ぜみなーるモルモン
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  • タイトルRe: 自慰行為について思こと
    記事No: 4992 [関連記事]
    投稿日: 2017/08/16(Wed) 11:18:01
    投稿者白と黒

    > 言葉は原文とは異なりますが、このような意味合いでした。これが正しいなら世の男性の大多
    > 数は同性愛者であるはず。自慰から他者(同性)と行為するようになる、そんな現実はあまり聞
    > きませんよね。まぁそういう事例もあるでしょうが。
    >
    同感です。

    たしか「自慰行為にふけると不貞行為にはしりやすくなる」みたいな見解もあったように思います。もしそうなら、
    世の大多数の男性は不貞行為にはしっているはずです。

    しかし実際は、自慰行為というガス抜きによって、
    性欲を解放(コントロール)している男性がほとんどなのではないでしょうか。

    自慰行為を我慢し続け、あるきっかけでそれが爆発し、不貞行為にはしってしまうのと、
    自慰行為を定期的にすることで性欲を適度に発散し不貞行為に走らないのとでは、
    どちらがより律法にかなっているのでしょうか?

    性に関する問題(LGBT等も含む)は非常にデリケートだと思います(時に人の生死に影響を与えてしまうほどに…)。
    それゆえ何の科学的根拠もない私的見解が、立場ある人から発信されることの影響は計り知れません。

    そういった意味でモルモンの指導者には、責任ある言動を心がけてほしいものです
    (とはいえ、ジョセフを筆頭にいいかげんな発言は、末日聖徒の伝統なのかもしれませんが…)。


    タイトルRe: 自慰行為について思こと
    記事No: 4991 [関連記事]
    投稿日: 2017/08/14(Mon) 16:00:55
    投稿者休眠会員

    良くわからないけど、モルモンだけでなく、カトリックもこの問題は同じ立場みたいです。ただ
    モルモンのような状況ではないと思いますが。

    極めて個人的な事ですから、宗教と言えどここまで踏み込んでいいいのか?と大変疑問に
    想っていました。

    今も販売されているかわかりませんが、「赦しの奇跡」と題する書籍がありましたね。

    記憶が正しいかどうか、微かな記憶ですが、この問題について書かれていました。がその内容
    が風俗雑誌等より下品じゃないのか?と思わせるもので、それを見た瞬間嫌悪感を感じて以
    後その書籍を手にすることはなかったです。

    強く印象に残っている一節ですが

    自慰行為は自ら行為することで、次第に他者へ行為の対象が向かう。従って同性愛に走るこ
    とになる。

    言葉は原文とは異なりますが、このような意味合いでした。これが正しいなら世の男性の大多
    数は同性愛者であるはず。自慰から他者(同性)と行為するようになる、そんな現実はあまり聞
    きませんよね。まぁそういう事例もあるでしょうが。

    この著者はそんな性癖があったのか?というのが感想でした。
    またこんな内容をかなり細かく描写することが本当の神の言葉なの?
    こんなことを、仮にも宗教法人を代表し、指導する立場の人間が書けるな。またそれを当たり前のように出版し、それを感動して読む教会員って?

    疑問より不信を覚えましたね。


    もう自慰は罪だ、という教えそのものが根拠を無くした、少なくともこのフレーズからは私自信そ
    う捉えました。

    一時が万事、教会そのものも否定せざるを得ない、と確信した瞬間でもありました。


    タイトルRe: 自慰行為について思こと
    記事No: 4990 [関連記事]
    投稿日: 2017/08/13(Sun) 06:21:55
    投稿者迷える教会員

    私もこれには苦労しました。
    今思えば、信仰生活を送っていた時は、いつもこれと戦っていました。
    ストレスが溜まり、精神をすり減らし、もがき苦しんでいました。今までどれ程のエネルギーを、この問題に立ち向かうことで費やしたでしょうか?

    特に男性は、ある程度のガス抜きが必要です。教会の教えは、そのガス抜きを一切禁止にします。ガスは溜まる一方です。その溜まったガスに苦しみながら生活を送ることで、さらに精神が消耗していきます。

    今は信仰がありませんので、自慰行為と戦うことをやめました。その結果、今までそれに抗うために使っていたエネルギーを他で使えるようになり、人生の生産性が増し、精力的に、そして心軽やかに生活しております。

    >無理なダイエットがリバウンド招くように、自慰行為を禁止するのではなく、どのように向き合っていくのかを考えることの方が建設的なように思います。

    その通りだと思います。


    タイトル自慰行為について思こと
    記事No: 4989 [関連記事]
    投稿日: 2017/08/12(Sat) 22:20:50
    投稿者白と黒

    皆さんに質問です。
    「自分の伴侶を想像して自慰行為することは罪になるのでしょうか。」
    どう思われますか?

    全ての律法を完全に守ろうとしている人がいました。もちろん性欲(情欲)も。彼には余裕がありませんでした。
    自分が律法を守ることに、罪を悔い改めることに精一杯だったからです。そして、律法を守れない人を見ると、
    口では同情しましたが、心ではどうしても裁いてしまうのでした。自分はこれだけがんばっている
    (犠牲をはらって我慢している)のに、どうしてあなたはがんばれないのかと。もっと信仰をもってほしいと。

    一方で純潔の律法、特に自慰行為止められない人がいました。他の律法(十分の一や知恵の言葉など)は
    守れるのですが、ストレスが溜まるとついつい自慰行為で発散してしまうのでした。
    自慰行為の後は決まって自己嫌悪と罪の意識に苛まれました。
    自分は律法を守れていないという後ろめたさが常にあり、
    その思いは教会の召しを果たそうとする時より強烈に彼を苦しめるのでした。

    前者は伝道中の私で、後者は伝道後の私です。

    モルモンでは自慰行為は罪であるという見解をとっています。
    その根拠はマタイの福音書5章27〜30節の「『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
    しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」にあります。

    これを素直に受け入れるのなら(情欲の)思いでさえ罪とされるわけです。
    そのため(罪あるがあるのと清くなれない、清くないと聖霊の導きを受けられないので)伝道中はほぼ一日中悔い改めていました。
    今考えるとノイローゼぎりぎりの状態だったように思います。

    そんな私ですが、性欲は人並みだと思います(当たり前ですが性欲の強さも人によって違いますから)。
    ただ、ストレスが溜まると、どうしても自慰行為に向かってしまう弱さをずっと克服できませんでした。

    しかし、教会を離れてしまった現在、自慰行為に関わる葛藤(罪の意識や自己嫌悪)からは解放されています。
    週に1〜2回する程度です。「(自慰行為は)いつでもできる」という余裕もあり、以前(教会を離れる前)ほどの
    執着もなくなりました。

    そもそも情欲を抱くことを罪と定めたのは、姦淫の罪を犯させないためです。
    姦淫は夫婦関係や家族関係を破壊してしまう可能性のある行為ですから、
    その抑止のためにも思いを制限する必要があることも分かります。

    でも例えば、身近にいる特定のだれかに情欲の思いをもつなら、姦淫につながる可能性が高くなるかもしれないし、
    二次元が相手なら姦淫につながる可能性は低いかもしれない。全ては可能性の話になってしまいますが、
    重要なのは異性に対する思いが姦淫につがる可能性があるかどうかだと思います。

    つまり自分の行為(自慰行為だけに限らず)が、誰かを傷つけるならしない方がいいし
    (黄金の律法ですね)、逆にその(自慰)行為が誰も傷つける可能性がないなら、
    「自慰行為=即罪」にはならないように思うのです。

    姦淫の罪を犯した女を諭されたキリストは、憐れみの人でした。
    そんなキリストが(自慰)行為だけをみて罪とされるようには思えません。
    その行為の裏にある思いにこそ目をむけられているような気がするのです。

    そう考えるなら、自分の伴侶を想像して自慰行為することは罪にならない
    (姦淫につながらない)ように思うのですがどうでしょうか?

    最後に、他宗派のキリスト教修道僧は、女性を遠ざけ、男性だけで修道院に籠りました。
    その結果性欲は同性に向かいました(これなんかは抑圧された性欲が歪んだ形で現れた典型のように思います)。

    大切なのは、肉体を持つがゆえに生じる欲求を抑圧するのではなく、どのようにコントロールしていくかだと思うのです。
    無理なダイエットがリバウンド招くように、自慰行為を禁止するのではなく、どのように向き合っていくのかを考えることの方が建設的なように思います。


    タイトルRe: 本当の幸せとは???
    記事No: 4988 [関連記事]
    投稿日: 2017/08/11(Fri) 23:11:36
    投稿者迷える教会員

    陰陽太極図についての興味深いお話、ありがとうございます。
    白と黒さんの仰る通り、教会員の考え方は神かサタンかであり、陰と陽がはっきりしています。

    お休み会員になった人については、活発会員から見れば「あの人はサタンの誘惑に負けたんだ」と思うことでしょう。

    例えば最初の示現の曖昧さ、多妻婚や黒人の神権、アブラハム書のデタラメな翻訳を知り、教義に疑問を持って教会を離れた人は、サタンの誘惑に負けた人でしょうか?信仰が足りないからサタンの誘惑に負けたのでしょうか?教会側の落ち度は無かったでしょうか?

    不倫を助長する気は全く無いですが、不倫せざるを得ない状況に追い込まれる人もいるわけです。
    例えば何年も伴侶に相手にされず苦しんでいる時に、優しい異性から誘われて、一線を越えてしまうとか。(私のことじゃないですよ、例えばの話です)
    確かに誘惑に負けることは良くないですが、しかし伴侶を相手にしなかった側にも問題があると思うのです。

    白と黒さんの仰る通り、この世は二元論だけで割り切れるほど単純では無いですが、教会員は答えを二元論を通して出そうとします。神とサタンとの闘いで済まそうとします。今となっては、私はその考え方ではこの世を理解できないと思っています。

    私は教会の教えから離れ、もっと大きな目で、広い心でこの世の物事を見て、受け入れていかないと、この世は理解できないと思います。


    タイトルRe: 本当の幸せとは???
    記事No: 4987 [関連記事]
    投稿日: 2017/08/10(Thu) 17:08:48
    投稿者白と黒

    本当にその通りだと思います。全てを自分が決め、自身でその責任も負うのです。
    それが全うな人生のように思います。

    話はかわりますが、最近、斉藤由貴さんの不倫報道が世間を賑わしています。

    ある教会員は,
    「罪を認めない状況は『サタン(悪魔)の策略に堕ちた状況』と解釈されます。
    不倫自体が悪魔に魅入られて起こったことですから、それが解けていないのです。
    記者さんの指摘にムッとして会見を終えたのも、悪魔に心を支配されている証拠」
    (@niftyニュースより引用)などとコメントしています。

    斎藤由貴さんはサタンに誘惑されたから、報道されているような状況に陥ったのでしょうか?

    もちろん彼女の立場を考えるなら軽率な行動であったことは否めませんし、
    彼女にしかわからない事情や感情、その他諸々の状況もあったことは推測されます。

    しかし、大事なことは、彼女自身が決めてそれを行ったという事実です。
    そこにサタンは関係しません。

    陰陽太極図(ダン&カントリーのロゴで有名です)というものがあります。
    ウィキペディアによると、「古代中国の思想に端を発し、森羅万象、
    宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から陰(いん)と陽(よう)の二つに分類する範疇。
    陰と陽とは互いに対立する属性をもった二つの気であり、
    万物の生成消滅といった変化はこの二気によって起こるとされる」とあります。

    一つの円の中に黒色(陰)と白色(陽)の勾玉(これは陰と陽ははっきりと真ん中で分けられる物ではなく、
    陰に傾いているものもあれば、陽に傾いているものもあるということを意味しています)があり、
    さらにそれぞれの勾玉の中には逆の色の小円(これは、陽の中にも陰があり、陰の中にも陽があり、
    「100%陽!」「100%陰!」というものはないという考え方を表しています)があります。

    例えば、「生と死」をこの陰陽太極図で考えるなら、全ての生物は生まれ落ちた瞬間から“死”を内包していることになります。
    そして生物が死ぬと土に還り、次の生物を生み出す肥しとなるように、その死の中に“生”を内包しています。

    モルモンは善(神)か悪(サタン)という二元論で物事を判断し決定します。
    しかし、この世界は二元論だけで割り切れるほど単純にはできていません。
    陰陽太極図に表されるような一元論にこそ、この世界の真実が隠されているように思えるのです。

    私事になりますが、6月に叔父が亡くなりました。彼の告別式で感じたのは「人は必ず死ぬ」という事実でした。
    どんなに気をつけていても、次の瞬間、事故や災害に巻き込まれれば死んでしまうのです。
    自分が生かされているという実感と共に、いつ死んでも悔いのないように生きないといけないという使命のようなものを感じました。

    叔父の死(陰)の中に、悔いなく自分の人生を生きるという生(陽)を見つけることができた瞬間でした。

    繰り返しになりますが、サタンなんてものは存在しません。
    全ては自分の中にあります(善も悪も、美徳と悪徳も。生と死さえ自分の中にあるのですから)。

    斎藤由貴さんが今後どのように対応されていくのかはわかりませんが、教会やサタンのせいにするのでなく、
    自身の選びとしての結果を受け止め対応していかれることを期待したいと思います。

    ※私見になりますが、斉藤由貴さんはもう教会に心がないのかもしれませんね。
    だとしたら私の期待は的外れになってしまいますが、むしろその方がうれいしいかも…


    タイトル本当の幸せとは???
    記事No: 4986 [関連記事]
    投稿日: 2017/08/08(Tue) 07:45:05
    投稿者迷える教会員

    伝道へ出て、神殿結婚し、すべての戒めを守って忠実に生涯を終えることこそ、最高の幸せ。
    什分の一を支払うことで、あふれる祝福が与えられます。だから幸せ。
    教会に自分の貴重な時間とお金を捧げ、犠牲を払った人だけが得られる、特別な幸せ。
    教会員として生きることが最高の幸せなのです。それ以上の幸せはありません!!!

    正直に言います。教会の信仰を失った今のほうが幸せです。

    今まで、教会の主張する幸せ=自分の幸せだと思い込んで生きてきました。
    信仰を失った今、それが間違っていたことが分かりました。
    今、自分の足で人生を歩んでいる喜びに満たされています。

    自分で善悪を判断し、自分で考えて行動する。こんな当たり前のことが、教会の教えにどっぷり漬かっていると出来なくなっていたことに気づきました。

    幸せの形は、人それぞれです。そんな簡単なことですら、教会に通っていると分からなくなってしまいます。

    自分にとって何が幸せなのか?どうすれば心が楽に生きれるのか?答えは人それぞれであり、自分で見つけるしかありません。

    教会は狭い枠の中に人を押し込めます。それが最高の幸せだと思い込ませて。
    そして教会は人生の責任を取ってはくれません。

    私の人生は私のものです。私が自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取るのです。
    私の幸せは、私が作り上げるのです。


    タイトル信仰は揺るがない?
    記事No: 4985 [関連記事]
    投稿日: 2017/08/01(Tue) 13:16:24
    投稿者めい

    国内外でどれだけ新興宗教の醜聞が出て来ても、教会の人たちは、自分たちの信仰が揺らぐことはありませんよね。

    他の新興宗教による醜聞については、
    「我関せず」と敢えて無視するか、
    「私たちの所は違う」と断固思うか、または、新興宗教にのめり込む人は、一般に、世俗的な情報を避け、世間で何が起こっているか全く知らない人もいます。(もっとも世俗的な情報も害になるものが多く、それを遠ざけることが一概によくないこととは思いません)

    前に一度教会員に聞いてみたことがあります。
    「気分を害したらごめんなさい。でも、宗教団体による醜聞というのは常に絶えないですよね。例えば、ジム ジョーンズによる人民寺院の集団自殺などについては、どう思ってるの?」
    姉妹はこう答えた。 「あの人たちは可哀想よ。教えを間違って受けたのよ。モルモンに導かれれば、あんなことにはならなかったはずよ」

    まあ、確かに集団自殺なんて極端な行為は有り得ないけど…
    でも、人民寺院の人たちだって、あれが正しいと信じて疑わなかったわけですよね。
    そもそも、ジム ジョーンズは、元々は慈善活躍に積極的な正統派だったらしいし。

    今後どれだけ新興宗教による醜聞、事件が起きようと、教会員たちは、自分たちの信仰を立ち止まって問うことはしないのでしょうね。
    それがマインドコントロールですね。


    タイトルRe: やはり十分の一は高いらしい
    記事No: 4984 [関連記事]
    投稿日: 2017/07/29(Sat) 17:08:58
    投稿者morrowwind

    >
    > 教会側の要望としては、全収入(税引き前)の什分の一を完全に納めるということですが、結局のところ個人の自由で良いのではと思っています。
    > 収入の2%が妥当と思えば、その額を支払えば良いのではと感じています。

    私的にはこの全収入の十分の一ということは低所得者ほど負担が増えるとんでもない制度と感じております。金持ちなほど楽な献金制度ってこんなものが本当に神の教団のやる運営方法なのですか?教会が言っていることがおかしいとしか思えません。全収入から生活に必要なものを残してその残りの十分の一ではないとおかしい!教団の言っていることは強欲だとの私見です。

    >
    > 結局のところ、什分の一が重荷になってお休み会員になるよりも、少しでも払ったほうが教会にとっても良いのではと思っています。

    現役教会時代は払わないと滅びの子だとか散々おどかされました。お休みなので今は関係ないですというよりも信仰心はほぼ消えてます。

    >
    > あと、LDS教会としては、什分の一の収支を公表していないことからも、不誠実さを感じざるを得ません。

    そのあたり探りをいれようとする人がいるととなぜかいろいろな圧力がかかるようでその人がそういった追及を止めてしまうのも不思議です。
    どうも幹部が贅沢三枚というわけでもなく幹部になる段階でお金持ちでもその財産を全部教会に捧げるようで決して一部の人々が贅沢三昧をしているというわけでもないようでそこが不思議です。

    >
    > 年末の什分の一面接も抵抗があります。なぜ什分の一の面接だけがあるのか?知恵の言葉の面接は無いのに。
    >
    >

    この面接って結局この献金が実質的には反強制ということになってしまう悪制度だとの私見です。

    > > 信者から募った寄付は具体的にどこへ行っているのでしょうか? 

    最近は教会内部のidを発行すると情報共有できるポータルや職業訓練の仕組みを教会内部で支援するとか開発途上国に経済支援をするとかどちらかというと上層部が私服を肥やすというよりも教団自体を大きくしたり広報活動により教団のイメージを良くする、、そういった活動に使っているのかなと私的には感じております。何分にも使い道が開示されてないのであくまで推定ですが


    タイトルRe: 理不尽な父親
    記事No: 4983 [関連記事]
    投稿日: 2017/07/29(Sat) 16:32:22
    投稿者morrowwind

    >
    > もし本当に子どもを愛しているのなら、いい面も悪い面も含めて受け入れようとするはずです。自分に従順であろうとなかろうと、見守り、関係を維持しようと努力もするはずです。
    >
    > しかしモルモンの神様は、自分の言うことをきかなければ受け入れないし、最終的には関係も切ってしまいます。
    >
    > 教会に行っているあなた。
    >
    > こんな理不尽は父親(神様)をいつまで崇めますか?

    父親としてもとてもあがめるような存在とは思えませんがさらには一人の男性としても私的にはとてもダメすぎてとても今はあがめる気にもなれません!。 モルモンの神は多妻ですがモルモンの教義によればイエスキリストはエロヒム神とマリアが性的交渉を(幹部の著書にはっきり書いてあります)をして生まれた息子です。 エロヒムには正妻がいるかどうかは兎も角要は エロヒム神わざわざヨセフという男性の妻であるマリアをさしおいて性的交渉を持ちエルサレム(ナザレではないようですが場所なんで聖書と記述が違う?)で出生るるというとんでもなさです。 それで性的に清くなんてそんな神に言われても正直あなた自身そんなだらしがない男性なのに模範もなにもあったものではなくとてもこんな存在をあがめる気にはなれません。           


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