常識で読むアブラハムの書

 

壊れているアブラハムの書

アブラハムの書自体内容から批判をしましょう。これも常識的な話です。
ここで神とか主とかエホバとか神様の名前が出てまいります。「エホバとヤハゥエ」のページもご参照下さい。
信者でもなければわずか5章とは言えこの本を読み通すのは苦痛です。それだけこの本は悪文であります。この文章に接するだけでこれが霊感で書かれたものではないと直ちに解るというものです。

旧約聖書風にこの書では大体「主」と言う神の呼称が使われておるのですが、中で単に神と言うこともあり、「主なるあなたの神」(3:3など)という表現も散見します。また、2個所ほど「エホバ」(1:16)って名称も出てきます。4章の天地創造の段に進むと「神々」ってのまで出てきます。
かなり、混在してるのですが、これを私の考えで整理と推理してみます。
アブラハムの書の原典はアブラハムが書いたということであれば、旧約聖書の書き方と同じ手法が取られたと考えます。

するとまず、2章
「さて主なる神がウルの地において・・・」(2:1)
「わたしは主なるあなたの神である。・・・わたしの名はエホバ」(2:7〜8)
とここで、「主なる神」という表現があります。これはヘブライ語では「アドナイ・ヤハウェ(エホバ)」と表現するのですが、「ヤハウェ」をいつもは「アドナイ」と読み替え「ヤハウェ」という神名を避けるように配慮しておったのです。そして、主なる神「アドナイ・ヤハウェ(エホバ)」という語順の時にはヤハウェ(エホバ)を神の一般名詞である「エロヒム」とよみかえていたのです。それが訳の段で「主なる神」と訳を施したわけです。つまり、正式には「あなたの主(あるじ)であるヤハウェ(神の名前)という読みが正しいわけです。
つまり神の名は既に明らかにされています。ところが、わざわざ「わたしの名前はエホバ」ってその後の節で断っているとはヘンです。
これは英文の聖書しか接せなかったジョセフの基本的なミスです。

さらにもっと大きな矛盾が第3章にあります。
3章にはアブラハムが「主」から受けた天文の教えが前半に述べられています。後半から天地創造の物語に入るのですがそこで、
「主はわたしアブラハムに、世界が存在する前に組織された英知たちを見せてくださった。(略)」(22節)
「神がこれらの者を見られると・・・」(23節)
とここで、主と神のふたり、モルモンが言うエホバとエロヒムが登場します。
神はまず霊たちをみて「良し」とし、アブラハムに「既に選ばれていた」と告げます。そして霊たちのなかで、「神のようなものが一人立ち」天地創造を宣言します。この神のようなものは「主(=エホバ=イエス)」と言うのが教会の教えです。
ところが、27節で
「また、主は言われた。『わたしはだれを遣わそうか。』すると、一人が人の子のように答えた『わたしがここにいます・・・』また、別の者が答えて言った『わたしがここにいます。・・・』」
これはモルモンの前世観を述べる大切な個所です。「天上の大会議」という場面です。この会議で「ルシフェル(サタン)がその意見とともに退けられるのですが、ここでの「最初の者」はエホバであるはずです。ところが、「だれを遣わそう」ってたずねたのも「主」となっています。
これは明らかに「神」と記するべきところのはずです。ジョセフはここでも超基本的なミスを犯しています。
ちなみに天上の大会議の平行記事であるモーセの書4章にも主なる神(エホバ)がわたしの愛する子って呼んでいます。ここでも、神と主(エロヒムとエホバ)の混乱を起こしています。

第4章に入ると主が呼びかけて神とともに天地創造に入ります。ここからはなんと神々という表現に変わってしまうのです。この神々という表現ですがこれは英語では「GODS」とされているそうですが、これはアブラハムの原典ではどのように書かれていたのでしょうか?これは既に巷で言われているようにエロヒムという言葉が複数形であると知ったジョセフが勘違いをしてこのような表現にしたのでしょうね。この方が三位一体論を否定するモルモンにすれば、天の父と御子を別なものとして表すのに有力であると考えたのでしょう。しかし、エロヒムという語をこう訳したのであれば、前章の神という表現がおかしくなる。神々にあたる語は原典ではなんだったのでしょう?
ここら辺のジョセフはもう混乱を通りこして支離滅裂ですね。マーティン・ハリスがモルモン書の翻訳(?)に関して
「いやああれはジョセフが酒をしこたま飲んで出来上がった代物」
と、言っていたようですが、将に泥酔者のたわごとと思えば納得も行こうというものです。
このようにアブラハムの書には普通で考えれば首をひねる内容がたった5章の間にふんだんに含まれています。それを疑問にも思わずに完全な書物と言い、神の言葉として信じれるというのが不思議です。
マインドコントロール下にでもなければ神の言葉とは信じられないでしょうね。


モルモン教は信じるに足るか?に戻ります