不可能なニーファイ神殿

ニーファイ人はその時代の早くに神殿を建築しています。今回はその矛盾について考えます。この問題は「聖徒の未知」でも指摘されています。私なりの掘り下げです。
神殿といえばソロモン神殿ですが、実際の大きさは決して大きなものではなかったようです。大きさが9×27メートル・高さが13.5メートルというところです。
しかし、王国の国力がもっとも充実していたおりに、ティルスの絶大な援助をうけながらもその建築には7年を要しているのです。 男子は3万人を徴用し常時は1万人が労役に従事し、荷役の労働7万人、石切り場に8万人、現場監督が三千三百人というどえらい一大公共事業だったのです。
一方、ニーファイ人の作った神殿ですが、

ソロモンの神殿に倣って建てた・・・様式はソロモンの神殿と同じで、その作りは非常に見事」(第2ニーファイ5:16)

とあります。 この神殿をニーファイ人は一体何人で建てたのでしょうか? モルモン書の記述から見て行きましょう。
エルサレム脱出時にはリーハイの息子は全て独身でした。真鍮版獲得の後、妻をめとるためにエルサレムに戻りイシマエルという家族を連れてきています。この家族は家長イシマエルの他はモルモン書に名前が全く出てきません。大変重要な家族であるのにこれは大変おかしな事ですね。
この家族の大体の構成は第1ニーファイ7:6でわかります。

「さて、荒れ野を旅する途中で、見よ、レーマンとレムエル、イシマエルの二人の娘、イシマエルの二人の息子とその家族がわたしたちに背いた。まことに、わたしニーファイとサム、また彼らの父イシマエルとその妻、それにイシマエルのほかの三人の娘に背いたのである」
(たかが2つのセンテンスにイシマエルという固有名詞が四度も登場していますね、代名詞を用いればもう少しスッキリした文章になるし金版も節約出来ると思うのですが・・・) 。

系図 

つまり家族持ちの息子が2人・未婚の娘が5人という構成ですね。 彼らは荒野でリーハイの息子たちと婚姻を結びます。(同16章:図参照)
これは荒野の放浪の終わり頃なので大体BC592年頃と思われます。それから、船を作り新大陸に渡ります。リーハイの死を機会についにレーマン人とニーファイ人はたもとをわかつのです。そして神殿建設。これが「エルサレムを去ってから30年が過ぎた」(第2ニーファイ5:28)とあります。
荒野で「合同結婚式」が行われてからたったの22年しか経ってないのです。その間にどれほど人口が増えるものでしょうか?
5つの家族が年子で9年連続で出産して45人です。9年目の子は神殿建設時には12歳でこれくらいが労働力に期待できる限界でしょう。しかもそれは全て男子である事が前提です。もちろん、その子供達が15歳で結婚してすぐ子供をもうけても(相手の問題がありますが・・・)第3世代の最初の子供は神殿建設事にはまだ6歳。全く戦力にはなりません。
ソロモン神殿並みの建築物をつくるなどできっこないのです。
もちろん、モルモンはイシマエルやリーハイの家族がモルモン書に記載されている他にも大勢いたのだと言う反論(いいのがれ)を用意しています。しかし、この期間に千人程度の人口に達するにさえ最初から100以上の夫婦がいなければなりません。
そんな雰囲気の記述はモルモン書には全然ないのです。

 

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