リーハイはいつエルサレムを脱出したのか?
モルモン書の物語はほとんどアメリカ大陸で進行しているので、いわば証拠のないことを良い事に好き放題に書かれているのです。
しかし、ところどころ世界史 との接点を持つ個所が表れます。そこをチェックすると、おかしな
点が見えてきます。
第3ニーファイ1章14節〜15節にイエスの誕生のしるしが書か
れています。それは太陽が沈んでも暗くならないという奇跡であっ
たのです。
つまりこの時がイエスの生まれた年ということになります。(参照イエスの生年)モルモン教はイエスの生年を前一年(ジェームス・E・タルメージ著 基督イエス説)あるいは後一年(モルモン書脚注)としています。
さて、第3ニーファイ2章6節〜7節に見落としてはならない記述
があります。
それは
「リーハイがエルサレムを去ってからすでに六百九年が過ぎ去った。
キリストが世に来られるしるしが預言者たちによって告げられた
が、そのしる しが示されたときから九年が過ぎ去った」
というところです。
つまり、リーハイ一行は、ずばりBC600年ちょうどにエルサレムを脱出しているのです。
リーハイのエルサレム脱出時の背景を第1ニーファイからみてみると、
「ユダの王ゼデキヤの統治第1年の初めに」リーハイは預言を開始 しています。(4節〜)
ところが、BC600年にはまだそのゼデキヤは即位していないのです。名前すらマタンヤという名前だったのです。
BC598年に第一回のバビロニア捕囚があったわけでその当時の王は彼の甥のヨ ヤキンだったのです。ゼデキヤはその後の王です。
(列王記下24章)
もし、第1ニーファイの記事が正しいと言う事になれば、イエスの生まれた年がおかしくなります。
もし、第3ニーファイの方が正しいとい言う事になるとリーハイの脱出劇がおかしくなるのです。
モルモン書はすでにそれ自体で大きな矛盾を犯しているのです。
このように、丹念に読んで、年表と照らし合わせるだけで簡単にモルモン書
がインチキだと解ってしまうのです。 聖霊の証や熱い思いなどは全く必要はないのです。
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