ぜみなーるモルモン
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  • タイトルRe: 永遠と時間の両立
    記事No: 4829 [関連記事]
    投稿日: 2014/05/30(Fri) 09:31:30
    投稿者MJ

    >
    > 超無神論者(人が信じる神を「超越した神」を信じる者)

    人が信じる神を「超越した神」を信じる者が人ならば
    人が信じる神を「超越した神」もまた人が信じる神でありましょう。


    タイトル永遠と時間の両立
    記事No: 4828 [関連記事]
    投稿日: 2014/05/29(Thu) 20:10:05
    投稿者超無神論者

    永遠と時間の両立について、論じれる方はいますか?

    完全に説明できる方はいるでしょうか?


    私からの挑戦状です。

    ヒント マタイ 22:37-40

    超無神論者(人が信じる神を「超越した神」を信じる者)


    タイトルRe: 星の栄の生活について
    記事No: 4827 [関連記事]
    投稿日: 2014/05/25(Sun) 23:00:43
    投稿者白と黒

    > この光栄の王国には、アドルフ・ヒトラーも入れるということですかね。
    > スターリンやポルポトみたいな、歴史に名を残す極悪人から、
    > 無名の犯罪者に至るまで、星の数ほどの罪人が行くところと釈義します。
    > 聖書的には、イザベルのおばさんもいれば、姦淫と殺人を犯したダビデ王もいる。
    > それでも、この世界より遥かに素晴らしい所になのだから、
    > わざわざモルモン教に入信して、必死になって頑張る必要なんかないと思いますね。

    確かに。必死になって頑張る必要はありませんよね。
    因みに日の栄には3つの階級があって、一番上の昇栄に入れる人は僅かなような
    気がします。

    そこで勝手に日の栄の三階級に名称をつけて分類してみました。

    ◎昇栄…キリストと共同の相続にあずかれる人(預言者・使徒など)
    〇中栄…とてもがんばったモルモン教徒たち
    ●小栄…そこそこがんばったモルモン教徒たち

    月の栄が天使待遇なので、中栄・小栄がどんな扱いになるのかは気になりますが、
    どの階級に行くにせよ、周りがモルモンだらけで住みにくいことこの上ないないでしょうねぇ…


    タイトルRe: 星の栄の生活について
    記事No: 4826 [関連記事]
    投稿日: 2014/05/25(Sun) 10:44:24
    投稿者モロアリ

    この光栄の王国には、アドルフ・ヒトラーも入れるということですかね。
    スターリンやポルポトみたいな、歴史に名を残す極悪人から、
    無名の犯罪者に至るまで、星の数ほどの罪人が行くところと釈義します。
    聖書的には、イザベルのおばさんもいれば、姦淫と殺人を犯したダビデ王もいる。
    それでも、この世界より遥かに素晴らしい所になのだから、
    わざわざモルモン教に入信して、必死になって頑張る必要なんかないと思いますね。


    タイトルモルモンの残念なところ
    記事No: 4825 [関連記事]
    投稿日: 2014/05/24(Sat) 21:49:23
    投稿者白と黒

    【一夫多妻】
    やらなきゃよかったのに…
    モルモン書でも複数の女性と関係を持つことは禁止しています。
    ジョセフの暴走と妄想によって始まった一夫多妻の負の影響は、
    現在も色濃く残っています。

    そもそも啓示で許可されたとはいえ一夫多妻をする必要はあったのでしょうか?
    記録によると、当時のコミュニティーにはたくさんの独身男性がいたようです。
    つまり男女の数の不均衡からの必要性はなかったといえます。

    教会と指導者は一夫多妻を継続するために国の法律を犯し、国家権力から身を隠し、
    教会財産が没収されかけるという憂き目にあっています。
    そして国家の圧力に負け、一時的に(地上での)一夫多妻を停止しました。

    結局やめてしまうなら最初からやらなきゃいいのに…
    「天国では一夫多妻だ」という教義だけに留めておけばよかったのに…
    残念です。

    【神殿の儀式】
    どうして気づこうとしないのかしら…
    モルモン書では秘密の合図を禁止しているのに、神殿の儀式は秘密の合図の
    オンパレードです。
    そしてこの秘密の合図の元ネタはフリーメーソンにあります。

    ジョセフやブリガムを含め当時の指導者の多くはフリーメーソンでした。

    彼らはメーソンであることをいいことに、神殿の儀式(手の握り方などの秘密の合図)や
    衣装(ガーメントの両胸にあるコンパスと定規はフリーメーソンのシンボル)に及ぶまで,
    フリーメーソンの様式を借用しまくりました。

    極めつけは”アポテオシス(人間が神になる)”というフリーメーソンの思想です。
    昇栄という教義は、アポテオシスのまんまパクリなのです。

    このパクリに激怒したフリーメーソンの本部は、ジョセフたちの会員資格をはく奪し、
    ノーヴロッジ(フリーメーソンの支部)を閉鎖しました。

    モルモン教徒が教会を「唯一真である」と信じる拠り所は、
    ジョセフ・スミスとモルモン書の真実性です。

    しかしモルモン書を翻訳した当のジョセフが率先して、モルモン書では禁じられている、
    ”不貞(一夫多妻)”と”秘密の合図の行使”を実践しています。

    重ね重ね”残念”です。


    タイトルキリストの属性 アルパにしてオメガなり
    記事No: 4824 [関連記事]
    投稿日: 2014/05/09(Fri) 21:03:07
    投稿者超無神論者

    「われ、ありてあるもの」

    私は、ずっと、高い知性を押さえつけられて、バカだと思って生きてきました。

    長い間、人生とはなんだ、宗教とはなんだ、キリストの属性とはなんだ、
    人を救うとはなんだ、なんでこんなに生きにくいんだ、

    あなたは偉大にならなければいけない。
    キリストのようにならなければならない。
    神のようにならなければならない。


    知性の高い方は、言わんとするところが分かると思います。

    ずっと彷徨っていました。

    外を散々歩き回りました。

    どん底を何度体験したか、何度泥をさらったか、

    何度心をえぐったか。

    そして、見つけました。宝を

    私があることが分かりました。

    始りも終りも存在いないとが分かりました。

    今ここにあること、それだけで十分なことを

    時の流れは始まりと終わりが瞬時に移り変わり、そう同時に進み、
    その瞬間にしか存在していないと。

    これがキリストの属性を理解する助けになると思います。


    なる必要がないのです。

    目指すこともないのです。

    もうすでに到達しているのですから。

    読んでくれたあなたの心の中に埋もれています。宝が

    その宝をみんなに見つけてほしい。切に願います。。


    タイトル〇と×の選択肢
    記事No: 4823 [関連記事]
    投稿日: 2014/03/24(Mon) 22:31:51
    投稿者白と黒

    私の父は「教会へ行ってさえすれば幸せになれる」と信じている典型的な
    モルモン一世です。

    そんな父に私は「教会へ行きたくない」と高校二年の夏に伝えました。
    それを聞いた父はつかさず「教会へ行かないなら家を出て行きなさい」と
    返してきました。
    その当時の私には家を出て行く勇気も気概もなく、黙って教会に通い続けました。

    この時の父は決して意地悪で「出ていきなさい」と言ったわけではありません。
    息子の私の幸せを案じた結果、教会へ通い続けるという選択肢を
    私に選ばせたかったのだと思います。

    しかしこのような二者択一では、正しい自由意志を行使することはできません。
    何故なら”教会へ行く(〇)”と”家を出て行く(×)”という選択肢から「×」を選ぶことは
    極めて勇気と覚悟のいることだからです。

    モルモン教会は「唯一真の教会である」と標榜しています。
    つまりモルモン教会だけが「〇」で後の宗教・宗派は全て「×」であると宣言して
    いるのです。

    その結果”モルモン教会へ行く=天国(〇)”と”モルモン教会を離れる=地獄(×)”という
    選択肢が生まれてきました。しかし誰が好き好んで「地獄(×)」という選択をするでしょうか?

    〇と×どちらも選べる状況にあっても、明らかに不利になる選択肢が片方に用意されて
    いるのなら、選択に名を借りた”半強制”であると言えないでしょうか?

    そしてこの”半強制”が”愛と寛容”というクリスチャンの精神を捻じ曲げてしまっている
    ように思います。


    タイトルジョセフ・スミスについて
    記事No: 4822 [関連記事]
    投稿日: 2014/03/23(Sun) 23:13:08
    投稿者白と黒

    ジョセフ・スミス。
    興味深い人物です(個人的には兄のハイラムが好きなのですが)。

    彼は本当に”無学”だったのでしょうか?

    14歳の時には聖書を読んで理解できる読解力はあったことを考えると、
    決して”無学”ではなかったように思います。

    貧しい生活の中、家の中で唯一の書物ともいえる聖書は、
    彼にとって国語の教科書的役割をはたしていたかもしれません。

    またテレビもラジオもない時代、貧しい少年にとっての聖書は
    空想をかき立てる格好の物語だったかもしれません。

    空想する時間ならいくらでもあったはずです。家の仕事を手伝いながら、
    時に出稼ぎもしながら、日々空想を膨らまし、新たな情報を加えつつ、
    アメリカ大陸に渡ったユダヤ人たちの物語を完成させた…

    そんな彼は、「創り話の天才」だったのかもしれません。

    実際アブラハム書やキンダーフック版の翻訳も、出鱈目だという事実を
    知らなければ、本当だと信じてしまう内容(出来栄え)です。

    「ジョセフ・スミスは無学だ。そんな彼にモルモン書は書けない。」
    (※実際は口述しただけですが。)

    本当でしょうか?

    もし彼が字を読めないというのであれば”無学”にも納得がいきます。
    むしろ彼の場合は”無学”というよりも”正規の教育を受けていない”の方が
    正確かもしれません(そのためか、文章を書くのは苦手だったようです)。

    では正規の教育を受けていなければ物語は創れないのでしょうか?

    作り話は小さな子供でもできます。私は現在2年生の児童を教えていますが、
    びっくりするような物語を書いてくる子もいます。

    以上のことから、ジョセフ・スミスがモルモン書のストーリーを創作することは
    決して不可能ではなかったと考えられます(実際、ネタ本もたくさんあるようですし)。

    まぁ、教会的にはジョセフ・スミスは無学だったとアピールする方が、彼を神格化できて
    都合がいいのかもしれませんが…


    タイトル親子の結び固めは必要ですか?
    記事No: 4821 [関連記事]
    投稿日: 2014/03/22(Sat) 23:17:02
    投稿者白と黒

    ”親子の結び固め”って何か意味があるのでしょうか?

    昇栄は夫婦でするので”夫婦の結び固め”は理解できるのですが…

    「親子の結び固めをしたから、死んだと後も家族はいっしょにいれる。」

    なんていう保証はありません。パラダイスでは一緒にいられるかもしれませんが、
    最後の裁きの後に、家族が別々の王国へ行く可能性もある訳ですから。

    そう考えると”親子の結び固め”は、効力は不明ですが、なんかご利益のありそうな
    お守りのようなものかもしれません。


    タイトル自由と責任
    記事No: 4820 [関連記事]
    投稿日: 2014/03/22(Sat) 13:53:59
    投稿者超無神論者

    私たちには自由意思があります。少なくとも日本に居れば、憲法の元、人権として保障されています。
    刑法や民法という規制が沢山存在してますが、それらの規制を破る自由もあります。(当たり前ですが)
    破れば、責任が伴います。

    「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。

    わたしは柔和で心のへりくだった者であるから,わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。

    そうすれば,あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。

    わたしのくびきは負いやすく,わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28−30)

    イエスの有名な言葉ですが、細かく分解してからまとめて考えてみましょう。

    1.すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。
      すべての重荷 = 悩み、将来に対する心配、過去の過ち Etc..
    2.わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。
      くびき(軛、衡、頸木) = 牛、馬などの大型家畜(輓獣)を犂や馬車、牛車、
                      かじ棒に繋ぐ際に用いる木製の棒状器具である wikipediaより
    3.わたしのくびきは負いやすく,わたしの荷は軽いからである。
      キリストの荷は軽い 負いやすい

    重荷とは、端的に言えば、過去の自分が自由意思を行使したことによって生じた結果や責任が
    心にのしかかっている状態。
    重荷=自由が制限されている状態
    キリストのくびき 荷は負いやすい
    キリストの荷=自由が制限されていない状態

    以前私はこの言葉をこのように誤解しておりました。
     キリストの言葉に従って生活することは、自分の重荷をキリストが代わりに負ってくださって、
    代わりに、キリストの荷くびきを負う。
    自分の重荷がなくなると誤解をしていた。
    キリストの言葉に従うとは、端的に言えば、モルモン指導者のイエスマンになること、
    教会での集会の参加、責任の遂行、什分の一の完納
    もっとも重要とされるのはキリストが教えておられる言葉を逆手にとって、またはすり替えて、
    モルモンの中毒者を作り上げることが、もっとも大切だと刷り込まれてきた。

    そして、責任は神が、キリストが取ってくださると。。。

    この言葉には重荷がなくなるとは書かれていません。
    キリストのくびきと重荷を交換することも言明されていません。

    すこし、趣向を変えて考えてみましょう。

    私たちはみな子供でした。
    子供の時に自由意思はあったでしょうか?
    在る程度の自由は在ったと思いますが、親の範囲内での自由でした。
    成長するに従って、自由は徐々に広くなっていくと思います。
    しかし、18若しくは20歳を超えるまでは、完全な自由がありません。
    親の監督責任が及んでいる間は自由ではありません。
    もし、過ちを犯したばあい、14歳を超えていれば、矯正という罰が与えられますが、
    親の責任が多く求められます。

    20歳を超えて、完全な自由が与えれましたが、その大きな自由と共に責任も与えられました。
    その責任はもう親は取ってはくれません。

    神と私たちとの関係も同じではないでしょうか。
    仲立ちとしてキリストが与えらたとしても、自分の責任まで負ってはくれませんし、
    自分がその重荷を処理しなければ、その重荷はなくなったと錯覚したまま、
    引きづり続けます。

    マタイ7章3〜5節「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁(はり)を認めないのか。
    自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
    偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。」

    他人の目のちりを取るよりも、自分の目に在る梁をとりのけることに意識を集中しなくてはならないと思います。

    自分の目に在る梁(重荷)を取りのけられたら、他人の目のちりがはっきりと見えるようになる。
    しかしその人の目に在るちり(重荷)は自分が取ってあげることはできない。
    その人本人でその責任をとらなけらばならない。

    (そこにちりがあるよと教えてあげることはできますが、猫に小判、豚に真珠で、その価値を理解できない人に
    言っても、噛みつかれるだけです。)

    責任は消えることがありませんし、自由も消えることがありません。生きている限り。

    今日はこの辺で、


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