モロナイのマインドコントロール

モルモンの宣教師はまずジョセフ・スミスの最初の示現について教えそして、モルモン書を読むように勧めます。ただ読むだけではなく祈るように言われます。 祈りを勧める事は悪い事ではないし、キリスト教ならむしろ当然の事なのですが、ここで勧められる祈りはかなり奇妙なものです。
「福音の標準教授法」というモルモン教の宣教師のレッスンマニュアルがあります。それに基づいて忠実に宣教師は教えていくのですが、そのレッスン1の18ページに

『モルモン書』に約束されている事項   『モルモン書』にはそれを読むすべての人のための一つの約束があります。主がその約束を『モルモン書』の最後の預言者モロナイを通してわたしたちに与えられました。[モロナイ10:3-5を読み話しあう]

とあります。
では、モロナイ書の10章3節から5節にはどんなことが書いてあるのでしょうか。

見よ、わたしはあなたがたに勧めたい。あなたがたにとってこの記録を読むことが、神の知恵にかなうようであれば、あなたがたはこれを読むときに、アダムが造られてからあなたがたがこれを受けるときまで、主が人の子にどれほど憐れみをかけてこられたかを思い起こし、それを心の中で深く考えてほしい。また、この記録を受けるとき、これが真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問うように、あなたがたに勧めたい。もし、キリストを信じながら、誠心誠意で問うならば、神はこれが真実であることを、聖霊の力によってあなたがたに明らかにしてくださる。

つまり、モルモンの宣教師は真っ先にモルモン書が真実な書物であるという事を神様に祈って尋ねそして正しい書物であるという確信を持ちなさいと要求するのです。
この、モロナイの言葉ですが巧みな罠になっています。つまり、モルモン書について祈る時に「神様の恵みを念頭においておくこと」とあり、また「キリストを信じ誠心誠意」であれば「聖霊の力」で真実な書物とわかるというのです。 つまり、真実な書物でないという否定はもちろんどうかわからないといった曖昧さまで全て「神様の知恵にかなってない」「神様の恵みを理解していない」「キリストを信じていない」「誠心誠意ではない」「聖霊の力を受けれる程善良な生活が出来ていない」という読み手の責任になってくるのです。
これは、明らかにマインド・コントロールです。マインド・コントロールは徐々にかかるものとは限りません右も左もわからない状況の方が有効なことも多いのです。
もちろんジョセフ・スミスがこうしたマインドコントロールの手口をどこかで習って覚えたというものではないでしょう。彼は若いころから詐欺の手口にたけておりまた自身もよく空想する人物でした。彼は人に頼らずその手口を身に付けたまさにプロだったのです。
また、モロナイなる人物が実在すると仮定して、もの書きである彼の立場で考えて見てください。ニーファイと同様に、彼も印刷はもちろん紙なるものさえも知らないのです。だから、金版が翻訳され紙に印刷されそして出版されるなどということは全く想像も出来なかったのです。
モロナイがここで「この記録」と言うのは金版そのもの事なのです。そう考えると、当然、モロナイのこの約束の言葉は印刷物のモルモン書に対して述べられた言葉ではないと考えるのが自然ではないでしょうか。
もし、モロナイの約束を受け入れたとしても、それをモロナイの預かり知り得ぬ印刷物にあてはめるのは土台的外れなのです。

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