはどう書いてあるでしょう。「『モルモン書』はミュレクが生き延びたことを明確に述べている」(P251)とだけあります。はっきりと断言しているのに、聖書の記述との矛盾をきちんと説明してはいません。なぜでしょう。それはミュレクと言うのは架空の人物で、現在のモルモンの教義でも実在を証明できる明確な証拠も論理も持っていないからです。

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