兵力23万の最終決戦とは?

モルモン書内のモルモン書6章にはニーファイ人とレーマン人の最終戦争が述べられています。
ニーファイ人全軍の司令官モルモンは敗残の兵と難民を引き連れクモラの地に集結し、レーマン人に民族の存亡を賭けた最終決戦を申し入れます。
しかし、この時の兵力は驚くべきものがあります。 なんと、モルモン・モロナイなど23人の指揮官がそれぞれ1万人を率いていた、
23万人という敗残の兵とは思えない一大勢力だったのです。この中には非戦闘員も含まれていたようです。

「さて、わたしの民は妻子たちとともに、レーマン人の軍隊がこちらに向かって進んで来るのを見た。」(同書7節)

戦う相手を挑発し決戦場を指定しておいて非戦闘員を巻き込んで戦うという言う事は全く理解できません。第2次大戦で唱えられた本土決戦、国民総玉砕よりも非人道的な事です。
まあそれはいつものようにおいといて、この
23万人という兵力とはどんな規模なのでしょうか?
実は、三国志の
赤壁の戦いで曹操が要した兵力が23万といわれています。(ちなみに孫権劉備連合軍が5万)
将に大陸中国統一目前の曹操にしてようやく要することが出来た大兵力なのです。 他の例を挙げてみます。
やはり三国志では、
官渡の決戦で曹操が1万袁紹軍が11万8千
諸葛亮が出師の表を出して北伐に要した兵力が7万
わが日本では
関が原の合戦で東軍が10万西軍が8万2千
ローマの時代では、ハンニバル率いるカルタゴ軍がローマ軍と戦い圧勝したあの
カンナエの戦いが5万対8万
その前の
トラシメヌスの戦いではカルタゴが5万ローマが8万6千
あの
大国ローマで危急存亡の折に集め得た兵力がこれでした。あわせても16万です
逆にカルタゴ滅亡が決定的となった
ザマの戦いではカルタゴが約4万、大スキピオ率いるローマが3万7千です。
非戦闘員が23万のなかにどれほど含まれたいたかは不明ですが、戦闘員が半分と考えても
国の興亡をたった一度の決戦でかける兵力ではありません。充分、戦略的に巻き返しが可能なのです。常識で考えてこのような戦争はありえません
それに、逃げ延びてきた23万人は食料にも事欠く状態が予想されます。もしあなたがやわたしがレーマン人の将軍なら敢えて攻めず戦わず、自軍の兵站を確保し、戦術的衝突は小競り合い程度にとどめ、ニーファイ人の自滅を待つでしょうね。自軍の兵力の損失を最小限に押さえることが可能です。なにしろニーファイ人は集結してしまっていて、後方支援をする勢力はないのですから。この点でもこのお話しはナンセンスです。
また、モルモンは23万の兵力を展開しその全滅の様をクモラの丘から見下ろしたとあります。(6:11)
果たしてクモラの丘の一帯でこれだけの兵力を展開できるのでしょうか。ここら辺りが一大平原であったという話しは今だかって聞いたことがありません。
赤壁の戦いは23万の兵力で長江は埋まり、船と船を繋いで江上に要塞が出来たといいます。クモラの丘の周りにこれだけの兵力を展開できるとは思えないのです。ましてやそこには勢力的より優勢な敵レーマン人が侵攻してくるのです。
戦争自体が出来たとは思えないのです。
最後に、 唐の時代になって詩人杜牧が赤壁の地で鏃(やじり)を拾いかの戦いに思いを馳せるという逸話がありますが、
このクモラでは23万以上の死体が野に晒されたというのに、その骨のかけらも発見されていない事も付け加えておきます。

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